334.お祭り
澄み渡る青、雲一つ無い晴天。視界に入る太陽は、真上よりもやや西寄り。
とうに昼を過ぎていたことを知るには、それで十分だった。
別館から王宮に移動する際は、そもそも空を見上げる余裕さえなかった……と、思い返したところで、現状の何が変わるのか。
見慣れたはずの景色も、通い慣れていたはずの道も、今ではまるで別次元のようだ。
老若男女関係なく、それこそ自国も他国も区別無く。溢れかえる人は歩き続けている。
上から重ね着したペルデと、マントを羽織っただけの男。外見だけは、その下がいかに歪な格好かは分からないだろう。
服さえ見えなくなればいい、という感情が透けて見える。そもそも、寒がっている姿を見たことがない。
愛し子に体感があるかまでは不明だが、少なくとも、この男は平気なのだろう。金を出し渋ったのではないことは、購入の一連を見れば確か。
ノースディアとでは規模も違えば、その重要性も違う。比較するには差が大きいが、唯一知っているのが建国祭だけなら、他に引き合いに出せるものもない。
今いる場所が、大通りから離れて狭い道であることを考慮しても、人の密度が高い。はぐれてしまえば合流は厳しいだろう。
目の前の景色から手元へ、串に刺さった最後の肉を抜き取り、噛み締めながら視線は上に。見下ろす深緋と絡むまで一秒とあっただろうか。
「どうした、食い足りないか」
ほら、と差し出された肉はまだ半分も減っていない。概ね丸一日食べていない胃が、たった数切れの肉で満たされるはずもないが、素直に食らいつくほど馬鹿でもない。
無言で拒否すれば、この反応も分かっていたのだろう。肩が揺れる音と共に串は遠ざかり、噛み千切る歯に獣の姿を重ねる。
「まだたいして見ていないんだ、そう胃に詰めることもない。この時期にしかでない物もあるだろうしな」
周囲を眺める目は、次にどこへ行くか狙いを定めるもの。
今だけではない。服を買ってからずっと、ジアードは屋台を覗き込んでは路地に入り、舌を打っては装飾品や売り物を眺め……と。まるで本当に楽しんでいるかのよう。
実際にその部分もあるのだろう。だが、これだけが目的と考えるには、あまりに大がかり。
「……何のために、ここへ」
足元にはあらゆるゴミが散乱しているというのに、食べ終わった串をその場に捨てることもできず、弄ぶ。それは、男へ問いかける緊張を紛らわせるための言い訳か。
「観光以外の何が?」
「わざわざ女王に付け入られる真似をしてまで、本当にこんなモノが見たかったのか」
既にペルデたちがいなくなっていることは、トゥメラ隊にも伝わっているだろう。実際に探しに来ることはできずとも、この場にいる他の兵士に伝達する方法はあるはずだ。
ペルデには、どうやってここまで来たのか明らかにはできない。だが……方法があるとすれば、アンティルダが習得している門の魔術しかないが。
魔石を媒体にすることで、オリハルコンがなくとも門を展開できる……とまでは聞いている。
実際にそんなことが可能か疑っていたが、他の手段は考えられない。
監視下に置かれた状態で用いたということは、手の内を明かすようなもの。そんなリスクを冒してまで祭りを見たかったなど、到底納得できない。
「こんなモノ、か。確かに、期待していたほどではなかったな」
僅かに細める目、鼻で笑う音。態度こそ言葉通りで、されど見つめる深緋に含まれるのは違うもの。
「アンティルダの外に出ることは滅多にないからな。それに、聖国の連中に申し出たところで観光させてくれるとは思えん。そもそも、抜け出した証拠がないのなら、追求することもできまい」
感情の正体を見極める間もなく、瞳の煌めきはいつもの調子に戻る。
聖国は、良くも悪くも証拠主義だ。他国に対しての正当性を主張するためにも、確固とした理由が必要になる。
問い詰めるだけでは、この男が口を割るはずがない。……つまり、また無罪放免というわけだ。
ジアードも、ペルデだけでは咎める証拠にはなり得ないと理解しているからこそ、こうして好きに動いているのだ。
元より手に負える相手ではない。
「ところで、その口ぶりではノースディアの方が盛大だったようだな?」
「そういう意味で言ったんじゃ……そもそも、規模が違うだろ」
「さて、祭りどころか他国をこの目で見るのは初めてだからな。お前は義父と見て回ったのだろう?」
ただの建国祭と、人間界と精霊界を巻き込んでの婚姻。……正確には婚約式に伴うお披露目だが、比べられるものではないだろう。
