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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第一章 始まり

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28.決意

 鈍い痛みに目を覚ます。眠っていた記憶はない。

 だが、目蓋を上げたということは……そういうことなのだろう。

 真っ先に映ったのは地面で、遠目に見えたのは見慣れたベッド。薄暗い空間に灯る明かりはなく、手足の感覚を認識したところでうつ伏せに倒れていたことを知る。

 現状を理解すれば、自然とこうなった経緯も思い出してくる。

 熱を持ったまま痛む頬、無理矢理引き摺られて痛んだ関節、冷え切った四肢。今まで眠っていたが嘘のように、その全てがディアンに襲いかかってくる。

 いや、眠っていたのではなく気を失っていただけだ。無防備のまま手加減なく殴られ、意識を保てる人間は早々いないだろう。ましてや、現役で戦っている男が感情のまま振るった拳であれば余計に。

 身体を起こそうとすれば、頭の奥が鈍く痛む。揺さぶられた脳か、打ち付けた骨か。少なくとも忘れていることはないので、当たり所には恵まれたらしい。

 時間をかけて座り、扉の前で転がされていたことを改めて知る。文字通り投げ捨てられたらしいと、込み上げる笑いはひどく乾いたもの。

 せめて水が飲みたいと、なんとか立ち上がった身体が縋る扉は固く閉ざされたまま。ノブを捻ってもビクリとも動かず、鍵をかけられている事実に溜め息すら出ない。

 ……そういえば、食事も抜きと言っていたか。水さえも与えないつもりなら罪人以下の扱いだ。

 いや、大切な『花嫁』を傷つけられたヴァンたちにとっては同じか。

 扉の前に人の気配はするが、声を出したところで聞き入れられることはないだろう。返ってくるのは罵声か、謝罪の要求か。そもそも返事があるかどうかすら怪しい。


 諦めた足はベッドに向かい、そっと腰を下ろす。後ろにも横にも倒れない身体を支えるのは、顔を覆った手だけ。 

 あれから何時間経ったのだろう。いや、もしかすれば十数分も経っていないかもしれない。

 ディアンにとってはほんの少し前なのに、あんなにも湧き上がっていた衝動が嘘のように消えている。

 腹の奥から煮えたぎるような。叫び出し、感情のまま暴れ出したくなるような。

 どれだけ心の奥を探っても、名前の付けられない感覚はどこにもなく。ただ、ぽっかりと穴が空いたように、どうしようもない虚無感だけが埋め尽くしている。

 もう丸一日なにも食べていないからだ。……なんて、自分を偽ることさえできないほどに、その身も心も疲れ切っている。

 その原因を改めて思い浮かべることなんて、それこそ。


 ……全て、嘘だった。

 これまでの努力も、苦労も、葛藤も、迷いも。全てが嘘で築き上げられたものだった。

 信じていた全てが崩れ落ちる音が耳にこびり付いて離れない。

 今だって本当は信じられない。全てが夢で、なにかの間違いで……だが、そうして逃げることはできないのだ。

 全ては現実。全て、本当のこと。目を逸らしたところで、なにも変わりはしない。

 頬だけでなく目元まで込み上げる熱を、手のひらで押さえつけて止める。泣くな。泣いたって同じだ。変わらない。考えろ。考えなければ、ならない。

 気を失う前、投げかけられた言葉を思い返す。

 あの様子では、本当に謝るまで出すつもりはないだろう。

 自分が全て悪かったと、なにもかも間違っていたと。嘘だと偽り、ひどいことをしたのだと。

 きっと一日……いや、ディアンが折れるまで、それこそ何日だって閉じ込めるのだろう。

 もしかして、なんて甘い考えは捨てなければならない。

 そうやって抱いた希望を何度掃き捨てられたか、忘れてはならない。

 そう、ディアンが謝れば終わる話だ。意固地になって謝らないからこそ、こうして殴られ、痛めつけられ、投げ捨てられている。いつものように謝れば。いつものように諦めれば、それで終わる。

 ……だが、もうそれができないことは、ディアン自身がわかっていた。

 間違ったことなど言っていない。英雄の子どもとしての態度を望みながら醜態を容認することも、『精霊の花嫁』の権利ばかりを主張し義務を果たそうとしないことも、相応しくないと言いながら理想と言えぬ騎士に押し上げようとすることだって正しいはずがない。

