338.祭りの終わり
「形ばかりの王を、いつまでも上に据えるわけにもいくまい。然るべき時かはともかく、衰退する国を立て直すには新たな王が必要だった。殺したとはいえ、他国に比べればまだ穏やかな方だろう」
内戦からの反乱。民衆による暴動。他、王が滅ぶ事例はどれも血がつきものだ。
一人の首だけで済んだと考えれば、確かに穏便だったかもしれない。
あまりにも静かすぎて、主人が変わったことさえ聖国も知らなかったほどに。
「さて、これでお前はアンティルダと俺を知り得たわけだが……俺の目的とやらはわかったか?」
昔話は終わりだと、男が問いかける。
他国を陽動し、聖国に儀式を行わせ。襲われたのを幸いにと自身の弟を排除し、全てが片付くまでにこの男が果たしたかったもの。
目的があるからこそ動いているのだと、ペルデがずっと疑っていた男の行動理由。
ここまで聞いても導き出せない答え。問いかけている本人も、ペルデが答えられるとは思っていないのだろう。
だから、この応答に意味はない。……それでも、確かめることはできる。
「あんたは、恨んでいるのか」
両親を亡くした理由となった精霊を。本来いるはずだったこの地を精霊のものとした聖国を。精霊に関する、ありとあらゆる事柄を。
彼を突き動かす熱の根源は、そこにあるのかと。見つめる榛色に、深緋は揺れる。楽しく、面白く。その反応も、想定通りとわらう。
「くくっ……さてな。むしろ、恨んでいるのはお前の方だろう?」
手の上で眠る存在がいなければ、拳を握っていた。動揺は男の喉を鳴らし、ペルデの心臓を揺さぶる。
恨んでいない。……そう言えば、嘘になる。
エルドが意地を張らずに伴侶を迎えていたなら。聖国が、偽の『花嫁』と理解しながら放置していなければ。早々にディアンを保護していたなら。サリアナの所業に、気付いていたのなら。
必ずどこかで食い止められていたはずだ。その機会はいつだってあったはずだ。
ただの無力な子どもではなく、力ある者が訴えていれば。その権利のあるものが、正しく声をあげていたならば。ここまでの事態は、食い止められていたはずだ。
たらればに意味はない。実際にそうできなかった事情があったことも理解している。すでに終わったことに対して、いまさらなにを喚けというのか。
……そもそも、恨みというのなら。その矛先は精霊でも聖国でもない。
それは膨大すぎるゆえに諦めたのではなく。確固たる理由を持って向けていたもの。
「毎夜魘されるぐらいだ。よほど、あの義父の仕打ちはお前にとって許しがたいものだったのだろう?」
今度こそ、動揺は態度に表れる。なにを知っていてもおかしくはないと言ったばかり。だが、それでも予想できなかったことだってある。
「なんで……」
「あれだけ寝言がうるさければ想像もつく」
寝言も、夢も、無意識の現れ。自覚していようと制御はできない。
なにを口走り、なにを男に聞かせていたのか。どうであろうと、耳についたことには変わりない。
「推測するに、あの男と監禁されていたか?」
「……そういう、わけじゃ。ただ、話し合うように、部屋を用意されて、」
「その意思のない者に、和解するまで部屋を出るなと命じたなら監禁と変わりないだろう」
言い訳が喉の奥で狭まる。握り締めた拳の中、滲むのは汗と、あの時に投げ捨てたはずの感情。
抱いた理不尽さがまだ自分の中に息づいていることに、榛色は大きく揺れ動く。
「選んだのは自分だ」
「選ばされた、の間違いだろう。意思を通すより、従った方が楽だとお前は知っていた。抵抗しても無駄だと刻み込まれたお前が、自らそう望むよう仕向けられたにすぎない」
――その過程を誰よりも知っているのは、お前だろう。
語りかけられた言葉が、今になって押し寄せる。あの時にはもう、ペルデの悪夢を知っていたのだ。
最初の夜を迎えた日から、ペルデと対話を重ねるごとに、確信に近づいていた。
