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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第八章 『精霊の花嫁』の兄は

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230.とらわれの王子様 ★

 ――一週間。

 魔術によって開かなくされた窓。見張りの置かれた扉。遠ざけられた部下たち。

 外の動向を知る術もないまま、ラインハルトが閉じ込められてもうそれだけの期間が過ぎてしまった。

 連日の尋問に摩耗した精神は、トゥメラ隊の姿を見なくなっても癒えることはない。

 ラインハルトに断罪すべき内容はないと判断したか。あるいはただ泳がせているだけなのか。それ以上に、ダヴィードへの調書に時間を割くことにしたのか。

 聞かれたことの大半は心当たりのないことだ。

 サリアナが門を使用した事実、魔術人形で居場所を偽ろうとしたこと。未成年者の他国への人身売買疑惑。その他いくつか。

 ペルデの監禁についてはシラを切り通したが、それ以外は全くの無関係だ。

 どのようにしてサリアナが門を通ったのか。いつから入れ替わっていたのか。

 人身売買に己の父がどのように関与していたのか。そんなもの、ラインハルトにわかるわけもない。

 そもそも、己の父がしたなどとは認めていないのだ。捏造であると、何かの間違いであると。

 最後に見たダヴィードの反応を正当化させようと、必死に言い聞かせている事実からは目を逸らし。思考はより楽な方へと逃げていく。

 国王は拘束され、王位継承権のあるラインハルトさえも閉じ込められている。宰相以下、国政に関わっている者も同様であろう。

 これを侵略と言わずになんと言う。こんな暴挙、それこそ許されるはずがない。

 だが、なによりラインハルトが耐えがたいのは、今もメリアが聖国にて囚われているその事実。

 噛み締めすぎた奥歯が軋む音も、今のライヒには届かない。何度も何度も、その頭の中に繰り返すのは愛しい少女の姿だ。

 あの笑顔が穢されようとしている。聖国の奴らの手によって、己の手の届かぬ場所で!

 まだペルデを切り札として使えたなら、あるいはメリアを最初から王城で保護していれば、まだ手の打ちようもあった。

 決して万全とは言えずとも、ラインハルトにだって用意していた策はあったのだ。

 それをあの女が、サリアナが台無しにしてしまった!

 叩きつけたテーブルは鈍い音を放つだけ。揺れる物もなければ、怯む者もない。どれだけ怒りを滾らせようと、それを昇華する方法は一つだってないのだ。

 こうなったのは全てサリアナのせいだ! と、眉を寄せたところで、すぐに否定する。

 確かに行動に移したのはサリアナ。……だが、その根本はやはり、あの男だ。

 忌々しい黒。愛する少女を虐げ続け、努力もせず理想ばかりを語り、そうして最後には逃げ出したあの卑怯者のせいではないか。

 思い出すのさえ腹立たしい。だが、そうだ。奴こそが全ての元凶ではないか!

 サリアナが暴走するのは、いつだってあの男のためだ。彼女の行動全てがディアンに繋がっている。

 どんな手段であの男の居場所を特定し、門を通り、メリアとペルデを誰にも知られぬまま連れ出したかなど、もはやどうだっていい。

 サリアナは無関係なメリアを巻き込み、あの男を連れ戻そうとした。それが事実だ。

 あんな男のために。あの男のせいで。

 もうここにはいないのに、二度と現れるはずがないのに。

 どこまで自分を苦しめれば気がすむ。どこまで邪魔をすれば、満足するのか!


 ずっとそうだった。ラインハルトはずっと、比べられてきた。

 同じ英雄の息子として。よりどちらが優れているか、民はずっと見比べてきた。

 そこに深い意味はなく、ただの娯楽の一つとして捉えられていたとも、今のラインハルトなら理解できる。

 だが、まだ洗礼を受ける前の幼い子には、それがどれだけ重くのし掛かっていたか。

 同じ英雄とはいえ、相手は庶民。日々努力を積み重ねる自分が、そんな相手に負けるわけがないと。自惚れていたのだって否定はしない。

 だからこそ、ラインハルトは一度ディアンに負けた。あの剣術大会で、あと一歩のところで、彼はあの男に負けてしまったのだ。

 それがどれだけ屈辱であったか! どれだけ素晴らしい過程であれ、皆の目に映るのはその結果だけ。

 やはり優れているのはヴァンの息子だと。真に強いのはディアンなのだと。

 ラインハルトも努力したと家臣が宥めようと、それは逆にラインハルトを傷つけるだけのものだった。

 努力とは、実って初めて意味を成す。勝てなければ意味がないのだ。

 あの男より優れていなければ。自分の方が英雄の息子として、この国を導く者として相応しいのだと示さなければ!

 だからこそ、ラインハルトは努力し続けてきた。もう二度と負けぬように。父の名に恥じぬ、次期後継者として。この国を導くに値する英雄として。

 なにより、メリアが見守り続ける世界に陰りが生まれないよう、ラインハルトはずっとずっと努力を続けてきた。

 血豆が潰れるほどに剣を振るい、熱を患うほどに勉学にも励んだ。魔力が底を尽きるまで魔術を酷使したことだって、もはや数え切れない。

 ラインハルトの今の地位は、文字通り血の滲む努力の賜だ。今では誰もがラインハルトを讃え、賞賛する。誰もディアンを比べて劣っているなど零すことはない。

 そう、ラインハルトはディアンに勝っている。勝ち続けている。負けたのはあの一度だけ。慢心したのはあの男の方だ!

