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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
『精霊の花嫁』の兄は、悔いなく生きています ~精霊界訪問編~

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251.精霊王の条件

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 羞恥は道中で消えたが、比例して膨れ上がる不安はどうにもできぬまま。

 互いに会話もなく辿り着いた書庫の前に、普段はいないはずの見張りがいたならなおのこと。胸の奥は重く沈む。

 近づくにつれて鮮明になる表情に変化はなく、強張るのは自分たちの顔だけ。


「ディアン様」

「……エルドは」

「中でお待ちです」


 道をあけられ、扉へ促される。踏み入れる前にと目配せした榛色に不安はなく、そう感じているのは自分だけだと気付く。

 ペルデには予想がついているのか。あるいは、実害がないと思っているのか。

 その予測はおそらく間違ってはいない。

 故にあるのは、この先の話を自分も聞いていいのかという迷いだ。そして、それはディアンが判断できることではなく……やはり、この先に進むしかない。

 短く呼吸を整え、視線は扉へ戻る。


「――ふざけるな!」


 取っ手にかけた指が強張ったのは、扉越しに聞こえた声だけではない。

 甲高い耳鳴り。頭の奥が締め付けられるような圧迫感。打ち付ける鼓動は、本能的な恐怖からだ。

 滲む汗を拭うこともできず、息苦しさに呼吸が止まっていた事を知る。

 これまでエルドが怒ったことは、確かに何度かある。それを目の当たりにしてきたことも、数えられる程度ではあるが確かにあった。 

 だが、それはいつも抑えられていたものだ。

 それは人間であるディアンがそばにいたのもあるだろう。だが……扉の向こうで、そうできないほどの何かを言われた事実は変えられない。

 掠れる風の音。否、それはディアンの背後。その足元から響くものだ。

 我に返り、振り返った先。苦痛に歪む顔は、ディアンの頭上にはなく。


「ペルデ……!」


 エルドの魔力に慣れているディアンでもこうなら、ただの人であるペルデに耐えられるはずがない。

 蹲り、必死に息を繰り返す彼と自分を隔てるように障壁を張る。この程度で塞ぎきることはできないが、先ほどよりマシになった呼吸に安堵するには早く、目配せしたトゥメラ隊がすぐにペルデの身体を起こす。


