221.選ばなかった未来
「あの、気になっていたんですが……」
「なんだ?」
「以前、門はこの地に残っている精霊と妖精へ魔力を供給するためのものだと仰っていましたよね? あなたは……大丈夫だったんですか……?」
精霊がこの地から離れてもう数百年以上。精霊界の空気が人間にとって毒であると同じく、精霊にとってもこの地の空気は薄すぎるとは前に話された通り。
妖精と残っている精霊のために門は開放されており、そこを通じて魔力を供給しているという。なら、エルドにだって影響があったはずだ。
いくら門があるとはいえ、各地を旅しているなら門から遠ざかっている時もあっただろう。
実際にディアンと一緒に行動している間も、門から近いとは決して言えなかった。
様子を思い返しても辛そうな姿はなかったので、大丈夫だったとは思うが……それはそれでその理由を知っておきたいのは知識欲か、エルドのことだからなのか。
「最初から平気だったわけじゃないが、まぁ慣れればな。それに、俺の場合は特殊だからな。意識されずとも肯定されているから、こうして存在を維持できている」
分かりやすく言えば、アプリストスや睡眠を司る精霊と同じ。生きていく上で必要な衝動を感じられるのも精霊の加護があるからこそ。
そして、それは生きている者全てが例外なく抱く欲求だ。特別に誰かを加護せずとも、ほとんどの者が備えている。
エルドだってそうだ。生きていくかぎり、自分たちは無意識に選び続けている。その決断を迫られる度に、その大小に関わらず彼の力は及んでいる。
たとえ誰も彼の名を知らずとも、『選択』という行為にさえ加護があるなんて知らなくても、自分たちが生きていくだけで彼は存在を肯定されている。
だから、彼が人間界に残らずとも、愛し子を作らずとも、彼は生きていける。
それでもこの地に残りたかったのは、人々の決断を見守り続けるために。
そして、愛し子を作ったのは……ディアンと共に生きたいと、そう彼が選んでくれたから。
「だが、精霊が実際に見て回っているなんて認知されたら色々と支障が出る。とはいえ、なにも情報を残さないわけにもいかないと言われてな。最低限だけ本には記しておいて、俺が消えた時は詳細を書き加える手はずだったが……もうその必要もなくなったな」
「……消えた時って」
今度もあの本が開かれることはないと、そう笑う彼の矛盾する説明に思わず問いかければ、失言だったと気付いたのか若干顔が引きつる。
呻かずとも、わずかに開いた間はなんの葛藤だったのか。
「さっき言ったとおり、俺はなにもせずとも生きている。逆に言えば、簡単に死ぬことはないから、消えるって言い方には多少語弊が含まれるな。俺が人間界に戻らなくなったらって意味でロディリアには伝えていたが……」
笑みは消え、一つ息が吐かれる。そうして、誤魔化さないと選択したエルドの瞳が、瞬く。
「……お前が、人としての生を望んだ場合。お前の生を見届けた後、精霊界に戻るつもりだった」
後頭部を、強く殴られたような衝動に息が止まる。
選ばなかった未来、彼が想定していたはずの結末。その発言の意味を理解できないはずがない。
「どうしてっ……」
「俺がこっちに残っているかぎり、精霊王は伴侶をあてがおうとする。俺が戻りさえすれば、少なくとも俺が原因で同じことは起きないからだ」
わかるだろうと、言い聞かせられても頷けない。わかっているし想像もつく。だが、納得はできない。
何百年も人を見守るために。その生き様を見届け続けるために、彼はこの地に留まったはずだ。
なにを言われても、どれだけ強いられても、それほどまでに人の生き方に焦がれてきたから。
ディアンが死んだ後に精霊界に戻ると言うことは、彼にとって生き様を失うことも同義。
「精霊界から、見守るつもりだったんですか……?」
「いや。……簡単に死ねないことはわかっているからな、せめて眠らせてもらうつもりでいた」
できるだけ長く、できれば二度と目覚めることのないほどにと。
死ねないのならせめて眠り続けたいなんて。そんなの、実質的にディアンの後を追うようなものではないか。
「お前に今伝えたのは、そうならないと分かっているからだ。お前は俺を生きることを選んでくれたし、俺もお前と共にあることを望んだ。……あの時に伝えれば、それはただの脅しになっただろう」
「でも、そんな……っ、もしかしたら、僕よりもいい人に――」
「――ディアン」
肩が跳ねる。だが、それは直接掴まれたからでも、名を呼ばれたからでもない。その声に滲む怒りにだ。
見下ろす薄紫が焦げ、じわりと背筋が寒くなる。喩え話でも死を選んでほしくなかった焦りで口走った失言に気付いても遅い。
「エル……っ……」
「俺には、タラサのように数千年以上嘆き続けることなんてできない。お前を失ったまま生き続けるなど耐えられない。お前を失ったからこそ、新しい愛し子に出会えたなどと言って喜ぶ未来など欲していない」
掴まれる肩は強くとも痛みは感じない。耳鳴りに似た高音と、散る光は彼の怒りに共鳴する魔力の影響か。
それでも感じるのは恐れではなく、彼を傷つけてしまった後悔で。
「たとえお前が俺を選ばなかったとしても、俺はお前以外を愛し子にするつもりはない。今までがそうだったように、これからだって。それは、お前が伴侶となった後も変わることはないし、お前が望んだってそれだけは叶えられない」
お前だからこそ、ディアンだったからこそ、自分は認めたのだと。