「理解されぬ者に理解を強いることが、いかに虚しいことか、お前は教え込まれてきた。お前は確かに選択し、自らの意思で選んだだろう。それ以外の選択肢がないことをお前しか理解していなくとも、奴らには結果さえあればよかったのだから」
「そんなことは……!」
「ないと言えるのか?」
音は、続かない。空気だけが唇から漏れて、震える音さえも閉ざされる。
「和解を拒否すれば、それこそ何日でも向き合わされただろうな。そうでなくとも、否定し続けてきた相手と対峙しろなど、拷問にも近いものだ。……普通ならば、耐えられない」
血が巡る。せき止められていた想いごとペルデの中を駆け巡り、肌が粟立つ。
ああ、そうだ。耐えられない。耐えられなかったからこそ、ペルデはここにいる。
それが一番マシだったから。それしか道がなかったから。そうだと選ぶしかなかったから。
誰にも理解されずとも、誰にもわかってもらえずとも、ペルデだけはそうだとわかっていたから。
震えは唇を噛む。蘇った熱に燻られ、込み上げる感情を抑えきれず、引き出した相手へ向けられる。
「……それで、俺をわかったつもりか?」
八つ当たりだと自覚して、ここで投げつけたところで意味がないことも分かっていて。それでも、止められない。
かつてペルデが抱いた感情をなぞり、事実に辿り着いて。いまさら、ここで全てを露わにして。そうして、可哀想とでも哀れむつもりか?
自分だけは理解していると慰め、同情し、それでなんになる? なにが変わるという?
それこそ、ペルデに選択を強いた彼らとなにが違うという。
「寝言を聞いて、俺とあの人のことを知って。サリアナに利用されていた俺に同情でもするつもりか? どれだけ訴えても信じてもらえなかった俺を哀れむつもりか? あのバケモノのついでに調べた程度で、なにもかも理解したとでも!?」
手が塞がれていなければ、その胸ぐらを引き寄せ、殴りつけていた。当たらないとわかっていても、意味がないとわかっていても、きっと止められなかった。
今だって、その榛色は強く、強く輝いていたのだから。
「俺がっ……俺がどんな思いで! ずっと耐えてきたと! やっと終わると思って、なのにっ……お前にわかるわけがない! 俺が、あの時あいつに言われて、なんて思ったかだって!」
光が散る。明滅する視界に映るのは、あのおぞましい景色。
白い部屋。用意された茶菓子。自分を見つめる赤。動揺し、揺れ、狭まる眉。
ああ、ああ。そうだ。あんなの、あんな言葉を聞かされるぐらいなら、諦めた方がずっとマシだったのに!
「お前なんかがっ――!」
「理解しただと? ……まさか!」
だが、ペルデの叫びは、笑う声に遮られる。
口を高く吊り上げ、笑いながら。それこそ、ずっと待ち望んでいたのだと。
「俺は事実こそ述べたが、お前の感情まで理解するつもりはない。お前がどんな思いで今日まで生きてきたか、なぞるのは容易だ。……だが」
笑みが消える。瞬いた深緋、貫く光は強く、強く。触れた指は腕を焼くほどに熱く、逃げられない。
「お前の内にあるそれは、お前だけのものだ。誰にも渡すことはできず、誰とも分かち合うことはできない。……だからこそ、お前はその内を理解などという言葉で穢されたくなかった」
そうだろうと、男は囁く。それは、まるで宣告のように。ペルデの全てを暴きながら、そっと慈しむように。
熱がペルデの身体を蝕む。炙られる胸の奥、悲鳴は喉に締めつけられて僅かにも出せず、食いしばった奥歯の音が耳鳴りと混ざって、それでもなにも出せない。
「お前が求めたのは、同情でも理解でも、慰めでも慈悲でもない。……そして、その救いを与えるのは精霊でもなければ、他の誰でもない。お前に刻まれてきた怒りを。与えられてきた苦痛を。今この時まで抱いていた恐怖を、正しく理解できるはずがない。……人ではない者らには、決して」
どうして。
疑問は声にならない。どうして、今になって。なんで、ここまできて。
父と呼んだ相手でもなく、心を寄せていたシスターでもなく。恐れていたあのバケモノでさえもなく。なぜ、たった数日共に居ただけのこの男が、気付いてしまったのか。
