閑話⑥とある結末
今回は、あったかもしれない結末のお話です。
――つまらない相手。
それが、男の抱いたソレに対する感想だった。
見渡す限り白い空間。天井から床に至るまで、余計な色彩のない統一された部屋。それは異物を寄せ付けぬという拒否感を露わにしたものか。
女の……それも妃である者の自室にしては、あまりに質素。まるで病室に見紛う異質な空間に、ソレはあった。
特別に誂えられた寝台の端。腰掛ける男は、まるで紙に落ちたインクのようだ。
艶やかな黒髪に、同色の瞳。
顔は整っているが、特別と呼ぶ程でもない。それは、男がソレに対して抱いていた期待を差し引いても同様に。
この国では貴重な絹に包まれた身体に、鍛えていたという面影は見えない。腕を取り、手の内を眺めても同じく。
辛うじて剣を握っていたという名残があるが、それもいつまであるものか。
男が入室し、今に至るまでソレが行ったのは瞬きと呼吸のみ。
最低限の生命活動。光の宿らぬ双眸はどこともわからぬ景色を眺めたまま、触れられた今も微動にしない。
……これが、あの女の欲した存在。
特に期待はしていなかったが、それでも拍子抜けする。なにもかも放棄してまで欲するほどとは到底思えない。
思うがままになる環境も、その才を遺憾なく発揮できる場も。己の自由さえも天秤にかけ、それでも手に入れたかったのが、こんな人形とは。
呆れて声も出ない。だが、それこそ男には分からぬ魅力というものがあるのだろう。
精霊から加護を賜っていない、というのも理由になるのか。
頬を撫で、唇に触れ、僅かにも擽られぬ感情に鼻から抜けるのは嗤い。
盲目なまでにこの男を求め、十二年もの月日を費やし、ソレを手に入れるためだけに振る舞ってきた。
フィリアやフェガリの加護の力もあっただろう。されど、その執念はサリアナ自身のもの。
己の求めたモノを、どんな手を使ってでも手に入れようとする。それは、まさしく人を求める精霊そのものだ。
『手を組みましょう、私たち』
同盟を結びたいと馬鹿げた提案をしてきた愚者に、暇つぶしになると会ったあの日。まだあの女が、少女と呼べるほどに幼かった頃。
思い返せば、あの爛々と輝く青は、その頃から狂気に満ちていた。
サリアナの価値に気付いたのは男だけ。愚弟は最後まで気付かず、気味悪がるだけで終わっていたこともついでに思い出す。
『あなたは私の力を利用したくて、私はどうしても欲しいものがある。利害は一致しているわ』
王女であることを差し引いても、大人に対し物怖じせず。断られないと確信を持って笑う顔に、興味を惹かれたことは否定しない。
実際、男の計画に彼女の力は重要なもの。無くても手はある。わざわざ迎え入れる必要もない。
……だが、転がり落ちてくる力をみすみす逃すほど、愚かでもない。
『我が国に、貴殿が望む玩具があるとは思えんが』
『いいえ。欲しいのは、何者にも邪魔されない場所よ』
『……場所?』
『そう、精霊の手の届かない場所。……ここは、私とディアンの理想の世界だわ』
まるで幼子が夢事を語るように甘く、脆く。そうだと信じて止まぬ笑顔の中身は、到底少女とは呼べぬ欲が渦巻いたもの。
『あなたも知っているはずよ。精霊は欲深く、身勝手だわ。二度目の洗礼を迎えるまでに、彼を奴らから逃がさなければならないの』
『……なるほど』
詳細は分からずとも、主要な部分は変わらない。一時の気の迷いとしても、利用しない手はない。
この地に精霊の加護はなく、盟約の意味はない。だが、国の絡む契約であれば、その効力は十分にある。
ノースディア王は自らを脅かす存在を押しつけ、この小さな少女は愛しい存在と共になれる。
そして、自分は積年の望みを果たす足がかりを得る。
浮かぶ懸念は、さほど問題ではない。これが子どもの戯言であれ、騙すつもりであれ、それ以上の価値が彼女にはある。
ただの少年をあてがうことで全てが叶うのなら、なんとも容易いこと。
『つまり、その愛しいディアンをやらを連れてこいと?』
『いいえ。あなたはこの同盟を結び、私を妃に迎え入れるだけでいい。そうすれば、この国に干渉できない精霊は、ディアンに手を出せなくなる』
大した自信だ。閉鎖的なこの国でも、その名は耳に入れたことがある。
英雄、ヴァンの息子。精霊の加護を与えられなかったという彼とサリアナの接点は、同じ英雄の子孫という一点のみ。
幼馴染み以上の関係ではないはずだが、少女はそうなると疑いもしていない。
『断られるとは思っていないのか?』
『そんなことあり得ないわ! だって……』
うっとりと細まる瞳が強く輝く。強い欲に駆られ、呼応する魔力。人の身には過ぎた力は、熱に浮かされる青を緑へと変えていく。
愛の精霊の持つ、その瞳と同じ色へ。
『――彼は私を愛しているもの!』
「なにをしているの」
喜々とした声に重なる、淡々とした響き。込められた怒りは、いるはずのない男の姿を捉えたからこそ。
あれから十数年。幼い頃の面影は失せ、成長しきった女……今は己の妻へと、男が微笑む。
「なに、私としても長い付き合いになる。一言挨拶でもと思ったまで」
「この部屋に入ること自体、禁止していたはずよ」
突き飛ばされる前にと距離を取れば、すぐにソレは女の腕に抱かれる。その間も、虚ろな目は何も映すことはない。
手に入れたからこそ、こうなったのか。手に入れる前からこうであったのか。
どうであれ、女の望みは叶えられた。次は、男の願いが満たされる番。
「あぁ、そうだ。我がアンティルダは、お前がソレと共に在ることの協力を惜しまない。お前が役目を果たすのであればだが」
「例の件なら順調よ。だけど、念には念を入れておきたいの」
「同感だ」
彼女にとっても無関係とは言えない。この悲願のためには、僅かな余念すら残ってはならない。
今頃、聖国も憤慨していることだろう。本来の『花嫁』は不干渉の地に攫われ、手を出すこともできず。選定は行われず、たかが人間の思惑通りになってしまった。
正式に伴侶と認めていない以上、聖国がアンティルダを罰することはできない。そして、それは精霊も同じく。
今頃はどちらも苦い顔をしていることだろう。それだけでも、『花嫁』は十分すぎるほど役目を果たした。
あとは、この国でゆっくりと過ごしてもらえればそれでいい。
この狭い世界で、なにも考えず、なにも失わず。……なにも得ることもないまま。永遠に。
「それでは『花嫁』殿。これにて失礼する」
最初で最後の挨拶に、黒が応じることはなかった。