 父は怒り、母は嘆き、妹は泣き喚いた。誰もが否定し、自分を責めた。

 誰一人として認めなくとも、自分だけは認めてはいけない。

 そう、家族だけでなく、他の誰が否定したって。この感覚を、今まで見て見ぬ振りをしたこの矛盾を手放してはいけない。

 光を失わぬ黒によぎるのは見下ろす金だ。その強さも鋭さも父のもののはずなのに、あの濁った瞳が同じではないと否定している。

 泥のような、血だまりのような。粘度を持った暗い色。鈍った光も、あの瞳孔も、なにかが違うとわかるのに、それがなにかがわからない。

 頭の奥がまた鈍く痛みだす。その法則性だって、あると分かっているのに見つけ出すことができない。偶然なんかじゃない。たしかに、なにかが関係している。

 考えようとすればするほどにすり抜けていく。悪態付いても掠りもせず、深く息を吐いて逃がしたまま。

 きっとディアンでは掴めない。その正体を突き止めることだってできない。それ以前に、どうすればいいかもわかりはしない。


 だけど……たった一つ、確かに言えるのは、今のままではダメだということだ。

 今までのように諦め、受け入れ、無理矢理納得させて、考えることすら放棄して。

 ずっと騙されていたことも、自分に非がないのに悪いと認めることも、全て父親たちが正しいと肯定し、言われるまま騎士になって。そして……なにも変わらぬ妹が『花嫁』として嫁ぐ姿を見届ける。

 それが正しいとは思わない。違う、もう思いたくない。

 不確かだけど、無視してはならない直感。きっと今の感覚を忘れてしまえば、また元に戻ってしまう。

 そして、最後には違和感さえ感じなくるのだと、ディアンの中でなにかが訴えている。

 もし本当に、捏造されていただけで騎士の適性があったのだとしても。メリアの対応が今ので適切なのだとしても。流されるまま謝り、受け入れてしまってはいけないのだ。

 今のままではそうなってしまう。今のまま……この家に留まる限りは、ずっと。

 反抗したところで、騎士以外の道は許されないだろう。既に国王陛下も、騎士団長も。なによりサリアナはそのつもりでいる。

 正式な命令こそされていないが、阻まれることは間違いない。

 陛下はそこまで執着しなくとも……サリアナが望む限り、父はそれを許さない。

 仮に身を隠してギルドに入ってもすぐに気付かれてしまうだろう。雇い入れてもらうには、自分の顔は知られすぎている。

 そもそも、他に何を目指すというのか。

 なりたいものなんてない。だって、ずっと騎士になるために生きてきた。なりたいからではない、それ以外は選べなかったからだ。

 騎士になることがディアンの生きる意味だった。それを否定した今、自分になにが残っている?

