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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第七章 聖国

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205.全ての始まり

 いよいよ冷気は心臓まで辿り着いたらしい。

 鼓動が跳ね、握り締めた指の感覚は既になく。それでも痛みだけは紛れることなくディアンを苛む。


「数百年単位で起こる魔物の大繁殖。それに伴う襲撃は精霊にとっては定期的なことだったが、人間にとっては脅威だ。その時期になれば魔物に対抗できるように、愛し子を増やし加護を与えることになっていたが……今回はそれだけでは止められなかった」


 授業や言伝でしか知らない歴史。悲惨であったという事実だけで、実際に見たわけではないその惨状。

 精霊たちもそうなるとは予想していなかったのか。いつも通りだと気にもしていなかったのか。

 あるいは……愛し子を増やせる動機としか捉えていなかったのか。

 いや、わかっていたところで世界は別たれた後だ。精霊自ら手を出すことはできず、愛し子を増やすことだけが許された最大の援助だったはず。

 精霊王が光であるなら、魔物はその影。防ぎようのない存在に対処させるのに、加護もなくてはままならないと。

 ……それでも、被害は食い止められず。


「精霊王への謁見を申し出たのはダヴィード王だと聞いている。前の戦で、愛し子に特別な武具を与えて対処させたことを伝承で知ったんだろうが、それは武具関連の奴らが己の愛し子を贔屓したに過ぎない。他の愛し子に対して、他の精霊が手を出すことは禁忌。どんな正当な理由があろうと、直訴することさえ許されないはずだった。実際にロディリアはそれを許さず……しかし、精霊王自らが、それを許してしまった」

「……あなたの伴侶を差しださせるために、ですか」

「…………そうだ」


 その後はお前も知っている通りだと、エルドは口を閉ざす。聞かなくても分かる。それでも声にするのは確かめるため。

 重い沈黙の後、一度だけ目が瞬く。そうして吐かれた同意は、かの存在へ向けて吐きつけるように。


「俺がその事実を知ったのは、全て終わってからだ。先に相手を定め、そうして人に広まれば逃げられないと思ったんだろうな。そして、実際に精霊王の狙い通りになった」


 まだその光景は彼の中に残っているのか。その忌々しい記憶は薄れることはなく、そこで息づいているのか。

 それこそ呪いのように、エルドを蝕み続けていたのだろうか。

 でも、と。否定する言葉はディアンの唇の中で声になることはなく。ただ与えられるのを待つだけ。

 答えてくれると、信じるだけ。


「……お前に加護を与えるように言われ断ったのは、そうすればいつものように他の精霊に譲られ、例年通りに進むと思っていたからだ」


 ――そして、その信仰は報われた。

 エルドの口からディアンの耳へ。その声は、その過去は語られていく。逃げることなく、誤魔化すことなく。


「実際に他の奴らも同じ考えで、ロディリアたちもそうだと認識していた。だが、他の精霊に嫁がせることは盟約に背くことになると、精霊王がそれを許さなかった」

「僕を取り合ったというのは」

「それもロディリアが言った通り事実だ。本来なら伴侶を娶れる精霊が選ばれてから選定が行われるのに、今回は伴侶が先に選ばれてしまった。愛し子にさえすれば人間の伴侶を得られると誰も譲らず……結果、お前を加護することは誰にも許されなかった」

「――でも、あなたはそうしなかった」


 光が揺れる。僅かに、でも間違いなく。確かめるために囁いた言葉は、深くエルドに突き刺さる。

 責めるような口調になったのは、それも確信に近かったからだ。そこに恨みがないと伝えたところで、抉った傷の痛みは取り除けない。


「……教会、が、」


 強張る唇が、音を紡ぐ。歪な響きは、詰まりながらも止まることなく。


「作り上げた信仰は、強固なものになった。ましてや精霊王との誓約だ。選んでしまえば人間に断ることはできないと判断した。伴侶にすればそれこそ、今までの伴侶と同じ道を辿らせることになってしまう。人は、」


 一つ、息が切れ。顔は俯き、頭頂部が見えたのはほんの数秒。


「……人は人のまま生き、そうして死ぬべきだ。たとえ当人がそう望んでいたとしても、定められた寿命を全うするのが人間としての幸せだ」


 そうであるべきだと、見守り続けた精霊は言う。それまでの犠牲を。その生を奪われてきた者たちの最期を見てきた彼が訴える。


「俺がこの地に残ったのは、無力に嘆きながらも葛藤し、足掻きながらも生きていく人間たちに魅入られたからだ。己の道を選び、進み続ける彼らを……その輝きを、俺のせいで濁すことが、耐えられなかった」


