276.『矛』『盾』
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「あいつらの所に向かってるわけじゃ……」
「作業場に戻ってるだけよ!」
動揺からの嘘も疑ったが、声を張り上げたのが誤魔化しではなく。ディアンに向けられているのとはまた違う憎しみであると気付き、不安は否定される。
だが、再び不鮮明になった目的地に対しては胸が騒いだまま。
作業場、と称された場所に心当たりがあるのか、必死に止めることはなく。
それでも、顔を見合わせて意見を交わすのは、思うところがあるのだろうか。
「あそこなら、まぁ……でもなぁ……」
「そもそも、面倒なのっていうならアンタもそうじゃない。『俺様の実力にかかれば、人間の伴侶なんてイチコロ』って言ってたくせに」
お前も言えた口ではないだろうと、吐き捨てられた言葉に驚いたのは複数の意味で。
もう既に人間ではないとしても、相手は精霊。敬うべき立場の相手になんて口の利き方をするのか。
アピスでさえ、シュラハト以外の精霊には敬意を払い、相応の話し方であった。
この場ではディアンが新参ではあるが、マティアだって立場的には変わらないはずなのに。
それこそ怒られてしまうと慌てるのはディアン一人だけ。
それは、そのディアンを狙っていたと指摘された槍の精霊も同じこと。
「そりゃ、狙っていたことは否定しねぇけどなぁ……婚姻前に来るって聞きゃあ誰だってそうだろうが。精霊王とのやり取りだって毎度のことだし、まぁ初めての愛し子に浮かれてはいるが婚姻まではしねぇと思ってたのもあるし」
だが、と。吐かれた息は、呟きと同じく深く。溶け込む感情は、諦めと……それ以上の、何か。
「……あんなの見せられた後じゃあなぁ」
向けられる視線に肌が粟立つ。叶わぬと理解しながらも、諦めきれぬと向けられる欲に。手に入らないと知っていながら、それでも求めてしまう光に。
実際に口にしたのは、槍の精霊である男だけ。だが、それが彼だけではないのだと、改めて突きつけられている。
だが、手を出すことはない。つまりそれは……あの牽制の意味は、ディアンの覚悟を示した価値があったということ。
そう、その相手が他の誰であろうと、ディアンは彼らの求める存在には成り得ない。
何があろうと、ディアンはエルドだけの。彼だけの、愛し子なのだから。
「潔く負けを認めんとは、情けない奴だの」
「うっせぇジジイ! あー、とにかく、さっさと帰してこいって」
煽ったのは犬猿とされる盾の精霊か。呼吸するような報復の後、ひらひらと振られた手に執着の兆しはなく。
そして、同じく促されたマティアの手がディアンを解放することもない。
「もしアケディアに言われてやってんなら……」
「っ……アケディア様は関係ないわ」
朧になる思考の中でも、違和感は確かに存在する。自分の伴侶になら敬意を払う、だけではない固い声。
明らかな拒絶と、真のある声。戒められた手首の圧は、ディアンに対するものではなく、無意識からくるもの。
焦り、というのは追われているからこそ生じる感情だ。それが怒りではないのなら……彼は、何かを恐れている?
