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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
『精霊の花嫁』の兄は、悔いなく生きています ~精霊界訪問編~

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閑話②宴は続く

いつも当作を閲覧いただきありがとうございます。

まず、繰り返しになりますが当作の予約がAmazonにて始まっております、よろしくお願いします!


そして、来週から週一ではありますが番外編を投稿できそうなので、精霊たちの予習もかねての短編になります。

……が、本編の73話~75話が前提の話となっておりますので、先にそちらの閲覧をお願い致します。


「あ゛~……」


 その声だけを聞けば、まるで恐ろしい怪物が唸っていると思っただろう。地の底から響くような、この世の終わりを示唆するような。

 だが、それが轟いたのは死を連想させる暗く冷たい場所ではなく……なんてことはない、酒宴の一席から。

 自由気ままに飛び交う妖精たちだけを見れば、確かにここは幻想的な場所だ。

 人とは思えぬ美貌を持つ者たちが並び、思い思いに杯を交わす姿は人間界では想像できないもの。

 鍛え上げられた筋肉を見せびらかすようはだけた服も、その道に通じている者であれば感歎の息を漏らしたであろう。

 ……が、まともに座っている者が数えるほどもいなければ、抱いた尊敬も呆気なく消散するというもの。

 机に突っ伏す者。逆に椅子の背もたれに全身を預けて天を仰ぐ者。

 地に倒れている者こそいないが、絵面は完全に宴会の終盤である。広大なテーブルに隙間無く並べられた瓶のどれが空で、どれが飲みかけか。杯さえも転がっており、これがまともな酒場であれば後始末に頭痛を覚えただろう。

 されど、もうこの宴会がいつ始まり、そしていつ終わるかなど誰も知らないこと。

 間接的に加護を与えるか人間を時折見守るか。暇つぶしになるのはそれぐらいで、もはや飲む以外に娯楽はないのだと唸る声は、机に頬杖をつく一際屈強な男から再び。

 全身もそうだが、特にその腕は男の顔よりも遙かに太い。そして、呷った杯を置く音も、その見た目通り豪快なもの。


「暇だ……」


 呟きに賛同の声こそなく、されどこの場にいる誰もが思っていることだ。

 少し前は、人間界に留まっていた男が精霊王によって連れ戻されていたが、再び向こうに行ってしまってからは話題もなく。

 彼の伴侶についても、また他の精霊が娶るのだろうという予測がついてからは話題にも上がらない。

 自身の愛し子についても変化はなく、それは他の精霊も同じこと。平穏と聞けば響きはいいが、すなわち刺激がないと同義。

 力比べも飽き、話題も尽き、されど終わらないのは惰性から。他にやることがないので、やはり酒を煽るしかないという悪循環。

 これが人間なら肝臓を労り制御も効くが、どれだけ見た目が似ていようと彼らは人ならざる者。

 水のように流し込んだところで酔う以外に影響はないが……傾けた瓶に中身がなければ、それすらも満足にできず。

 地に転がす行為を咎める者もいなければ、新しい酒を差しだす者だって。


「『俊敏』はどこにいるんだぁ?」

「よんだ~?」


 その問いにも答える者はいない……と思いきや、気付けば男の背後に細い影が一つ。

 男らと同じく露出した恰好であるが、その肉付きはあまりにも貧相。

 着用しているのは腰元だけだが、見せつけたいのではなくより軽くなるためという理由は周知の事実。改めて説明するのは、それこそ数百年に一度、誰かが伴侶を迎えいれた時だけ。


