258.誰がための選定
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自分こそがと主張し、折り重なっていた魔力が消散する。否、それは圧倒的な一つに塗り潰されただけ。
あれだけ荒ぶっていた者たちが静まるだけの魔力は、ディアンにとって馴染み深いものだ。
確かに、いつもの優しさも柔らかさもない。それでも、息ができると思うのは。暖かいと思うのは、その魔力を誰よりも知っているからだ。
導かれるように上げた顔は、フードごと押さえられて胸元に収まったまま。そのままでいいのだと、触れる指は力強く、もうディアンに震えはなく。
……そう、共にいたいと望んでいるのはディアンだけではない。
そう望んだのは。望んでくれたのは彼も同じだと、耳を傾けるのは彼の音、エルドのことだけ。
「お前たちの主張はそれだけか」
響く声は、けして張っているものではない。それこそ、これだけ静かでなければ誰にも聞こえはしなかっただろう。
エルドの魔力に満たされた空間で、彼の声だけが響く中、反論はないまま言葉は続く。
「この選定は最初から私のためのものだ。今まではその権利を放棄していただけに過ぎない。そして、私が人間界にいることはオルフェン王も納得していたこと。人間界にいる私が人間界で選定を行って何がおかしい?」
視線は最初に異議を申し立てた精霊に向けられているのだろう。
人間界と精霊界が隔てられてから行われた選定は全て、そもそもがエルドを連れ戻すために行われたものだ。
愛し子を迎えれば、加護を与えようと思うだけの人間が見つかれば人間界から帰ってくると思ってのこと。
だが、エルドが望んだのは人が選択し、生き抜く様を見届けること。自分のせいで迎えた伴侶が、これまでの人間のように嘆き苦しむ姿を見たくなかったから、今までの選定を放棄していただけ。
最初からこれはエルドのための選定。彼のために行われてきたこと。これが最初で最後、唯一の洗礼なのだ。
「そもそも、人間界に残っていること自体が許されることじゃない!」
「お前が許さずともオルフェン王は許された。我々への信仰を忘れさせぬため、人間と精霊の関係がこれ以上崩れぬよう取り持つことが私の役目。……それとも、お前たちは再び忘れられることが望みか?」
問いかけにやはり返事はなく。その顔が強張っているかも確かめられない。
だが、その胸中は同じはずだ。精霊が人間たちから離れた後、百年と経たずに人間たちは彼らのことを忘れることとなった。
人は見ていないものを信じないし、聞こえないものをあるとは思わない。当時を知るものがいたとしても、人間の寿命は彼らにとっては一瞬も同じ。
子が親になり、そして年老いていく最中、人智を超えた存在は口だけで語りづくことはできず。その過程でどれだけの精霊が存在を失っただろう。
そして……ここにいる何人が、ロディリアとエルドの働きによって生を取り戻したか。
最も貢献した者に選定の名誉が与えられるなら、幾人も救った彼が選定を与え続けられるのは通りに叶っている。
「っ……だとしても!」
それでもなお噛み付く声は、それほどまでに選定に固執しているのだろう。
それは他の精霊にも言えることだが、その男の欲はあまりに根深いもの。
「お前はタラサに宣言したはずだ! 愛し子を迎えず、人間の伴侶は娶らないと、確かに!」
「タラサには承諾を得ている。当事者で話が済んでいるなら宣言の反故には値しない」
今度こそ、明確にどよめく声が広がる。
過去に人間の伴侶を迎えようとし、その人間側の裏切りで愛し子を失った精霊。その悲しみは海という概念を作るほどに深く、そして人との関わりを一切断ち切った存在。
彼とエルドの間にどんなやり取りがあったか、ディアンはまだ教えてもらっていない。そもそも教えてもらえるかもわからない。
必要であればいつか話してくれると信じている。そして、その日はいつかくるだろうと、困惑する反応から確信する。
「今回の選定、および洗礼は正式なものだ。異議を唱える権利はお前にも他の者にもない。……なにより」
