212.茶番と通達
「もう今更であろう。だが……ふむ、そうだな」
思考は数秒。金はすぐディアンへ向き直り、浮かぶ笑みは柔らかくとも勇ましさが強い。
「お前が精霊に嫁ぐということは、その身は精霊に近しい存在になる。つまり、血は繋がらずとも我々は兄弟になったとも言える。なら、もうかしこまる必要もないだろう」
開き直る免罪符を手に入れたと言わんばかりに頷かれても同意しかねる。
一国を束ねる女王と、本来ならただの一般人であるディアンが同列に扱われるだけでも困惑するのに、それ以上とは。
理屈は理解できるが、素直に呑み込めるものでもない。
「特にそこのヴァールは人間で言うなら叔父のようなもの。ならば、お前と私は従兄弟にあたる。年こそ離れているが、姉と思ってくれてかまわない」
「そ、そんな畏れ多いことです。自分のことは気にせず、陛下はお好きなように話していただければ、」
「お前は姉に対してそんな態度をとるのか?」
ディアンの訴えも虚しく、女王はなおも詰め寄る。冗談ではなく本気らしいと察したところで、要望に応えるのはやはり厳しい。
助けを求めてエルドに視線を向けるが、首を緩く振られればどうしようもない。流れでゼニスも見上げるが、こんな時ばかり主人そっくりである。
まさしく不敬と呼ぶべき行為のはずなのに、他の面々も止めようとはしてくれない。もしかして、歴代の伴侶も同じような目に遭ってきたのだろうか。
そもそも不敬だと判断する本人がそう望んでいるのだから、これを断るのは一周回って逆に不敬に該当するのか……?
考えても答えは出ず、そして見つめる金から逃げる方法もない。
姉のようにと言われても、ディアンにいるのは妹だけだ。そして、間違いなくメリアの態度は参考にはならない。
となれば、打開策は一つ。
「わ、わかりました。……お……」
「お?」
「お、ねえ、さま」
敬語を外すのも、気軽に接するのも不可能。
せめてこの呼び方だけで許してもらえないかと、絞り出した声に対して女王は沈黙する。いや、黙っているのは周囲もだ。
「――ふむ」
静寂が耳に痛い。やはりそうするべきではなかったかと、不敬に捉えられたかと。抱いた焦りは女性らしかぬ呟きと共に破られる。
「お前のように愛らしい弟ができるのは喜ばしいことだが……その響きは、私は少々甘美すぎる」
謝罪は顎を掬われることで音にならず、変わらぬ身長であるのに覗き込まれている錯覚を抱く理由はわからぬまま。
これでは女王というより王子のようだと、そんなことを考えてしまうのは現実逃避であったのか。
「姉と呼ばれるのは歓迎するが、せめて姉上と呼んではくれないか」
「で、ですが、陛下……それは……」
「お姉様とは呼べるのに、姉上とは呼べないのか?」
これが面白がっているのならまだともかく、見つめる金に遊び心はない。真剣にとは言わないが、それでもディアンの答えを期待している。
不敬の二文字が頭を占め、唸りそうになるのを必死に抑える。どちらにせよ、ディアンにできることは一つのみ。
「あ……あね、うえ……」
「以後、公でない場所ではそう呼ぶように」
呟いた声は小さくとも、彼女を満足させるには十分だったようだ。
頷いた彼女にようやく顎を解放され、安心するも束の間。今度は真横に腕を引かれ、柔らかな衝撃と共に視界が黒に染まる。
鼻腔を占めるは、馴染んだ匂い。だからこそ忘れかけていた熱が再びディアンを支配し、抵抗する力すら起きず。
「……俺のだが」
頭上からの声は冷静さを装っていても焦りが滲んだもの。ギュウギュウと肩を抱かれずとも、その響きだけでとても顔を上げられる状態ではない。
抱擁され、宣言されているだけ。たったそれだけだが、自覚したばかりのディアンにはあまりに強すぎる。
「たった今、私の弟にもなったな」
「俺の伴侶なんだが!?」
嬉しいのに恥ずかしい。離れたくないのに離れたい。そんな矛盾に戸惑う間も、二人の応戦は止まず。むしろ勢いを増すばかり。
「散々突き放していたくせに、兄弟の戯れ程度妬くとは狭量な男だな。ディアン、今からでも私に乗り換える気はないか?」
「お前の婚姻も禁じられてるだろう!」
「婚姻と生涯を共にすることはまた別だろう。加護こそ与えられないが待遇は約束……」
