256.謁見までの一時
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案内されるまま廊下を進み続けてどれほど経ったか。
どこまで行っても果てがない通路。左右の壁がなければ、何も無い空間に放り出されたと錯覚していただろう。
見上げた天井だって何もなく、自分一人だったらもう前後の感覚さえ失っていたに違いない。
だが、戸惑っているのはディアンだけ。先導するシュラハトたちも、ディアンの肩を抱いたままのエルドも慣れた光景なのだろう。
扉もなく、装飾品の類だってない。目が痛くなるほどの白の中、光源らしきものもないのに景色は明るいまま。
その仕組みを聞くこともできず、耳を叩くのは自分たちの足音だけ。
……本当に、歩き続けて何分経っただろう。
実際は一分も経っていないのか、時間の感覚まで怪しいのは緊張のせいなのか。
それこそ前を見ても答えは出ず、込み上げた溜め息は胸の奥で押し殺す。
シュラハトが迎えに来たことで、他の精霊にも出くわすのではないかと危惧していたが、今のところ誰かが向かってくる影もなく。
隠れている……とすればディアンに気付けるとは思えないが、その様子もない。
なんなら妖精たちの姿だって。意識を集中させても、あの可憐な音も笑い声も鼓膜をくすぐることはない。
「この通路には基本、誰もいませんから」
「……なぜ?」
与えられると思っていなかった答えは足元から。
床と同化し、一瞬境目のわからなかったゼニスと目が合い、見つめる蒼はそのままディアンの横へと逸れる。
「それはねー」
「この通路が精霊門専用だからだ」
「……疑問に答えるぐらいで嫉妬しないでくれる?」
シュラハトが文句を言おうと、エルドに反論する気はないらしい。それどころか、よりディアンの姿を隠そうと肩を抱き、フードを引いてくる有様。
既に見えているのは足元ぐらいしかないが、エルドにとってはこれでもまだ不安のよう。
「人間界を覗く程度なら各々で創造できるが、向かえるのはあの門だけだ。精霊が勝手に人間界に降りないよう、この通路は基本オルフェン王によって封鎖されている」
「と言っても、妖精は例外だけどね。禁止されてるのはあくまでも僕たちだけ。だから、この間のもちゃんと正式な訪問だったんだよ」
「……聖国女王に断りがない時点で、正式とは言えませんが」
横からも前からも補足が入り、最後は溜め息交じりの訂正も。どれだけ小声で話そうと、これだけ静かならどうしたって筒抜けになってしまう。
エルドへの内緒話もできそうにないと理解し、無意識に握っていた首飾りから手を離す。
オルフェン王の前でも癖が出ないよう、服の中に隠しておくべきかと。シャツの中に押し込もうとするのをエルドの手に遮られる。
「そのままでいい」
「ですが……」
「ヴァール様の言う通り、それは隠すべきではない」
振り返った見つめる蒼はディアンの手元、その中にある首飾りに向けて。
「先にシュラハトが言った通り、謁見の場には多数の精霊が揃っている。その証があるだけでも充分牽制になるだろう」
「証というのは……」
「えっ、ヴァールってば説明してないの? それだけ独占欲を露わにしといて?」
驚く声は、半分からかいも含まれている。分かりやすい挑発に乗らずとも、エルドの表情は険しいまま。
だが、それが怒りではなく、ディアンに向けてのものであるというのは、彼の目を見れば明らか。
「確かにそれ自体に効力はないが、精霊自ら魔力を込めた贈り物は伴侶にのみ贈られる物。本来は初夜を迎えた後に贈られるものだが……今は、それだけお前が愛されているという証明にもなる」
「しょ……っ……」
私も頂いていると、差しだされた手に反射するのは指輪の光。隣に並ぶ少年を現す金色よりも、飛び出した単語の方に意識を取られてしまう。
いつかその日を迎えると分かっているのに、どうしても恥ずかしさが勝ってしまう。
「……悪い、隠していたわけじゃない」
だが、熱くなる頬もエルドの狼狽える声を聞くまでのこと。
「本来、伴侶の証は精霊界で採れる物のみで構成される。それにも俺の魔力は籠もっているが、急ぎ誂えたから中途半端で……アピスの言う通り、初夜が無事に終わった後にちゃんとした物を贈ろうと……」
意味はそれから話すつもりだったと、寄せられた眉は本心だからこそ。
そもそも、この首飾りを渡した当時、エルドに娶る予定はなかったはずだ。
人のままで生を終えて欲しいと。それこそが幸せだと。これ以上、精霊の都合に巻き込んではいけないのだと。
自分の想いを殺し、それでもお前だけなのだと。その一心で作ってくれたのだろう。
持ち上げた首飾りは、確かに不格好だ。原石のまま、ろくに加工も施されていない。むしろ船の上でここまでできたのが不思議なほどだ。