「なんか面白い話とかねぇのかぁ……?」

「あはは~、あったらすぐ広めてるよ~。じゃあね~」


 言い終わるが先か、走り去るのが先か。瞬いた次の瞬間影も形もないなら判定はできず、暇を潰すために精霊界全土を走り抜ける男の行き先を気にする者はいない。

 呼べば数秒後には現れるのだから気にするだけ無駄。布一枚あったところでその驚異的な速さに支障はなさそうだが、それは彼のこだわりというものだろう。


「『豪腕』……しつこいぞ……さっきもやっただろう……」


 間延びしたしゃべり方にそぐわぬ、なんて突っ込みも彼らの間ではおこらない。代わりに響くのは、天を仰いでいた男の口から。

『豪腕』が地の底とたとえたなら、こちらは地を這うような力のないものと言うべきか。常ならば鎧を着込んでいる身体も、半裸とまではいかずともだらしない姿には変わらず。

 それでも、愛用の剣を手放さずにいるのは精霊としての習慣なのか。

 よくよく見れば、槍や弓といった己の獲物を装備している者も散見される。まだ彼らが起きていたなら、今頃は罵声が飛び交っていたかもしれないし、笑い声が響き合っていたかもしれない。

 しかし、今聞こえるのは執拗に繰り返される行為への小言と、それに対する反論のみ。


「してねぇ」

「してただろ……この程度も覚えていないなんて、頭の中まで筋肉なのか」


 カランコロンと瓶が転がり、手繰り寄せた中身を注ぐ動きは鈍く、あからさまな嫌味に対する感情の揺れ幅も小さい。

 いつもなら既にやり合っていたが、このくだりも何度と繰り返せば飽きてくるもの。


「いつ俺がやったってぇ?」

「さっきだと言っただろ……」

「具体的には」

「…………さっきはさっきだ」


 しっし、と追い払う動作はあらぬ方向へ。もう説明するのでさえ面倒だと全身で表しているが、ふっかけてきたのは『長剣』からである。


「はっ、お前の方が覚えてねえじゃねえか。これだから振り回すしかできない奴は……」

「……なんだと」


 むくりと起き上がった身体はすぐさま『豪腕』へ向き直り、『豪腕』もまた、呷った杯を置いてから睨み付ける。


「そもそも、お前が飽きもせず何度も繰り返して鬱陶しいのが悪いのだろう」

「だぁからそれがいつだっつってんだよ」

「だからさっきと言っているだろう」

「っかぁ~! だぁから自分の力で競わない奴は」


 端から見れば子ども以下の小競り合い。もう何千年と生きているはずの精霊同士がしていい会話ではない。

 もし人間たちに見られたなら、それまでの逸話や尊厳など即刻無に帰すこととなるだろう。

 確かに精霊記には、肉体派と武具派の仲が悪い事は記載されているが……こんなに低いレベルとは誰が想像できようか。


「貴様、言わせておけば……! 我々には戦略というものがあるんだ。馬鹿正直に突っ込むお前たちとは違ってな!」

「道具がなけりゃ戦えないくせになぁにを偉そうに! その点見ろ! この俺様の筋肉!」


 立ち上がり、己が肉体を見せびらかす姿は、机に突っ伏しかけていた者と到底同じには見えないだろう。

 誰一人として褒め称える者はいないが、気に留めることもなく様々な角度で腕に力を入れる男に対し、返されるのは失笑のみ。


「はっ、これだから筋肉にしか能の無い奴らは困る」

「あぁん?」

「お前がその道具ばかりと言っている我々の愛し子は、これまでいくつもの功績を残してきた。『弓』のも『槍』のも、ここにいる全員がな」


 そうだろうと、同意を求めずとも怒りにあてられた者たちは一人、また一人と起き上がる。そして、それは半裸でいた肉体派も同じ。


「なにより、私の愛し子は精霊界を離れてから今に至るまで、数々の――」

「そいつは聞き捨てならねぇなぁ! 愛し子の功績ならこっちだって負けちゃいねぇぞ!」


 そうだそうだと、同意は振り上げる拳と共に。活気というよりも殺気が戻り、睨む瞳は互いに鋭さを増していく。


「強い武器を振り回してるだけでなぁにを偉そうに! 俺らの愛し子なら、そんなもんに頼らずとも功績の一つや二つ歴史に残すぐらい!」

「どうやら筋肉馬鹿には数をかぞえることすらままならんらしい。数え切れないほどいる我々とは根本から違うのだよ」

 

『豪腕』が傾けようとした酒は奪われ、『長剣』の手元へと注がれる。差し向けられるのは切っ先ではなく、注ぎ終わった瓶の口。


「第一、武具の目利きも我々の加護あってこそだ。手練れであろうと武具が優れていなければ成り立たず、逆に武器が強くとも使い手が愚かでは話にならん。それすらもわからんとは」