ああ、そうだ。仕方ないなんて言葉で、片付けられたくなかった。
そうだなんて、思いたくなかった。納得なんてできなかった。諦めたくなんて、なかった。
それでも、ペルデになにができたのか。
受け入れる以外に。納得したと見せかける以外に、どうして。
「ペルデ・オネスト」
握られた腕が熱く、痛く。それでも、振り払うことはできない。振り払おうとも、思えない。
それはきっと、受け入れなければならないものだから。
ペルデがペルデであるために。『人』であり続けるために。
「その感情を。お前の抱いてきた全てを誰にも渡すな。それだけがお前をお前たらしめ、自らを救う唯一になる」
指が離れる。滲む汗を夜風が撫でても、熱はペルデの奥底に刻まれたまま冷めることなく。
息を吹き返し、打ちつける鼓動に胸を掴む。滲む視界に歯を食いしばって、叫び出したい衝動を噛み殺す。
ああ、そうだ。正しくそれは、蘇ってしまったのだ。
忘れていたかった感情を。このまま殺したかったものを。この男のせいで。
「……そう、それでいい」
男がわらう。ペルデを繋ぎ止めた男が。嘲笑うのでも、からかうのでもない。
柔らかく、優しく。微笑みながら。怒り、恨み、苦しめと。それこそが、いつかペルデ自身を救うのだと、人ではない光が、わらう。
まるでそれは、精霊が加護を与えるように。そうして、満たされるように。
光がペルデの視界を占める。それは男ではなく、自分の手元から淡く発せられたもの。
「ようやくか」
視線が外れ、暗がりが戻る。唯一の光源は、手の上で眠っていた小さな命。ゆっくりと起き上がり、背を丸める様は、まるで蝶の羽化を思わせる姿。
まるで月の光を集めるように広げられた羽が煌めき、散らばる光は鱗粉ではなく、魔力の残滓。
芽吹くように。花咲くように。幻想的な光景に見入るペルデの手で、命が息吹く。
そして、一層強く輝いた光は、音もなく手の平に落ちた。
まるで木の葉が落ちるように。妖精の命とも言える羽が、呆気なく。
「案ずるな。……よく見ろ」
慌て、伸ばそうとした指が落ち着きのある声で止まる。うずくまっていた妖精がゆっくりと起き上がり、大きく背伸びをして立ち上がる。
その顔に滲んでいた苦痛も青白さもなく。今の一連が嘘のように、活気に溢れている。
だが、夢ではないことは、その足元で煌めく光が示すとおり。
「な……なにが……いったい……」
「言っただろう、大事ないと」
手の上と男。ニコニコと笑う顔と、月明かりに照らされる笑みを交互に見やって、視線は手元に戻る。
「妖精は本来、精霊と共に生まれ、精霊樹へと還り、蘇る。だが、魔力の乏しい我が国に生まれたこれは、その理から外れた存在だ」
落ちた自分の羽を拾い、眺める姿に悲壮感はなく。いつも通りだと、その表情が示している。
「それは精霊樹に戻ったことはないし、一度も朽ちたことはない。俺が生まれた時からずっと共にあり続けている。こいつは魔力を蓄える器官が弱くてな。過剰な魔力はかえって毒になる。いつからか、魔力を蓄えすぎると、自ら羽を落として調整するようになった」
「……そんなこと、できるのか?」
「妖精は植物の化身でもある。草花が種の存続のために進化するなら、妖精だって例外ではない。とはいえ、こいつの場合は特殊だろうがな」
落ちてなお、失われない魔力の輝き。その一枚に含まれた量は少なくとも、その力の強さをペルデは知っている。
「本来なら、あと数ヶ月はもったはずだが……あの場所は、こいつにとっては刺激が強すぎたようだ」
「じゃあ、無理矢理ここに来たのは……」
「この一連を聖国の奴らには見せたくなかったからな。俺にとってもいい暇つぶしになった」
強張っていた力が抜けていく。
部屋の外に出れば監視が付き、部屋の中を見張られている可能性がある。王宮内で巻こうとすれば、それこそ騒ぎになっていただろう。
今まで待っていたのは、妖精がいつ調整するかが分からなかったか、夜でなければいけなかったか。どちらであれ、魔力の濃い空間ではうまくできなかったのだろう。