「もういいでしょ! 急いでるんだから!」
「まてまてまて! 最後にこれだけ聞かせろ!」
明かされぬようにと、輪を抜けようとするマティアを遮るのは長い柄。自身の武具で行く手を阻むドリが覗き込むのは、睨み付ける銀色ではなく、揺れ動く紫。
「俺とこいつ、どっちが強かった!?」
「……は、い?」
ビッ! と自身を親指で示し、胸を張り、堂々と問いかけた内容を反芻する。
対象は同じく指の先、のしのしとこちらに向かってくる小柄な男。回転の遅くなった頭でも、背負った盾を見れば相手の特定は可能。
攻撃か、防御か。何事も貫く槍か、全てから守り抜く盾か。
どちらがより優れているかの問答は、精霊記でも記されている有名な問答。
実際に体験することになるとは思っていなかったが……人間と対話する機会が減った今、彼らにとっても数少ないチャンス。
だが、『矛盾』という言葉もある通り、この話に決着が付かないこともまた周知の事実。
「そんなの、今はどうだっていいでしょ!」
「どうでもいいわけあるか! まぁ聞かなくても、このドリ様が勝つことは分かっているけどなっ!」
「勝ちの数で言えばワシの方が多かろうが!」
「あぁ!? 数盛ってんじゃねえぞジジイ!」
やいのやいのと言い争いが始まれば、大半はまたかと呆れ顔。今のうちに通り抜けたくとも、行く手の阻み方は犬猿の仲とは思えない連携の取り方。
仲がいいのか、悪いのか。されど、考えるべきは感心でも問答の答えでもなく。対処すべきことは、最初から何一つとして変わっていない。
「……プィ、ネマさま」
「ん?」
囁くような声は、彼らに聞こえないようにする以上に、純粋に出なかったから。
されど、呼びかけた相手の耳は確かに届く。
たとえディアンが他の愛し子であろうと、それは人の声。人間が呼ぶ声を、彼らが聞き逃すことはない。
そこまでディアンが理解していようと、いなくとも。単に、一番近かったから呼びかけただけだとしても。願うことは、一つだけ。
「ヴァ、ル、に……行き先、を……」
「……んー」
必死に紡いだ言葉に対し、快い返事は聞こえない。
応急処置こそしてはくれたが、彼にとっては面倒事。関わりたくない気持ちも理解はできる。
だが、エルドに伝えられるのは今しかないのだと、蝕む感情に突き動かされるまま、再び振り絞る声は弱々しい。
「おね、がい……っ……し、ま……」
「で!? どっちだ!?」
もちろん、そんな懇願はすぐに騒音に掻き消され、狭めた眉は苦痛だけではない。
このままここで待てば、あるいはエルドに見つけてもらえるのではないかと。そんな可能性は、肌を突き刺す視線と魔力の圧によって消散していく。
エルドが来るよりも先に、この身が、保たない。
「……時、と、場合に、よります。矛先で、牽制、すれば、防具の代わりにも……盾だ、って、殴れば武器に、なるかと」
がじりついて読み込んだ戦術書。その内容を実践に活かせた記憶はなくとも、知識としては残っている。
それは、時には邪道と呼ばれる戦い方ではあっただろう。王家に仕える騎士としては相応しくない振る舞い方とも言える。
そう言う意味では、最初から自分は騎士には向いていなかったのかもしれないと。そう考えるのは、自分自身への慰めか。
盾で身を守り、リーチの長い槍で攻撃を仕掛ける陣形もあるぐらいだ。目的のために使い方を変えることは、命を守る上で卑怯とは言えない。
どちらが、ではなく、どちらもあればより強いのではないかと。そんな蛇足を付ける間もなく、響くのは盛大な溜め息。
「は~~~……また引き分けかよ……」
どうやら、すでに先人たちも同じ答えを返していたらしい。
槍と盾の論争は、精霊記から続く伝統とも言えるものだ。言葉こそ違っても、勝敗だけで区別するなら、これは何度目の引き分けであったのか。
「どうやら、ワシの勝ち越しのようだな」
「だから! 数を盛るなつってんだろうが! だいたい、この間のだって俺のが勝ってただろうが!」
「ほざけ! どう考えてもあれはワシの圧勝だっただろうが!」
争いは再び。仲裁の声はなく、むしろ囃し立てる声が大きくなる。
睨み合う両者にとって、既に答えを与えたディアンはどうでもいい存在。その証拠に、もう付き合いきれぬと腕を引くマティアを止める者だって存在しない。
振り向いた視線が縋った先。ひらりと振られるプィネマの手も同じく。
「次会った時は、僕の酒、飲んでもらうからね」
覚えていてね、と笑う男の顔が輪の中に紛れていく。
そうして見えなくなる姿と共に消えたのは、エルドに繋がる僅かな希望であった。