感じる魔力に温かみが増す。きっと一瞬だけ向けられた薄紫は、いつもディアンが与えられる優しさに満ちていただろう。
確固たる自信と、その決意を携えて。
「本来の洗礼の通り、我が愛し子は自らの意思で私を選んだ。その決定を覆すことは何者にも許されない。……そして、それはオルフェン王であろうと例外ではない」
「ヴァールの言う通り」
全ての視線は壇上へ。そこでこの一連を見届けたかの存在へと注がれ、沈黙は数秒だけ。
「これまでの選定はヴァールの権利を譲り受けただけに過ぎん。本来の資格者がその権利を傍受するというのであれば、経緯はどうであれ咎めるに値せぬ」
「だが!」
「そしてアプリストス。仮に選定をやり直すとしても、お前の婚姻はこれから先許すつもりはない。無駄に騒ぎ立てるでない」
予測に答えを与えられ、心臓が跳ねる。婚姻を禁じられていると聞いた時から想定していたが……やはり、この男がアプリストス。
ロディリアが忠告した存在。強欲を司る精霊。トゥメラ隊に所属する愛し子の親であり……幾人もの人間を娶り、その名のままに使い捨てた男。
顔は見えずとも、食い下がる声は聞こえる。それがまだ諦めていないことも、自分を見ている光がまだ鋭いことも、ディアンの勘違いではないだろう。
それはアプリストスに限らず周囲も同じ。肌に突き刺さる視線は、納得していないのだと訴えてくる。
ソレは、人間の伴侶は本来、自分のモノになるはずだったと。まだ諦めていないと。
「……顔見せだけが目的なら、これで満足していただけましたか」
横やりは入ったが、もう充分晒しただろうと肩を抱く力が強まる。本当に謁見だけならばこれで終わりのはずだと。何の意図があってここまでの場を用意したのかと。
見上げる薄紫に対し、かの王はどのような視線を向けているのか。見えずとも、それがいいものでないと理解するのは、その声だけで充分。
「お前の言い分は理解した。だが、まだ本題にも入っておらん」
「最初から私だけを呼べば、余計な手間も取らずにすんだのでは」
「お前ではない」
ただ見たいという理由だけでディアンを巻き込む必要はなかったはずだと。ただ場を乱しただけではないかと、咎める声に対する否定は一瞬の間さえなかった。
エルドの魔力に包まれているのに身体が強張る。それは、否定の後に続く言葉が一つしかないと理解していたから。
注ぐ視線がエルドではなく……自分にあると、分かってしまったからで、
「呼び立てたのは、そこの人間に裁きを下すためだ」
――されど、それに至る言葉まで予測できてはいなかった。
ぐるりと回る視界は、告げられた言葉への困惑か。否、全身の力が抜けるのは、決して精神への衝撃だけではない。
襲い来る吐き気にたまらず蹲り、額が地面に擦れる。擦れているはずなのに、それが地面だと自覚できていない。
世界ごと揺さぶられ、本当に蹲っているかすら分からない。視界は激しく明滅し、こびり付いた光が網膜を焼き尽くそうとしている。眩しいのか、痛いのか、気持ち悪いのか。汗は噴き出るのに、全身は冷たく凍りついたかのよう。
甲高い耳鳴りの中、辛うじて聞こえる己の名だって幻聴でない確証はなく。必死に手繰り寄せた魔力を握り締め、呼吸を自覚する。
いつもはそれだけで安心できるのに、今は意識しなければ消えてしまいそうなほどに小さな温もり。それだけ、ディアンにのし掛かる空気が重く、苦しいものであると、当人が理解する必要はない。
指先から、胸元から、少しずつ感覚が戻ってくる。横たわった身体、冷たい床、跳ね返る呼吸。……自分を呼ぶ、エルドの声。
まるで強く頭を殴られた後のようにぼやける声でも、彼の声を聞き間違えることはない。それがたとえ、自分から離れた位置であったとしても、絶対に。
起き上がろうとして、腕に力が入らないことを突きつけられる。そもそも、彼が倒れてしまったことを認識できたのはこの瞬間。
何が起きたと確かめる紫に映るのは――槍に貫かれる、エルドの姿、で、
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