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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第七章 聖国

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201.三人目の功績

 僅かに見開いた紫。鼓動を刻む心臓。その反応をわかっていたと、見つめる瞳が細まる。


「猶予として与えられたのは百年。その間に人が精霊の恩恵を忘れていなければ、その時こそ赤子を殺せばいいと。……そうして期限を迎えるよりも前に、私はこの地にて女王の地位を与えられた」


 精霊にとっては瞬きにも等しい時間。されど、人にとってはあまりにも長すぎる年月。記憶が薄れ、信仰が遠のき、そうして忘れ去るには十分だ。

 それを当時のエルドは察していた。そうなると分かって……否、わかっていなくても、彼女を助けるために。精霊と、人の間に生まれた子を、守るために。


「教会を作り、各国へ派遣し……今日までの地位を築くまで、いくつかの精霊は存在を失ってしまった。だが、あの男が私を生かし役割を与えたからこそ、この程度の犠牲で済んだ。……ある意味、最も精霊と人間に貢献したとも言えるな」


 精霊王の、三つ目の分身。何度断ろうと伴侶を迎える権利を与えられた者。それだけの功績。忘れられた名前。……エルドの、本当の名前。

 繋がっていく点。明かされていく疑問。光が満たされるのは、周囲を飛び交う妖精だけではない。


「とはいえ、最初から上手くいった訳ではない。愛し子の価値ができたことで精霊王は婚姻を認め、他の精霊らも伴侶を迎えようとした。だが、人の精神は脆いものだ。アピス様があの暴虐に耐えられたのは、彼女が戦士であったからこそ」


 首を振り、視線は扉へ。その向こうに存在する彼女たちへ。


「大抵の者は病み、やがて命を落とした。生きていても骸と変わらぬ者もいる。……トゥメラ隊とは略式でな、正式な名はトゥエラ・メラーキと呼ぶ」

「……狂気の愛」


 耳慣れぬ響きでも、ディアンはその意味を知っている。どちらも古代語で、単純に意味を掛け合わせたものだ。

 トゥメラ隊の由来が明かされていなかったのも当然であろう。まさしく、そうして生み出された子たちからすれば狂気でしかない。


「名付けたのは奴らへの皮肉のつもりだ。彼女たちは私と同じく、望まずに迎え入れられた者たちの愛し子。精霊界に残ることは許されず、されど人としても生きていくことはできない。……ここは、そんな愛し子たちの為につくった唯一の居場所でもある」


 婚姻を認めながら子を成すことを良しとせず。されど人は人ではないものを恐れ、異端として扱う。

 今でこそ神聖視されているが、何も知らなければ……何年と姿が変わらぬ者を恐れるのは無理もない。

 限られた者しか入る事ができないのではなく、彼女たちが生きていける場所はこの地にしか存在しないのだ。

 隊という体をとったのは、女王が彼にそうしてもらえたように役割を与え、存在価値を認めるため。ここにいてもいいのだと、そう思えるようにするため。


「入隊を女に限定しているのはアピス様の名残が無いとは言わないが、我々も子を成すことを禁じられているのでな。接触の機会は限りなく低いが、男だからと国から追い出してはいない」


 思い出すように和らぐそれは、威厳ある女王の姿ではなく、一人の少女のようにも見える。


「本来、この宮殿は『選定者』以外は男子禁制だ。……これ以上被害を増やさぬよう、人間と精霊の婚姻を数百年に一度と制限したのも、ヴァールの功績と言えるだろうな」


 今だけはグラナートたちも許しているのだと、笑う声に合わせて光が揺れる。

 彼女たちも同じように笑っているのか、そうしているだけなのか。やはりディアンに認識できるものはなく、聞き慣れぬ響きに鼓動がまた跳ねる。

 どれだけ記憶を漁っても、その名が司る力は出てこない。あの通い詰めた書庫で全てのページを開いたって探し出すことはできない。

 求めている答えはここにしかない。……だけど、ここではない。


「あの男に対して、リヴィたちの態度は酷かったかもしれない。だが、彼女たちもあの男には感謝している。精霊に血の繋がりという概念はないが、私にとってあの男は叔父のようなものだ」


