255.最初の伴侶
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間違っていては失礼だと、エルドにだけ聞こえるように古代語で問いかける。
一ヶ月前、精霊王の使いとして訪れた彼――戦の精霊シュラハトは、記憶が正しければ若い男の姿であった。
間違ってもここまで幼くはない。アピスと設けた新たな子かとも考えたが、愛し子が精霊界に留まることは原則ないはず。であれば、かの精霊の可能性が高いが……。
『その通り! なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか!』
返事は頭上ではなく足元。意図せぬところから聞こえた言葉に、秘匿として使った古代語の意味がなかったことをやっと思い出す。
人間界では忘れられた言語でも、ここでは普通に使われている。
今の一連になんの意味もなかったのだと突きつけられ、自分の浅慮さに頬に熱が集まっていく。
思わずローブを引っ張っても、すでに顔は半分以上隠れている。むしろ、今の動作で恥ずかしがっていると気付かれても、何もかもが手遅れ。
「でも、一応まだお客様だし。今は人間界の言葉で話しておこうかな」
そっちの方が混乱せずに済むだろうと、上機嫌で話しかけるシュラハトに対し、ディアンの頭には恥と困惑が渦巻くばかり。
確かに一部の精霊は幼子の姿であったり、そもそも人の形ではなかったりする。中には姿さえ明記されておらず、精霊記には想像上の姿として記載されている者だって。
だが、ディアンは実際その姿を見たし、まだ覚えている。そう簡単に外見を変えられるものなのだろうか。
精霊だから、というので全て説明もつきそうだが……。
「……シュラハト様は、精霊界ではいつもこの姿です」
「ああ。そりゃ前はオルフェン王のお使いだったからね。この姿じゃ威厳もナニもないでしょ?」
困惑するディアンに気付いたか、あるいは見かねたか。ゼニスが答えれば、納得がいったと目の前の少年がケラケラと笑う。
「それに、アピスはこの姿の方が好きだし。ねー?」
「ん゛んっ! ……ヴァール様、よろしいでしょうか」
今日も可愛い? という、それこそ精霊でなければ許されそうにない言葉は、強い咳払いによって掻き消される。
……つまり、シュラハトがこの姿を模しているのはアピスの趣味――いや、そんなことを考えればロディリアになんと言われるか。
だが、慌てて問いかけた声はやや上擦り、ディアンの予想が当たっていることを肯定する。
抱いていたイメージが変わりつつある中、同意を求められたエルドは沈黙の後に頷き、それを合図に彼らが近づいてくる。
開放された肩。見上げた薄紫に滲む諦めと許可に、ようやくディアンも彼らを見る。
真っ先に目に映ったのは、文字通り輝いて見える美少年。
認識した後で見れば、確かに記憶に残っていた姿をそのまま幼くすればこの姿にもなるだろう。
大きな瞳を縁取る長い睫毛。髪も目も黄金の如く輝き、静止していれば美術品と疑うこともなかった。
この姿でも精霊王の遣いとしてある意味相応しい姿だったろうが……その時は威厳ではなく、別の恐ろしさを抱いたであろう。
置き換えるのは一ヶ月前に見た光景。どう見てもただの少年。
されど人ならざる魔力を放ちながらディアンの父親たちに処罰を告げる姿。
……もし、今の姿なら。あの青年の姿ではなく、年下と認識できる今の姿だったなら。
妹は、メリアはまだ、正気でいられたのだろうか。
――一つ、瞬くことで首を振る代わりとする。こんな時にも現実逃避など、それこそ怒られてしまうだろう。
視線は横に。そうして、自分を見つめる女性へと移る。
刈り上げている短い髪は薄い胸と相まって、一見すれば男と見間違えただろう。だが、その顔にはロディリアに受け継いだ面影がしっかりと残っている。
銀の髪に、少し吊り目の瞳。そこに嵌まった色は、もう馴染み深いもの。
トゥメラ隊の鎧、ペルデのローブ、教会を象徴する深い青。
……ロディリアがこの色に拘った理由を、ここで初めて知った。
「紹介が遅れたが、アピスだ。この地では、迎えられた人間たちのまとめ役を担っている」
堂々とした振る舞いに、かつて族長であった面影を見る。否、立場は変わってもその役目は変わっていないのだと、自然と背が伸びるのは違う緊張から。
伴侶になった後、エルドとゼニスの次に信頼できるのは、この人となるだろう。
「お初にお目にかかります。ディアンと申します」
「ロディリアから色々と聞いているだろうが、そうかしこまらずともいい。まだ正式に契りを交わしていないとはいえ、我々は同じ『選定者』。無理にとは言わないが、気を楽にしてほしい」
