159.感動の再会
それから数時間後。カモメの声が聞こえだした頃に、船は何事もなく陸へと着いた。
子どもたちと共に向かった甲板で、真っ先に目についたのは朝日に照らされた幻想的な海――ではなく、悲惨の一言では言い表すことのできない光景であった。
点在する黒は、破損した箇所に突っ込んだ黒ずくめの男たちの姿だ。床も壁も穴だらけで、むしろ無事な箇所を探した方が早いほど。
それだけでも目立つが、一番は中央で倒れている巨体だろう。
大の字でいびきをかいて眠る姿は、まさしく熊か怪物か。よく目をこらせば、下敷きになっている男がいるような、いないような。
「……大丈夫ですか、あれ」
敵の心配をするつもりはないが、思わずそう聞いてしまうほどの大惨事。
清々しい朝とはあまりにもかけ離れた光景に、ララーシュを含め子どもたちを連れてきてもよかったのかと少し心配になる。
階段の手前で待機させているが、出る時には見えてしまうだろう。
ただでさえひどい目にあったのに、これ以上のトラウマを植え付ける必要はない。とはいえ、下手に触れて起こしてしまうつもりもないが……。
「言ったろ、暴れ疲れて寝ているだけだ。くわえて睡眠魔法もかけてあるから余計にな」
ディアンの指差す方向を見ないのは、もう目を向ける価値もないということだろう。
ダガンの方ではないのだが、と思っても訂正する気はおきず。ひとまず生きていることを願いながら、足はエルドの隣へ進む。
逆に指をさされ、見やった方向。真っ先に視界に入ったのは、赤く照らされた海ではなく、太陽を反射する壁の眩しさだった。
白で統一されたそれらは、光に慣れきっていない瞳にはやや強すぎる。思わず目を細め、慣れるまでに聞こえてきたのは、なにか指示を飛ばすような声。
徐々に光が馴染めば、船を見上げる大量の人影にようやく気付く。
魚の鱗のように光る表面。ヒラリと揺れる布は、それだけでトゥメラ隊の者だと気付かされる。
住民らしき姿も多いが、一際目立つのは最前列でトゥメラ隊に囲まれた夫婦だろう。
身なりからして爵位持ちか、金持ちか。ただ囲まれているだけならそこまで気にはしなかったが、その凹凸とも呼べる身長差は無視しがたい。
周囲の誰よりも頭一つ分抜け出した高身長の女性と、その手をしっかり握り、不安げにこちらを見上げる低身長の男性。
女性の方は美形と呼べる外見だが、主人の方は平凡寄り。
丸みを帯びた体型。手入れされていることがよく分かる形のいい口髭と、七対三できっちりと分けられた前髪。
幼児向けの人形で見かけたような気がする、なんて考えてしまうのも現実逃避の一環か。
隣の夫人のつり目も相まって、見れば見るほど相対的な夫婦に見える。唯一同じなのは、その栗色の髪だろうか。
ともかく、ただ気になって来たとは考えにくい。となると……。
「……もしかして、あそこにいるのは」
「あぁ。現レーヴェン家当主と、その夫人だな」
髪色が違う、なんて馬鹿馬鹿しい問いは返さない。
ララーシュ本人も、最初は違う髪色だったと言っていたのだ。加護を授かり、愛し子となり……なにもかもが変わってしまったのだと。
本来なら、彼女も両親と同じ栗色の髪だったのだろう。本当の瞳の色は父親か、母親に似たか。
メリアとそっくりと思っていたが、こうして見ると目元に関しては父親に似ているように見える。
……全てが加護に影響されるわけではないようだ。
「もしかして、夜明け前から……?」
「いや、陸に近づいたところで連絡を入れておいた。乗り入れしやすいように周囲の船をどけてもらう必要があったしな」
改めて周囲を見れば、たしかに周囲に他の船の姿は見えない。本来、この時間帯なら捕ってきた魚を水揚げしているはずなのだが……。
そんな思考を読み取ったのか、再び指でしめされた方向を見れば、離れた位置で作業をしている小さな船がいくつか。
ただ停泊しているだけのものもありそうだが、乗っているほとんどの人間の視線がこちらに向けられているのは変わらない。
そうしているうちに別の方角から列のようなものが近づいてくるのに気付く。
均等に並んだ二列……いや、どうやら木の板を運んでいるようだ。
「あれは……?」
「ん、やっと来たか。あれはスロープの代わりだ」
あれを待っていてまだ陸に戻れなかったのだと、そう補足されて首を傾げる。
「スロープなら、甲板にあるのでは……?」
スロープとは、船の乗り降りに使う板のことだ。小さな船ならともかく、これだけの規模になるとなければ乗船も下船も難しい。
基本的に船で管理するものだし、犯罪者の輸送船ならあって当然のはず。
「正しくはあった、だな。あれじゃあさすがに使えん」
あれ、と示されたのは粉々になった木の破片……もとい、スロープだった物だ。
人を支えられるだけの木の板なら、相当の大きさと頑丈さが求められる。一体どうすれば、あそこまで粉砕できるのか。
いや、ダガンにすればあの程度、玩具同然なのかもしれない。
