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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第七章 聖国

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183.待ち望んでいた再会

 普段なら、そこは明るい空気に満たされていただろう。

 朝捕ったばかりの魚や新鮮な野菜も並ぶ露店。それらを求めに来た人々の会話。船から荷を下ろす指示に、そんな光景を眺める者たち。

 彼らにとっては、今日も穏やかな日常が続くはずだった。

 ……されど、もはや平和とはかけ離れた現状に、ディアンの顔が強張る。


「……でん、か」

「ディアン!」


 呟く声は細く、小さく。否、それは無意識に漏らしたものだ。呼ぼうと思って呼んだのではない。そこにいるはずがないと、否定したい気持ちが溢れただけだ。

 それでも、呼ばれた彼女は笑う。花のように愛らしく、月のように美しく。頬を赤く染め、喜びを全身で表しながら。

 ヒールが鳴り、近づく足音に肩が跳ねるより先にゼニスが吠える。前に回り込み、低く唸る姿を見ても彼女――サリアナが怯むことはない。

 鎧の擦れる音が背後から聞こえ、彼らに囲まれたことを知る。

 完全武装の兵士は、少なくとも十人以上いる。その全てに剣先を向けられ、息を呑んだ理由は、巻き込まれた夫婦とディアンでは意味合いが異なる。

 青ざめた表情から前に視線を戻す。灰色のローブを纏い、ゼニスを見下ろすサリアナ。その背後に立つメリアとペルデの姿にも驚愕を隠せない。

 一ヶ月前と変わらぬ姿で、ディアンへの不快感を隠すつもりもなく、鋭く睨み付ける妹。そしてなにより、異様すぎるペルデの姿に。

 薄汚れた服とやつれた姿。グラナート譲りの茶色の瞳は濁り、向けられた視線は本当にディアンを見ているのか。

 目が虚ろなのはディアンを取り囲む兵士も同じ。否、雰囲気だけでいうならペルデよりももっと異様だ。

 母親に抱かれた赤子の泣き声が思考を遮る。渦巻く疑問に与えられる答えはない。

 なぜ、サリアナがここに。どうして妹までいるのか。ペルデはなぜ、あんな姿に。

 彼らがこんなにも大勢の兵士を引き連れ、ここまで来られるわけがない。国王は止めなかったのか。グラナート司祭は。父は。

 どうして彼らがここにいる。どうして、なぜ、ここに。


「ああ、可哀想に……こんなにもやつれてしまって」


 心の底から哀れむような声に、無理矢理引き戻される。狭められた眉。見ているこちらが辛くなるとでも言うように、伸ばされた手が届くことはなく。

 ゼニスが唸れば、その顔から感情が消える。たとえなにも見えずとも、忌々しいと思っているのが伝わるほどに冷たい視線。

 息苦しさに肺を膨らませる。深く吸い込んでも楽にはならず、それは周囲の敵意のせいか、あまりの状況に身体が追いついていないのか。

 それでも、黙したままではいられない。このまま放置していてはいけない。無事に、切り抜けなければならない。

 ……エルドが、戻ってくるまで。彼がディアンのそばに、帰ってくるまでは。


「……なぜ、ここに」


 この際、一目でディアンと気付いたことに関してはどうでもいい。

 意味を無くしたそれを被ったまま、真っ直ぐ貫く瞳に戸惑いがないといえば嘘になる。

 されど悟られぬよう背を伸ばし、問いかける声に震えはなく。誰の耳にも聞こえるようにその声は響き、届く。


「なぜって……あなたを迎えに来たからよ?」


 むしろ、どうしてそんな当たり前のことを聞いてくるのかと。サリアナの笑みは変わらず、首を傾げる姿は可憐に映る

 それこそが違和感を際立たせ、滲むのは焦燥感か、それ以外か。


「迎え、って」

「お兄様が逃げたからでしょう!?」


 甲高い声が鼓膜を揺さぶる。詰め寄ることこそないが、その勢いだけならば今にも掴みかからんばかり。

 一ヶ月ぶりの再会。唯一の兄弟。それなのに、互いに抱く感情はなにもかも違いすぎる。

 変わらないのは、メリアがディアンを責めることだ。その怒りを、ディアンだけに向けることのみ。


「お兄様が私にひどいことをしたのに謝らなかったから! 私は『精霊の花嫁』なのに、嘘を吐いたから! 謝らないまま逃げたから、だからお父様もお母様もいなくなったのよ!」