 馬鹿にする笑みと共に杯が傾けられるが、返されるのは唸りではなく、同じく馬鹿にする笑い。


「はっ! お前こそ馬鹿じゃねぇのかぁ?」

「……なんだと?」

「優れた戦士ってのはなぁ、どんな状況でも臨機応変に勝てるもんなんだよ。お前の言ってることは、負けたときの言い訳探しでしかねぇだろ」


 武器も自身も優れていなければ勝てないというのであれば、すなわち負けた際はどちらかが劣っていたということだ。

 そして、己の実力を認めないのであれば、それは武器が悪かったとなすりつけることとなる。

 その思考が潔くないと奪い返した瓶には一滴も残っておらず、放り投げた先をどちらも見届けることはなく。

 鋭い視線は互いに絡んだまま、一時たりとも離れることはない。


「我々が敗北すると?」

「負けた時の言い訳を用意しておく時点で認めてるようなもんだろぉが」

「このっ……!」


 立ち上がり、己の愛剣を突きつけられても『豪腕』は怯むことなく。むしろ己の手に拳を打ちつけ、不敵に笑う。


「お? その玩具でやろうってんのかぁ? 随分と野蛮なことで!」

「黙れ! 野蛮なのはお前の方だ! 武具最強と謳われた私が、今日こそ決着付けてくれようぞ!」


 両者睨み合い、いつ机がひっくり返されてもおかしくはない状況。この流れこそもう何百回目かと突っ込む者は存在しない。


「ちょっと待てぇ! 武具最強は俺だ俺俺ぇっ!」


 否、突っ込みこそ入ったが、それは『長剣』の失言に対するもの。

 己の獲物である槍にもたれて眠っていた男が勢い良く起き上がり、そのまま『長剣』の元へ詰め寄る。ビッ! と自身に向けられた親指は、張る声以上に主張している。


「突いてよし投げてよし! 万能である槍の精霊、このドリ様こそが……」

「馬鹿も休み休み言え!」


『長剣』の反論より先に地に突き立てられるは、人の背ほどもある巨大な盾。それを軽々と持ち上げ、『槍』の元に詰め寄る勢いもまた凄まじいもの。


「お前よりこのワシが優れているに決まっているだろ!」

「ほざけ! 守るしかできない臆病者が!」

「その臆病もんに勝てん奴が何を言うか!」


 こうなれば俺も自分もと、名乗りを上げる声は収拾がつかなくなっていく。これでは本末転倒だと、張り上げた『長剣』の声は埋もれて聞こえないほど。


「ともかく! 少なくとも我々はお前らよりも優れている!」

「口だけなら何とでも言えるよなぁ! やるかぁ!?」


 ならばこちらも黙っちゃいないと、半裸の男たちも立ち上がり関節を鳴らす音が多重に聞こえてくる。それに合わせて武具派が構え奏でられる金属音の、なんと不快な合奏か。

 音楽連中が耳にすれば不快だと罵っただろうし、最悪は第三勢力も加わった可能性も。


「はいはい、そこまでそこまで!」


 もういつ開戦してもおかしくない状況。されど、響いたのは殴り合う音でも切りつける音でもなく、場に似つかわしくない高らかな笑い声。

 軽やかに男たちの隙間を通り抜け、『豪腕』と『長剣』の元に躍り出たのは別の男。

 頭に差し込まれた花。少々太めな眉だが、女であれば見惚れる美貌に光を思わせる眩しい笑顔。その全てを台無しにする酒の匂いは、文字通り浴びるほど飲んだ男たちよりも強烈なもの。