 薄紫は沈み、それは上がることなく。額ごと目が押さえられ、吐かれた息は白く、強く。


「加護を与えなければ、奪うことはないと……だが、今の世で誰からも加護を与えられなければ迫害されるのは目に見えていた。せめてお前が不遇な目に遭わぬよう教会に状況を伝えたかった。……それすらできず、結果お前を苦しめ続けた」

「……なぜ」

「ただの言い訳だ。事実として俺は」

「エルド」


 語尾が強まる。無意識であろうと、そこに含まれた怒りは傷を抉る。されど罪悪感はない。確かに、ディアンは今、彼を咎めたのだ。

 隠そうとしたことではない。そうであると決めつけたことを。信じてくれないと判断したことを。


「……エルド」


 顔が上がる。震える瞳の中、彼が与えた光は揺らがない。暗がりに紛れることもない。


「そう判断するのは、僕です」


 与えられなければ選べない。信じ続けることもできない。

 どんな言葉も、どんな感情も受け止めると。そう覚悟を決めてここに立っているのだ。

 もうなに一つだって誤魔化されない。不安になど、させない。

 眉が寄り、口が歪む。噛み潰された感情の名を知ることはなく、吐いた息は短く、それでも鼓膜に大きく響く。

 永遠にも思える静寂。痛い程に打ち付ける鼓動。薄く開いた唇が一度だけ開閉し、ようやく舌は音を乗せる。


「……精霊王の命により、監禁されていたからだ」


 見開く紫にエルドの瞳は重ならない。それが背けているのか、思い出しているのか。わかる者は存在しなかっただろう。


「最初の洗礼の時、見届けるために精霊界にいたのが間違いだった。二度目の洗礼までのたった十年も待てないのかと咎められ、抵抗したが……結局、お前の状況を知ることもできぬまま。ようやく抜け出せたのはあの夜だ」


 それも自力ではなかったと、乾いた笑いは己の無力に対してか。ここまで話しても言い訳にしか聞こえないという呆れなのか。振られる首に力はない。


「どんな事情であれ、お前の扱いを予想しながらなにもできずにいたのは事実だ。お前を……あの夜に見つけたのも、贖罪と言われれば否定できない」


 家を出たあの日。月に照らされた姿。あの夜の出会いを、今だって覚えている。

 あの薄紫を。今は沈んでいる瞳の強さを。ディアンの全てが、変わったあの時を。


「お前を見つけ、全てを明かし。その上で盟約を守る必要などないと伝えるつもりだった。もし加護を賜れば嫁がされる可能性があると。だが、それを選ぶのはお前にしかないのだと。本当に……っ……」


 堪える息ごと、感情が呑み込まれていく。それでも光が揺らぐ。あの日、ディアンを強く見つめた光は揺れて、定まらぬまま、落ちていく。


「あんな場所で会うつもりはなかった。あんな場所で、あんな……!」


 そうするべきではなかったと。そうしてはいけなかったと。その声はまさしく、懺悔のように。されど許しは請わず、己の行いを悔いるのみ。

 救いはない。それを知っているからこそ指は目を覆い、髪を掴み、そうして息は深く、深く。


「俺のせいで人生を狂わされ、虐げられてきたお前に同情しなかったといえば嘘になる。なんの罪もなく巻き込まれ、強要されてきたお前に償いたかったのかも、今となっては……」

「……それが、僕に加護を与えた理由ですか?」


 グラナートのように罪の意識から、己が放置していたせいで死にかけていたから。だから、そのために愛し子にしたのか。

 その信念をねじ曲げるほどの罪悪感にかられ、友との誓いを破るほどに。そこに……ディアン自身への思いなど、一つもないまま。

 数多いる、人間の一人として。守るべき存在が自分のせいで望まぬ生を強いられることへの償いとして。

 問う声は震えず、固く握った拳はほどけぬまま。沈黙は肯定かと、その答えを受け入れようとして、吐く息が否定を訴える。


「……いや、それもある。だが加護を与えたのは、」


 首を振り、項垂れ。そうして、ようやく合わさった光は……あの夜と、変わらず。


「――俺が、お前を望んでしまったからだ」

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