 猶予として与えられた百年の間。今でこそ語っているが、当時は到底受け入れられるものではなかったのだろう。

 それを諭した相手は、その道を示し見守ったのは、きっとディアンと同じ。

 だからこそ、と。女王は続ける。


「そんな相手が、奴らと同じ轍を踏もうとしたことを許せぬ我らを、理解しろとまでは言わない。……だが、同じく巻き込まれた者として、その胸には留めておいてくれ」


 それだけの信頼を寄せた相手の行いを。信じていたゆえに裏切られるかもしれない恐怖を。

 今まで人間を見守り続け、その痛みを知っているはずの男への怒りを。……それを、止めきれなかったことへの後悔も。

 押しつけるつもりはないと。それでも、知っていてほしいと。笑みを消した女王はディアンに向き直り、そうして問う。


「ディアン。なぜあの男がお前に加護を与えなかったか知りたいか」


 巻き込まれるに至った全ての始まりを。グラナートが報告しなかったのでも、ヴァンが精霊王と盟約を交わしたのでもなく、ここまで事態が悪化し巻き込むに至った原点。

 加護を与えることを喜びとしながら、そうしなかった理由を。今になって与えたその訳を。

 ようやくその理由を知れる。ようやく、その答えを得られる。


「……いいえ」


 だが、ディアンは首を振る。

 求めていた。ずっと欲しかった。どうして自分だけ精霊の加護が与えられないのかと。なぜ自分だけが、そうなってしまったのかと。

 求めば与えられる。そして、それは知らなければならないことだ。それでも紫の瞳は彼女を見据え、意志を告げる。


「彼は宣言しました。聖国に着き、あなたとの謁見を終えた後全てを説明してくれると。……僕はそれを、信じるのだと」


 そう、ずっとずっと信じていた。今だって信じている。彼がその約束を守ることを。その宣言を果たしてくれることを。

 彼を信じると、彼自身に……そう、誓ったのだから。


「……そうか。だが『候補者』であるお前を危険に晒すことはできない。この国の女王としても、私個人としても、許可は出せない」


 その答えも予想していたのだろう。一瞬だけ和らいだ表情は、すぐに険しいものになる。

 これ以上魔力に侵されないために枷を施されている。これをもってしても、エルドに近づくだけで影響を受けてしまうのだろう。

 意味も無く遠ざけることはない。だからこそ彼女の目は厳しく、声も鋭いものとなる。


「答えを焦る必要はない。整理がつくまで、ここにいる間は自由に過ごすといい。伝えたとおり、お前が入ってはならぬ場所は存在しない。……一部を除いてだが」


 話は終わったと、立ち上がる彼女の背から足元へ視線が落ちる。覗き込むような光に、ディアンの顔はどう映っていることか。


「くれぐれも、ここから東にある地下室には近づかないように。サリアナは別館の地下にて拘束しているので危険はないがな」

「……は、い」


 思わぬ情報に返事が遅れてしまう。東の地下室。どこまで向かえばいいかは不明だが、方向が分かれば目安も付けられる。

 ……あの人は、そこにいる。


「私の選りすぐった優秀な戦士たちに間違いはないが、もし居眠りをしていたとしても通り抜けないように」

「えっ……は、はい」


 狙っていることはバレているし、バレていることにも気付いている。

 そのうえで諦めようとしていないのだから念も押したくなるだろうが、まるで子どもに言い聞かせるかのようだ。

 いや、何百年と生きてきた彼女ならば自分など赤子も同然であろうが……。


「もちろん鍵も厳重に管理しているが、なにかの間違いで誰かが落としていたとしても決して解錠しないように」

「……は、い?」

「念を入れて中にも見張りを置いているが、もし運悪くなにかの事情で離席していたとしても決して中には進まないように。万が一入ったとしても奥まで行かなければ――」


 万が一、絶対、あり得ないと思うが。と、言葉を続けながら具体的に釘を打たれれば、さすがに気付くものがある。

 これは咎めているのでも制止しているのでもなく……。


「じょ、女王陛下」

「なんだ」


 遮られ、不満そうな声を出すもその顔は穏やかだ。

 もしかして、なんて疑うまでもない。


「……ありがとう、ございます」


 深く頭を下げれば、小さく吐かれた息が聞こえる。その顔こそ、どうしようもない子どもを見るものと同じ。


「私は忠告しただけだ。……ああ、ついでにこれは独り言だが」


 こんな大きい独り言などないと、突っ込む勇気はさすがになく。小さな背しか見えなくなり、その表情はわからぬまま。


「黒とは本来、何者にも染められぬ色であったはず。故に黒を持つ愛し子は、他の部位にその兆候が現れることが多い。それでも変わったというのなら、」


 瞬く瞳にその名残はなく。刻まれた紫は光を帯びて揺れる。


「――どれほどの想いが、込められていたのだろうな」


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