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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第八章 『精霊の花嫁』の兄は

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219.盗み聞きには当てはまらず

 恥ずかしさのあまり幻聴までしはじめたのか。なんて否定は、説明していなかった自分も悪かったという言葉で否定されてしまう。

 形容しがたい悲鳴が口から溢れ、肩どころか全身が跳ねる。

 反射的に振り返った先で見慣れた姿を捉えただけでも十分なのに、その髪が下ろされているのを視認した途端、いつかの船でのことを思い出してしまい、顔を本で隠してしまったのはもはや不可抗力だ。

 すごい声だと笑われたのか、あるいは呆れられたのか。今のディアンに、そんな感情の違いを感じ取れるはずもない。


「い、つっ……か、ら、」

「あー……試験の結果が出たあたりだな」


 わざとらしく思い出す仕草は簡単に思い出せるのに、それを直視するだけの勇気はない。試験の結果なんて、そんなのほとんど最初からじゃないか!

 思わずイズタムを見れば、変わらぬ微笑みはそこに。他の二人の態度も変わらないことから、気付いていなかったのはディアンだけということ。

 もはや耳や首どころの話ではない。指の先まで赤くなっている自覚がある。あまりの熱さに耳鳴りまでしてきた。

 こんなのとても耐えられないというのに足は一歩も動かせず、本で顔を隠し続けるのが精一杯だ。

 見られていた。全部……ぜんぶ!


「で、俺のなにを知りたいって?」


 問われているのに否定もできず、されど肯定もできず。どちらとも取れぬ返事で誤魔化すこともできず。口は無意味に開閉するばかり。

 普通に会話しているだけなのにと自分に言い聞かせても制御できない。

 なにが普通に会話できると思うだ。全然無理じゃないか!


「ディアン」

「っ……ぁ、あと、で、」


 本を掴む指に力が入りすぎて、このままでは表紙を痛めてしまう。そう理解して力を緩められるなら、そもそも顔だって隠していない。

 なにが後でかだって言語化できず、とにかく許してほしいの一心で声を張り上げる。とはいえ、あまりにも小さすぎるそれが空間を揺るがすことは決してない。


「どれぐらい後だ?」

「と、にかく、あとで、ま、とまったら、ききます、から」


 纏められる気もしなければ、改めて問えるとも思えない。

 だが、今は納得させなければと、震える声で伝えた大丈夫は、エルドの耳にどのように伝わっただろうか。

 少なくとも、文面通りとはいかなかったのは間違いなく。


「ディアン」


 足音が響き、距離が一歩分近づいたことを知る。いよいよ声すら出ず、後ずさりかけた足が止まったのはそんな甘い響きのせいだ。

 名を呼ばれるなんて、それこそ今まで数え切れないほどあったのに。優しいと感じたことも、柔らかいと感じたことも、何度だってあったはずなのに!


「顔、見せられるか?」


 どれだけ甘く聞かれようとそんなの無理に決まっているし、なんなら今のでもっと無理になってしまった。

 会話だけでも精一杯なのに。むしろ顔を隠しているから会話だってようやく成り立っているというのに!

 されど首を振る力さえ弱く、意思表示さえも満足にできない。


「嫌か? ……嫌じゃないんだな?」


 答えられず、されど首は横に。そうではないのだと伝えれば、確認するように続けて問われ、今度も頷くことはできず。

 だが、それは否定ではなく限界であるからこそ。

 嫌ではない。嫌ではないが……もはや、そういう問題ではなく。

 とにかく後で。今は無理だと。いよいよ後ろに下がろうとする足が宙を切る。踏み外す感覚に、咄嗟にバランスを取ったはずなのに視界に映るのはあまりにも高すぎる天井。

 唐突な浮遊感に声を上げ、握り締めていた本まで宙を舞う。衝動に身を強張らせても痛みは訪れず、代わりに感じたのは固い温もりで。

 ソファーの上に投げ出された足は自分のもの。座面に対して横でも安定感があるのは、そこに座っている男の膝に乗せられている、から、で、


「こら、隠すなって」


 あの一瞬でなにがあったのか、どうしてこうなっているのか。

 自分がエルドに持ち上げられ、そのままソファーに座らされていたなど認識できたはずもなく。あまりにも近すぎる距離に暴れる腕も、抱きしめられたことで難なく押さえ込まれてしまう。

 もはや口から出るのは悲鳴か呻きか、暴れたと言ったってそれは反射的なもので、肩を抱かれてはもはや指先一つ動かせず。

 俯いた目に嫌でも入るのはエルドの身体。伝わる温度で抱きしめられていると認識しても、絶叫に近い言語が頭を埋め尽くしてもはやなにもままならない。

 無理だといったのに、待ってと言ったのに!


「っえ、るっ……ど……!」

「嫌じゃないんだろ?」


 嫌ではない。嫌ではないが、そうではない。だってトゥメラ隊の人も見ているし、イズタムだってそこにいるのに!

 いないからいいという訳ではないけれど、見られていいものでもなくて!


