243.天の裁き
甲高い音に紛れるか細い声は横から。檻の中、その光景を直接見てしまっているメリアから小さくこぼれ落ちたもの。
何とか見やった先。鉄格子を掴んだ少女の瞳は、光を捉えたまま動けず。とろりと、微睡む瞬間を見てしまう。
「わたしの、おうじ、さま?」
「……め、りあ……?」
「おやおや」
名を呼んだのはディアンではなく、直視しないよう顔を押さえつけられたままのラインハルトから。彼こそなにが起きているか分かっていないだろう。
それでも聞こえたその声は。その言葉は、彼にとって受け入れがたい響きで。
絶望に打ちひしがれる男に目もくれず、シュラハトは少女の前に屈み、触れる。
「可哀想に、気が触れてしまったようだ。でも、『花嫁』様にとってはそっちの方が幸せなのかな?」
すぐにトゥメラ隊が間に入ろうと、与えた影響は計り知れない。
シュラハトの姿が見えなくなっても少女の瞳は熱に浮かされたまま。浮かべた笑みは夢を見ているようで、まるで精神が抜き取られてしまったかのよう。
否、実際そこにメリアだったものは残っていないのだろう。
精霊と人間の子であるロディリアさえ、人に影響を与えぬよう姿と声を隠していた。精霊、ましてや心身共に弱っている者が直視したなら……無事では、いられない。
それも、メリアの理想とする容姿であったなら、なおのこと。
「そうそう、ここに来た理由だったね」
たった今、一人の人生が狂ったというのにもう興味を失った様子に背筋が震える。
それは愛し子ではない人間だからか。否、これが精霊が人間に対する普通の対応なのだろう。
そうと理解したからこそ強張る身体を、より強い力でエルドが抱き締める。
「精霊王からの伝言を伝えに来たんだ。すぐに伝えろって聞かなくてね」
「……王は、なんと」
ろくなことではないと、表情が強張るのは誰も同じ。
否、唯一エルドだけは変わらず。その視線だけが強く、鋭く。それこそ、射殺さんばかりに。
「此度の一件、人間の過ちだけでなく、我々にも責任があると判断する。人間だけでなく我々にも贖罪が必要。よって、ノースディア全域の門を閉ざし、封印する」
「――なんてことを!」
その悲痛な声が聞こえなければ耳を疑っていた。精霊門があるからこそ土地は潤い、魔力は満たされ、人間はその恩恵を受けることができていた。
日々の営みも、加護を授かることもできない。門がなければ精霊だって愛し子とすることはできない。
だが、その痛みが同じだとは到底思えず。
「咎があるのはここにいる罪人らのみ! 他の国民に非はありません! アンディルダの二の舞にするおつもりか!」
一体何百、何千という人間が巻き込まれるだろう。今いる者だけでなく、これから加護を授かるはずの者だって。
咎というにはあまりにも重すぎる。そうロディリアが怒ろうとも、伝えた精霊は苦笑するのみ。
「我々も心苦しいさ。だが、フィリアを止められなかったのは精霊全員の責任でもある。平等に罰するにはこれぐらいしかなかったんだよ」
「こんなことっ、アピス様がお許しになるはずが!」
「アピスには許可を貰ってるし、彼女も納得してるよ」
だから何の問題もないと、肩をすくめる父にロディリアから言葉が失われる。
あり得ない事態だと。あってはならないと。それなのに、これが許されてしまった現状に、彼女はなにを思い抱いたか。
「大丈夫、門を閉じたってすぐに影響が出るわけじゃない。その間に誘導なり避難なり、やれることはいくらでもあるさ。僕のロディリアなら上手くやれるだろう?」
「お……おまち、ください……!」
震える声は、決して彼女の口からではない。
鉄格子から飛び出た手は、ヴァンとメリアのいる場所の隣。この一連をずっと震えて見ていた、かつての王から。
「それではノースディアが、我が国が滅んでしまう……!」
「既に君の国じゃないと思うけど……まぁ、封印するって言ってもずっとじゃないよ。せいぜい百年とか二百年とか、お互いにほとぼりが冷めるまでじゃないかな。そもそもね、」
人間にしたら少し長いかもしれないけれど、と。付け足された言葉にはやはり救いはなく。
まるで幼子に言い聞かせるような口調に反し、その金は細まり、熱を孕む。
「たかだか人間の娘二人に翻弄される国なんていらないだろ?」
「あ――ああぁあ……!」
崩れ落ちる姿は見えず、されど意思を失った声だけはこだまする。そんな様子を見ても、やはり精霊は眉一つ動かさず。
「ああ、忘れるところだった。これもだね」
「っ、これ以上なにを……!」
制止の声など無に等しい。実際、声こそ出せても実力行使では止められないのだ。
故に、苦しみだした男たちを助けることもできず。その身体から光が抜けていく光景を見つめるだけ。
「加護まで取り上げるおつもりか!?」
