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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
『精霊の花嫁』の兄は、悔いなく生きています ~精霊界訪問編~

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283.大きな子ども

 問い返す言葉が出なかったのは、想定していた理由のどれからも外れていたからだ。

 ほんの少しでも掠めていれば、まだまともな反応もできたかもしれない。だが、実際にできたのは瞬き、困惑し、そうして額を押さえるという一連だけ。

 鈍い痛みは……幸か不幸か、魔力の干渉からではないようだ。


「……ちょっといいですか」

「なによ、反論なんて聞く気は、」

「少し待ってください」


 口調は冷静に。だが、食い気味の制止と、込められた苛立ちはマティアを黙らせるのには充分なもの。

 本来なら先輩にあたる相手にしていい態度ではないが、抑えきれない時だってある。

 確かに、ディアンに次いで新しい伴侶であるとも、癖のある性格であることも聞いている。

 ここまで従ったのは力尽くだったこともあるが、アプリストスに脅されたのでも、フィリアに誘惑されたからでもなく。

 それでも、これだけの事を及ぼすに至った理由を突き止める必要があると思っていたからだ。

 ……よもや、こんな答えを与えられると誰が予想できていたか。


「改めて聞きますが、あなたが僕をここに連れ出さなければならかったのは何故ですか」「それは、アンタが……勘違いしないように……」


 責められていると自覚すれば、先ほどまでの勢いはない。

 沈黙で誤魔化さないあたりは素直だとしても、それが何の免罪符になったというのか。


「聞き方を変えます。僕が障壁の外に出ればどうなるか。そもそも、どうしてここに留まることになったか。あなたが傍にいなければならない理由も、全てアピス様から説明を受けたはずだ」

「そ、れは……」

「アピス様を介しているとはいえ、これは精霊と交わした盟約も同義。それを理解したうえで、僕をここまで連れてこなければならなかった理由は」


 ベールに遮られていようと、その紫が怯む男から逸れることはない。貫き、問いただしながら脳裏をよぎったのはかつての記憶。

 思い出の中で返されるのは、甲高い声の反論と、ひどいとなじる声。

 性別も年も違う、なんならディアンより遙かに年上であるはずの相手を、妹と重ねるなど失礼にあたるだろう。

 メリアに対しては悪手であった問いかけ。だが、聞こえるのは耳障りな高音でも、答えぬという意思を示す沈黙でもなく。

 小さく、されど確かに答える声。


「……知らなかったのよ」

 膝の上で握られた拳は、怒りではなく恐れから。合わさぬ目はプライドではなく、自分のしでかした行為の重大さを自覚したから。


「なにを?」

「っ……アンタが、あんなに調子が悪くなるなんて知らなかったのよっ!」


 逆上したような態度は恐れを隠すもの。演技であれば、ディアンの目が節穴であるだけ。

 だが、その姿は誰が見ても怯える子どもと同じもの。

 否、もはやディアンの中でその認識は確定したのだ。

 イズタムから伝えられたものでも、アピスから聞いたからでもなく。これまでの全てで、彼は……良い意味でも、悪い意味でも子どもなのだと。


「少し具合が悪くなる程度だとっ……だから、っ……!」


 言葉は紡がれない。開き、閉じて、繰り返される動作を眺め待つディアンも、それを遮ることはない。


「…………悪かった」


 ディアンにとっては十数秒。彼にとっては一瞬か、あるいは数刻か。

 顔を合わせず、頭を下げることもなく。謝っている態度ではないと叱られて当然の態度。

 実際この場に他の者がいれば、事態はより面倒になっただろう。

 されど、ここにいるのはディアンと妖精たちだけ。片方は合わぬ銀を見つめ、片方は変わらずシャラリと鳴り続ける。

 見えぬのをいいことに目を閉じる。もはや、これは自分だけの問題ではなく、そしてこの場で片付けていい話ではない。

 身勝手だと怒鳴りつける権利はある。そんなくだらない理由で殺されかけたのかと、責めることだって。

 だが、実際に出たのは深い息だ。怒りと共に吐き出したのは、取るべきではない選択への迷い。

 この行動が正しいかはわからない。もっといい方法もあるかもしれない。

 ……だが、考えられる選択が限られているのなら。その中で最善を選ぶべきだ。

 この先、後悔しないために。エルドとの誓いを守るために。


 目を開けば、より強く握られた指が視界に入る。

 大人として認められた行為ではないだろう。だが、子どもと思えば、それで精一杯なのだと納得もできる。

 そう、ここでは時間の経過はあまりに早く。数百年という人間であれば途方もない年月も、マティアにとっては一瞬。

 成人したその日に迎え入れられ、めまぐるしく日々を過ごし。そのまま年月だけが過ぎてしまった大きな子ども。

 ……そう考えることで自分の怒りを静めたいだけかもしれないと苦笑する顔は、やはりベールに隠れて誰にも見えぬまま。


「謝罪は受けます。……ですが、然るべき罰は受けていただきます」

 強張りから、僅かに緊張が緩む。許されたわけではないが、彼の想定していた最悪は回避できたと思ったのだろう。

 だが、そう判断するのが早いことを予感しているのはディアンのみ。

 彼をここまで突き動かした理由が彼女にあるのなら、彼が一番恐れているのも、そうであるはず。


「わざとでないにしても説明を受け、了承したのはあなただ。想定できなかったで済まされるものではない。このことはアピス様と、……アケディア様にも報告されるでしょう」

「アケディア様は関係ないじゃない!」


 椅子から立ち上がるほどの衝撃と、睨む銀。震える光を、紫は強く見上げる。

 ディアンに加虐趣味はない。相手の弱みを知って、わざといたぶるなんて嗜好だってない。

 ……だが、無条件に全てを許すほど優しくもない。

 

