213.王子様 ★
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本日から八章開始です。
――どうしてこうなっている。
廊下の脇に避けたメイドが短く悲鳴を上げようと、他の兵士が慌ただしくしていようと、後ろから臣下が己の名を呼んでいようと、それはラインハルトの足を止める理由にはならなかった。
深く刻まれた眉の皺。今にも射殺さんばかりの視線の先、真に睨みつけたい者は存在しない。
それでも突き進むのは、その真偽を確かめなければならないからだ。
オルレーヌ国からの伝達が届いて、所在を確かめさせてからおおよそ一時間。
あの内容が真実であれば、教会には聖国を象徴する忌々しい蒼の旗が掲げられているだろう。
メリアを聖国に迎えたという、おぞましい事実を全世界に知らしめるために。
「殿下、殿下! お待ちください! ……衛兵! 殿下をお止めせよ!」
一分一秒たりとも止まるわけにはいかないのに、引き止める声は剥がれずついてくる。
構っていられないと突き進む足は、命じられた兵士が廊下を塞ぐことによって止められ、押しのけようとする腕は回り込んだ老体により突き出すことは叶わず。
「どうか冷静に、きっとなにかの間違いで……」
「間違いだと!? 実際にメリアは屋敷にはいなかったと、お前もその耳で聞いていただろう!?」
早馬で確かめさせたその先、今も教会の奴らに監禁されていたはずのメリアの姿はそこにはなく。それどころか、見張っていたはずの騎士の姿もなかったという。
合わせてこの通達だ。もはや疑いようもない。
保護という名目で監禁するにはとどまらず、彼女の同意もないままに連れ去るなど!
「ここから聖国まで馬車を飛ばしても一週間はかかります、最後にメリア様のお姿を拝見したのは三日前。あまりにも……」
「門を使えば距離など関係ない。そもそも、十八を迎えるまではこの地で過ごすという契約ではなかったのか!」
本来ならば、最初の洗礼を迎えたその日……否、『精霊の花嫁』と確定したなら、生まれたその日にだって、彼女は聖国に連れて行かれるはずだった。
だが、生まれながらにして定められた運命に、成人するまでは普通の人と同じようにと。そう願ったヴァンたちとの契約で、彼女は十八を迎えるまではこの国で過ごせるはずであった。
普通の人間のように。普通の女の子のように。何不自由なく、親の愛を一身に受け。少なくともあと二年は……それなのに、なぜ!
教会の権限をもてば、門を通じて聖国に帰還することは容易い。
この城の門を使わずとも馬車を飛ばせば離れた町にもあるが、わざわざ『花嫁』をそんな危険に晒すとは思えない。
地下の門を使うには、教会だけではなく国王の許可が必要だ。それは聖国であっても例外はない。
間違いなく、この一件には国王……ラインハルトの父も関与している。
ヴァンを虐待などという馬鹿げた容疑で監禁し、メリアの母も療養という名目で監視下に置き、彼女の味方を悉く排除した上で、この暴挙。
こんな仕打ちに黙って耐えるなど、どうしてできようか!
無理矢理にでも城で匿うべきだった。自分がメリアのそばにいれば、決してこんなことにはさせなかったのに!
「だとしても、今迂闊に行動することは……!」
「黙れ! こうしている間もメリアがどんな目に遭っているか、お前たちは分かっているのか!?」
咎める臣下が口を閉ざしたのは、その怒鳴り声に怯んだのではない。その発言を、その思考を疑ってしまったからだ。
ただでさえ英雄と呼ばれた男が息子の虐待で投獄され、それに国王までもが関与している疑いを持たれている。聖国にとっては、この時点で十分な協定違反だ。
まだ断罪されていないのは真偽を確かめる猶予をいただいているだけに過ぎない。これ以上なにか起これば、それこそ教会……否、精霊の怒りを買いかねないというのに。
そうすれば王家だけではない。最悪は、この国の未来さえ危ぶまれる。
「今頃メリアは、教会の奴らに酷い扱いを……っくそ!」
だというのにラインハルトは冷静さを失い、支離滅裂なことを喚き立てている。これでは、正気を疑うなというのが無理な話だ。
本来あるべき形に戻っただけである。『精霊の花嫁』は聖国に保護され、限られた者のみが面会を許される。
むしろ今までが異常であったのだ。否、異常であることにすら気付かぬことこそが、そもそも。
なぜそうに至ったか。それこそ、正気に戻りつつある者がどれだけ疑問を抱こうと知ることはない。まだその時ではない。
故に、彼らにとってはメリアを助け出さねばと喚くラインハルトの行動こそが異常。それに本人が気付いていないことが余計に。
力任せに兵士を押しのけ、突き進むラインハルトを止める手は間に合わず。その背はあっという間に遠ざかっていく。
問い詰めなければならぬ相手は、自身の執務室にいるだろう。
この一件を知らぬとはいわせない。門を使うには彼の……国王の許可がなければ為しえないのだから。
煮え立つ衝動は聖国にも、無理矢理でも彼女を城で保護しなかった自分自身に対しても。そして……なにより、己の妹に対して。
ラインハルトだって、ただ手を拱いていたわけではない。この事態だって、迎えたくなかったが想定していなかったといえば嘘にはなる。
だからこそ、リスクを冒してでもペルデを誘拐し、地下へ監禁していた。
信頼できる部下にのみ全貌を伝え、見張りも怠ることなく。万全とは言えずとも、できる限りの対策はしてきたつもりだ。
教会自体を揺さぶるのにペルデ自身の価値はあまりに弱い。だが、身内であれば話は別。
女王の忠実な僕であろうと、家族を天秤にかければいくらグラナートであろうと揺らぐはず。
ラインハルトが主張しても無駄であるなら、地位を持つものに強要させればいい。
このままメリアが不当な扱いを受けるのであれば、あるいはそのまま聖国に連れて行くようなら、その覚悟はできていた。
……だというのに、ペルデの姿はどこにもなく。切り札はラインハルトの知らぬ間に失われていた。否、奪われていたのだ。
誰の仕業など考えるまでもない。あの女が、サリアナがかっさらっていったのだ!