一緒に生きることを選んだのだと、揺れる薄紫に感じるのは怒りだけではなく、悲しみで。
「ディアン。……お前だけが、俺の唯一だ」
だから、それは言わないでくれと。考えることすらしないでくれと。光は収まらず、腕の力も弱まることはない。
そこまでして愛されていることを突きつけられ、謝らなければならないのに嬉しくて。
だけど、自分だってあなたが死ぬなんて想像したくなかったのだと、言いたいのに言えなくて。
「あまりに重いと伴侶に逃げられるぞ」
「――うわぁっ!」
不意に響く呆れ声に今度こそ身体が跳ね、それが女王陛下だと気付いたのは振り返ってからようやく。
いつからそこにいたのか、なんて愚問だろう。互いの距離の近さに今更恥ずかしさが込み上げ、離れようとしても肩を掴まれたままでは身じろぎもできず。
「とはいえ、今のはお前の失言であったな。あまりそこの男の執着心を軽く見ないように」
「じょ、女王陛下っ……き、気がつかず、申し訳っ……!」
謝罪したくとも立ち上がれず、慌てふためいているのはディアンだけ。
行動を制限しているエルドは涼しい顔であるし、トゥメラ隊やイズタムに限っては最初から気付いていたようで微動もしない。女王の後ろに控えている騎士と隊長にいたっては言わずもがな。
色んな意味で恥ずかしいと、赤くなった顔も隠せずにいれば肩をすくめられ、いよいよいたたまれない。
「取り込み中なんだが」
「こんな場所で話す内容でもなかろう。それに、こちらは火急だ」
「進展が、あったのですか?」
真面目な話ならと、今度こそ体勢を正そうとして……掴む手に優しく触れれば、渋々と言った形で開放される。
そうして座り直すのと、女王陛下の後ろから一人の女性が歩み出たのはほぼ同時のこと。
肩にかかったウェーブがかった金髪。少し垂れ目の目蓋。
服装こそ他のトゥメラ隊と同じ鎧だったが、その顔は誰よりも見慣れたもの。
「……シスター!」
思わず立ち上がり、近くまで駆け寄る。間違いない、いつも教会にいたシスターの一人だ。
どうしてここにと、そう思いかけて、彼女もトゥメラ隊の一人であったことに気付く。
『候補者』のために聖国から派遣されていたのだ。なら、彼女の任務の地はここに変わったということ。
「久しぶりディアン君。無事でよかったわ」
浮かべる笑みも、口調も、教会で迎えてくれた時とほとんど変わらない。
それにひどく安心して、吐いた息は『選定者』として扱われることに対しての戸惑いもあったのかもしれない。
とはいえ、それも深々と頭が下げられるまでの間のことだったが。
「改めて……トゥメラ隊所属、アプリストスが娘、ミヒェルダと申します。本来ならすぐにお側に参るべき所、遅れて申し訳ありません」
素早い動作に、普段抱いていたおっとりとした印象はどこにもない。
十数年間見てきた姿と今のと、どちらが素であるのかはディアンにはわからず、ただ、もうあの砕けた口調は聞けないのだという事実だけが少しだけ寂しく感じさせる。
「ミヒェルダとアリアは私の直属の部下で、ディアン様が二度目の洗礼を受けられるまでは現地で見守るのが彼女たちの任務でした。アリアはまだノースディア王国に残っていますが、彼女も帰還次第ディアン様の専属となります」
よろしくね、と笑う顔にやはり前の面影を感じ。寂しいやら嬉しいやら。
だが、たとえ嫁ぐまでの短い間だとしても、顔なじみが増えたことはディアンにとって安心できる要素である。
「とはいえ、ミヒェルダもまだ万全とは言い難い状態です。ディアン様の護衛は暫く先になります」
「隊長、お言葉ですがもう支障はありません。任務にも復帰できます」
「昨日まで起き上がれなかった者がなにを言う。お前がどうしてもというからここまでは目を瞑ったが、それ以上など許可できるはずがないだろう」
鋭い視線はシスターではなく、戦士のもの。そして、それをはね除けるのもまた、部下を宥める上司のもの。
まだ記憶との差異に慣れないと戸惑うこともなかったのは、その会話に含まれていた不穏な言葉に対してだ。
「なにかあったのですか」
それでも、と食い下がろうとするミヒェルダが落ち着きを取り戻し、そうして一つ息を吐く。その顔に浮かぶのは、笑みではなく強い意志。
「……ディアン様が旅に出てから、あの王国でなにがあったのか。そして、ペルデ・オネストがなぜ巻き込まれるに至ったか。お伝えしたく参りました」
身体が強張り、心臓が跳ねる。自分が出て行ってからも彼女たちは王国に残り、挙動を見張っていたはずだ。そこには国王だけではなく、メリアも……そして、己の父も。
震えそうになるのは、知りたくないという拒絶か。自分が去った後、彼らは本当に自分を探していたのか。なんとも思っていなかったのか。その答えを知ることを、恐れているのか。
だが、知らなければいけない。それがいかに辛い現実であろうと、目を背けたって事実は変わらないのだ。
受け入れ、その上でどうするのかを見届けなければならない。この先に進むために。未練を、残さないために。
「ああ、丁度いま伝達が入ったな」
意志を固めれば、何かに耳を傾けていたらしい女王がポツリと呟く。ディアンには聞こえぬその響きは、ここにいる全員が耳にしていること。
だからこそ、その言葉はディアンに向けてのみ告げられる。
「――ペルデ・オネストの意識が戻ったようだ」
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