217.試験の結果
深く、深く頭を下げる。反応は見えず、そして返事も聞こえず。であれば、彼女の顔を見ることだってできないまま。
落ち着かぬ気を静めるように拳を握っても、それはなんの慰みにもならない。
頼まずとも、彼女は任務として教えてくれるだろう。女王から命じられた以上、どんな心境であろうと責務を果たす。それはトゥメラ隊でなくとも変わらない。
だが、ディアンの気はそれでは済まないのだ。口や態度に出さずとも呆れられるかもしれない。この程度覚えられないのかと失望されるかもしれない。
嘲笑う声は幻聴だ。それはもう行かない場所、もう二度と訪れることのない地。もう会うことのない人たちの声。
学園のクラスメイト、顔も知らぬ同級生、事情を知りながら冷めた目で見ていた教師たち、加護無しと罵るラインハルト。そして、自分の父親だってもう、きっと会うことはない。
それでもまだ囚われているのだろう。もう一ヶ月。されどまだ一ヶ月。旅の記憶だけで払拭するには……やはりそれは深く、強く。その根本は、強いられ続けてきた生き方のせいだと理解しても、呪いはいまだ解けず。
呆れられるのは仕方ない。それでも、自分は教わり、努力していかなければならないのだ。
そのためには、彼女に見捨てられるわけにはいかない。
少しでもしがみ付かねばならないのだと、いまだ頭は上げられず。そして、やはり返事はなく。
「イズタム。……イズタム」
「……っ、し、失礼致しました。ディアン様、どうか顔をお上げください」
背後の一人に催促され、ようやく声が聞こえる。
それまで彼女がどんな顔をしていたのか、浮かべる微笑みからはその影を見ることはできない。
「お気持ちは十分に理解できます。ですが、焦っても実りはございません。特にディアン様の場合は特殊な事情もございました。そして、それは貴方様の責任ではございません。……ですが、落ち着かない気持ちもお察し致します」
否定よりも先に指示が飛び、作業の手を休めた一人が書類を持ってくる。そのまま差し出された束は、目視だけでも二十枚は超えているだろう。
「これは……?」
「私が作った問題です。これまでの『選定者』にも似たものを解いていただいています」
厚みを確認するために指先だけで捲るも、見ているのは最初のページだけだ。
その一番上に記載されているのは、『せいれいおう の なまえ は ?』という、なんとも可愛らしい一問。
続く問題も、大精霊の分類やその名前に関して問われる内容が続いている。適当にめくった先ではさすがに踏み込んだ内容になっているので、おそらくは段階を踏んで難しくなるのだろう。
本来『選定者』がこの国に来るのは最初の洗礼を終えた後……つまり六歳頃だ。そう考えれば、一ページ目は妥当な内容と言える。
「全てではなく、ある程度抜き出したものになりますが……これでお互いの認識をすり合わせることはできるかと」
「僕がどれぐらい理解できているか、ですね?」
頷かれ、差し出されたペンを受け取る。理解しているしていないは、今は概念の話でしかない。実際に数字として現れれば、彼女も対策を立てられるだろう。
ディアンとしてもありがたい話だ。本当に基礎からやり直す時間はない。猶予が限られているのなら、知らないところだけを重点的にする方がよほど効率的だ。
……そして、どこまでそれを補完できるか。
「内容は精霊学に限らず、魔力や地理の問題も含まれています。ここでしか開示していない情報も含まれていますので、解けなくとも気に病むことはございません。あくまでもこれは、ディアン様と私どもの認識を合わせるためのもの」
「……はい」
念を押されるのは、解けぬと見越してだろう。そう、これこそ落ち込む時間はない。
やれるだけのことをやらなければ……エルドの隣には、並べない。
「制限時間は一時間。この時計の砂が落ち切るまでです」
中央に置かれた時計から下へ。視線はもう、紙面の上から動くことはない。
どうせ解けないと、また赤点であると。そう嘲笑う幻聴は、イズタムの開始の声にかき消された。
◇ ◇ ◇
「――そこまで」
呼びかけに紙面から手を離し、両手は膝の上へ。結局、最後の見直しから一度も持つことのなかったペンごと回収され、吐いた息は緊張か疲労か。
本当に、精霊学から始まり多岐にわたる内容だった。学園の試験でも、数時間に分けて行われるほどの量。
