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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第八章 『精霊の花嫁』の兄は

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217.試験の結果

 深く、深く頭を下げる。反応は見えず、そして返事も聞こえず。であれば、彼女の顔を見ることだってできないまま。

 落ち着かぬ気を静めるように拳を握っても、それはなんの慰みにもならない。

 頼まずとも、彼女は任務として教えてくれるだろう。女王から命じられた以上、どんな心境であろうと責務を果たす。それはトゥメラ隊でなくとも変わらない。

 だが、ディアンの気はそれでは済まないのだ。口や態度に出さずとも呆れられるかもしれない。この程度覚えられないのかと失望されるかもしれない。

 嘲笑う声は幻聴だ。それはもう行かない場所、もう二度と訪れることのない地。もう会うことのない人たちの声。

 学園のクラスメイト、顔も知らぬ同級生、事情を知りながら冷めた目で見ていた教師たち、加護無しと罵るラインハルト。そして、自分の父親だってもう、きっと会うことはない。

 それでもまだ囚われているのだろう。もう一ヶ月。されどまだ一ヶ月。旅の記憶だけで払拭するには……やはりそれは深く、強く。その根本は、強いられ続けてきた生き方のせいだと理解しても、呪いはいまだ解けず。

 呆れられるのは仕方ない。それでも、自分は教わり、努力していかなければならないのだ。

 そのためには、彼女に見捨てられるわけにはいかない。

 少しでもしがみ付かねばならないのだと、いまだ頭は上げられず。そして、やはり返事はなく。


「イズタム。……イズタム」

「……っ、し、失礼致しました。ディアン様、どうか顔をお上げください」


 背後の一人に催促され、ようやく声が聞こえる。

 それまで彼女がどんな顔をしていたのか、浮かべる微笑みからはその影を見ることはできない。


「お気持ちは十分に理解できます。ですが、焦っても実りはございません。特にディアン様の場合は特殊な事情もございました。そして、それは貴方様の責任ではございません。……ですが、落ち着かない気持ちもお察し致します」


 否定よりも先に指示が飛び、作業の手を休めた一人が書類を持ってくる。そのまま差し出された束は、目視だけでも二十枚は超えているだろう。


「これは……?」

「私が作った問題です。これまでの『選定者』にも似たものを解いていただいています」


 厚みを確認するために指先だけで捲るも、見ているのは最初のページだけだ。

 その一番上に記載されているのは、『せいれいおう の なまえ は ?』という、なんとも可愛らしい一問。

 続く問題も、大精霊の分類やその名前に関して問われる内容が続いている。適当にめくった先ではさすがに踏み込んだ内容になっているので、おそらくは段階を踏んで難しくなるのだろう。

 本来『選定者』がこの国に来るのは最初の洗礼を終えた後……つまり六歳頃だ。そう考えれば、一ページ目は妥当な内容と言える。


「全てではなく、ある程度抜き出したものになりますが……これでお互いの認識をすり合わせることはできるかと」

「僕がどれぐらい理解できているか、ですね?」


 頷かれ、差し出されたペンを受け取る。理解しているしていないは、今は概念の話でしかない。実際に数字として現れれば、彼女も対策を立てられるだろう。

 ディアンとしてもありがたい話だ。本当に基礎からやり直す時間はない。猶予が限られているのなら、知らないところだけを重点的にする方がよほど効率的だ。

 ……そして、どこまでそれを補完できるか。


「内容は精霊学に限らず、魔力や地理の問題も含まれています。ここでしか開示していない情報も含まれていますので、解けなくとも気に病むことはございません。あくまでもこれは、ディアン様と私どもの認識を合わせるためのもの」