「せっかくの酒がマズくなるだろ? どっちも落ち着いて飲みなって!」


 あっはっは、と笑いながら机に並べていく瓶はどこから取り出したものか。薄い胸板と服の隙間から次々に現れることへの驚きなど皆無。

 酒の精霊ならこの程度できて当たり前。されど、戦に水を差すとなれば話は別。


「邪魔するなプィネマ! 今度の今度こそ決着を付ける!」

「ほざけ! そのちゃちな玩具全部ぶっ壊して――」

「あーもーほらほら落ち着いてってば。それより新作のお酒ができたんだって」


 プィネマ、と呼ばれた男は罵られようと気にもせず高々と瓶を掲げる。酒の精霊である彼は飲むのもそうだが、同じぐらいに作る事にも並ならぬ情熱を注いでいるのだ。

 この場に並んでいるのも含めて、精霊界に出回っている酒は彼の作ったもの。

  作ったなら飲ませなければというのが彼の持論。そして、それに付き合わせられるのはこうして酒盛りをしている男衆というのも慣例になってしまったこと。

 つまり、これもいつもの光景ということだ。


「今は酒なんぞどうだっていい!」

「……え? 僕の酒が飲めないって?」


『豪腕』と『長剣』、そしてそれ以外の連中も互いの勢力を睨み付けるのに夢中。故に、『酒』の声色が変わったことに気付くことはない。

 否、気付いたとてそれに反応する価値は彼らの中にはなく。今にも現場は血に染まる勢い。


「……ふーん」


 返事がないのは肯定と同じ。成人男性の見た目からはそぐわない、幼子のような拗ねた声。それから掲げていた酒をおろし、ぼそり。


「またアケディアに怒られてもいいんだ」


 途端、静寂が訪れる。

 武具を掲げる手も、拳を突き上げる腕も、罵声しあう声も。何もかも、まるで時が止まってしまったかのように。

 カツカツと指先で叩かれる瓶の音が響く。ゆっくりと、一定のリズムで刻まれるそれは、持ち手の感情を現すかのように甲高い音で。


「僕は別にいいんだけどね、戦場に大事な酒たちを持ち込むほど馬鹿じゃないから巻き込まれないし。アケちゃんがどれだけ怒っても僕にはこれっぽっちも関係ないし」


 カツン、カツン、ギィ、ギィ。不快な音は、穏やかな声と重なるにはそぐわないもの。だが、表情が強張る理由はそうではなく、ほんの数百年前に受けたばかりの仕打ちから。


「アケちゃん、あれでも抑えてたって言ってたもんなぁ……もし次なんてあったら、それこそ眠らされるだけじゃ済まないかもなぁ……」

「そ、それは……」


 ただ眠らされるだけ、と言うなかれ。眠るということは、精霊にとっては死にも等しいものだ。

 眠っている間は、戦うことも愛し子を見守ることもできない。こうして下らぬ言い争いをすることも、酒を食らうことだって。

 精霊に肉体的な疲労はない。故にどれだけ動こうと起きていようと眠る必要はないのだ。

 確かに例外は存在する。だが、自ら望んで死を味わいたい者は、この精霊界でも早々いないだろう。

 泣く子も黙る大男も、勇ましく声を張り上げていた男も、全員が揃って同じ存在を脳裏に浮かべる。

 外見こそ恐るるに足らぬ。だが、この精霊界において見た目などなんの意味も持たぬ事は……それこそ、彼らが誰よりも知っていることで。


