166.港の異変
四人を乗せた馬車は、ディアンの予想に反して軽快に進んでいた。
隣にはエルド。正面には見送りをしたいと同乗したララーシュと、レーヴェン家当主。そして、自分たちを照らす光は開けられた窓から惜しみなく。
チラリと見やった外に行き交う人こそ多いが、大通りにあった屋台の類は見当たらず。道幅も狭いことから、主人の言っていたとおり迂回していることを知る。
壁に遮られて景色はいいとは言えないが、閉めきっていないだけで受け取り方も大きく変わってくるものだ。
実家にいた頃も馬車に乗る機会はあったが、それも『精霊の花嫁』の家族として王家に招かれるか、あるいは帰宅途中でサリアナに捕まり家まで送られるかのどちらか。
どちらも窓は閉じていたし、開いていても外を見ることは許されなかっただろう。
無邪気に話す妹に応答する両親か、楽しそうに語りかけるサリアナ。そして、閉じきった窓を眺めるかの三択。
ゆえに馬車自体にいい思い出はなく。それでも気が重くならないのは、そんなことを思い出す暇すらなかったからだ。
繰り返される感謝の言葉に、この町の雑学。観光も含めた小話と、楽しい時間であれば過ぎ去るのは早い。
このままあっという間に港まで着いてしまうのだろうと、そう思っていた矢先に蹄の音が止まる。
「ここを抜ければすぐ――おや?」
もう着いてしまったと、そう考えたディアンを否定したのはレーヴェン家当主の疑問の声だ。
人が多く進めないのかと思っていたが、聞こえてくる音は何やら様子がおかしい。
活気づいている……というには、少々慌ただしく不穏だ。
怒鳴り声、不満、子どもの泣き声。どう聞いてもこの街に着いたときに感じたものとは違う。
窓から覗き、真っ先に映ったのは港にひしめき合う人々。それだけなら変わりなかったが、どうやらなにかに詰め寄っている様子。
人影に阻害されて見えないが、聞き取れる単語からしてなにか説明を求めているようだ。どうすればいいのかと尋ねる声もちらほら。
「なにかトラブルでもあったのでしょうか」
「――旦那様!」
これ以上進めそうにないと、下りる旨を伝える前に投げかけられた声は馬車の外から。
慌てた様子で走ってくるのは、おそらく商会の従業員だろう。ご当主が顔を覚えているということは、普段から関わりのあるもの。それなりの職位に就いている者と予測できる。
「何事かね」
「今朝いきなり、他国への航海を当面の間禁ずると通達が……! オルレーヌ行きでさえ止められています!」
「なんだと?」
我が耳を疑い、それから聞こえてくる喧騒によって事実であると知る。
どれも通達に困惑し、国を出られないことへの不満に対してだ。聖国行きさえ止まっているのはどういうことだと、誰かの怒鳴り声に呼応するのは一人や二人ではない。
旅行船なら国の状況によっては規制をかけることもあるが、オルレーヌ行きまで規制することは通常あり得ない。
それは教会との取り決めでもあるはずだ。よほどの理由がない限り、その航海を制限することはできないはず。
エルドの表情が険しいことから、彼も把握していない事態であると知る。
「協定違反を犯し、収容所へ送られるはずの犯罪者が逃げ出した可能性があると。国外への逃亡を阻止するため、事態が収束するまで正式な許可がなければ出せないとの一点張りで……!」
「そんなはずは……!」
間違いなくダガンたちのことだ。本来なら犯罪者の輸送船であったのに、それをそのまま誘拐の手段として使ったのだ。
それを王都が把握していなくとも、罪は罪。慎重になって当然のこと。
……だが、当人たちは既に然るべき場所に送られたはずだ。教会も確認しているのだから間違いないはず。
これが市民の噂ならまだわかる。実際にその一連を目にしていた者がいれば、僅かな真実から尾ひれが付き、収拾がつかなくなるのはよくある話。
だが、今回はそうではない。国が把握し、そのうえで意図があって行われた行為なのだから。
「聖国は例外ではないのか」
「乗船者でなく荷物に紛れて出港する可能性があると。事実確認ができるまではオルレーヌも対象と」
「教会はなんと?」
「すでに他の者が向かっていますが、出国できない者が詰め寄り、まともに話もできない状況で……」
訴えても聞き入れられないなら、正式に抗議できる機関に訴えるのは自然だ。
問題は、そうしてやってきた者たちが冷静に話を聞けないほどに高揚していること。どうにかしてくれの一点張りで、あらゆる怒りと困惑を吐き出しているだろう。
国に確認するだけでも時間がかかる。そのうえ先日の誘拐事件の対応と、駆け込んできた市民の対応。
遠目に映る教会。その入り口に集まる数を見て、今は近づくべきではないと判断する。
「じゃあ、お兄さんたちはオルレーヌに行けないの?」
視線は外の男から父親に、それから自分たちへと移り、不安そうに瞳が揺れる。