「……はい」


 念を押されるのは、解けぬと見越してだろう。そう、これこそ落ち込む時間はない。

 やれるだけのことをやらなければ……エルドの隣には、並べない。


「制限時間は一時間。この時計の砂が落ち切るまでです」


 中央に置かれた時計から下へ。視線はもう、紙面の上から動くことはない。

 どうせ解けないと、また赤点であると。そう嘲笑う幻聴は、イズタムの開始の声にかき消された。


◇ ◇ ◇


「――そこまで」


 呼びかけに紙面から手を離し、両手は膝の上へ。結局、最後の見直しから一度も持つことのなかったペンごと回収され、吐いた息は緊張か疲労か。

 本当に、精霊学から始まり多岐にわたる内容だった。学園の試験でも、数時間に分けて行われるほどの量。

 序盤こそ基礎ばかりだったが、予想通り中盤からは難易度が上がり、終盤になれば学園では習わないだろう範囲も。

 精霊に関することはある程度答えられたと思うが、それでも自信はなく、思っている以上に不正解の可能性は高い。


「いかがでしたか?」


 答案用紙と入れ違いに紅茶を差し出され、問われた内容に苦笑する。


「あまり、自信は……」

「先ほども伝えたように、『選定者』にしか伝えていない情報もございます。解けずとも仕方ありません」


 慰めの言葉も、今のディアンにはどうにも届かない。終盤に捨てた問題こそ多いが、知っていても自信がない物も多かった。

 すり合わせるため。今後のため。そう言い聞かせながらも、自分の無知さと自覚のなさに胸の奥は重くなるばかり。

 気を落ち着かせようと啜る紅茶の味もろくにわからず、されど口を開こうものなら卑屈ばかりが出そうになる。

 結果的に、イズタムの話に耳を傾けていれば、程なく採点の終わった用紙が戻ってきたのに息を呑む。

 彼女も、トゥメラ隊ではなくとも優秀な人だ。どんな成績でも顔に出すことはないだろう。

 本当に救いようもないほどに酷かったとしても、それをあからさまに罵声するようなことは……多分……きっと……。

 学園にいた頃とは違うのだ。それでも、仕方ないと受け入れながら傷ついていた事実は変えられず、それがディアンの思っていた以上に深いものであることだって。

 見つめる先がイズタムから手元の紅茶に変わり、しばらく紙を捲る音が続く。

 握り締めた手に汗が滲み、鼓動が嫌に脈打つ。まるで裁きを待つ罪人のような心境の中、次第に捲る音が遅くなり……最後には、止まってしまった。


「えっ……!」


 いよいよ見終わったのかと、意を決して顔を上げた先。思わずそんな声が漏れたのも、目にしたのが微笑みでも強張りでもなく、涙ぐむ姿だったからだ。

 咄嗟に顔をそらし、目を押さえようとしているが誤魔化すことはできない。顔をしかめるぐらいは覚悟していたが……まさか、泣くほどひどいなんて。

 棍棒で頭を殴られたような衝撃に、言葉さえ出てこない。

 学園での成績は捏造であったが、やはり自分は知識不足であったのか。優秀である彼女を泣かせるほどに、手が付けられないほどの……。


「『選定者』様、恐れながら弁解の機会をいただいてもよろしいでしょうか」


 落ち込むディアンに声をかけたのは、いまだ彼を見ずにいられないイズタムではなく、答案を返した部下の方だ。

 採点をしたのも彼女だろう。どこがどのようにひどかったのか、実際に聞かされるのは今からだと覚悟を決める。

 どんな結果でも受け入れると決めたはずだ。落ち込んでいる暇はない。

 努力だけならいくらでも、それだけが取り柄じゃないか。


「まず、試験の結果は基準に達しております」

「……はい?」


 そう心を強くたもっていたのに、告げられたのは思いもしない言葉。

 誤解を招いて申し訳ありませんと、頭を下げられても困惑は消えない。

 返された答案用紙をめくっていけば、一部にだけチェックがついている。間違えているところだけに印を付けているのなら、たしかにほとんどが正答だ。


「地理や魔法学には失点が見られましたが、答えられなかった大半は『選定者』でなければ知り得ぬこと。精霊学に関しては想定以上……それこそ、名簿士の基準も達しているほどです」

「でも、そんな……」

「厳しめに判定いたしましたが、それでもです」


 現物を見ても、そう説明されても実感はない。人より詳しい自覚はあっても、本当に基準を満たしていたなんて。

 ならばなおのこと、どうしてイズタムが泣いてしまったか疑問が深まる。失望したのでも、呆れたのでもないのなら……いったい、なぜ?


「ディアン様、確かにイズタムの態度は相応しいものではありませんが……これは感動による涙です」

「……かんどう」

「ディアン様、我々からもよろしいでしょうか」


 思わずそのまま繰り返してしまう。かんどう、とは感動で合っているのだろうか。それともディアンの知らない、精霊に通ずる者だけの言い回しがあるのだろうか。

 愛し子にも二つの意味があったように、文面通りに受け取ってはいけないような意味合いが含まれて……と考えていれば今度は横からも声をかけられ、視線は斜め上へ。


「ディアン様は、前回の『選定者』様はご存知でしょうか」

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