344.ペルデの結論
声は、静かに落ちる。半年の期間を得て、ようやく。あの時問いたかった思いは、形を為した。
「なにを……」
「関わるなと言いながら、ディアンやサリアナとの交流を持たせたのはなぜですか」
答えを待たず、声は続く。違う。答えなど最初から求めていない。
「異常を訴えた私の話を聞かず、一方的に離そうとしたのは? 関与するなと言いながらディアンを招き、接触する機会を増やしていたのは? 学園に入れる必要はなかったのに入学させたのは? 精霊界に関係していることなんて最初から分かっていたうえで、なぜ、私を同じ空間に留めたのですか?」
榛色は見据える。真っ直ぐに。半年前だけではない。これまで煮詰まっていた全てを、瞬き一つせず。
……ずっと。
ずっと、考えていた。ずっと疑問だった。ずっとずっと、納得していなかった。
「本当に私を守りたいというのであれば、なぜ、私を別の場所ではなくあの教会で暮らすようにしたのですか?」
「それはっ……」
「姉の忘れ形見だったからですか? 血が繋がっている以上、同じ屋根の下で暮らす必要があったからですか? それなら、なおのこと、徹底した対策をとらずに私が知ってしまう機会を与えたのは、なぜですか?」
赤が揺れる。ここまで一方的に言い返したことは、グラナートの記憶にもなかっただろう。
自分の意思ではないのに、そうだと説明することさえもできず。疑問も、謝罪も、言い訳だと咎められた記憶が蘇る。
だが、もうペルデは子どもではない。
だからこそ、答えは求めず。許しも求めず。ただ言葉を吐き続ける。
「言えなかったことは理解しています。それでも、任務の為と説明できなかったのなら、そもそも私を置いていること自体が不用意であると思わなかったのですか? あの一件が精霊界に関与していることも、サリアナが関係していることも、ただの人間の手にはおえぬものだと理解しておきながら、なぜ?」
守りたかった。その言葉に嘘はないのだろう。だからこそ、ペルデはあの時、語ることを諦めた。
問いかけたところで答えは返ってこないと。それは、もはや根本から違う。
守りたかったと言いながら、彼がしたことはなんだ?
ディアンの異常性を認識し怯えるペルデに対し、彼はなにをした?
洗脳のせいで、望みもしないのにディアンの情報を探らされたペルデが助けを求めようとしたとき、彼はなにを言った?
揺れる赤の中で、緩む唇が映る。
それは思い出した自分の過去か、言われるまで自覚していなかった、かつて父と呼んだ男の動揺に対してだったのか。
そもそもの始まりはなんだ? ディアンがようやくあの家を出た時か? ペルデがディアンを閉め出そうとした時か? サリアナがディアンを求め、最初の洗礼を偽らせた時か?
ペルデたちが生まれるもっと前、英雄と呼ばれた者たちが精霊王と契約を為したときか?
人間を娶らないと、あの精霊が意地を通した時か?