「あ、そうだ。この後アケちゃんの伴侶に会うんだった。じゃ、また――」

「あ~~~! 酒! 酒が飲みてぇなぁ今すぐに!」

「そ、そうだ! 飲もうぞ『豪腕』の! 戦うよりはずっといい!」


 血の気の引いた男たちが酒に群がろうとする姿のなんと滑稽なことか。だが、眠らされるよりはずっといいし、告げ口を止められるのであれば茶番ぐらい苦ではない。

 肩を組み、武器を下ろし、立ち去ろうとした男を取り囲む圧はそれこそ先ほどよりも凄まじい。

 だが、プィネマと呼ばれた男は怯むことなく。ニコニコと満足げに頷く。


「そうそう、飲むのが一番だよ! ほら席に戻った戻った!」


 空になった瓶を回収し、そうして新たな酒を配り始める男に、漏れた息は疲れか安堵か。

 椅子に座る各々にもはや争う気力はなく。こうなればまたやけ酒しかないかと、響く息はどれもこれも深いもの。

 結局は退屈な日常の延長。代わり映えの無い日々。

 あと数年もすれば誰かが新たな伴侶を迎えることで話題にもなるだろうが、それを待ちわびるにはあまりにも長すぎる。


「今回は木の実を使って……」

「お? ……おおおぉおおお!?」


 伴侶を選ぶ者を論議するのでさえ飽きてしまったと、誰ともなく吐き出した息が大声で遮られる。

 慌てて耳を塞ぐも貫かれた鼓膜は痛み、同じ声量で怒鳴り返す『長剣』を誰が咎めようか。


「うるさい『豪腕』! 俺の耳を破くつもりか!?」

「そんなに意外だった? 実はね……」

「馬鹿! ちげぇ!」


 立ち上がり、机を叩き。先ほどよりも怒り狂ったように見える姿は、その瞳の輝きを見れば違うと否定される。

 それこそ、新しい玩具を与えられた子どものように。まさしく今、欲していたものを恵まれた喜びに、興奮のまま『豪腕』が告げる。


「ヴァールの奴が申し立てしてきやがった!」

「……はぁ!?」


 困惑、驚き、興味。一斉に立ち上がる理由は様々。されどその全てが『豪腕』に向けられていることは変わりない。

 申し立てなんて久しく聞いていない言葉にも、それを言ってきたという名に対しても。


「飲み過ぎで頭がおかしくなったのか!? ヴァールが申し立てだって!?」

「嘘じゃねえって! 俺の愛し子に対して誓わせやがった!」


 言葉は荒いが、これ以上ない暇つぶしに『豪腕』の気分は最高潮。

 この近年、誓約は確かに引き継がれていたが、申し立てについては忘れ去られようとしていた。

 誓約まではいわゆる口約束。それでも破った場合には仕置きをせねばならないが、申し立てについては更に重い。

 絶対に守らせるという意思の表れだ。つまり、申し立てられた精霊はその一部始終を見ておく義務が生じる。

 人間界に居た頃なら数も多く面倒ではあったが、久々の申し立て。それも、相手はあのヴァールときたものだ。

 精霊が他人の愛し子相手に交渉する際も、許可を得るという意味で申し立てるのが通常。ゆえにヴァール……人間界に家出した、あの精霊にその意図はないとしても、こんな見世物に興奮するなというのはあまりに無理な話。


「は、早く見せろ! 見れば分かる!」


 本当にヴァールが? なんで申し立てなんか?