序盤こそ基礎ばかりだったが、予想通り中盤からは難易度が上がり、終盤になれば学園では習わないだろう範囲も。
精霊に関することはある程度答えられたと思うが、それでも自信はなく、思っている以上に不正解の可能性は高い。
「いかがでしたか?」
答案用紙と入れ違いに紅茶を差し出され、問われた内容に苦笑する。
「あまり、自信は……」
「先ほども伝えたように、『選定者』にしか伝えていない情報もございます。解けずとも仕方ありません」
慰めの言葉も、今のディアンにはどうにも届かない。終盤に捨てた問題こそ多いが、知っていても自信がない物も多かった。
すり合わせるため。今後のため。そう言い聞かせながらも、自分の無知さと自覚のなさに胸の奥は重くなるばかり。
気を落ち着かせようと啜る紅茶の味もろくにわからず、されど口を開こうものなら卑屈ばかりが出そうになる。
結果的に、イズタムの話に耳を傾けていれば、程なく採点の終わった用紙が戻ってきたのに息を呑む。
彼女も、トゥメラ隊ではなくとも優秀な人だ。どんな成績でも顔に出すことはないだろう。
本当に救いようもないほどに酷かったとしても、それをあからさまに罵声するようなことは……多分……きっと……。
学園にいた頃とは違うのだ。それでも、仕方ないと受け入れながら傷ついていた事実は変えられず、それがディアンの思っていた以上に深いものであることだって。
見つめる先がイズタムから手元の紅茶に変わり、しばらく紙を捲る音が続く。
握り締めた手に汗が滲み、鼓動が嫌に脈打つ。まるで裁きを待つ罪人のような心境の中、次第に捲る音が遅くなり……最後には、止まってしまった。
「えっ……!」
いよいよ見終わったのかと、意を決して顔を上げた先。思わずそんな声が漏れたのも、目にしたのが微笑みでも強張りでもなく、涙ぐむ姿だったからだ。
咄嗟に顔をそらし、目を押さえようとしているが誤魔化すことはできない。顔をしかめるぐらいは覚悟していたが……まさか、泣くほどひどいなんて。
棍棒で頭を殴られたような衝撃に、言葉さえ出てこない。
学園での成績は捏造であったが、やはり自分は知識不足であったのか。優秀である彼女を泣かせるほどに、手が付けられないほどの……。
「『選定者』様、恐れながら弁解の機会をいただいてもよろしいでしょうか」
落ち込むディアンに声をかけたのは、いまだ彼を見ずにいられないイズタムではなく、答案を返した部下の方だ。
採点をしたのも彼女だろう。どこがどのようにひどかったのか、実際に聞かされるのは今からだと覚悟を決める。
どんな結果でも受け入れると決めたはずだ。落ち込んでいる暇はない。
努力だけならいくらでも、それだけが取り柄じゃないか。
「まず、試験の結果は基準に達しております」
「……はい?」
そう心を強くたもっていたのに、告げられたのは思いもしない言葉。
誤解を招いて申し訳ありませんと、頭を下げられても困惑は消えない。
返された答案用紙をめくっていけば、一部にだけチェックがついている。間違えているところだけに印を付けているのなら、たしかにほとんどが正答だ。
「地理や魔法学には失点が見られましたが、答えられなかった大半は『選定者』でなければ知り得ぬこと。精霊学に関しては想定以上……それこそ、名簿士の基準も達しているほどです」
「でも、そんな……」
「厳しめに判定いたしましたが、それでもです」
現物を見ても、そう説明されても実感はない。人より詳しい自覚はあっても、本当に基準を満たしていたなんて。
ならばなおのこと、どうしてイズタムが泣いてしまったか疑問が深まる。失望したのでも、呆れたのでもないのなら……いったい、なぜ?
「ディアン様、確かにイズタムの態度は相応しいものではありませんが……これは感動による涙です」
「……かんどう」
「ディアン様、我々からもよろしいでしょうか」
思わずそのまま繰り返してしまう。かんどう、とは感動で合っているのだろうか。それともディアンの知らない、精霊に通ずる者だけの言い回しがあるのだろうか。
愛し子にも二つの意味があったように、文面通りに受け取ってはいけないような意味合いが含まれて……と考えていれば今度は横からも声をかけられ、視線は斜め上へ。
「ディアン様は、前回の『選定者』様はご存知でしょうか」
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