「全員を魔法で下ろすのはさすがに効率が悪いし、こいつらの処理もあるしな……っと」
子どもだけを移動させるならともかく、倒れた連中を運ぶなら足場は必須。飛び越えられる距離でもないし、魔法で維持させるのは非効率だ。
それなら多少待ってでも物理的な解決を望んだ方がいいのは確か……と、納得している間に、その解決手段が到着したようだ。
乗降口に差し込まれる板。その先端に括られているロープはこちらで固定するためのものだろう。
エルドと手分けして括ろうとした矢先に板がたわみ、誰かが駆け上がってきていることに気付く。
見やれば、先ほどまで不安げに船を見上げていたはずの父親が、凄まじい勢いで向かってきているではないか。
「お待ちください、まだ中の確認が……!」
「ララーシュ! ララーシュ!」
制止の声など物ともせず、あっという間に甲板に辿り着いた父親が目を開く。当然だ、娘がいるはずの船でこんな光景を見れば、そうもなるだろう。
「ララーシュは、私の娘はどこに!?」
「落ち着け、娘さんなら……」
「――お父様!」
見える範囲にいないと知るやいなや、一番近くにいたエルドに詰め寄る男に、後ろの制止は聞こえていないようだ。
なんとか落ち着かせようと加勢するよりも先に、ララーシュが階段の下から出てきてしまった。
あの大声で、この距離だ。そして、待ち望んでいた親との再会。
いくら大人びているといえ、あの齢の少女に我慢しろというのが無理な話だ。
「ララーシュッ……!」
「お父様っ……!」
駆け出す少女を止める者はなく、同じく走って向かう父親をエルドが止めることはない。
感動的な再会だ。周囲は死屍累々だが、安全が確保されているからこそ許容できる行為。
実際に誰一人として動かず、起きる気配もない。なんの危険もないはずだ。
見える範囲は。見えている、限りは。
じわり、言い知れぬ違和感が込み上げる。
エルドも事前に確認しているはずだし、睡眠魔法をダガンだけにかけたとは言っていない。
そして、中途半端に安全を確保した状態で自分たちをここまで連れてくる人ではない。
なにも心配することはないはず。なのに、なぜ胸騒ぎがするのか。
ゆらり、影が動く。それは太陽が雲に遮られたからではない。この眩しい朝焼けに似つかわしくない黒は、確かな質量をもってディアンの視界に飛び込んできたのだ。
無事だった主柱の裏。その影からララーシュの元へ、一直線に。
危ないと、叫ぶ余裕もなかった。腕は前に、そうしてありったけの魔力を込めた障壁が異音を立てて輝く。
バチ、と。なにかが弾けるような音と共に光が散る。否、実際に障壁はその影――ララーシュに伸ばされた男の腕を弾き飛ばしたのだ。
短い悲鳴と、少女を呼ぶ声。そして、目論見が外れたことへの悪態。ディアンがまともに認識できたのはそこまでだった。
目眩に襲われ、耐えられずに膝をつく。末端が急激に冷え、まるで四肢から血が抜かれてしまったかのよう。
いくら薬……のようなものを飲んだ後とはいえ、長時間負荷魔法をかけられた後に、全力で魔法を放てばこうもなる。咄嗟過ぎて加減ができなかったなど、ただの言い訳だ。
倦怠感に顔を上げることもできずにいれば、視界が白に染まる。
だが、それが魔術の影響ではなく、物理的なものであると気付いたのは途端に襲ってきた煙たさのせい。
腕を掴まれ、踏ん張ることもできずに身体が引き摺られる。それがエルドではないと理解しているのに、思考が身体に追いつかない。
盾にされると、そう思った瞬間に強い目眩に襲われる。先ほどの比ではない。
身体の内側から掻き混ぜられる不快感に口を押さえることもできない。四肢が硬直し、まるで木偶になってしまったかのようだ。
身体中の体温が奪われていく。寒いのか、熱いのか、その境目さえもわからない。
だが、なによりその身を襲うのは、無理矢理精神と身体が引き剥がされるような言い表せられない恐怖だ。
自分が自分でなくなってしまうような、なにか違うモノに作り替えられてしまうような。そんな言葉にできない感覚が、全ての判断を鈍らせている。
動かなければと、逃げなければと。どれだけそう考えたくても、頭の奥が痺れてまともに回らず。込み上げる吐き気に嘔吐くことさえままならない。
「――ディアン!」
名を、呼ばれた気がする。いや、呼ばれたのだろう。
呼ばれ、引き寄せられ……息が、できる。
遠くでゼニスの吠える声と、悲鳴のようなものが聞こえる気がする。だけどわからない。気持ち悪い。なにが起きている。なにが、どうして。
「ディアン、しっかりしろっ……ディアン!」
よばれる。よばれて、いる。あのひとに、エルドに、よばれている。
返事をしなくては、いけないのに。聞こえていると、伝えなければならない、のに。
霞んでいく世界の中。意識が途切れるその狭間に見えたのは、必死に呼びかけるエルドの瞳ではなく――なにか、門のようなものが消える瞬間だった。
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