234.『花嫁』の終わり
静まりかえる空間に美しい響きだけが木霊する。
その声の主が腹を抱え、涙を浮かべ、それでもまだ収まらないと声をあげる姿に驚いているのはディアンだけ。
エルドの表情は変わらず、呆れる対象がメリアからロディリアに変わったのみ。
「なっ……なにがおかしいのよっ!」
そんな中、声を荒らげる※メリアは恐れ知らずか、やはり無知であるのか。喚く声が逆に女王の笑いを誘うだけとも彼女は知らず。負の連鎖は終わらない。
「……女王陛下」
「くくっ……すまない。あまりにおかしすぎて術が切れてしまった。だがまぁ……今更であろう」
深く呼吸を繰り返してようやく、女王は言葉を取り戻す。
戻した視界の先、見やったペルデは傍にいたミヒェルダが勘付いたらしく、彼女に耳を塞がれていたようだ。
開放された今も、なにかしらの魔術はかかっているのだろう。
本来なら、人間が耳にしていい声ではない。……逆を言うなら、ペルデ以外の大半はその範疇を超えてしまっているということ。
それは笑われたメリア当人も例外ではなく。
「しかし、精霊の王子様……ふ、ふふ……あぁ駄目だ、あまりにおかしすぎて笑い死にしそうだ」
「……お前な」
エルドの呆れる声は、笑いを堪えようとする女王には届かない。確かに王子様という外見ではないし、間違いなくメリアの好みからはかけ離れている。
ディアンも知ってから出会っていれば違和感を覚えただろうが、ロディリアが嗤っている理由が別にあることも理解している。
明るい声で満たされているのに少しも和やかな気持ちにはならず、エルドの手を握る力も緩むことはない。
「はぁ……無知とは突き詰めると道化になるのだな。猿にも芸はできるということか。まったく、怒りを通り越して笑いが出るなど」
もはや取り繕うことすら煩わしいと、口調は崩れたままだ。
馬鹿にされたと理解したメリアが喚けば、すかさず横から怒鳴られたことでようやく静まる。
「この国の女王となってから数百年、数多の『選定者』を見送ってきたが……ここまで愚かな『花嫁』は今までに存在しなかった」
「な……!」
「たとえ『選定者』……否、お前たちにも分かるように言えば婚約者として選ばれたとしても、その立場に胡座をかき、伴侶として相応しい知識を備えることなく、己の私欲のままに行動する。そんな存在を同胞として迎えるなど虫唾が走る」
考えなくても分かることだと。誰もそれを咎めなかったのかと。正気を疑う言葉に、反論できるのはなにも知ろうとしない女だけ。
「訳のわからないことを言ってないで、いい加減離しなさいよ! これもいつまで着けさせるつもり!? こんな服だって、私の趣味じゃないわ!」
「『花嫁』様には話が難しすぎたようだ。その腕輪こそがお前の罪の証。聖国に背いた罪人として示しながら生を送る事がお前に課せられた贖罪だ。……これまでしでかしたことを考えれば、あまりに軽すぎる」
幼い子どもであったとはいえ、洗礼を拒否したことは事実。それが原因で引き起こされた事を考えれば、到底罰とは言えない。
だが、それも全て加護の力があったからこそだ。逆に言えば、加護さえ失えば彼女はただの一般人と同等。
本来であれば一生牢獄か、最悪は極刑。罪人と晒しながら日々を過ごす事と比較すれば、いかに軽いことか。
だが、彼女は理解できない。否、したくないのだ。現実を受け入れられないまま。ただ嫌だと喚き続けるのみ。
「私はなにも悪くないって言ってるじゃない! お兄様が逃げたからっ、お兄様が私に謝らなかったから! お父様の言うことを聞かずに逃げたのがいけないんじゃないっ!」
「……本当にそう思っているのか?」
「お父様も何とか言ってよ!」
「メリア、それは……っ……ぐ……!」
今度こそ、ロディリアからも笑いが消える。問いかけに返されるのは肯定とも取れる言葉。慰めを求められたヴァンは呻き、痛みに耐えるように頭を押さえる。
理解していても、十数年染みついた支配を振り払うことはできない。
「ヴァン・エヴァンズ。お前は随分と立派に育て上げたようだ。この素晴らしい道化による茶番は、しかと後世に語り継がねばなるまい」
十分楽しませてもらったと、深い呼吸が一つ。そうして瞬いた金は、再び鋭さを取り戻す。
「枷が嫌だというのなら、生涯地下牢への監禁となるが」
「なんで私が閉じ込められなくちゃいけないのよ! ふざけないでっ!」
「では、罪人であると衆人の元に晒し、その証を着けたまま日々を過ごすか?」
「だからっ、外しなさいって言ってるじゃないっ! なんなのよもぉっ!」
いよいよ話が通じないと、涙を浮かべるメリアに同情する者はいない。むしろ泣きたいのは誰であったのか、知られることもないままに女王の声は続く。
「枷は嫌か」
「嫌に決まってるじゃない!」
「そして、幽閉も嫌と」
「私はなにも悪くないって言ってるじゃないっ!」
「――そうか」
何度繰り返せば気が済むのかと、叫ぶ少女に女王の目が細まる。
その光景をディアンは見ていない。だが、メリアがその選択を誤ったと知るには十分すぎる沈黙の後に、女王の首は動く。
