263.謝罪
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吐いた息は、まだ与えられた熱が燻っているかのように苦しく。それ以上に、焼かれた頭の奥がひり、と痛む。
そう、彼が謝りたいのは今回のことだけではなく、そもそもの始まりから。そうだと気付けば、身体に残ったのは熱が去った後の冷たさ。
引きつった苦笑から、無へ。瞬き、再び開いた紫に宿るのは強い光。
「数百年周期で起きる魔物の暴走。謁見のために精霊界にまで来た人間。そして、報酬として求められた『選定者』。全てにおいて異例であったことは、お前も知っている通りだ」
全てが始まったとき、まだディアンは産まれてすらいなかった。
歴史や口伝でしか知らない過去。凄惨な出来事。その全ては、家族ではない誰かの口から常に語られてきたものだ。
英雄の息子。『精霊の花嫁』の兄。嫁ぐ名誉を賜った。いま平和なのは彼らのおかげ。
その後に続く言葉は、いつだって同じだった。
どうしてあの子は落ちこぼれなのか。どうして加護すら与えられなかったのか。
理由を知った今でなら、納得できるところもある。だが、当時与えられた傷が癒えるには、まだ膨大な時間がかかるだろう。
あれから数ヶ月。……もう、数ヶ月。
それなのに、まだ、こんなにも鮮明に思い出せてしまう。
それはきっと、これからも付き纏うものだ。誰もがディアンの事を忘れたとしても。その当時を知る者がいなくなった後も、ふとした瞬間に蘇るだろう。
そうだとディアンは知っている。だが、それは後悔からではないのだと、分かっている。
「とはいえ、あの女が介入しなければ、ここまで悪化することはなかったはずだ」
「……フィリア様のことですね」
「あの女について、ヴァールからどこまで聞いている」
意地でも名を呼ばないという意思は、嫌悪感の表れか。エルドよりもひどく嫌っている、なんて笑うことは、今のディアンには高度すぎる。
全ての始まりは、オルフェン王の要求により。だが、全てが捻れたのは……かの精霊によって。
「愛の精霊であること。ヴァール様と貴方様の妹にあたる存在であること。……メリア・エヴァンズが生まれた際、洗礼を待たずして加護を与えたこと。サリアナ・ノースディアに許可なく加護を与えたこと」
淡々と述べようと、胸中は掻き毟られる。今は生死すら定かではない、かつての妹。今もその罪を償い続けているサリアナ。
どちらもフィリアの加護によって身を滅ぼした。一人は無自覚なまま。一人は、欲望のままに。
加護がなければ、なんて。そんな確証もない。根本が同じであれば、結局は同じ道を辿っていただろう。
加護が悪いわけではない。……だが、加護が無かったならと。そう考えてしまうほどには、影響されていた。
「本来、洗礼を待たずして加護を与えることは、我々にとっても重罪だ。すでに加護を与えている者に対し、その精霊の同意もなく加護を与えることも、愛し子の強奪として捉えられる。確かに我々は人間の考えからすると逸脱しているが、それでも守るべき規則は存在しているし、破れば罰を与えられる」
それは君たちの世界と変わることはないと、ディアンを見つめる赤は痛々しいものになる。
当時のフィリアを止められなかった後悔もあるだろうが、それ以上に含まれているのは、ディアンに対する同情と哀れみ。
「愚妹の起こした過ちがなければ、お前も苦しむことはなかった」
じわり、滲む感情をディアンは名称することができない。
悲しみ、怒り、呆れ。そのどれでもない、混ざり合った不快感は、胸底から喉へとせり上がる。
そう、フィリアがメリアに加護を与えなければ、必要以上に苦しむことはなかった。
サリアナに加護を与えることがなければ、事態が悪化することだってなかった。
……だが、
「だとしても、最初の洗礼でヴァール様は僕に加護を与えることはなかった」
零れたそれは、ディアンが思っていた以上に冷たく、淡々としたものだった。
僅かに開いた瞳は、確信を貫かれた衝撃か。だが、それを見てもディアンの内は変わることはない。
確かに、原因はフィリアにもある。それは間違いない。だが、ディアンが苦しんだのはそれ以前の話だ。
理由を知り、納得したところで、あの辛かった日々がなくなる訳ではない。
なぜ、自分だけ加護を授からなかったのかと。自分の何が悪かったのかと。
落ちこぼれと呼ばれるようになったのは、学園に入ってからのこと。だが、嘲笑の声はそれ以前から囁かれていたものだ。
英雄の息子なのに、加護がない、と。
思っていた以上に根に持っていたのだと自覚させられ、吐いた息は苦い。
「……ヴァール様を責めているのではありません。そして、この件に関して僕は謝罪をしてほしいわけでもありません」
首を振り、訂正した言葉に嘘はない。
エルドは……ディアンが選んだ精霊は、そういう存在だ。
人を愛していたからこそ、この地に縛り付けることを良しとしなかった。
もし加護を与えたとしても、伴侶として迎えることはなかっただろう。そうだとディアンは理解し、納得している。
確かに、その選択で傷ついたことは事実。だが、それもまた人間を……ディアンを守るためだった。
だからこそ、謝罪はいらない。エルドからも、他の精霊からも。たとえ、精霊王であったとしても。
だが、された仕打ちの全てを呑み込むこともできず。続けなければならない言葉は、口の中にわだかまる。
