259.裁き
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「――エルドッ!」
「動かないでね。人間相手に、僕らも乱暴はしたくないからさ」
途端、身体に力が戻る。否、考えるよりも先に動いていた。
身を翻し、エルドの元に駆け寄ろうとしたディアンを止めたのは肩を掴む腕一つ。
ディアンよりも遙かに小さな手。それなのに、有無を言わさぬ力は見た目通りではないと突きつけるかのよう。
押さえつけるシュラハトをはね除けるだけの力はなく、視線は金から地に伏せるエルドへ戻る。その姿に恐れていた赤も、鉄の匂いもなく。突き立てられたように見えた槍は、単に拘束するためであると知っても安心できるものではない。
更に離れた位置にゼニスの姿を見つけ、彼も同じく組み伏せられていることに気付く。槍ではなく、盾で上から押さえつけられ、藻掻く姿を捉えたところでディアンに何ができたというのか。
「どうだ! 今回も俺の勝ちで決まりだな!」
「ほざけ、どう見てもワシの方が早かっただろう!」
ディアンの心境も余所に、エルドの隣に降り立った男が高揚した様子で叫ぶ。くるりと回す獲物は、エルドの動きを拘束しているものと同じ。それに対する反論は、ゼニスを押さえつける小柄の中年から。
まるで競争のような言いぶりに、それでも勝るのは怒りではなく混乱だ。
なぜ二人は拘束され、自分は離されたのか。何が起きて、どうして。裁きとは、一体。
「俺がヴァールを真っ先に押さえたから、お前がインビエルノを捕らえられんだろうが!」
「逆だ逆! ワシが先にインビを押さえてやったからお前が――」
醜い言い争いが途切れたのは、まさしくその槍を投げ返されたからだ。その相手を確かめるまでもない。
同じく、盾の精霊に向かって放たれた氷も掠るだけに終わり、反撃は両者同時に。
もはや盾の檻と称せるほど、何枚もの盾の中に閉じ込められたゼニスの姿はもう見えず。辛うじて動けていたエルドも、追加された槍のせいで指一本動かせないほどに。
「うーん、どっちも反撃できたから二人の勝負は引き分けかな?」
「――なんの茶番だ、シュラハト」
場違いな笑い声は、低い唸りでは遮れず。たとえ淡々と告げようと、そこに滲む怒りは射殺さんばかりにシュラハトを貫く。
槍に遮られ、藻掻き、軋む肉の呻きはディアンにも聞こえて、それでも動けないのはシュラハトに腕を掴まれていただけではない。
馴染み深い魔力は、いまや遠く。引き剥がされた身体にのし掛かるのは、剥き出しの感情と加減のされない圧。
吐き気にも似た感覚に翻弄され、戻った力は地に吸い込まれてしまったように、膝はもう立ち上がる事は叶わず。
大切な人が藻掻き苦しむ様を、何もできぬまま見上げることしかできない。
「だって君、押さえてないと暴れるじゃないか」
「その者が我が伴侶と知ってのことか!」
「まだ契ってないんだから、誰の伴侶でもないさ。それに……」
強い目眩に侵される中、エルドの怒りが木霊する。
だが、睨まれる金の笑顔は変わらず。細めた瞳の奥、覗く金は冷たいまま。
「文句を言う相手が違うだろ?」
どうして、遮られているはずの光景が見えているのか。そんな疑問さえ抱くことはなかった。
揺れる世界の中、確かに捉えたのは白だ。それが、かの存在が纏っている衣服だと。自分たちを見下ろす瞳だと、理解した時にはもう答えは与えられていた。
――頭部を覆っていたフードが、取られていたのだと。
自覚した途端、喉が締めつけられるような錯覚に陥る。その首にかかる指は一本もなく、触れているのは肩に置かれた手だけ。
だが、突き刺さる視線が。注がれる無数の目が、ディアンを貫き、縫い付ける。彼らは何もしていない。ただそこに在るだけだ。
そうだと分かっているのに指先まで重く、フードを元に戻すことなんて、それこそ。
自分を押し止めたはずの小さな手は、今のディアンにとっては唯一の支え。そうでなければ、この身は再び地に伏せてしまっただろう。
辛うじて耐えられる苦痛の前で、無様な姿を晒さずにいられるのは、本当にそれだけ。だが、肩かた伝わる感触に、ディアンが求めた温もりはなく。首飾りに縋らなければ、きっと息さえできていなかった。
何が起きている? どうして、エルドもゼニスも拘束されている?
