335.伴侶の素質
「過去に迎えられた伴侶の最期について、教会の奴らはお前に話をしたか?」
すれ違う者の会話、呼び込む声、子どもがぐずる鳴き声も、誰かが喜ぶ声も区別なく。
騒音と呼ぶべき環境の中でも男の問いは紛れることなく、まるで繋がれた手から直接響いているよう。
手首が熱いのに反し、問いかけは淡々として冷たく。その違いにも、問われた内容にも、僅かに怯む。
迎えられた伴侶。その名称が示すほとんどは、強欲の精霊に娶られた者たち。
教会が今の選定の基準を作る前の、遙か昔のこと。
冠する力の通り、欲望のままに番にされた人間たちの行き着いた先。
「……望まぬ婚姻により、犠牲になったとしか」
「おまえは、それをどう捉えた」
イズタムの元、ディアンと同じように学んでいるが、教わる内容には差がある。
精霊に嫁ぐ者が知るべきこと。ただの人間が知ってはならないこと。今も既に、本来なら知ってはならない領域に踏み込んでいる。
それでも、伴侶たちについてペルデが伝えられているのは、アプリストスが起こした過去について。
女王陛下直属部隊であるトゥメラ隊が、愛し子で構成されていることも知っているが、嫁がされた者たちのその後については誰も教えてくれなかったし、ペルデも聞こうとは思わなかった。
それはすなわち、ディアンの行く末を知ることにもなるのだから。
「強制的に、人間としての生を諦めさせられたと。人間として死を迎え、精霊界でなければ生きていけぬようになった、と」
「間違いではないが、やはり足らんな」
想定通りだと呟く声に、嗤いも呆れもない。どこまでも静かに、ただ事実を述べただけ。
「そもそも、伴侶になれる素質はなんだと思う?」
「……? 精霊が気に入ったからだろ」
精霊が特に気に入った存在を愛し子と呼び、その愛し子を手元へ置くために番うようになった。
シュラハトも、アプリストスも、その他の精霊も。そして、あの男だって例外ではない。
「それは伴侶にする理由であり、素質とは関係ない」
されど、否定すらも変わらぬ調子で響く。気に入ることと、素質があることは違うのだと示され、足は止まらぬまま眉が寄る。
子どもであることか? ……いや、アプリストスが迎えた伴侶には成人した者もいる。
性別こそ関係ない。出生だって、大した差ではないだろう。魔力……否、どれも違う。
あるいは、人間でありたいと願っているペルデには、分かってはいけないものなのかもしれない。
「実際、素質がなくとも伴侶になった者はいくらでもいる。その結末は、不死であるがゆえの死だ」
「……言ってる意味がわからない」
望む答えは与えてくれないのに、こんな時ばかり一方的に押しつけてくる。拒絶することはそれこそ厳しく、精一杯の回答だって無意味。
「単純な話だ。絶対的な存在に逆らえるはずもなく、強制的に番わされた後。目覚めれば元の居場所はなく、味方と呼べる存在もいない状況で、ただの人間だったモノが正気を保てると思うか?」
強張る腕は、熱に導かれて止まることを許されない。動揺は足を乱し、歪な足音が雑踏の一部になる。
重ねるのは、かつてペルデが抱いた疑問。なぜ受け入れているのかという違和感。
憤りにも似たそれは、それまでペルデの中で燻り続け、最期には燃え尽きてしまったはずのもの。
灰の中に残る火を見て見ぬ振りをしながら。いつか消えることを待っていた僅かな感情。
ペルデがディアンを、バケモノと呼ぶに至った全て。
「確かに肉体は死なず、老いることもない。だが、誰もが強靱な精神を持っているわけではない。ましてや、希望も救いも望めぬ状況で、何百年と生き続けられるだけの逸材はな」
光を失わぬ黒が。あの日、再会した紫がペルデを見る。
ギラギラと輝き、眩しく、あまりにおぞましい光が。今までもこれからも、ずっと苛み続ける光が。今も、ペルデを支配している。
耐えられるはずのない生活で。耐えられるはずのない状況で。それでも、耐え続けてしまったあのバケモノの光が。ずっと、ずっと。
「心臓は動き、息もするだろう。だが、摩耗した精神はやがて何も感じなくなり、ただそこに在るだけのモノとなる。……魂のない肉体など、死体と変わりない」
それはきっと、生きた人形のように。確かに生きているのに、死んでいると思わせるほどに、何も感じないのだろう。
ペルデは重ねることができない。ディアンがそうなる未来を。あの紫から色が消える光景を。
あれは、耐えるだろう。この先何があろうと、何がおきても。それこそ、エルドが死んでしまっても。
あのバケモノは耐えきってしまうとペルデは知っている。否、むしろそうであれとさえ思っている。
正しくそれが、ペルデが抱いたディアンの恐ろしさであるはずだと。
「かの者らの正確な末路については、さすがに俺も知りはしないが……あの精霊が、人を愛しながらも伴侶を頑なに拒んでいたのはそれが理由だ」
それこそ何十、何百と。ヴァールと呼ばれた精霊は、その成れの果てを見届けてきたのだろう。
いつか自らが迎えた愛し子もそうなることを恐れ、拒み続けて。だが、最後には受け入れた。
あのバケモノにその素質があったからこそ。たとえ二人にその自覚がなくとも、その末路だけは辿らないと確信したからこそ。
「アンティルダの精霊が消滅し、数百年。残された愛し子にとっては、彼女の愛した民も、彼女との間にもうけた子も、愛しい女を失った事実を埋める存在にはならず、同時に、愛し子もまた精霊の代替にはならなかった」
人の数が増え、ざわめきも大きくなる。繋がれた手に力を入れるのに必死で、いつはぐれてもおかしくはない。
それでも、男の声はどこまでも鮮明に響き、指は固く繋がれたまま。ほどけることなく、そこに。
「初めは耐えられていた環境も、月日と共に精神は摩耗し、やがて心を病んだ先王は他と同じ末路を辿った」
「……つまり、肉体はまだあると? だから、あなたは仮の王だと……」
儀式の初日。本来なら無事に終わるはずだった見送りの後。
彼の弟が、王と認めたつもりはないと叫んだことも、後ろの従者も同意を示していたことも。死の淵を彷徨いかけても、ペルデは確かに覚えている。
他国に正式に通知されていなかったことも含めて考えれば、公言できる内容ではない。
だが、生きていても統治ができぬのならば、頭はすげ替えなければならない。
「否、俺は正統にアンティルダを賜った。不当と喚いているのは愚弟と連なる者であり、民も俺を選んだだろう」
大した自信だ。そうでなくては、王を自称することはできないのか。アンティルダの国政がどうであれ、ペルデの知識では比較できない。
「先王の肉体も、精霊が消えたとされる地で朽ちている。精霊の加護を失った地で死んだ魂がどうなるかはともかく、共に眠れただけでも満足だろう」
「……誰かに、殺されたのか」
踏み込んでいる自覚はある。それでも、止まらない。
虚ろな瞳。引き抜かれる音。呟く声。悪夢と切り捨てたはずの景色。否定されるための問いに、ほんの少しだけこもる力。
「ああ、俺が殺した」
「な――っうわ!?」
「い、ってぇ~~~!」
受けた衝撃は比喩ではなく、文字通り肩に与えられた。
……通行人にぶつかるという、想定できた事ゆえによって。