「全部アタシが一人で――!」

「エルドはそうは思わない!」


 そして、ディアンは明確に怒っているのだ。彼の行いを。彼が大切な存在を傷つけた事実を。

 

「僕が苦しむだけならまだいい。だが、あなたがしたことは僕以上にあの人を苦しめている。あの人の知らぬところで僕が死ねば、エルドはずっと自分を責め続けることになるだろう」

 

 想像したくないのに、容易に浮かんでしまう。

 自分の判断を嘆き、ディアンを失った悲しみに暮れる姿を。誰よりも自分を責めて、悔やみ続け、それでも死を望むことはできず。

 他の愛し子を迎えることなく、永遠に苦しみ続ける。

 それはディアンの自惚れではない。エルドの想いを、誰よりもディアンが理解しているからこその確信。

 

「僕にとってエルドしかいないように、エルドには僕しかいない。……あの人の愛し子は、僕だけなんだ!」

 

 見えぬはずの紫に貫かれ、銀が滲む。唇を噛み、目を逸らし。されど流すまいと堪えるのは、彼のプライドか。

 冷静さを欠いたことを反省はしない。だが、声を荒げる必要もないと静かに吐いた息は、妖精たちの音に紛れて聞こえず。

 

「……あなただって分かるはずだ。あなたの身に何かあれば、伴侶であるアケディア様も心配する。もしあなたに危害をくわえた者がいたなら、その相手を許すことはない」

 

 自身に置き換えれば分かるはずだと、口にしたのは軽い気持ちから。

 瞳は一層大きく揺らぎ……だが、漏れる息は嗤いの含まれるもの。

 

「本当に、イズタムから何も聞いてないのね」


 呆れる言葉こそディアンに対して。

 だが、その感情は……呆れも、怒りも。そして、諦めも、マティア自身に向けられたものだ。

 鋭さがぬけた瞳に残るのは、傷つくことを恐れるもの。

 わざわざ言葉にせずとも分かりきったことなのにと、それでも説明しなければならないと。

 座り直した姿が小さく見えるのは、ディアンの錯覚ではないだろう。

 

「そもそもアケディア様が伴侶を娶ったのは、あの人が欲したからではなく、流れに従っただけよ」

「……武具派と肉体派から始まった騒動を鎮圧させた報酬に、でしたね」

「なによ、知ってるんじゃない」

 

 悪趣味だと睨まれ、それもすぐにほどける。

 槍と盾の言い争いからそれぞれの派閥の争いへ発展し、それが他の精霊までも巻き込んで……精霊王さえ収拾がつかなくなったところを、アケディアが鎮めたというのが、エルドから教えてもらった記憶。

 無理矢理眠らせたと言っていたが、あの可憐な姿のどこに、その力があるのか。

 否、だからこそ精霊であると言えるのか。エルドも、外見は各々の好きに変えているだけとも言っていた。

 なら、あの姿はアケディアの趣味であると言える。

 

「知ってるなら分かるでしょ。アタシが選ばれたのはただの偶然、誰でもよかったのよ」

「だとしても、なんとも思っていない相手を選ぶほど適当ではないかと……アケディア様に、あなたを選ぶだけの切っ掛けがあったのでは?」

「ないわよ。そもそも、アケディア様に愛し子は必要ないんだから、選ぶ必要だってないわ」

 

 当人は溜め息すら出ないだろうが、告げられたディアンはそうはいかない。

 精霊は人間を求め、だからこそ愛し子を得ようとする。それは紛れもない事実のはずだ。

 エルドのように愛し子を持たないことはあっても、それは彼が直接的な信仰がなくとも存在を肯定されていたからだ。


「言ったでしょ。アケディア様はこの妖精樹の精霊。妖精たちが植物を人間界に広げている限り、人から認知されているのと同じ。特定の信仰がなくても存在を保つことのできる、特別な存在なのよ」

「植物を愛でる、というのもある意味信仰では……」

「可愛がって育てることはあっても、それ自体を崇め奉ることはないでしょう? ……そもそも、人間だった頃に花弄りをしていた覚えはないし」


 精霊へ祈る際に捧げ物をすることはあっても、確かに植物自体を崇めることはない。

 言われて納得し、それでも根本は腑に落ちない。

 人間の理解の範疇を超えている、と言えばそれで終わりだろう。

 だが、それでも伴侶だ。一人しか選べないはずの相手。特別な、愛し子。

 アプリストスやフィリアならともかく、アケディアも他の精霊と同じ一人としか番えないはず。

 そんな相手を選ぶのさえ面倒だった、と説明されればそれまでだが……本当にどうでもいい相手に、これだけの空間を与えるだろうか。

 それに、謁見の場で見た時だって。膝の上に乗せるのを許すだけの関係ではあるはず。

 何か食い違っているような、見落としているような。具現化できない不快感を探る手がかりは、マティアとの会話にしかない。

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発売中の第一巻も、よろしくお願いいたします!


挿絵(By みてみん)



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