どれでもない。ペルデの始まりは、そのどれでもない。
「関係ないと言いながら最初に巻き込んだのは、あなたでしょう?」
否定の言葉はなかった。ペルデに言われた言葉を受け入れられず、震えた口から出る言葉はなにもなく。
やがて視線が元に戻っても、落ちる赤を捉えたまま。決して、その光から目を逸らすことはない。
「あなたがディアンとの接点を与えることさえなければ、少なくとも僕はサリアナに利用されることはなかったでしょう」
ペルデがサリアナに洗脳されたのも、そもそもがディアンとの接点が多過ぎたからだ。
ディアンの動向を常に見張りたかった彼女にとって、ペルデはあまりに都合のいい存在だった。
聖国の動向も、グラナートの行動も、そこから推測できるディアンの現状も。
疑われることなく、排除されることもなく。安定して、情報を得ることができる。
逆に言えば、そうでなければペルデが利用されることはなかったのだ。
ペルデがいつか望んだ通り、なにも知らないままでいられたはずだ。関わりたくないと願うまま、遠ざけることもできたはずだ。
だが、そうはならなかった。それが全て。
本当に心配していたのなら、本当に守りたかったというのなら。たったそれだけで、ペルデの平穏は守れたはずなのに。
「学園でも、家でも、それ以外でも。あなたがディアンに関わる限り、僕に逃げ場はなかった。どこに行っても、なにをしていても、遠ざけようとしても。……あなたの贖罪に無関係であった僕を巻き込んだのは、他でもないあなただ」
女王の命令のせいでもない。サリアナの欲望だけが理由ではない。ディアンの諦めの悪さと、バケモノたる精神力が導いた結果でも、あの精霊の信念でもない。
ペルデにとっての最初は。この地獄の始まりは、紛れもなくグラナート一人が原因なのだから。
異常を訴え、違うと否定し続けたペルデに対し。ディアンに向けた慈悲を、ほんの僅かでも与えてくれたなら、また結果は違っていたのだろうか。
……なんて、考えること自体が馬鹿馬鹿しい。それこそあり得ないことだ。
グラナートには理解できない。ペルデの苦痛も、悲しみも、怒りも、絶望も。
そして、理解されなくていい。それが、ペルデがようやく得た答え。
本当に家族であると、その言葉が欲しかったときに。彼は……彼は、最後まで、ペルデの話など聞かなかった。
緊急性があった。語れない事情があった。任務のため、機密のため、ペルデのため。
理由なんていくらでもあがるだろう。それがいかに正統で、仕方のないことであったか。
だから、ペルデの話を聞かなくてもよかった。だから、ペルデの事情などどうでもよかった。
だから、ペルデが本当はなにを望んでいたかなど、知る必要もなかった。
ああ、そうだ。答えはとっくに出ていた。理解されないことを。わかり合えないことを。それでも抱いた可能性を、あの時に崩されたことを。
だから、ペルデは諦めた。怒ることも、悲しむことも、期待することも。
……だが、今は違う。受け入れてもらう必要はない。理解される必要もない。
昇華する必要だってない。誰にも共感してもらう必要も、最初からなかったのだ。
サリアナが処罰され、正しい伴侶が迎えられ、全てがあるべき形になろうとも。ペルデは許せない。許したくない。
この感情を理解されずとも、それは確かにペルデにあった過去。ペルデが受けた傷。ペルデが受け続け、一生抱え続けていく感情なのだから。
「ち……違う、ペルデ」
震える声で絞り出されたのは、今度こそ想定通りのものだ。
否定したいだろう。認めたくないだろう。認めながら、それでも認めてはならないとわかっているのだろう。
これまでの生を否定するのと同じだ。そんなつもりじゃなかったことだって、理解したうえで、ペルデは言っているのだ。
だから、それでいい。そう思っていればいい。そして、ペルデがそれを受け入れる必要はない。
本当にペルデを守りたかった。本当に心配していた。だけど、その方法は正しくはなかった。
ペルデだけが、自分の感情を理解していればいいのだから。
「そんなつもりはっ……!」
「グラナート司祭」
ケジメはとっくについていた。
父と呼ばなくなった半年前。理解されぬと諦め、絶望し、自棄になって全てを放り投げようとしたあの時には、もう結論は出ていたのだ。
ただ、目を逸らしていただけ。向き合わなかっただけ。
……されど、ペルデは進まなければならない。
