231.断罪の日
この光景を見るのは、これで二度目になる。
重々しい扉を開いた先、青と白を基調にした空間。露わになったままの玉座。奥の壁から流れ落ちる聖水は、溝を通ってディアンたちの来た道を行く。
それらは一週間前の記憶とほぼ違わず。だが、壁沿いに配置された兵士の数も、肌を刺す威圧感もあの日とは比較にならない。
だが、今更引き返す道はないと踏み出した足はディアンとエルドの二人分。
いつもならその後ろにいるはずのゼニスの姿は玉座の横、既にそこで待っていた女王の傍に。
段差の手前、初回よりもずっと近い位置で立ち止まり、彼女を見上げる瞳に揺れはない。
「本当によいのですね」
淡々とした響き、見下ろす金。問いかけるその口調も女王としてのものだ。普段……と言うほどにはもう慣れてしまった、あの勇ましい声ではない。
それは彼女個人ではなく、女王として。精霊と人間の間を取り持つ最後の堤としての役目を果たそうとするためのものだろう。
本来なら、当事者であるディアンをこの場に出すことも望ましくなかったはず。
引き返すならば今だと。本当に見届けるのかと。問われた内容を噛み締めて……それでも、意思は変わらない。
一つ、頷くだけ。言葉は必要ない。言い訳だっていらない。
これはディアンが望んだことだ。自分が前に進むために。自分の過去を断ち切るために。
諦めがつかずとも、いつか風化させるそのために、しなければならないこと。
見届けなければならない。彼らの罪を、その理由を。そして、その選択を。
「……わかりました。改めて説明しますが、あなたの声は届かず、姿も見えることはありません。この先でどのようなことが起ころうとも、あなたに許したのは傍観者としての行動のみ。いかなる制止も弁明も、今から起きる全てに影響を与えることはありません」
たとえ『選定者』であろうと。否、『選定者』であるからこそ、見ているだけしか許容できないのだと女王は述べ、ディアンは頷く。
意思が変わらぬことを確認した彼女の瞳は、次にその横へとずれる。
「ヴァール様。『選定者』の意思を尊重するためとはいえ、本来であればあなたの同席も許容しがたい場です。あくまでもこれは、人の間で完結すべきことであるとご理解ください」
「……わかっている」
精霊としてではなく『中立者』としてここにいろと。間の空いた返事は彼の葛藤の表れか。
協定違反の中には、精霊として看過できないことも含まれているのだろう。人との均衡をたもとうとしているエルドでさえも、抑えられぬほどのことが。
それでも耐えているのは、ディアンの傍にいるため。彼の選択を見届けるためだ。
ディアンとエルド、双方の意思を確かめた女王が頷いたのを見て、二人の足は階段にかかる。短い段差はすぐに頂点へ。そして、玉座の斜め後ろで彼らは止まる。
振り返った先、見える景色は同じはずなのに全く違うもの。意識する対象は最奥の扉へとすり替わる。
頭上から降りてきた布……否、水の仕切りは玉座を半円状に囲んで閉じる。
その一連を見ていなければ仕切られているとはわからないほどに鮮明で、されど外からでは一切視認することができないことをディアンは覚えている。
……ここが、特等席。この謁見室で誰にも視認されず、そして関知されない唯一の場所。
容易に姿を晒さぬよう、玉座は聖水を用いた障壁で常に隠されている。魔力を関知して中に誰がいるか探ることもできないし、女王以外の声も通らない。
ディアンが思わずなにか口走ったとしても、ヴァンたちに気付かれることはない。
本来なら女王のみが許される景色に動悸が激しくなる。まだその扉は開かず、彼らが来る知らせも聞いていないというのに。
「線の内側からは出ないように」
布の外から隣に並んだゼニスに囁かれ、声を出さぬまま頷く。その動作も見えてはいないだろうが、それは声を出していても同じこと。
見ているだけ。ここにいるだけ。この場にいると決めてからずっと繰り返しているのに、どうしても落ち着かない。
気付かれないように鼻から息を吸って、頭の中を空にしようとしても上手くいかず。まだ開くことのない扉を凝視する。
「ほら、もう少し力抜けって」
「っ……あ、」
不意に手を取られ、そこでやっと無意識に力んでいたことを知る。食い込んでいた爪先は皮膚に穴こそ開けずとも歪な半円はそこに残ったまま。
指先をほどくように緩められた手は繋がれ、込み上げるのは恥ずかしさよりもその温かさだ。
伝わってくる温度と魔力に、あれほど強張っていたのが嘘のように力が抜けていく。自分でも正直すぎる反応に苦笑すれば、見下ろす薄紫が少しだけ細まる。
「嫌か?」
そう問いながら、それでも手の力を緩めようとしないのも、わかっていて聞いてくるのも、少しだけ卑怯だと思う。
……ここで大丈夫かと確認しないことも。やはり止めるかと、そう聞いてこないことだって。
「いいえ。……ありがとうございます」
その優しさが嬉しいと見つめ返す瞳はやはり柔らかく。今まで見守り続けてきた薄紫は、今だって変わらない。
「……確かに外には聞こえないとは言ったが、あまりじゃれ合わないように。度が過ぎた場合は追い出すぞ」
「俺だけかよ」
振り返らぬまま咎め、されど見えずとも視線がどこに注がれているかはわかったのだろう。反射で謝るよりも先にエルドが漏らせば、呆れた溜め息はわざとらしく。
「可愛い弟を危険な目に晒すとでも?」
「す……すみません」
「とはいえ、痛めつけるならその男の手の方が好ましいからな」
そう笑う気配と、扉が開くのはほぼ同時。跳ねた心臓は、入ってきた人物を確かめてすぐに落ち着く。
司祭の衣装に身を包んだグラナートが、真っ直ぐこちら……否、女王の元へと歩み寄る。
まだ一週間しか経っていないのに久しぶりに会ったような感覚は、それだけこの期間が濃厚だったからだろう。
段の手前で一礼し、それから脇へと逸れる。そして、扉から出てくる影はもう一つ。
グラナートによく似た色を視認し、僅かに息が止まる。ミヒェルダに付き添われながら向かってくる顔は、数日前よりもよく見える。
だが、その険しい表情はあの時と変わらず。それは、女王の御前に出る以外にも深く関係していること。
ペルデ、と声に出たのはディアンではなく、グラナートの口からだ。
倒れてから顔を合わせていないとは誰から聞いた話だったか。親子の再会に到底見えぬ理由を考えるまでもない。
グラナートには目もくれず、同じように一礼する姿は堂々としたものだ。
だが、なぜここに彼がいるのか。ディアンとの会話の後、証言は取れたと聞いたのに。彼自身がここにいる必要はないはずなのに。
「……お前と同じく、見届けたいと望んだからな。納得したうえでここにいる」
ロディリアから補足が入る間に、グラナートとは離れた位置へ誘導される。その一瞬、僅かに逸れた視線がディアンを貫く。
自分がここにいることは知らないはず。そして、外からはもう布にしか見えないはずだ。
それでも確かに交わったと感じたのは……その瞳が、あまりに鋭く映ったからだろう。
グラナートの呼びかけにも反応せず、静かに列に加わるペルデ。それを見つめる赤い瞳に、返すものはなにもない。
一瞬の静寂は耳に痛く、息を吐くことすら躊躇されるほど。
「罪人らをここへ」
頷いたリヴィの合図により、伝令は他のトゥメラ隊へと伝えられていく。
――そうして、三度目の扉の開放は数秒もかからなかった。
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