サリアナほどの手腕ならば、誰にも気付かれずにペルデを開放することも可能だ。
否、そもそもペルデを誘拐できたのはサリアナの助力があったからこそ。しかし、あの女まで奴を利用するなど!
なんのために! どこまで自分の邪魔をする!?
今更なにをしようと、あの加護無しは死んでいるというのに。もうこの地に戻るはずもないのに!
自分から逃げ出したのだ。使命から、義務から、果たさなければならぬもの全てから! そんな卑怯者を視界に入れようとするだけでも耐えがたかったというのに、なぜ!
メリアは連れて行かれ、唯一の切り札まで奪われた。冷静さなど取り戻せるはずがない。
何か手を打たなければ。今も彼女は、あの愛しい人は虐げられているのだから。
『精霊の花嫁』だからと嫁ぐことを強要され、人として過ごせる僅かな時間すら奪おうとする、あの非道な奴らに。
己の目の届かぬ場所で一人泣いている彼女を救うこともできぬなど、そんなこと……どうして耐えられようか!
ラインハルトはメリアを助けなければならない。
彼女の婚姻を防ぐことができずとも、せめて人である僅かな数年。彼女がなんの憂いもなく、この地で過ごせるように尽力しなければならない。
そうだとメリアが望んだから。そうだと彼女が望んでいたから、ラインハルトはその願いを叶えなければ。
『だって、あなたは私の王子様なんだもの!』
ああ、メリア。メリア、メリア。愛しい人。自分の愛する唯一の女性。
彼女がそう言ってくれたからこそ、ラインハルトは今日まで努力できた。
ノースディア王国では男子のみが王位継承権を持つ。
そうでなければ、誰もがサリアナを女王へと推したであろう。それを真っ向から否定できるほど、ラインハルトは愚かではない。
誰もが天才と謳うサリアナの影で、ラインハルトはいつも比較され、劣っていると囁かれた。表だって言う者はいなくとも、そうだという事実は変えられない。
剣術も魔術も、知識だって血の滲むような努力を重ね、学園でも常に首席をとり続けた。だからこそ、民はラインハルトを優秀であると囁き、安泰であると胸を下ろす。
……だが、決まってその後に続くのは、サリアナへの評価だ。
どれだけ努力しようと、どれだけ結果を残そうと、あの女は付き纏ってくる。
成績だって、サリアナが執着していないだけで、本気を出せば呆気なく覆されることだってわかっていた。
あの女の関心は全て加護無しの、あの忌々しい男にのみ注がれている。だからこそ、ラインハルトは理想の王子として演じ続けられた。
国民のためでも、父親のためでもない。たった一人の少女が望む、理想の存在として。
その為だけに努力を続けた。メリアのために。メリアのためだけに。
いつか彼女が精霊となり、この世界を見守るようになった後。それだけを支えにこの国を統治する。彼女が思い焦がれた王子は、民を幸福に導いたのだと。
だから、その日まで彼女のそばにいなければならない。彼女を、かの者たちから救い出さなければならない。
なぜなら、ラインハルトはメリアの王子様なのだから!
いよいよ足は執務室に繋がる最後の廊下にさしかかり、角を曲がる。そして、彼は望んでいた相手がそこにいるのを捉えたのだ。
……聖国の騎士に囲まれ、今まさに連行されようとする己の父の姿を。
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