自分のために。自分が生きるために。
「孤児院に預けることもできたのに、これまで引き取り、育ててくれて、ありがとうございました」
犠牲になったものは多く、ただの慈悲だけで引き取ろうとは思わなかっただろう。
結果はどうであれ、彼の大切な時間を奪い続けてきたことは事実。これまでペルデが生きてこられたのは、グラナートがいたからだ。
その感謝を履き違えることはない。
なのに、再び合わさる赤は揺れたまま。それ以上言わないでくれと、震えたまま。向かい合う榛色に迷いはなく、遮るものだってない。
「あなたはディアンにとってよい司祭であり、絶対に裏切ることのない味方だった。十二年にわたる任務を成し遂げ、揺るぎない忠義を見せた女王陛下の忠実な従事者。僕にとってあなたは誰よりも誇らしい人だった」
世界を救った英雄として。司祭として。従事者として。かつて、父と呼んだ存在として。
感謝の気持ちも、憧れも、尊厳も。確かにそこにはあった。
それでも。
「そして、最初から私たちの間にはなにもなかった」
最初からなかったものを、元通りになど、できないのだ。
「この十八年で僕らが得たのは、その事実だけです」
「違う、ペルデ! 私は本当にっ……!」
本当に心配していた。本当に守りたかった。本当に、そんなつもりはなかった。
もう十分だ。彼の認識と、ペルデの認識が重なり合うことはない。摺り合わせる必要もない。妥協も、諦めも、怒りも。
「お引き取りください、グラナート司祭」
「ペルデ!」
「あなたは僕の話を聞かなかったのに、僕が話を聞く必要が?」
立ち上がり、扉に手をかけるペルデを、それでもグラナートは引き止めようとする。
ペルデも素直に出て行けるとは思っていない。こうでもしなければ、いつまでも彼はそこに座り続けるだろう。
いつかのように。ペルデが諦めるまで、ずっと。
「あなたが出ていかないなら、僕が消えます。監視するのに場所は関係ないでしょう?」
瞳が逸れる。もう赤は重ならない。だが、その足が動く気配もない。
これ以上無駄にする時間もなければ、場所を移したところで解決にはならないだろう。
この状況で人目につかず、あの男の元に行くなど、あまりに困難。
いっそ子どもらしく部屋を飛び出し、勢いで突っ走れば案外うまくいくかもしれない。
『かくれんぼ?』
自棄になりかけた思考を現実に戻したはずなのに、幻聴まで聞こえてくるなんて。……と、そう苦笑するはずの顔に触れる、柔らかななにか。
頭上からシャラリと響く音。聞き間違えることのないそれは、煌めく光と共に。
その正体に気付く前に、見開いた赤と目が合い。すぐに、逸れる。
「ペルデ? ……ペルデ!?」
目の前にいるのに重ならない視線。首を振り、周囲を見渡し、それでもペルデを見つけられないと青ざめていく顔を、呆然と見つめる。
事実、見えていないのだ。ここにいるのに。ここにあるのに。今も、扉を開くグラナートを見ているというのに。
「ペルデが消えた!」
「な……!?」
解放された扉から滑り出るペルデを誰も見つけられない。トゥメラ隊とグラナートの声を聞きながら、離れる足音だって聞こえていないのだろう。
動く度に響く羽の音。不快感のない、むしろ安心感を与えるそれは、ジアードの述べていた唯一の物。
なぜそれがペルデに与えられたのか。分からずとも、与えたのは誰かは明白。
『おさんぽ?』
『……そうだよ、ジアードのところに行こう』
首元から聞こえてくる可憐な声。直接頭の中に囁きかける音に、同じく頭の中で言葉を返す。
『お留守番なのに?』
『……留守番?』
『ジアード、言ってた。お留守番って』
違うの? と。小首を傾げる姿はペルデの視界に映らずとも、その気配だけでわかる。
言葉が示すのは、わざとあの男がペルデに妖精を預けたということ。
回収する伝手があったということか? ならば、なぜ逆にペルデに預けようとした?
……だとしても。
『……事情が変わったんだ』
足は止まらず、進み続ける。今さら戻ることはできない。
ローブを出した時点で誤魔化せなくなった以上、彼女をジアードの元に帰さなければならない。
彼女をペルデに預けていた理由がなんであれ、なにか目的があったのであれ。もう、引き返すことはできない。
『あいつのいる場所、わかるか?』
案内してと願えば、ペルデを導く光は行き先を示した。