問いかけようとした内容は、問い返されたことで潰される。
流すのなら、一言同意するだけでいい。……だが、見下ろす深緋は、既に答えを見抜いている。
本当に悪趣味だ。分かった上で問いかけ、ペルデの反応を楽しんでいるのだから。
「……一度だけ」
「ほう?」
それは男の想定する返答と異なっていたのだろう。
だが、ペルデは一度だけ、グラナートと回ったことがある。
実際は少し街に出ただけだ。手を引かれ、人混みを抜け。目に付く屋台を次々と通り抜けて、真っ直ぐ辿り着いた先。
用意された会場。観戦する人たち。剣を構える子ども。……まだ、人と呼べた頃の、バケモノ。
少なくとも、あの時は楽しかった。いつも忙しい父と一緒にいられて、一緒に祭りを見て出かけた理由が旧友と会うためでも、特別何かをしてもらったわけではなくとも、ペルデは楽しかったのだ。
だって、少なくともあの頃は……グラナートに課された任務は、関係なかったのだから。
「俺が小さい時、まだあのバケモノが最初の洗礼を受ける前だ。……それ以降は、誰とも回っていない」
本当に、あれが最初で最後だ。そもそも、任務がなくとも一緒に楽しむことは厳しかっただろう。
祭りの日の教会は、臨時の休憩所としても開放されている。ましてやノースディアで最も大きい教会だ、観光や祈りを捧げに来る者だって少なくなかった。
司祭であるグラナートは当然。聖国から派遣されていたミヒェルダやアリアも例外ではない。
ディアンを見守っていたトゥメラ隊は他にいたとしても、彼女たちにもそれぞれ任務があったのだ。
今なら理解できる。ペルデ一人に割く時間などない。……そこに、義理の子も実子も関係ない。
優先すべきは任務だった。それだけのこと。
「祭りについてだけど、他の国はともかく、自分の国ぐらいは知っているだろ」
「さぁ、どうだか」
弄んでいた串が奪われ、二つ纏めて燃やされる。放つ光は男の瞳に比べれば淡く、灰になるのは一瞬。
「少なくとも、ここまでの規模の祭りは、先代が生きていた頃からなかったな」
再び景色に戻る瞳、移る光景に何を重ねているのか。
思い出すのは、支える身体の熱さ。語られた内容。……アンティルダの、成り立ち。
「俺が生まれる前にはあったかもしれんが、正式に残されていないからな。この地にあった頃の習慣は、アンティルダに移った際に失われたものが多い。祭日も例外ではなかったということだ」
それまでの生活も、歴史も、何もかも奪われ。そのうえで祝う気持ちなど、当時の者には到底見出せなかったのだろう。
精霊は消え、愛し子であるジアードの父もいなくなった今、歴史を辿ることは困難となった。
教会との繋がりもなければ、他国に記述が残っているとも思えない。つまり、この地が旧アンティルダ領であったことも、今では彼のみが知る真実となった。
――ふと、違和感がよぎる。それはすぐに形となり、無視できない疑問として膨れ上がった。
「……あんたの父親は死んだって言ったよな。だから、アンタが代わりになったと」
「ああ、それがどうした?」
この男と初めて会ったとき、確かに彼はそう名乗った。
先王亡き後、アンティルダの王になったと。
そう、死んだから彼は王になった。その時点で、おかしい。
「精霊の伴侶がなぜ死ぬんだ。契った後は不老不死になるはずだろう」
教会が広めた教えも、ディアンと関わり知った精霊界の一部も肯定している。
伴侶は精霊界に召し上げられた後、儀式を経て精霊と同じ存在となり、人間界を見守り続ける。
原初の伴侶、アピスが実在するように、伴侶は老いることも死ぬこともないはずだ。
なのに、なぜトゥメラ隊はそれに突っ込まなかった?
矛盾しているはずなのに、なぜ、ロディリアもそれを追求しなかったのか。
「不死といえ、限界はある。致命傷を負えば人の道から外れようと絶対ではない。たとえば……心臓がなくなるか、首が飛ぶか」
脳裏を駆け巡るのは朝に見た夢。生きた骸。物言わぬナニか。引き抜かれる剣。鈍い音。
その瞬間までは見ていないが……状況から考えれば、そうであろう。
今思い返せば、あの面影は誰かに似ている。
そして、語りかけた声も。同様に。
「……なら、どうして死んだんだ」
視線はペルデの元に戻り、長い睫毛が揺れる。その交差で何を見極め、なにを考えたのか。
「歩きながら話してやろう」
壁から離れる身体。取られた腕。少しだけつんのめる足。
見ていた深緋はもう映らず。ジアードがどんな顔をしているのか見ることは叶わなかった。