 ガヤガヤと喧しくなる空間の中、声を張り上げる『長剣』もまるで少年のようだ。

 申し立てとなると、なにかしらの方法で人間界を見る必要がある。一人だけなら簡単だが、これだけの人数にも見せるとなれば大がかり。

 人間界を映せる媒体を用意すればいいだけだが、この場に門を展開できる器用な者はいない。


「待てって! 門なんざそうすぐできねぇよ! 武器貸せ武器!」

「はぁ!? 誰がお前なんぞに貸すかたわけ!」

「門にはオリハルコンがいるだろうが! 今だけだから貸せつってんだ!」


 ここにいる全員の装備を集めれば、見えるだけの大きさは確保できるだろう。そもそも貸すなんて選択肢がないことに目を瞑れば、であるが。

 困惑の中に、寄越せよこさないの問答がくわわり、こうしている間にも見所が終わってしまうと焦ったのは誰だったか。

 されど門に向かうにはあまりに遠く、用意できる者はここにはいない。いや、いなかったと訂正しよう。


「――ヴァールが申し立てをしたって本当なの!?」

「連れてきたよ~」


 突如響く可憐な声。透き通ったそれは、男たちを落ち着かせるのに充分すぎるもの。

 振り返った先、映るのは双極を示す赤と青。肩を抱かれ連れられる長髪の女性と、彼女に寄り添う短髪の男。

 ネロとデヴァス。この精霊界で知らぬ者はいないおしどり夫婦の登場に、のほほんと告げる『俊足』の存在は目に入らない。

 彼がいつこの事実を知り、そうして二人に伝えたかなど愚問。


「場所は」

「ああぁ~っと……エヴァドマ! エヴァドマの山頂だ!」


 冷静に問いかけたデヴァスが頷けば、腕の中にいたネロがすぐに両手をかかげる。放たれた水は斜め上に、そうして薄く広がり、見てくれは巨大な鏡のよう。

 だが、そこに映るのは自分たちの姿ではなく、まさしく今話題となった男の姿。

 途端、沸き立つのは精霊界も人間界も同じ。馴染みの無い名で呼ばれていようと、間違いなくそれはヴァールに間違いない。


「おお、本当にやってやがる! 見ろ俺の愛し子だ!」

「始めるのは腕相撲か? なぜその程度で……」


 大興奮で『長剣』の肩を叩き怒鳴られ、他は盛り上がりながらも怪訝な顔をする。

 違うのはただならぬ雰囲気に心配するネロと、自ら持ってきた瓶を傾け静観する『酒』

 そして……景色の中、一際異様な存在を見つけたデヴァスのみ。


「……愛し子」

「おうそうだ! 見ろよあの立派な腕、さっすが俺の……」

「ヴァールの愛し子だ」


 今度こそ、場がどよめく。これが『豪腕』や他の発言であれば冗談だと笑い飛ばしただろう。

 何かの間違いではと、そう誰かが問いかけようとするより先に、投影先でとある人間のローブが外される。

 ――途端、煌めく紫に、息を呑んだのは誰だったか。

 深い、深い紫。ただの人間には宿らない特別なそれは、精霊でなくとも一目で愛し子であると理解できただろう。

 たとえその瞳がヴァールと同じ薄さでなくとも、特別だと知らしめるには十分過ぎるもの。本来の色は髪と同じ黒であったのだろう。

 まだ精霊が人間界に居た頃から、どうしても変えることのできなかった唯一の色。それをあそこまで自分の魔力に染めるなど、ただの愛し子相手にはしないこと。

 それこそ、あのヴァールが。長年愛し子を持とうとしなかったかの精霊であれば、伴侶として『選定』する以外には考えられない。

 どれだけ目の前の光景が信じられずとも事態は進んでいく。

 離されていく二人、近づくことを許されない状況。あの分では自分の正体も伴侶に『選定』したことも伝えていないのだろう。

 そうでなければ、あんなにも軽々しく触れるなど許されないこと。

 だが、薄紫に滲むのは怒りではなく、己が愛し子を安心させるための笑み。


「……いい子」


 囁く声も、その表情も、もはや疑うことはない。

 それがどのような経緯かはわからない。それでも、ようやく彼は知ったのだ。

 愛し子を得る喜びを。それと共に過ごせる幸せを。

 あんなにも頑なだった精霊にそこまでさせた青年が不安そうに見守る中、ヴァールと『豪腕』の愛し子がテーブルに肘をつき、手を握り合う。

 会話から察するに、ヴァールの愛し子を巡って勝負をするらしい。

 ならば、『豪腕』に申し立てをしても何ら不思議ではない。

 つまり「お前の愛し子が自分の愛し子にちょっかいかけてきたんだからしっかり見とけ」と、簡単に言えばそういうことだ。