「ロディリアッ!」
とうとうエルドが吠え、ますますディアンの顔が埋まる。苦しさに思わず呻いてしまえば、途端高らかな笑いが響く。
冗談でよかったという安心と、からかわれたという恥ずかしさと。それでも解放されそうにない現状とで、ディアンの限界は再度近くなっている。
「さて、冗談はともかく……本当にありがとう、ディアン」
ようやく顔を少し浮かせられ、見つめた金はまた違う色だ。
女王としてでもなく、愛し子としてでもない。エルドをよく知る者として、彼女個人としての感謝の言葉。
礼を言うべきはディアンの方こそ。彼女が見過ごしてくれなければ、こうしてエルドと共にいることはなかった。
エルドが命令したからとはいえ、それでもディアンの意見を尊重してくれたのはロディリアも同じ。
「……いいえ。僕のほうこそ、ありがとうございました」
だからこそ、心から頭を下げる。たったこれだけで、この感謝は伝わらないだろう。それでも女王は頷き、受け入れ、そうして笑う。
「それにしても、選択の精霊に対して『共に後悔しろ』とは……いやはや、凄まじい口説き文句だな」
それは柔らかくもあったが愉快さが混ざったものであり、喉奥から漏れる音はとても抑えようとしているようには思えない。
だが、それ以上に気になるのはその単語に対してだ。
感動極まって吹っ飛んでいたが、そう……それこそが一番大事で、引っ掛かっていたこと。
「あの……エルドの力って……選択、だったのですか……?」
「……は?」
は、だとか。え、だとか。音が重なったのは違う方向からそれぞれ響いたからだ。片方はいわずもがなロディリアから。もう片方は、やはり頭上から。
僅かに動いた気配は、互いに目を見合わせたものだろう。よもやそんな言葉が飛び出してくるとは思っていなかったと言わんばかりのもの。
「……まさか、伝えていなかったのか?」
「いや、最初の洗礼の時にも名乗ったぞ」
ディアンに限って忘れるはずがないが、エルドが嘘を吐く理由もないといったところだろう。
ディアン自身も記憶を掘り起こしているが、そもそも洗礼自体の記憶が曖昧だ。
網膜を焼くような強烈な光と、本能からの畏れ以外、まともに思い出せるものはない。
「耐性のない人間相手にあんな洗礼をしておいて、本気で認識できていると思っていたんですか?」
心底呆れる声を聞く限り、状況を呑み込めているのはゼニスだけのようだ。
当事者はエルドの気迫に押されて気を失い、エルドもまた冷静ではなかった。洗礼の言葉など覚えていなくて当然……と、認識できていたのは傍観していた彼のみ。
「洗礼自体の記憶は残っていたようだから、てっきり……いや、そもそも伝え方が悪かった。すまない」
肩を掴まれ、正面からの謝罪を受け止めなければならないのに、顔が近すぎて直視できない。
大丈夫だと言いたいのに、恥ずかしさが勝ってそれすらままならず、頷くのが精一杯。
「本当にすまない、俺は……」
「そこまで! ……話すべきことは山のようにあるが、すべきことも同じぐらいあるぞ」
それでも謝罪を続けようとするエルドをロディリアが止め、腕の中から解放されることはなくとも話は本筋に戻る。
「知らずにあの言葉が出てきたあたり、お前たちが似合いであることは証明されたもの。ならば、手始めにそれを皆に伝えなければなるまい」
皆、とは誰をさすのか。一体なにを伝えるのか。
疑問は声にならず、前に進み出た女王は高らかに宣言する。
◇ ◇ ◇
――その日、各国の教会全てに蒼の旗が掲げられた。
オルレーヌを象徴する清らかなるその色は、聖国にて祝い事があった時に掲げられる決まりである。
王都から辺境の街に至るまで、その通達は漏れることなく。王族を始め、貴族も庶民も例外なく。言伝で、文面で、そして町村にいないものには伝達石で。
誰一人も聞き逃すことのないように、その知らせは全世界を駆け巡ったのだ。
数百年前と同じように。これまでの習わしの通りに。
十年という時を超え、ようやく――精霊の伴侶を迎え入れたという事実を。
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