細まる目も、語りかける口調も、全てがロディリアを思い出させる。ただ一つ相違点を上げるなら、隣に並ぶ少年――否、夫への視線に憎悪が含まれていないことだ。
彼女はシュラハトに手籠めにされ、無理矢理嫁がされたと聞いた。その過程でロディリアが産まれ、聖国ができる流れとなったと。
とはいえ、数千年も経てば絆されもするのか。あるいは、その始まりこそ歴史と共に改変されたものなのか。
真実はどうであれ、ディアンに分かっているのは、とても気を抜ける状況ではないということ。
「ディアンと呼んでも?」
「構いません。……アピス様とお呼びしても?」
「私も呼び捨てで構わんが、好きに呼ぶといい。……とはいえ、今回は例外となる訪問。そして、まだお前は客人としての立場だ。他の精霊の前では互いに敬意は払うべきであろう」
他の精霊、というのが誰を示しているのか。
この後会う相手の事を思い、やはり緊張はほどけず。握り締めた手は、上から指を重ねられることで少しだけ緩む。
見上げた薄紫は、いつも通り優しく。されど、やはり少しの怯えが混ざったもの。
「……ありがとう、エルド。大丈夫」
恐怖も緊張もある。だが、立ち向かわなければならない。
これから先エルドの隣で生きていくためには、逃げるわけにはいかない。
「ま、気持ちは分かるけど……あんまり待たせると怒られるし、早くしないとプィネマが酒盛り始めちゃうんじゃない?」
早く行こうよと、声を伸ばしながら促す姿は少年そのもの。これで戦の精霊だと気付ける者は存在するのだろうか。
だが、ディアンが戸惑ったのはその幼い動作ではなく、想定していない精霊の名に対して。
「……待て、なぜプィネマがいる」
問えぬディアンに代わり、口にしたのはエルドだ。プィネマと言えば、酒の精霊として名高い存在。
自分で作るのもそうだが人間界の酒も好んでおり、その年で一番出来のいい酒を捧げる習慣もあるほどだ。
祝いの場であればいてもおかしくはない精霊。だが、今から行われるのは宴ではなく謁見。
それならば、彼に限らずとも他の精霊だっているのはおかしいはずだと。険しくなる薄紫に、金はにこやかに笑ったまま告げる。
「プィネマだけじゃなくて、ブラキオラスもいるよ。それからクシフォスとドリと、ポルティは居てもいなくても同じとして……」
「俺たちは精霊王に会うだけと聞いた」
羅列される数はあまりに多く、怒りは唸り声となって空気を震わせる。
ディアンもその認識だった。いたとしても、聖国王宮のように騎士が数名いるものだと……だが、挙げられる名はどれも聞き覚えのあるもの。そして、誰も家来という立場ではない。
「だって君の伴侶なんだよ? みんな気になるに決まってるじゃないか」
「ふざけるな! こいつをくだらん見世物にするのが目的か!」
強く手を握られ、思わず呻けばすぐに我に返ったエルドに解放される。
怪我はないと微笑めば、シュラハトを睨み付けていた瞳は緩み、それから困惑と怒りに翻弄されるものへ。
「でも、ヴァールも想定してたことでしょ? あんなにも頑なだった君が自分で愛し子を迎えて、その上娶ろうとしてるんだ。噂好きのポルティでなくても見に来ちゃうって。……ね、アピス」
「……今回の一件は、少なからず精霊界にも影響を与えています。あのアケディア様も見に来ていると聞けば、ヴァール様も理解していただけるかと」
この一ヶ月、何度も聞いた名に反応したのはやはりディアンよりもエルドの方が大きく。深い息は、怒りを抑え込むためのもの。
精霊界で最も被害を受けたのは、妖精を統括しているというアケディアで間違いない。
だからこそ、サリアナは彼女によって裁きを受け――今も、この精霊界のどこかで罰を受けている。
もう彼女はディアンのことを覚えていないだろう。
そして、ディアンもまた、彼女に会うことはない。
「少なくともフィリアはいないし、会わせない。覗き見ることだってさせないし、万が一来たとしても僕がちゃんと追い返す。……シュラハトの名にかけて誓おう」
最後の声は、それまでとは違うもの。それが宣言であることを、真っ直ぐ見上げる眼差しで知る。
決して違えることのない誓い。精霊同士で交わすならば……それもまた、強い意味を持つ。
人間界に残っているものとは、その意味も深さも異なるもので。
「……わかった。だが、顔を見せることも声を聞かせることもない」
あくまでも姿を見せるだけならばと、そう折れる言葉はまるで唸るかのよう。
だが。険しい薄紫に対し、睨まれた少年は肩をすくめて笑うだけ。
「精霊王がそれでいいって言うならね」
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