 告知していないとはいえ、大切な存在であることは変わらない。

 ……が、止めるまでもないというのが現状。

 ルールに則っての力試し、勝敗は決まっているも同然。これが精霊同士であれば問題だが、いくら愛し子といえど精霊相手に敵うはずもなく。

 つまり、これは茶番と同じ。安心して見られる見世物ということだ。

 とはいえ、茶化しもするし一応応援もする。もちろん『豪腕』が声援を送るのは自分の愛し子に対して。


「人間に負けるなよヴァール!」

「伴侶が見てるぞー!」

「頑張れ俺の子! 根性見せろー!」


 やいのやいのと酒を片手にヤジを飛ばす姿は、もはや試合の観戦者である。

 そうしている間に誰かがカウントし、勝負の始まりを告げる。

 ヴァールが勝つのは分かっている。だが、あくまでも相手は人間。自分たちよりも脆い存在だ。

 そんな相手に全力ではいかないし、多少手加減もするだろう。

 そのうえでどれだけ自分たちが楽しめる余地があるのかと、そんな期待はえげつない破壊音と共に打ち砕かれた。

 大破する樽ジョッキ。瞬く間もないほど一瞬で叩きつけられた腕。飛び散った木片があらぬ方向に飛び、精霊たちの静寂はほんの一瞬。

 愛し子を睨み付ける薄紫。そこに宿る光は、紛れもなく怒り。


「……おいおいおい、ヴァールの奴本気じゃねえか!」

「てめぇ大人げねぇぞー!」


 もはや総立ちの大歓声。ここまでくれば、他の精霊もヴァールが本気で娶ろうとしていることも察するというもの。

 当人にその自覚がなくとも、拒否しようとも、あるいは誤認であろうとも彼らには関係ない。

 そんな自分たちに見届けろと言ったヴァールが悪いのだと盛り上がっている中、もう一度試合が始まろうとする。

 早すぎるカウントが終わり、次も瞬殺かと思えば腕は中央に留まったまま。だが、片方は全力で、もう片方は苦も無く。

 もはや赤子と大人。犬に対する躾のように一つずつ指摘し、それを正させる姿には微笑ましさすら抱く。

 やはり数分ともたずに決着はつき、それでも手が開放されないのは今度こそ負けを認めさせるためだろう。

 男たちのヤジがなくとも、圧のかかった机の悲鳴は投影越しでも十分過ぎるほど。

 本当に大人げないね、と。呟く『酒』の声は、痛めつけられている愛し子と周囲の男たち、どちらによって上書きされたのか。


「ああぁ……負けちまった……」

「はっはっは、やはり脳筋の愛し子は脳筋であったということだな!」


 落ち込む『豪腕』に対し、武具連中と杯を交わす『長剣』のなんと晴れ晴れとした顔か。

 中途半端に昇華しきれなかった恨みを晴らさんばかりに、乾杯の音は高々と響く。


「いや~、でも~、あれだけ怒ってるヴァールに勝てる人間って~……」

「俺を愛し子を侮辱するかぁ!?」

「卑怯な手を使っても負けたのは事実! 認めないとは見苦しいなぁ『豪腕』!」


『俊敏』のなけなしのフォローも、言い争う二人の耳には届かない。その間も周りは面白かっただの、あのヴァールがだのと好きに語り続けている。


「……ブラキオラス、お前の愛し子が誓約を破ろうとしているぞ」

「あぁ? ……あー……」


 そんな中でも、冷静に呼びかけるデヴァスの声はしっかりと届いたらしい。まだ投影されている先には、己が愛し子の肩を抱くヴァールと、激昂する『豪腕』の愛し子の姿。

 目視し、認め。そうして吐かれた息は、負けたことではなく守らなかったことに対する落胆。

 たかが口約束。長年精霊と接触のない人間には形骸化した習慣。されど、精霊にとってはそうではない。

 宣言……それも、相手が申し立てをするほどであれば、それだけの覚悟が伴わなければならない。

 たとえ負けて悔しかろうが、認めたくなかろうが、約束は約束。そして、破ったのであれば罰を与えなければならない。

 精霊にとって愛し子は大切な存在だ。相手がどんなにいかつく、外見が愛らしくなくとも、それはどの精霊にとっても変わらない。

 だが……大切であるからこそ、愛で慈しむだけではならない。


「久々だからな、加減ができるかどうか……」


 やれやれと、己の愛し子の失態を認め、立ち上がる姿に葛藤はない。

 これもけじめであると、今にも襲いかからんとする大男を見据えれば、途端床を転がり痛がりだす光景に人間たちは動揺し、精霊たちは語らいを続ける。