本来なら一日だけの滞在が延び、帰れる算段も未だつかず。だからこそ、あそこまでのリスクを冒して外に出たのだ。
……この妖精のためだけに。共に生まれたという、唯一無二の存在のために。
「愛し子にも、妖精がうまれるのか……?」
「半分とはいえ、精霊の血が流れているからな。愚弟にもいたんだ、聖国の連中にも存在しているだろう。まぁ、他の精霊同様、どれが自分の妖精か知らんだろうし、奴のに至ってはどこへ消えたのやら」
興味はないと吐き捨て、指が少女に伸ばされる。自分から触れることなく、されど寄り添うように。
自ら頬を擦りつけ、抱きしめる姿は信頼を全力で返している。血は繋がらず、種も違う。だが、確かな関係はそこにあるのだと。
「もしかして、あのローブに使った羽は、全部こいつの?」
「本人には不要物とはいえ、希少な妖精の羽だ。使わぬ手はないだろう」
指先が動く。同時に、何もない空間から現れた布は、落ちた羽と同じ煌めき。
不快感も、嫌悪感もない。穏やかで、温かな……今なら、その理由をペルデは理解できる。
「言っておくが、俺が所持しているのはこの一枚のみ。研究のため、材料こそあの女にも渡したが……よもや、自ら集めるとは」
ジアードの語る人物など、一人しかいない。精霊によって処された罪人。妖精の羽をもぎ、その命を枯らせた張本人。
断罪の場で、サリアナは作っていないと証言した。それは、確かに嘘ではなかったのだ。
「じゃあ、他の……あんた以外が持っているやつは……」
「どれだけ秘匿にしようと、鼠も虫も湧いて出るものだ。愚弟もあの女を利用していたからな、材料には困らなかっただろう。……全く、どれも酷い粗悪品だ」
呟かれる言葉は呆れが強く、されど憎悪はない。あくまでも質が悪い物に対するそれは、淡々としたもの。
「妖精は植物の化身であると同時に、精霊の分身だ。精霊ほどの力がなく、彼女らに加護は宿らずとも、異なる精霊の力を寄せ集めれば反発するのは当然だ。このローブは俺の魔力に馴染んでいるからこそ、真価を発揮する」
布に隠された手が透き通り、気配がなくなる。
異物感も嫌悪感もない。まるで、そうあることが自然のように馴染みきっている。
「……なんのために」
「それを答える必要が? 俺の妖精のものをどうしようと、俺の勝手だ。元より、不干渉の盟約を結んでいる以上、咎められる謂われはない」
「そうじゃなくて」
そんなことはわかっている。ペルデに咎める権利はない。
ジアードの言っていることは、道理も立っている。彼の妖精が差し出したものを、彼は利用しただけ。
それを悪用した弟たちへの罪を、彼個人に問うことはできない。だから、ペルデの疑問はそうではない。
「そうじゃ、なくて」
「……ペルデ」
続く言葉は、腕を掴まれていなくても、言葉にはできなかっただろう。
「お前をお前たらしめるものは、確かにここに残っている。たとえ傷が消えようとも、誰もが過去にしようとも、消えることはない」
先ほどと同じ。されど、それはより強くペルデに訴えるように。決して忘れないようと、男は紡ぐ。
祝福のように、呪いのように。もう二度と、手放すことのないように。
炎が燃える。ペルデを焼いた痛みも、熱さも、苛んできた全てが、ペルデの胸を締めつける。
「……なんで、俺に教えたんだ」
アンティルダの過去。禁忌と呼ばれたローブ。
人としても、教会の人間としても知るべきではない情報。それを、なぜ、この男はペルデに教えたのか。
もう暇つぶしでは説明できない。気まぐれでも片付けられない。
疑問ばかりがペルデを支配する。なぜ、どうして。
「時間がないって言っていたのと、関係しているのか」
問うた声は、笑う声に消される。
「遊びの時間は終わりだ。いいかげん戻らなければ、奴らも業を煮やしているだろう」
答えるつもりはないと誤魔化され、追求することはできぬまま。光は再びペルデを襲い――あとには、何も残らなかった。