「っ……じゃ、な……けどっ……!」

「けど?」

「だ、だめ……ですっ……!」


 そう、だめだ。だめなのだ。嫌ではなくダメなのだ。

 恥ずかしいという理由もあるけれど、それはディアン個人の問題。精霊と人間の婚姻に良い印象を抱いていない彼女たちの前でするべき行為ではない。

 エルドと彼女たちの父親は異なるが、それでも、精霊という点は一緒。連想するなというのは厳しいはずだ。

 今までの『選定者』がどこまで把握していたかは、それこそディアンはわからない。それでも、わかっていてこの態度はするべきではないはずだ。


「み、みられて、ます、から、」

「俺は気にしないが」

「彼女たちがっ、気にします、からっ!」

「私たちのことはお気になさらず、慣れております故」


 だからダメだと、ここまで言えばわかるはずだと。必死に訴えたというのに、納得よりも先に返ってきたのはまさかの否定だ。

 いや、彼女たちの立場ではそういうしかないだろう。さすがのエルドだって言葉通りに受け止めるはずが……!


「嫌がる伴侶に強要するのであれば容赦致しませんが、そうではないと理解しております」

「同意の上であれば我々も思うことはございません。むしろ、この程度の戯れで初々しく反応される『選定者』様に微笑ましさを抱いております」


 口々に肯定するトゥメラ隊も、その横で頷くイズタムも。ディアンを見つめる瞳は優しく、浮かべる表情は柔らかく。

 嘘偽りのない言葉にいよいよ退路を失い涙が滲む。嫌ではないけど、嫌ではないけれど!


「とはいえ、このままでは『選定者』様が倒れかねません。まだ体調も万全とは言い難いのですから、その程度で」


 もう十分でしょうと、促されたエルドの目が瞬く。

 不満ではなく、心底不思議そうに。演技ではなく本心から。


「……だめか?」

「駄目です」


 問いはディアンに対してだが、答えたのはイズタムだ。数分しか乗せられていないはずなのに、やっと開放されたと思ってしまうのは許してほしい。

 隣に並ぶだけでもまだ恥ずかしいが、それでも膝の上よりはいくらか……なんて油断していれば、指を絡ませたまま手を握られ、再び肩が跳ねてしまった。


「駄目だと申したばかりですが」

「だめか!?」


 これでさえもと訴えられても、駄目ではないが許してほしい。

 そう言葉にできないディアンの代わりに彼女たちの視線が突き刺されば、ようやく体温が離れて……とはいえ隣に座っているのだから落ち着けるはずもなく。

 鼓動はやかましく、やっと深呼吸ができる程度だ。

 深い息はディアンからも、そしてエルドからも。片方は落ち着くために。もう片方は、落胆から。


「あ、の……」

「……ん?」

「女王陛下とのお話は、まとまりましたか……?」


 ここには仕事のついでで来たのか、それともディアンを探しに来ていたのか。

 どちらも確信を得られず、されど素直に聞くのは少し憚られ。結局口に出せたのは、そんな当たり障りのない内容。

 洗礼の後、ゼニスも隊長も同席したという。そこにディアンが呼ばれなかったのは心身の負担もあったが、まだ聞かせられる段階ではなかったのだろう。


「ある程度は。だが、まだ調べ切れてないことも多いからな、進展があるまでゆっくり休んでていい……とはいえ、落ち着かないか」


 だからここまで来たんだろうと苦笑され、同じく苦い笑みを返す。結局、なにかに集中したくとも寝る前には考え込んでしまうのだ。誤魔化さずに、聞けることは聞いた方がいいのかもしれない。

 ……それが、どんなに耳に痛い内容でも。


「……メリアたちの様子は?」

「一応、お前の妹は地下ではなく別館の個室で監視しているが、特に異常はないと報告は受けている。……とはいえ、随分と賑やかにはしているようだ」


 表現は濁されたが、賑やかなんてものではないだろう。

 どうしてこんなひどいことを、と。相手がトゥメラ隊であっても我が儘を言っているに違いない。

 ノースディア王国ではどんな不敬も許されていたし、どんな望みも叶えられていた。それが愛し子の力のせいだとしても、メリア自身はそうは思っていない。

『精霊の花嫁』だからと喚き、怒り、きっと泣いているだろう。

 ディアンがここに来てから数日。まだその気力が残っていればだが……おそらくは、今日も。


「妹は……目上の者に対する応答を、その……」

「トゥメラ隊に対して不敬罪は適応されないし、口こそ回るが暴れているわけじゃない。ここでの態度で罪を課されることはないだろう。今のところはな」


 それは、暗に女王陛下の前なら保証はしないということだ。どこまでロディリアが許容するか、それはディアンの預かり知れぬところ。

 そして……他に罪があった場合、それが軽減されることもないということ。

 門を通った以外に、彼女の犯した罪は存在するのか。いや、今はそれを調べているのだろう。

 メリアが今ここにいることは、ノースディア国に……ヴァンには伝えられているのか。

 罪を犯した事実も、彼女が『花嫁』ではないことも。その真意は、どこまで伝わっているのだろうか。

 ……そして、自分のことも。


「ペルデの容体は?」


 首を振る代わりに話題を変える。もう会わないのに。もう、会うつもりもないのに。会ったところでなにも変わらず、そして変えられない。

 未練ではなくしこりだ。そして、これはどんな生き方を選んでいたとしても、ディアンの胸の底に残り続けるもの。

 取り払うことはできない。それでも、いつかは薄れていくだろう。

 ……それがいつになるかは、わかることはないけれど。

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