「早く、彼を安全な場所へ」


 短い返答の後、横抱きにされて遠ざかるペルデが見えなくなり、障壁を解除する間も中から滲む魔力は落ち着く気配はない。

 ゆっくりと息をして、瞬きを一つ。胸に沈んだ感情が軽減されることはなく、不安は時間と共に増すばかり。

 だが、こんなにも彼が怒るとなれば……考えられるのは、一つだけ。

 ぬめるドアノブ。滲んだ汗の不快感に眉を寄せる余裕もなく、扉の隙間から漏れる圧に僅かに怯む。

 エルドだけではない。言い争う声と共に響くのは、ロディリアの魔力も同じく。


「容認できると――!」

「しかし――!」


 早足で辿り着いた中央。これもこの一ヶ月で見慣れたはずの景色は、今や緊迫感に包まれたものになっていた。

 向かい合い、怒鳴り合っているのはエルドとロディリアだ。隣に並ぶゼニスも、定位置に座るイズタムの表情も決していいとは言えない。


「絶対に認めない。ディアンにも、」

「――エルド!」


 その先を言わせてはいけないと、張り上げた声に全ての視線が突き刺さる。それでも怯まずに踏み出した足は、エルドの隣でようやく止まる。

 絡んだ薄紫が一瞬外れ、それから再び合わさる。なんとことのない動作に含まれる動揺を、紫は見逃さない。


「エルド、抑えてください。ペルデが当てられています。……女王陛下もどうか」

「……ええ、すみません」


 僅かな吐息、返された返事の語尾に拳を握る。

 身内しかいない状況で彼女の口調が砕けていない場合、それはエルドを『中立者』としてではなく精霊として接している時だ。

 やはり、これは精霊界に関することが絡んでいる。それも、エルドが激怒するだけの何かが。


「一体何があったんですか」

「……聞く必要はない」

「ヴァール様!」


 忌々しく吐き捨てられる言葉に、すぐさまロディリアの咎める声が響く。

 しかめられた眉は、聞かせたくないと隠す気もないもの。叶うならばこの場からディアンを連れ出したいと思っているだろう。

 そうしないのは、ディアンに選択させるためか。そう意識していなくとも、本能がそう傾いているのか。


「コイツを巻き込むな。俺が行けばいい話だろう」

「それで納得されないからこそお伝えしていると、先ほどから何度も……!」


 咳払いはゼニスで、二人の名を呼んだのはイズタムから。再発しかけた言い争いは、別方向から同時に止められる。


「恐れながら、私から説明させていただいても」


 このままでは埒があかないと、進言した彼女に歪められた顔は一つだけ。諦めか、苛立ちか。吐き出された息の深さに、そっと腕に触れる。

 見下ろす薄紫に含まれるのは、ディアンと同じく不安の色。

 ……彼もまた恐れているのだと、そう気付けば自然と笑みがこぼれる。

 同じ気持ちであったと、それだけで安心してしまうのはあまりに単純か。だが、その眉間が少し和らぐのを見て、やはり唇は柔らかく歪んだまま。


「先日の一件で、旧ノースディア国に設置してあった門が撤去されることは、ディアン様もご存知のはず」

「はい、一部の門だけは存続させるとも聞いています」


 聖国に関係の深い地域や、貿易に深く関わりのある場所……エヴァドマやラミーニアといった主要地周辺は残すと、精霊王との対談でも定められたとはロディリアから聞いた話だ。

 それで聖国が侵略していると、各国から抗議が出ていることも同じく。


「仰るとおり。人間と精霊、双方への罰としての処置でありましたが、条件付きで一部の門のみ継続が許されています」

「……その条件に、問題が生じたのですか」


 返答はない。だが、その顔を見れば同意も同じ。

 対談の時点では問題なかったのだろう。そして、いくら状況が緊迫していようと、ロディリアが不確定な状態で承諾するとは思わない。

 少なくとも飲み込めると判断し、互いに納得したからこそ、一部の国民は無事に留まることが許されているはず。

 それが守れないとなれば……確かに、穏やかな状況ではない。


「厳密には、まだ。しかし……」

「……オルフェン王が望んだのは、あなたのお披露目です」

「…………え?」


 言い淀むイズタムを見兼ね、与えられた答えは頭上から。見下ろす蒼に思わず声を漏らす。

 頭の中に浮かんだ全ての候補が消え去り、残るのは想定外の対価。


「……僕の、ですか?」


 まだヴァール……いや、エルドの帰還なら理解できる。

 本来なら精霊界で過ごしているはずの彼は、人間たちを見守るためにずっとここに留まり続けていた。

 一度は婚約のため、無理やり連れ戻して監禁されていたという。これを機に戻らせようというのなら納得できずともわかること。

 だが、そうではなく……自分のお披露目とは。


「エルドを連れ戻したいのではなく……?」

「婚姻を済ませ、初夜を迎えるまではあちらで過ごすことは確定しています。今無理に連れ戻す必要はありません」


 初夜、と聞いて思わず動揺しかけ、今はそれどころではないと己を持ち直す。どうにもまだ、この手の話に慣れそうにない。


「でも、それなら僕も同じじゃ……」

「本来なら、二度目の洗礼を受けたその日に嫁ぐのが慣例。延期になることは承諾するが、せめて一度訪れよとの仰せで……」


 最初から異例ばかりだというのに今更慣例を求めるのかという不満は上がらず、困惑から抜け出せない。

 門の設置に関することだけではなく、婚姻が延期になったことも含めてだろう。

 ディアンの訪問だけで全てを呑み込んでくれると考えれば破格の条件だが……そんな単純でないことは、エルドの反応を見ずとも明らか。


「顔見せが目的なら向かう必要はない。門越しに姿を見せればそれで……」

「直接、姿を見せに来ること。……それが精霊王の出した唯一の条件です。王の意図は、あなた様も理解しているはず」


 唸る声こそなく、されど視線は強くなる。本当に睨み付けたい存在は、今もこの光景をどこかで見ているのだろうか。


「断れば旧ノースディアの門は即行排除され、民の命が脅かされます。今の状態で残った門さえ破壊されてしまえば……」

「全ては精霊とノースディアが招いたこと。こいつが犠牲になる必要も、その命を背負わせる必要もない」


 婚姻を命じた精霊王。それを拒否したエルド。過剰に加護を与えたフィリア。その加護の力のままに欲望を満たしたメリアと、最後までディアンを求め狂ってしまったサリアナ。

 ディアンはそれに振り回されただけだ。彼にその責任を求めるなど、どうしてできるのかと。どれだけエルドが睨もうと、女王の表情が変わることはない。


「まだ『選定者』が人であることは精霊王も理解しています。ましてやあなたの伴侶となる者、身の安全は保証すると――」

「――奴らがそれを守った試しがあったか!」

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