 誇れるところなんてない。剣も魔法も、阻害されていたとはいえ本当に人並みかどうかさえわからない。今まで学んだ知識だけで生きていけるほど、世界は甘くない。

 妹のことがあったからこそ、精霊については人一番調べたが、それだって――


『精霊についての知識は既に名簿士同等だ。それだけでも十分凄いことなんだよ』

「……精霊、名簿士」


 口で転がした単語は、あまりに馴染みがない。

 言われた言葉が頭の中をよぎる。あの狭くとも馴染み深い部屋で、あの柔らかな声に紡がれた言葉が。

 本当はお世辞かもしれない。あるいは、落ち込むディアンを慰めるための嘘だったかもしれない。

 試しに出された問題だって、実際は試験に出ないような簡単なものだった可能性だって。

 声の主はいない。ここはあの優しい空間ではない。薄暗く、冷たい、孤独な場所。

 ……だが、ディアンにとってそれは、確かに唯一の光だったのだ。


 名簿士になるためには聖国で試験を受けなければならないし、それ以前に教会で勤める必要がある。

 自国の者でも信頼に値する者でなければ厳しいが、逆に言えば他国の者でも認められさえすれば入ることができる。

 実際、助けられた者が恩義を返すために教会で働くことは珍しくはない。

 入会は臨時、しかし試験は年に何度あるか。一番近いものに間に合ったとして、その時点で教会に入れていなければ受験資格さえない。

 だが……そう、教会に入れば今までの知識が役に立つかもしれない。治癒魔法に関しては自信がないが、努力することだけは慣れている。

 推薦状もなければ、身元を証明できるものもない。運良く入れたとしたって、結局自分は役立たずという烙印を押されるだけかもしれない。

 それでも、ここで全てを諦めてしまうぐらいなら。

 諦め、なにもかも捨ててしまうぐらいならば……最後に可能性を求めたっていいはずだ。


 あんなにも怠かった身体に力が戻る。立ち上がり、掴んだ鞄に詰め込むのは思いつく限りの必要品。

 グラナート司祭に頼ることはできない。ただでさえ迷惑をかけてしまったのだ、これ以上はディアン自身が許せない。

 なにより、ペルデのことがある。司祭様がどれだけ隠そうとしたって、彼は全てを話してしまうだろう。

 それこそ、妹だけでなくサリアナにだって。問い詰められれば簡単に。

 司祭の目をかいくぐり、手引きされては全てが終わってしまう。

 そこまでの強硬手段に出るとは思いたくはないが、可能性がある時点で安全とは言い難い。

 それに、教会で勤めるのも試験を受けるのも、結局は隣国で手続きを踏むことになる。隠れているだけでも、踏みとどまっているだけでもだめだ。

 愛着のある物には視線だけ投げて、僅かな金と換金できそうな物を乱雑に突っ込む。

 クローゼットから一番粗末な服を取り出し、制服は脱ぎ捨てたまま。ズボンだけは履いたままで、上だけ黒シャツへと着替える。

 今だけこの髪も目も黒であることに感謝した。明かりにさえ近づかなければ、夜目にはさぞ見つけにくいだろう。

 逆に言えば、日の下では相当目立つ。明日中にはフードを手に入れなければ人目を騙すことはできない。

 一番近い村までそう遠くはない。歩き続ければ、夜明けまでには十分辿り着けるだろう。

 今行かなければ途中で見つかってしまう。明日の朝か、それとも昼か。抜け出したことが知られた時点で、いつ連れ戻されてもおかしくないのだ。

 資金は潤沢とは言えない。道だって舗装されているとはいえ獣が出てこない保証はなく、対抗する術はない。

 剣がないのは心許ないが、中庭に行くにはリスクが高すぎる。一番安い剣でも百ゴールドが相場。それにフードも合わせるとなると、換金次第では諦めなければならないだろう。

 明らかに準備不足で、なにもかもが心許ない。それでも、迷っている暇も、戸惑っている時間もない。

 ……行くしかない。今しか機会はないのだ。

 この家を出て行く最初で最後のチャンスは。今夜だけしか。

 扉の前へ本棚を移動させるのは、少しでも時間を稼ぐためだ。扉の隙間から聞こえる寝息はとても安らかで、物を動かす音なんて聞こえはしないだろう。

 シーツを裂いて作ったロープを、ベッドの足に縛り付けてから窓の外に。

 白くなければフード代わりにできたのにと、そう思う時間すら惜しく。窓枠にかけた足は数分もせずに地面に辿り着く。

 見上げた窓は、近いようで遠い。手に集めた風でロープを窓に投げこみ、そのまま閉めれば証拠も消えた。これで外からは気付かれないはずだ。

 後は立ち去るだけ。感傷に耽っている時間はない。……それなのに、最初の一歩が、踏み出せない。

 聞こえる父の声は幻聴だ。自分を見下ろし、睨みつけ、責める姿は記憶の中にしかない。

 逃げるのかと、卑怯者だと。どうせ無駄だと。言われた記憶のない言葉までがディアンを引き留めようとする。

 ディアン自身うまくいくとは思っていない。こんな突発的な行為で、準備もろくにできぬまま。隣国に行く前に野垂れ死ぬ可能性だって。

 それよりも先に見つかり、連れ戻されるだろうか。そうして責められ、今度こそ彼の言う騎士に相応しい人間になるよう躾けられるのか。

 ……それこそ、ディアンを殴り飛ばしてでも。


 そっと触れた頬に走るような痛み。深まるのは辛さではなく、胸にこじ開けられた空虚な感覚。

 だが、そう……これは殴られたからではない。暴力で黙らせるという、その選択を取られたことに対してだ。

 ディアンの言葉を否定ができなかったからこそ、口では伏せられないと判断し、殴ってきた。

 その時点で、ヴァンの求める正しさとはかけ離れている。

 そして、そんな相手の求める騎士像になど――やはり、なりたくはない。なるわけにはいかない。

 一歩。足を踏み出す。

 幻聴が消えた頭に踏みしめた土の音は小さく。されど強く、聞こえた。


閲覧ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >攻めが出てくるのは30話ぐらいから この言葉を信じて、主人公の辛い境遇描写にも耐えて読み進めているのだけれど、ディアンくんはちゃんと幸せになれるのですよね? ざまぁはありますか!
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