「アレを」
「……はっ」
それだけで彼女たちには伝わったのだろう。
再び現れたトゥメラ隊の手に握られていた棒のようなものが、オリハルコンで作られていることは七色の光から判別できたこと。
先端には楕円のように広がり、凹凸はなにかの模様を表しているようだ。
見慣れない道具に嫌な予感が込み上げる。そして、それはすぐ確信へ変わることとなった。
「グラナート」
名を呼ばれた司祭の顔が一瞬歪む。
拒否は許されないと気付いているからこそ、その手は差し出された先端へと掲げられ……浮かび上がった炎によって、熱されていく様を見つめる。
やはり、それは焼きごて。重罪人に課せられる、消えることのない罪の証。精霊の加護を完全に断ち切る唯一の手段。
魔法具こそ、償いが終われば外される可能性もある。
だが、焼印を押されれば取り返しはつかない。彼女の加護は根本から断たれるのだ。
文字通り、その身に焼きつけることによって。
「なに、それ……」
「枷も嫌、閉じ込められるも嫌。……ならば、残るはこれしかあるまい」
十分に熱された凶器が緑の瞳を輝かせる。赤一色に染まった先端の温度に反応し、持ち手まで走る紋は古代語で綴られた呪文だ。
偽物ではない。そして、決して脅しなんかではない。
「フィリアを忌み嫌うデヴァスの炎だ。その身に刻むに、これ以上の適任はない」
「女王陛下、お待ちくださいっ! それはっ、それだけはどうかっ!」
「我々は十六年も待った。お前たちが精霊に対して誠実であることを。その過ちを正すことを。……もう十分であろう?」
「なにするのよ、やめっ……嫌! 痛いっ、離して!」
近づく熱源に怯え、暴れる少女が二人がかりで押さえつけられる。
膝を折り、頭を地面に捻じ伏せられ。晒されたうなじに、それはゆっくりと近づく。
握り締めた手を、強く強く握り返される。
ディアンは目を逸らさない。瞬くこともない。その一瞬を、その紫に刻みつけていく。
たとえ彼が声をあげたとしても、この決定が覆ることはない。
これが彼女の選択。彼らが選び続けた、その結末なのだから。
「やめて! お父様助けてっ! おと――んぐぅ!」
「メリアっ、メリア! メリアッ! やめろ! やめてくれ、メリア!」
再び猿轡が噛まされ、抵抗は一段と強くなる。だが、どれだけ暴れようと、どれだけヴァンが手を伸ばそうと、それは……もはや、手遅れ。
皮膚が焦げる音と、くぐもった悲鳴。それはほぼ同時に響き、先に終わったのは後者であった。
硬直した四肢が崩れ落ち、燻る音を立ててようやく、焼きごては少女のうなじから剥がされる。
美しい肌に刻まれる刻印。その罪の証は、いかなる魔術であっても癒えることはない。
耳の奥にこびり付く悲鳴に心臓が締め付けられ、息苦しさを覚えたのはほんの一瞬。罪悪感にかられる間もなく、その変化はすぐに訪れた。
まるで刻まれた印から広がるように、うなじから頭頂部へ。煌めく黄金が、ディアンと同じ黒の髪へと変色していく。
陶磁器のような肌も、細く美しかった手足も、小さな貝殻のような爪に至るまで全て。起こされた顔に広がるそばかすは、鼻先から頬にかけて。
長い睫毛も、小さく愛らしい唇もそこにはない。涙に塗れた瞳は、それこそかつてのディアンと同じく黒一色で。
「め、りあ……?」
呆然とした呼びかけは、先ほどまで必死に呼んでいた同一人物とは到底思えない。
今までの姿は、全てフィリアの加護によってもたらされていたものだ。より愛されるように、より可愛がられるように。誰もが夢中になる、完璧な造形。
……加護を断ち切った今、目の前で倒れる少女こそが、本当のメリア・エヴァンズなのだ。
「ただの一般人に枷も不要だ。そして、なんの力もないお前を監禁する必要もない。……これでお前の望み通りだ」
「……どう、して」
これで満足しただろうと。表情一つ変えずに告げるロディリアに、返される疑問の声だけはディアンの知るメリアのまま。
猿轡は外され、もうその身体を拘束する者もいない。痛みのあまり、意識を失いかけてもなお、倒れることなく見上げる瞳に浮かぶのは涙と絶望。
「こんな、こと、するの……?」
「お前がそう望んだからだ」
「どう、して……? 『花嫁』なの、に……ど……して……?」
答えを求めるものではない。口に出さずにはいられないのだ。
どうして。どうして。どうして。
彼女にとって耐えがたい現実の中、譫言のように繰り返される言葉。
『精霊の花嫁』だと。精霊に嫁ぐのだと。だから大切にされるべき存在なのだと。ずっとずっと、彼女はそう信じてきた。そう育てられてきた。
そうだと疑いもしなかった。それこそが彼女にとっての正義だった。
その過ちを正す者はいなかった。いたとしたって、彼女の耳には届かなかった。
だってそれは、それはずっと、ずっと。彼女に囁かれ続けていたのだから。
メリア・エヴァンズは『精霊の花嫁』だと。ずっと、ずっと、
「――みんな、が、そう言ったの、に」
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