311.儀式の後
儀式は滞りなく終了した。
集まっていた民衆もじきに解散し、城下は選定者らの話で持ちきりになるだろう。
まだ全ての工程が終了したわけではないが、最重視していた儀式は恙なく終了し、同時に今日ペルデがすべきこともなくなった。
ディアンの近くにいる、という義務こそ残っているが、負担は微々たるもの。少なくとも、この儀式の期間中、二人きりでいることはないだろう。
戻ってきた王宮は慌ただしくとも、ペルデができるのは命じられた事を遵守することのみ。
「ペルデ、少し待って」
大っぴらに休むのはさすがに憚られるが、少し落ち着くぐらいは……と、考えたところで呼び止められ、寄せた眉は壁に手を当てるミヒェルダの姿でより距離を近付けることとなる。
王宮内の壁や天井には聖水が循環し、それを通じて各部隊への伝達と障壁を維持していることはペルデも知っている。
どこでも可能というわけではなく、特定の位置……ペルデの目には分からないが、まさにミヒェルダが手をあてがっている場所がそうなのだろう。
分かったところでペルデでは使い方が分からないし、彼女たちもそこまでは求めていない。そもそも、ペルデやミヒェルダにまで伝令が来るのは滅多にないことだ。
選定者に異常があったのなら、そもそも近くにエルドがいる。自分を呼ぶ理由はないはずだと、見守っていた一連は数秒とせずに終わる。
振り返った顔は、ペルデに劣らず険しいもの。
「問題が?」
「……女王陛下からのご命令で、門まで来るようにと」
「女王陛下が?」
陛下直々のご命令。それも、精霊門の設置してある部屋まで来いとは。
それこそ門に異常があったなら、女王自身かイズタムの方がよほど詳しい。このタイミングで呼びつけるなど、皆目見当がつかない。
「確証を得るため、確かめてほしいことがあると」
だが、それもミヒェルダの補足で心当たりが一つ浮かぶ。
逆にペルデにしか確かめられないこと。今、この時でなければならない理由。急ぎ呼び出すだけの状況。
脳裏によぎる色を、瞬くことで掻き消す。
「……わかりました、すぐに参ります」
見当違いであろうと、この予感が当たっていようと関係ない。仮にも従事者としてここにいる以上、ペルデに拒否権はないのだ。
少なくとも、ディアンがこの世界にいる間はそう振る舞うと決めていた。ならば、この足が望まれた場所に進むのは当然のこと。
先導されるまま進めば、やがて見慣れた道に戻るにつれて警備の数が増える。馴染み深い扉の前は、特に厳重に。
静かに開いた先から漏れるのは、聞き慣れない男の声。
「聖国女王自ら見送りとは、なんとも恐れ多い……」
言動と服装から、召還した他国の者だと当たりをつけ、誘導されるまま壁際に。
男たちからみて死角。だが、ペルデからはよく見える位置。
対峙するのは、布で顔を隠したままの女王と、彼女の言葉を代弁しているイズタムの姿。
精霊の血を濃く継いでいるロディリアの声も、人間に強い影響を及ぼす。儀式の場では対策をしていたが、ここではそうはいかない。
ゆえに、何かを話す時には第三者を通じ、直接その口を借りるのが常だ。
ペルデの場合は、与えられている魔法具があるため多少守られているが……無防備な人間ではいるだけでも相応の負担だろう。
そうでなくとも、あの儀式を見た後だ。聖国は精霊の代弁者。この男は今、精霊の前にいるも同じ。
国を担うだけあり平静を装っているが、果たしてその心労はいかほどか。
「出迎えはできませんでしたが、無事に儀式を終えた今、こうして別れを惜しむだけの時間はあります」
「いやはや、まさか精霊様がこちらの世界に降りていらっしゃったとは……未だにこの目を疑っております」
それは、あの場にいた誰もがそうだろう。信じがたい光景だったに違いない。
障壁で守っていたとはいえ、あくまでも正気を失わぬための処置でしかない。一体何人があれを見て、影響を受けずに済んだのか。
巡礼で出会った者たちのように魅入られ、求めた瞬間に見せつけられ、心を折られた者は、どれだけ存在するのか。
……そして、サリアナのように。諦めきれぬと狂った者は、本当にいなかったのか。
「確かに前例のないことですが、自らこの地に降り、目の前で誓わせるほど庇護しているとなれば当然のこと。特にあの御方は執着が激しい。悪意を持って己の伴侶を貶める者がいれば……いえ、そうならないために我々がいるのです」
わざとらしい誤魔化しに、男の顔色はいよいよ悪くなっていく。あからさまな脅しだ。
おそらく、アンティルダと共に囃し立てていた国だろう。
居ただけで圧倒する存在。敵わないと突きつけられた上に、その敵意が向く可能性を示唆されては反抗心も削がれるというもの。
「これからも、貴国とは良い関係を築きたいと考えています」
「そ、それは……もちろん……」
「精霊と人間の結ばれたこの日を、どうか忘れることのないよう」
脅しを結びの言葉とし、門が開けば男を先頭にして消えていく。
最後の一人が通過したのを確認し、光が収まりきったところで、布で隠されたままの顔がペルデに向けられた。
「疲れているところに呼びつけてすまない」
「ご命令とあれば。……確認したいこととは?」
砕けた口調でも、命じられたことには変わりない。たとえ女王としてではなくとも、ペルデに拒否権はないのだと背は正したまま。
「昨日の不審者の背格好は覚えているな?」
「……それは、ローブを着ていた方の男でしょうか」
「そうだ。ローブ越しとはいえ、視認していたのはお前だけだからな。顔は見えてなかっただろうが、近くで見れば分かるものもあるだろう」
チラついた深緋を、分かりきった確認で振り払う。思い出せるのは逃げる姿ばかりで、到底役に立てるとは思えない。
だが、一瞬でも聞こえた声と、最初に視認した時の体格を照らし合わせるぐらいなら、ペルデにもできること。
「対話は我々が行う。お前はそこで見ているだけでいい。……ミヒェルダ、事が終わるまでペルデの身を優先せよ」
「はっ」
最後の一団が来ると知らされ、張りつめる空気。鼓動が強まるのは緊張のせいだと息を吐くと同時に、扉が開く。
進みでる黒が揺れる。堂々と、恐れることなく。深緋は前を貫き――だが、僅かに逸れる。
交差したのは刹那。瞬いていれば見落としていた、一秒にも満たない時間。僅かに細まる赤と、強張る榛色。
身体が硬直した時にはすでに離れ、後ろ姿しか見えず。それもすぐ家来たちの姿に遮られてもう見えない。
だが、焚きつけられた熱は、別の姿によってすぐに逸らされる。
追従する足は頼りなく、寄せた眉に刻まれた皺は深く、視線だって落ち着いていない。確信はないが、近づけば怯えた呼吸も聞こえていることだろう。
しきりに押さえている腕に巻かれた包帯と……見覚えのある外見。
身長も、今は晒されている顔も、足音だって間違いない。ペルデが追ったのは、あの金髪の男だ。
家来にしては派手な装い。むしろ王と名乗った者よりも目立っているが……。やはり、腕が立つようには到底見えない。
そばにいるミヒェルダに目を配れば、それだけで意図は通じる。
あとは腹の探り合いだと、反する色が向かい合うのを眺める。
黒と白。赤と金。奪われた側と――奪った側。
見上げ、見下ろし。最初に口を開いたのは、男の方だった。