疑問を抱こうと、状況を呑み込もうとしても、真上から注ぐ白が全てを浚おうとする。
草で編まれた冠も、癖がかった長髪も、纏う服さえも全てが教会にある像と同じ。その肌が自分たちと同じ色でなければ、それこそ石像と見分けはつかなかっただろう。
だが、ディアンを押さえつける魔力が、本物であると突きつけている。
まだ見下ろしているだけ。まだ、見ているだけ。まだ何もされていないのに――否、だからこそ、頭の中で警鐘が止まない。
ディアンは理解する。してしまう。それは、人間が相まみえていい存在ではなかったのだと。
「我が愛し子に危害はくわえぬと、誓約を交わしたのではなかったのか!」
響く声がディアンを引き戻し、色を取り戻す。何よりも求めた薄紫は重ならず、エルドもまた、かの王を睨み、怒り、叫ぶ。
眼光はまるで獣のように鋭く、軋む音は動きを阻害していた槍か、それを力ずくで歪ませる腕であったのか。
もうあと少しで抜け出せる。そう認識した瞬間、新たに無数の槍が突き立てられる。
その行為に意味はないと、まるで嘲笑うかのように。そして咎めるように、赤が散る。
音にならぬ悲鳴はディアンの口からだ。手の平を貫かれ、地に縫い止められたエルドではない。
「だーから、暴れないでってば。それとも、もう一本欲しい?」
まるで癇癪を起こす子に対する声で、エルドを貫いた男が問いかける。痛みを感じているはずなのに藻掻く腕は、肉ごと引きちぎらんばかり。
槍を伝い、地を濡らす赤に、視界が白から黒へ明滅する。
身体中の熱が奪われたように意識が揺らぎ、今度こそ、息をすることさえ叶わなかった。
「――目的は!」
誰かが叫ぶ。否、それは自分の喉から裂いて出たものだ。気付いたのは、一瞬の静寂に襲われてから。
自分で自分の声量に臆し、全員が自分を凝視していることに、再び喉が狭まる。
地に爪を立て、首飾りを握り締め。胃を直接掻き混ぜられているような不快感を、息ごと呑み込む。
このまま呼吸が止まろうとも構わない。だが、この声は。この言葉だけは、伝えなければならない。
エルドの為に。彼のために。自分自身の、ために。
「っ……私の、はず、です。彼にっ……これ以上、何も……!」
紫は誰とも重ならず、声は途切れ途切れで、まともに紡げぬまま。
だが、これ以上傷つけてほしくないと、傷つかないでほしいと。
絞り出した懇願は、確かにその耳には届いた。
「その者の言う通り。そこまでにせよ、シュラハト。……そして、これ以上暴れるでない、ヴァール」
淡々と述べるそれは、あまりにも呆気ないもの。当然だ。かの王にとって、これはまだ本題に入っていないのだ。
脱線したことを窘める言動。それは、子どもの喧嘩を仲裁するのと同じもので……この程度の怪我など、していないのも同義であると。まるでそう言わんばかりの流れに、言い知れぬ恐怖を抱く。
受け入れがたい。否、受け入れていないのはディアンだけ。
拘束されたことではない。こんなにも容易く傷付け、それを当たり前のように受け止めているその感覚ごと。ディアンは、呑み込みきれない。
だが、ただの人間が何を考えていようと、この場において何が関係しただろう。
「確かに、シュラハトの娘と誓約は交わした。……されど、しかるべき罰は受けねばならん」
「こいつに何の罪があると――!」
「今回の選定において、あまりにも多くの妖精が失われたこと。忘れたとは言わせぬ」
喚く声が止まる。それは、エルドにとっても否定できないことだからだ。
精霊と似て異なるもの。空想上の存在と思われ、だが実際には存在する生物。
精霊と妖精がどのように関係しているか、まだディアンは教えてもらっていない。
だが……彼女たちがサリアナの手により犠牲になっていると知った時、エルドはかつてないほどの怒りを抱いていた。
少なくとも、そう思わせるだけの存在であるはずだ。
だからこそ、サリアナは教会ではなく精霊の手によって処された。
全ては自分の私欲を満たす為に。ディアンを取り戻すためだけに、必要なことだったのだと。そう笑い、禁忌を破った彼女が処されたことは当然だろう。
だが、どうして思い込んでしまったのか。
それだけの大罪が、サリアナ一人の命だけで償いきれるはずがないのに。
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