船が出せないなら普通はそう考える。それ以外の方法となると陸路になるが、それこそ何ヶ月かかるか。
さすがにそれだけ待つことはできないが、今すぐというわけでもない。
教会にさえ入れればなんとかなるはずだ。ほとぼりが冷めるか、あるいは正面からが難しくとも裏口から入れればまだ……。
「僕たちは他の方法で、」
「いや」
だが、否定が紡がれ、一度止まり。それから向けられた薄紫は険しい。
『……これでは門で向かうことはできない』
再び紡がれる否定は同じ意味でも、語られた言葉は古代語だ。つまり、それはララーシュには聞かせられず、ディアンだけに伝えたいということ。
『開港されるまで教会には人が押し寄せるだろう。今の状態で門を開けば無関係な人間にも影響が出てしまう』
『でも、事実確認がされれば解除されるのでは……?』
『数時間ならともかく、たらい回しにされて数日かかる可能性が高い。そもそも確認できてるならここまで大掛かりなことはしない。……いや、むしろ港を封鎖すること自体が目的か』
犯罪者が逃げ出したから閉鎖したのではなく、閉鎖するための理由にしたということか。
それでは、目的と手段が逆になっているじゃないか。
『この場合事実がどうだろうと、逃げられた可能性があると言い張れば教会も解除しろとは言えない。協定違反が絡んでいるなら余計にな』
『ですが、閉鎖が目的と決まったわけでは……』
『犯罪者を逃がしたなんて醜態、普通なら箝口令がしかれる。目撃者から噂が広がるならともかく、役人から説明されているなんてそもそもが異常だ。不信感を煽ってでも、止めたい理由があるんだろうが……』
醜態を晒してでも止めるだけの目的。そうするだけの価値があること。思い当たるのは一つだけ。
『……僕が生きていることを知り、発覚することを恐れているのでしょうか』
この国の罪を曝くためには、ディアンがその事実を知らないことが重要であると。いつかの夜、確かにエルドはそう言った。
なにも証言できずとも、なにも知らずとも、それこそが重要なことなのだと。
今まで追っ手が来なかったので意識していなかったが、王国側が把握していないはずがない。
今回の騒動でディアンが生きていることを知ったのだろう。自らを脅かす存在をみすみす見逃すとは思えない。
いや……死んでいないのは、きっとそれよりも先に。だからこそ、アンティルダがディアンの存在を知っていた可能性の方が高いし納得もいく。
ただの一般人ではなく、証人としての扱いなら。ディアンが思いついていた理由より、よっぽど筋が通っている。
『いや、奴らはお前が証拠になることを知らない。知ったところで、お前個人を引き止めるためだけにここまでのことはしないだろう』
「隣町に移動するのは」
むしろそうであってくれと寄せた期待は、否定とともに消える。
ザワリと胸が騒ぐ。否定したかった可能性が浮上し、それを振り払うように出た言葉を古代語で述べる余裕はない。
「……一番近くても三日はかかる。教会の馬車は使えないし、万が一を考えて借りるのも得先ではない。そもそも、他の教会では必要な工程が踏めないから向かうだけ無駄だ」
来た道を戻るにしても、別の方角に向かうにしても同じ。ここでしかできないのなら、移動する意味はない。
船で向かうこともできず、門を使うこともできない。完全に行く手を阻まれている。
『無関係とは思えないが、ここまでしてお前を引き止める理由としては薄すぎる。保身故に暴走している可能性も否定できない』
説明するエルドも、納得はしていないが否定もしきれないと表情は険しい。
事実として、王国は犯罪者を逃がした。それも道中ではなく、国が管轄している船ごとなんて大失態もいいところだ。
把握していない者が逃げていたとして、それが聖国へ逃がしたとなれば更に問題へ発展するだろう。そう考えれば、オルレーヌへの航海が禁じられる理由にもなる。
今は高揚している民も納得すれば教会も落ち着き、門も使えるようになる。
本当にそれだけなら問題はないのだ。本当に、それだけですむのであれば。ただ、ここで待っているだけで解決するのなら。
胸がざわめく。考えすぎだと思いたい。違うのだと否定したい。あまりの不安に突拍子もない、被害妄想をしているのだと。
口にするだけ愚かで、無駄なことだ。馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ってしまいたい。
なのに……なにかが、突き動かしてくる。
このまま無視するわけにはいかないと。聞かなければならないのだと。
聞くべき時は今なのだと。ディアンの中のなにかが、訴えている。
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