「僕としてはそのままにしたかったけど、精霊王の命令だからね」
ヴァンとダヴィード、そしてラインハルト。
三色の光の内、一つがシュラハトの中へと消えていく。それが誰に宿っていた加護であるか、もはや語るまでもない。
「さて、やることは全部終わったけど……君がヴァールの愛し子だね?」
投げかけられた言葉は、ディアンに向けて。認識され、跳ねた心臓は恐れか、緊張か。
返事がなくとも気にかけていないのだろう。軽快に向かってくる足は、ほんの数歩のところで止まる。
「シュラハト」
「……そんな顔で睨むなヴァール。みんなその子を心待ちにしていたんだ、直接顔を見るぐらいは許してくれ。なにも取って食べたりなんかしないさ。僕にはアピスという愛しい――」
不自然に途切れた言葉は、その眼前に張られた障壁のせいだ。そこまでして拒んだ男を、僅かに開いた金が凝視し、瞬き、笑う。
「お前がそこまで夢中になるなんて……だから言っただろう? 愛し子はいいものだって」
「いつから監視していた」
前からそう言ったじゃないかと。一度加護を与えればこの喜びが分かると。
呆れるような、喜ぶような。そんな複雑な表情に、されど抱く怒りは別の者へ向けたもの。
「それこそ愚問だ。僕らが見始めたのはブラキオラスに宣言した時からだけど、あの人なら最初から見ていたんじゃないか? まぁ、今となってはどうでもいいことだ」
エヴァドマか、と。憎々しい呟きは、ディアンの耳にしか届かない。否、シュラハトが聞いていたとて、起きたことは手遅れ。
ディアンに手を出された怒りのあまり大人げないことをしたと、反省したところで見物にされていた怒りは昇華できず、愛し子を抱く力はこもるばかり。
「罪人はこれで裁かれたし、僕らも痛手を負った。お前は伴侶を手に入れて、ようやく身を落ち着かせることができる。精霊と人間の仲は、これで変わらずたもたれる」
「本気でそう思っているのですか」
それでいいじゃないかと。カラカラと笑う存在にエルドは睨み、女王は問いで返す。
人間側の失うものがあまりにも多い。加護がないのはまだいいとしよう。だが、全ての門を閉ざすことは、土地への魔力の供給も閉ざされる。
その地に留まっていた精霊も精霊界に戻ることになるだろう。魔力を失った土地に緑はなく、水もなく。やがてそこは、砂の地と化す。
人が消えると言うことは、その地に根付いていた歴史も途絶えるということだ。
何代にも渡って受け継がれ、紡いできた価値あるもの。言葉や文献だけでは風化してしまう、残し続けなければならないものたち。
精霊にとってそれらは取るに足らないものだ。だが、今を生きる人間に、そしてその先を繋いでいく者たちにとって、それがどれだけ愛おしいものであるか。
決してこのように扱われていいものではないのに。あっていいはずがないのに。
「……ロディリア」
その表情は、己を憎々しく貫く金は、顔の布に阻まれていても男には見えているのだろう。
否、見なくてもわかると、呼ぶ声は愛しい娘を呼ぶものと同じ。
「この世界に来てから君がずっと頑張っているのは分かっているよ。でも、これぐらいしないと彼らも僕らのことを忘れてしまう。……それはお前もよく分かっているはずだ」
「っ……それは……」
「僕らの力も、愛も、怖ろしさも。人間はすぐに忘れてしまうから、こうして思い出させる必要がある。僕らも忘れられないためには、こうするしかなんだ」
わかるねと、問いかける響きは有無を言わせぬもの。
分かっていたなら妖精に手をかけるなどするはずがなかった。教会を謀ろうとし、黙認するはずがなかった。
真に精霊を恐れていたなら。その力を理解していたなら……自分たちの手を煩わせるまでもなく、事態は収束していたはずだと。
原因が精霊側にあったとしても、こうなる前に防ぐのが女王としての役目であると。
どれだけ柔らかく諭そうとも、それは彼女を咎めるものだ。故にその唇は噛まれ、紡ぐことは許されないまま。
「それじゃあロディリア。フィリアの愛し子についての処分はまた知らせるよ。――ディアン君」
跳ねた身体は、抱きしめられていたからこそ動かず。視線は絡まぬまま。
聞く必要すらないと、頭を抱えられても別れの挨拶は揚々と響き、視界の端で光が増す。それが門の開閉であるのは、強まる耳鳴りからも十分に伝わって。
「ヴァールをよろしく。あっちで会うのを楽しみにしているよ」
ぷつん、と。音が途切れる。光も、耳鳴りも、全てが元に戻る。薄暗い空間に残されたものたちの感情を置き去りにしたまま。
変わらないのは、おうじさまと無邪気に笑う少女の声のみだった。
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