 逃げたと罵倒され、強張ったのも一瞬だけ。続く言葉に繋がりを見出せず、困惑は増すばかり。

 メリアにしても、ヴァンにしても、逃げたと思われても当然の別れだ。原因が誰にあるにせよ、彼らがそう考えることは想定していたこと。

 だが、それがなぜ、両親の失踪に繋がるのか。


「お兄様のせいでひどいことばっかり! 全部お兄様が悪いのに!」


 いつものように、一ヶ月前と変わらず。響く高音が頭に反響し、掻き混ぜる。

 懐かしくも不快で、それでも思考が鈍ることはない。

 もうあの夜とは、あの日とは、違う。


「メリア、なにがあった」

「全部お兄様のせいでっ――!」

「メリア」


 半狂乱な声が、静かに呼ぶ名に遮られる。淡々とした低音は張り上げることなく響き、それは有無を言わせぬ圧を含んでいた。

 強い眼光。その紫の光が見えた者は誰もいない。もしメリアがそれを直視していたなら、言葉すら失っていただろう。

 だが、見えていないのならば感じたソレがなにか理解することもなく。一瞬怯んでも言葉は続く。


「っ……お兄様が、私に謝らなかったから。謝らないまま逃げたから、だからお父様はお兄様を探すためにずっと帰ってきてないのよ!」

「……なんだって?」

「お母様だって! メイドも騎士もいなくなって、変な女たちしか! 『花嫁』なのに大切にしてくれない、ひどい人たちしかいなくなって! お兄様がいなくなったせいで滅茶苦茶よ!」


 父が、自分を探している。だから家に帰ってきていない。

 エヴァドマの一件を考えれば、ディアンを探していることに対しては納得がいく。だが、なぜ母もメイドも、彼女を守るべき騎士さえもいないのか。

 変な女……メリアがそう称するとなれば、考えられるのは一つ。


「その人たちは、蒼い鎧だったか」

「だからなんだっていうの!」


 それは肯定と等しく、そしてディアンの疑問の答えであった。

 間違いない、トゥメラ隊だ。王家から派遣したメイドと騎士を追い払えるのは、それこそ聖国の権限がなければ難しい。

 ヴァンがいなくなった隙に、とは思えない。そうではなく、メリアを監視する必要があったのか。

 まだ明らかにされていない王国の罪にメリアが関与していたとは考えにくい。しかし、無関係とも思えない。

 彼女が意識せぬうちに関わっていたなら引き剥がす必要がある。同じく、ヴァンも母も、そして派遣されていた騎士もメイドも全て。

 ヴァンがディアンを探していたのは嘘ではないだろう。だが……今は、そうではない。

 彼もまた、監視下に置かれている。そうでなければ、『花嫁』に『ひどいこと』をする者たちを放置しているはずがない。

 すでに事は動いているのだ。ディアンの証言を待たずして、その証明の必要もなく。


 ――ならば、なおのこと。どうして彼女たちはここにいる?

 トゥメラ隊によって監視されていたのがメリアだけとは考えられない。そもそも、監視されていてここまで来られるわけがない。

 いくら姫に同行したからといって……否、王族がいるからこそ、その行動はより厳しくなっていたはず。

 仮に許されたとして。あるいは、その目を盗んだとしても、あまりに来るのが早すぎる。

 港の閉鎖が本当にサリアナの指示だったとしても、王都からラミーニアまで馬車で飛ばしても三日はかかるはずだ。そこから海路となれば、更に数日。

 ディアンたちの船が嵐で遅れたのは一日だけ。とてもその差を埋めるだけの時間にはならない。

 そもそも、これだけ大勢の兵士を連れ、『精霊の花嫁』を他国へ連れてこられる訳がない。

 いくらここが聖国であり、本来『花嫁』がいなければならない場所であってもだ。

 だが、彼女たちは迎えと明言した。つまりそれは、ディアンと共に王国に戻ろうとしている。

 王族が他国に、それも武装した兵士を連れて来るなど。宣戦布告と取られても言い訳はできない。明らかに協定違反だ。言い逃れもできない。

 たった十数人であろうと変わらない。問題は数ではなくその思考なのだから。

 こんなこと、いくら国王が姫を愛していようと許すわけがない。そして、どう考えたって事が発覚してからではディアンに追いつくことはできなかった。

 普通の方法であれば。人のとれる方法なら。

 ……つまりそれは、人でない力であれば、可能ということ。

 浮かんだ可能性を咄嗟に否定する。あり得ない。否、あってはならない。だが、それしか考えられない。

 否定したい。考えすぎだと思いたい。なにか他の、ディアンの知らない技術で。なにかしらの魔術で可能にしたのだと、そう信じたい。

 だが、それこそただの逃避。ただ現実から目を逸らすだけの行為だ。

 問わねばならない。だってそれは……どれだけ否定しようと、既に起こってしまったことなのだから。


「――まさか、門を通ってきたのか」

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