 だが、それは目的に対する過程でしかない。ラインハルトが今日まで努力を続けたのは、負けたくないなんてちっぽけな自尊心ではないのだ。

 全ては、彼の愛するメリアのため。彼女が精霊界に行った後も安心できる国を作るために。

 共にいられぬのならば……せめて、彼女のためにできることを、続けていくのだと。

 メリアが連れて行かれるのは、もはやどうしようもないことだ。

 盟約のためとはいえ内心は腹立たしく、恨めしい。もしもメリアが嫌だと言えば、手を取って逃げることも辞さなかった。

 それこそこの国を捨て、誰も知らぬ場所へ。誰も自分たちを知らぬ安全な場所で、二人で生きていくことだって厭わなかった。

 ……だが、メリアはそれを望まなかった。

『精霊の花嫁』としての使命を全うすると、彼女がそう決めたから。だから、ラインハルトも役目を果たそうとした。

 全ては彼女のために。彼女が見守り続ける世界のために。


 ――なのに、あの男のせいで全てがなくなってしまう。

 メリアも、この国の未来も、ラインハルトが守りたいと望んだ全てが、あの男に奪われてしまう!

 どうして! あんな男のせいで、メリアも自分も苦しめられてきたのに! なんの努力もしない、意味も無い、理想ばかりのあんな男のせいで!

 憎い。憎い憎い憎い。憎くて憎くてたまらない!

 いっそあの男の息の根を止めていればよかったと、そう頭を掻き毟る衝動がどれだけ異常であっても気付くことはない。

 そして、実際にディアンをその手で殺したとしても……結局、なにも変わらないことだって。

 黒く、粘度を持った質量が心の奥にへばりつく。あの男を殺せと。あの男さえいなければと。

 救いようのない思考を遮ったのは、良心ではなく聞き慣れぬ声によって。否、正確には……聞き慣れぬ言語と言うべきだ。

 扉の外。自分を監視する聖国の騎士の声。紡がれるのは、遙か昔に使われていた古代語だ。

 一見すればただの呪文にしか聞こえないだろう。咄嗟に聞いただけでは、その意味は理解できない。

 だが、それは一般人であればの話。今ここに閉じ込められているのは、自ら努力し続けてきたラインハルトだ。

 たどたどしくとも、単語でしか認識できずとも、その意味を翻訳することはできる。

 古代語など、国を支えるだけならばなんの意味もない。過去の遺物であれば、それこそ学者連中に任せておけばいい。ラインハルトがそこに力を割く意味はない。

 だが、それでも学んだのはメリアに関係していることだから。いつか精霊となる彼女のための知識であったから。

 だからラインハルトはそれが分かる。分かってしまった。

 その伝令がラインハルトを更に突き落とし……そうして、掬い上げるものでもあると。


 明日、ダヴィードが連行され、サリアナも裁かれる。

 繋ぎ合わせた言葉を頭の中で反芻し、意味を確かめ。その知識が間違いないことに世界がぐるりと回る。

 座っていなければ膝から崩れ落ちていたかもしれない。だが、その足元は決して穴ではなく、そして真っ暗でもない。

 もはや猶予はない。だが……どうやら、奴らはラインハルトまでは連れて行かないようだ。

 連行してまで裁く罪はないと判断したのか、他に意図があったのか。だが、それはラインハルトにとって唯一の好機。

 聖国に行くなら、間違いなく門を通過する。連行する間、逃げられぬよう処置も施されるだろう。

 メリアを助けるためには、ラインハルト自身も聖国に向かわなければならない。そして、共に連行されていたなら救出する手段はなかった。

 放置しても脅威にはならぬと判断したのだろう。だが……それが、奴らにとって仇となる。


 立ち上がり、向かうは寝台の奥。壁の装飾を目安に押し込んだ箇所から走る線は真四角を描く。

 確かに、ラインハルトはサリアナには劣る。それはどれだけ努力を重ねても覆せないものだった。

 ラインハルトが秀才であるなら、サリアナは天才だ。彼が何週間もかけて習得したものを、彼女はたった数日で覆してくる。

 ディアンとの比較が終わろうと、あの女からの呪縛は逃れられなかった。……されど、それは決して、ラインハルトが無力である証明にはらない。

 そう、それがたとえ彼女の力を借りるものであったとしても、抵抗する手段はまだここに残っているのだ。

 魔術ではない、純粋な仕掛けによる隠し扉。だからこそ聖国の人間には見つからなかった本当の切り札を手に取る。

 魔力を帯びて光る灰色のローブ。滑らかな肌触りは、本当に存在しているか疑わしい程に軽く、心地いい物だ。

 その素材が何から作られているのか、どのような仕組みであるのか。ラインハルトにわかることはない。

 だが、これこそがメリアを助けられる手段なのだ。

 ローブを握り締め、共に隠してあった魔法具も手に取る。

 もはや迷う要素はない。自分が彼女を助けるのだ。自分だけがそうできる。必ず、成し遂げてみせる。

 青の瞳は、もう失意に塗れてはいない。そうだ、自分は彼女を助け出すのだ。彼女は待っている。あの地で、ラインハルトが助け出してくれるその瞬間を。

 だって――ラインハルトこそが、メリアの王子様なのだから!

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