それでも……いや、そうでなくとも、ディアンにとって大切な物に変わりない。
「分かっています、エルド。……分かっています」
だから疑っていないと。大丈夫だと。伝わるよう微笑めば、釣られて緩む表情に心が和らぐ。
これを自分が大切にすることで、エルドが安心するというなら、隠す必要はない。
中途半端であろうと、正式なものでなくとも。これで自分がエルドのモノであると証明できるのなら。
それで、彼の不安が少しでも取り除けるのであれば。
「仮とはいえ洗礼する前に贈るなんて。そんなに入れ込んでるなら、早く契ればいいのに。そうすれば精霊王だって――」
「シュラハト」
咎める声はアピスから。妻の怒りを感じ取ったか、それ以上続けることはなく。肩をすくめる動作は怒られた事への誤魔化しか、彼の癖なのか。
「からかうのも大概にしろ、彼らには彼らの歩み方がある」
「分かったよ。でも、そう思うのは僕だけじゃないと思うけどね。……さてと」
先導が止まれば、ディアンたちも同じく歩みを止める。そうして横に退いたシュラハトが示すのは巨大な扉。
ディアンの三倍はあるだろう高さだというのに気付かなかったのは、話に夢中だったのもそうだが、その塗装も白一色だったからだろう。
「この先が謁見の間だよ。もう空間は繋がっているから、通ったその瞬間にお披露目ってわけだ」
言葉からして、普段は切り離されているのか。それはどんな原理なのか。
されど、今は気にすることではないと、扉の向こうへ意識を集中させる。感じる魔力はなくとも、この先に精霊王がいるのだろう。
彼だけではなく、他の精霊も……ディアンが思っている以上の人数がそこにいるはずだ。
自覚すれば心臓が早打ち、汗が滲む。長い通路を歩いて少しは落ち着いたと思ったが、それも思い込みだったようだ。
今まで精霊界に来た人間も、同じ気持ちだったのだろうか。
迎えられた伴侶も……二十年前訪れた、英雄たちも。
グラナート司祭。ダヴィード王。そして、ヴァン・エヴァンズ。
図らずも、彼らと同じ道を今、歩んでいるのか。その時、父は……何を、思っていたのだろうか。
「ディアン」
また現実逃避だと、自覚するより先にエルドの声がディアンを引き戻す。汗ばむ手を握られ、頬に添えられた指に擦り寄る。
「大丈夫だ。お前が話す必要はない。……周囲が何を言おうと、お前は俺の愛し子。俺の唯一。それだけは決して違えることはない」
震えるのは自分か、エルドか。その両方か。覚悟を決めても、その恐れがなくなるわけではない。
彼と精霊王との間にある確執も、周囲の精霊の心象も、ディアンは推測でしかない。心ない言葉を投げつける者もいるだろう。
それらに対抗する手段をディアンは持たず、できることは彼の隣にいることだけ。
……だが、それが何よりの証明になることを。決して無力でないことを、ディアンは理解している。
「……僕だって同じです、エルド」
添えられた手に指を重ね、伝わる魔力に目を閉じる。何度この手に救われ、導かれてきただろう。
今だってそうだ。だけど、今はもう与えられるばかりではない。
できることは限られていて、他の者から見ればとても小さなことでも。それがエルドの力になれるとディアンは分かっている。
信じているのだと、彼を愛していると。この気持ちが変わらないことを伝えることは……ディアンにしかできないこと。ディアンにだけ許されてほしいこと。
「あなたが望むなら、何度だって誓います。今も、これから先も、それこそ精霊王の前でだって。……あなたと一緒に、生きたいんだと」
そう望んだのは自分だと。選んだのは、あなたの愛し子だと。あなただけのディアン・エヴァンズだと。
再び開いた紫の光は、見つめる薄紫にはあまりにも眩しく。だからこそ、愛おしく。
「ディアン――」
「ネロとデヴァスに負けないぐらいの熱愛っぷりはいいけど、そろそろいい?」
そんな二人の時間も、真横から話しかけられれば我に返るしかなく。不満げな視線は中止を促されたことか、この先に待ち構える男たちに対してか。
「じゃあ早速……」
「いや、少し待て。服が乱れている」
心構えもできないままに扉に手をかけられ、慌てたところでアピスが静止をかける。足早に近づき、フードから足元まで整えられ、申し訳ないやら恥ずかしいやら。
「す、すみませ――」
「――気を確かに」
謝罪は、囁かれた言葉で消され、瞬く。ディアンにしか聞こえなかった言葉の意味を問うより先にアピスが離れれば、エルドに肩を抱かれて機会は失われる。
「では、今度こそ」
そうして、もう待つ気はないと。扉は勢い良く開かれた。
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