 その中には懐かしさを覚える者もいただろう。そう、人間界に居た頃はいつもこうだった。こうして見守り、咎め、慈しんだものだと。

 感傷に耽る野郎たちに混ざる悲痛な叫びも、また懐かしさを助長させるものでしかない。


「それぐらいでいいんじゃない? ほら、みんな持って持って! ヴァールの初めての愛し子に乾杯!」


 もう待ちきれないと『酒』が各々に瓶を握らせ、にこやかに手を掲げれば一際高い歓声が響き渡る。

 飲む口実などなんでもいい。だが、それが喜ばしいことであれば、もっといい。

 近いうちに訪れる変化、そしてようやく愛し子を得た精霊、そして精霊王が長年待ち望んだ婚姻。

 しばらく話題に事欠かないと、笑い合う集団の中で投影が小さくなるのを気にした者はいない。

 宙から手元に、そうしてネロとデヴァスだけが確認できるほどの空間の中。景色は室内から外に移り、そうして語り合う二人の姿へ。


『――離れているより、今の方がずっといいです』


 頬に触れる手に指を重ね、微笑む紫に宿る柔らかな光。それを見つめる薄紫に劣らぬ感情に、ようやくデヴァスの顔が緩む。

 もし加護を与えたのがヴァールの独りよがりであれば、それはやがて苦痛に繋がるだろう。

 婚姻から逃れるための一時凌ぎが本気になった可能性も、よぎらなかったと言えば嘘にはなる。

 ……だが、それもいらぬ心配だったようだ。


「デヴァス」

「あぁ、ネロ……」


 腕の中にいる愛おしい存在を見下ろし、互いに微笑み合う。そう、ヴァールもようやくこの幸せを得られるのだ。

 どれだけ語ろうとも、どれだけ説得しようとも、人間と共に在ると決めた彼が……ようやく、精霊としても彼自身としても、喜びを知ることができる。

 精霊に兄弟という概念はない。だが、あえてその名称を借りるのであれば、兄としてこんなにも喜ばしいことはない。

 ……だが、手放しで喜べる状況でもなく。


「ポルティ。このことはあの女には知らせないように」

「え~……」


 名を呼ばれた『俊敏』がいつそばに居たか、やはり気にすることはなく。駄々を捏ねるような声に眉間が寄る。

 名前すら思い浮かべたくない愚妹……あの女がこれを知れば、それこそ何をしでかすか。

 ただでさえ許可無く過剰な加護を与えているのだ。そのうえヴァールの幸せすら奪うとなれば、自分もこの怒りを抑えきれるか。

 思い出すだけでも苛立たしいと、燃ゆる炎を冷たい手に宥められる。その手を取り、見つめ合う夫婦を眺める青年からまだ快諾は得られず。


「ん~……でも~……」

「あの女がこれを知ればどうなるか……お前も分かるだろう」

「分かるけど~……困るよ~……」


 演技ではなく、本当に困っているのだろう。うんうんと唸り、眉を寄せ、首をかき。


「だって~……もうみんなに伝えちゃったんだもん」

「…………は?」

「ほら! デヴァスも飲んで飲んで!」


 ごめんね、と。告げた瞬間にその姿は見えず。その真意を問いただすこともできぬまま。

 怒りの矛先を失ったデヴァスに与えられたのは、ネロの慰めではなく……空気を読まずに渡された酒瓶であった。


◇ ◇ ◇


 そんな酒宴の賑やかさも届かぬどこか。薄桃色の花が咲き誇る空間にて。

 片隅に誂えられた泉の中。映り込む懐かしい姿を眺め、女は笑う。


「――そう、あのヴァールが」


 呟く喜びに共鳴するように、飛び交う妖精たちがクスクスと笑う。陶磁器のような美しい指先が水面を叩けば、映し出されていた景色はまた違うものへと変わる。

 微笑みあう二人の姿から、黒髪の青年へ。ヴァールの色に染まったその瞳へと、彼女の視線は注がれる。

 咲き誇るどの花よりも愛らしい桃色の髪。新緑を思わせる瞳は緩み、果実のように赤い唇は美しく歪む。


「ふふ……素敵。ああ、とっても素敵だわ」


 その呟きを聞いた者は誰一人もなく。クスクスと喜び合う声はいつまでも響き続ける。


「――本当に、素敵だわ」


~Continued from episode 137~


腕相撲の裏で精霊たちが何をしていたか、のお話でした。

フィリアが137話の付近で何をしていたかも、来週からの番外編で明かせられればと思います。

本編後のディアンとエルドの話を、楽しみにしていただければ幸いです……!

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