懸命に己の感情の噛み砕くディアンの視線は、他者から見れば睨んでいるようにしか見えなかっただろう。
そして、その紫に貫かれる赤は不快に思って当然。……だが、下がる眉尻が示すのは負ではない感情。
「ヴァールは、本当に良い愛し子を得たようだ」
それが安堵だと気付き、瞬いたディアンにお茶を勧めるネロの顔もまた穏やかなもの。
咎められて当然の態度であったのに、と。戸惑うディアンを見かねたアピスにも促され、口に付けたそれは、砂糖を入れていないはずなのに仄かに甘いもの。
「お前の言う通り、ヴァールは加護を与えなかっただろう。それはあの時だけではなく、二度目の洗礼に関しても同じだ。我々は、あいつが加護を与えないと疑いもしていなかった」
ディアンにとっては十数年前。だが、精霊である彼らにとっては、文字通り昨日のことのように思い出せるのだろう。
僅かに細めた瞳に覗くのは、当時抱いたであろう想い。その一連を見ていた者だけが感じたもの。
「魔物の暴走に伴う謁見に際し、オルフェン王が選定を強要したのは今回が初めてのことだった。そうでもしなければ選定を行わない確信と同じく、それだけしてもあいつが愛し子を選ぶことはないとも思っていた」
期待はしていたんだが、ある意味期待通りだったと。苦笑する顔に混ざるのは、呆れと、それを上回る柔らかなもの。
それは、癖の強い弟を見守るような。本当に兄弟だと思わせるほどに温かなもの。
「今でこそ直接洗礼を行うことは禁じられているが……求め、求められ、そうして愛し子を得るということは、我々にとっては何よりも勝る喜びだ。それは今でも変わることはなく、大半の精霊も私と同じだろう」
伴侶を得てもそれは変わらないのだと、交わる瞳は青と赤。
言葉はなくとも、二人の動作だけで肯定され、そうでなくとも疑うことはなかった。
エルドから何度も聞いたことだ。それこそが精霊の生きがいとなり、だからそこ人間の伴侶を求めるのだと。
だからこそ『選定』は教会によって語り継がれ、名誉であると信仰させた。愛し子を精霊界に迎え入れるため、自分の伴侶とするために。
たとえ伴侶にせずとも、愛し子を求めない精霊は存在しない。……たった一人を、除いて。
「だが、ヴァールは一度も愛し子を求めたことはなかった」
思い浮かべていた、その唯一の名に瞬くことはなく。その反応も見通していたと、気にも留めず言葉を続けるデヴァスの表情は柔らかなまま。
「あいつは、人が人として生きていく姿を見守りたいと言い張ってな。愛し子にすれば、その者が望まないのに伴侶にさせられるだろうと……それこそ望まぬことだと、その一点張りでな」
精霊にとっても、数千年前のこととなればさすがに過去と捉えるのか。当時を懐かしむデヴァスから笑みが薄れ、再び赤はディアンに絡む。
「……シュラハトがアピスを伴侶に迎える前からそうだったが、オルフェン王が世界を分けた後は特に顕著になった。アプリストスが手当たり次第に伴侶を迎えるようになると、余計にな」
撤回を求め、喚く声が脳裏を掠める。トゥメラ隊という組織を形成できるほど、人を引き入れ、孕ませ。そうして、道具のように扱った精霊。
それでもなお、まだ人を求めようとするその性は、まさしく強欲と呼ぶべきもの。
人としての生を見守り続けたいエルドからすれば……それは、あまりにひどい光景だっただろう。
精霊と隔離され、そうしてアプリストスが婚姻を禁じられるまでに、どれだけの人間が犠牲になったのか。
エヴァドマの地に残されたタペストリー、それを見つめていた彼女たちの姿。そして、その悲劇を止めることができなかっただろうエルドの想い。
それぞれが抱いた感情を、ディアンがなぞろうとも……胸に抱いたそれは、ほんの一部にすぎない。
「シュラハトの娘を助けたのも、人間の血が流れている彼女を見捨てられなかったからだろう。我々精霊が忘れ去られる事実を知ったのは、あくまでもそのついででしかない。実際に存在を失った精霊は多く、だからこそ我々は愛し子に執着するようになった」
たった百年。歴史としても、精霊から見ても、短い期間。
だが、それでも当時に生きる者が忘れ去るには十分過ぎるだけの月日。
その間に忘れられ、存在を失った精霊の数は多いと聞いている。それこそ、教会が残している精霊記よりも昔のことだ。同じ精霊でさえ忘れてしまった者も多いだろう。
それを証明され、忘れ去られる……精霊にとっての死を回避するために、精霊は人間の伴侶を望み、教会は洗礼を義務付け、定期的に迎えられる仕組みを確立させた。
自由に伴侶を娶れなくなった当時でさえ、暴動が起きたという。
完全に無くすことができない以上、エルドにできたのは、その選択が真にその者の意思で行われたかを見守り、彼らを守ることだった。
「それでも、ヴァールだけは頑なに愛し子を迎えようとはしなかった。人間に寄り添い、その選択を見守り続け。その結果忘れ去られることになっても、それでいいのだと。どれだけ我々が言い聞かせようとも、ヴァールが変わることはなかった」
『それでも』。……否、だからこそ、エルドは愛し子を迎えることはなかった。
人は人のまま生き、そうして死ぬことを誰よりも望んでいたのはエルドなのだから。
人間の生きる力を。その一瞬に魅入られたからこそ、エルドは……そう選択したのだから。
「……だからこそ、今、お前がここにいることが私は嬉しい」





