157.レーヴェン家
向かっている道中、懸念していた人影はほとんど見られなかった。
正確には、動いている人というべきだろう。
ゼニスに気絶させられたと思われる男たちを飛び越え、遠くから聞こえる悲鳴やら破壊音やらを背に奥へと進んでいく。
船の規模は不明だが、道中で下に続く階段も見かけたので、中型から大型には違いない。
逃げにくいようにと最下層に閉じ込められていると思っていたが、辿り着いたのはほぼ真下に位置していた奥の部屋。
うつ伏せに倒れた男の服をくわえ、端に寄せているゼニスの姿に、そこが目的地だと知る。
「中は?」
ゼニスも自分たちが来たことに気付き、こちらへと向かってくる。問いに対する答えは小さく吠える声が一つ。ディアンにはわからずとも、エルドにはそれで十分。
警戒することなく扉を開けるのは、中の安全が確保されていると伝えられたからだ。
元は物置として使用されていた部屋なのだろう。鉄格子の類の代わりにあるのは、雑多に積まれた木箱や布の類ばかり。
その合間に収まるように座っていた子どもたちがこちらに視線を向ける。怯えた気配に横になっていた者たちも起き上がれば、部屋の中は途端に緊迫感に包まれた。
ララーシュの言っていた通り、人数は十人以上。その過半数が愛し子かはディアンには判別できなかったが、僅かに細まった薄紫を見るにそれも間違いないようだ。
男女や服装の差はあるが、齢は六歳から十歳程度が多く見られる。
怯えている子、睨み付ける子、こちらから身を隠そうとする子。反応もそれぞれ違うが、どれも好意的な反応ではない。
当然だろう。ディアンもエルドも、彼らからすれば大人だ。自分たちに害を成す者と違いはない。
素直に助けに来たと言っても、この分では信じてもらえないだろう。エルドの持っているメダルも、この年では知っているかどうか……。
「お兄さん、下ろしてもらっていい?」
「あ……うん、どうぞ」
エルドなら案があるかと考えていれば、抱えていた少女に耳打ちされて身を屈ませる。簡単なお礼と共にディアンの元に離れた少女は、真っ直ぐ子どもたちの元へ。
「驚かせてごめんなさい、私はララーシュ。この人たちは教会の人で、私たちを助けに来てくれたの」
「……教会の?」
その単語に反応した若干名の表情が和らぐ。年齢の近い少女から言われたことも、警戒をとく要因になったのだろう。
口々に聞こえるのは子どもたちの心の声だ。助かるのか。お家に帰りたい。お父さんとお母さんに会いたい。
希望に満ちたものもあれば、今にも泣きそうなものも。どれだけの期間ここに閉じ込められていたかはわからないが、まだ幼い子どもが受けていい仕打ちでないことは間違いなく。
「待てよ、本当かどうかわかんないだろ! それに、教会の人なら青い恰好をしてるはずだ!」
震えた声はその一角からだ。睨み付ける少年の後ろ、庇われているのは妹か弟か。
安易に信用できないと、震える膝を叱咤する姿はなけなしの勇気を振り絞っているのだろう。
ディアン自身が言うのもなんだが、確かに都合がよすぎる。もう船は海に出ていて、そのうえで助けに来たなんて。
この子の立場であれば、誰かが青を纏っていたとしても本物か疑っていただろう。
自分自身を、そして大切な人間を守るためだ。警戒するのは決して悪い事ではない。
「捕まえる前ならともかく、捕まった後なのに嘘を吐いても仕方ないでしょう? レーヴェン家の名に誓って嘘はないわ」
胸を張り堂々と名乗る姿は、知らなければ地位のあるご令嬢と勘違いしただろう。
とはいえ、彼女の言う通り港一の商会ならほぼ権力者と変わらなくも思うが……と、考えていれば子どもたちの様子が変わり始める。
「レーヴェン家?」
「知ってる。お母さんが、街の偉い人の名前だって……」
「兄ちゃんが働いている工場も、レーヴェン家の……」
こんな小さな子でも知っているほどだ、どうやら本当に規模の大きい商会らしい。
「ラミーニアの発展に一番貢献している商会だ。ラミーニアと言えばレーヴェンと称されるぐらいには関わりが深い。見かける店や宿の大半に関与していると言ってもいいな」
隣に並んだエルドを見上げ、それからララーシュへと視線を戻す。彼女の言う通り、本当に港一の商会らしい。
「海に行く途中の坂道を覚えているか? あれもレーヴェン家が寄付したことで造られた物だ」
「あの長い坂ですよね?」
細部はともかく、相当長かったことは覚えている。坂でなかったなら階段か、そもそも開通していなかったか。
てっきり最初からああと思っていたが……。
「全体の効率化と地域への貢献も含めてだが、あの坂ができたのは比較的最近のことだな。今の当主に代わってからとして……十年前か」
本当に最近のことだと瞬いている間にも、子どもたちの警戒を解ききったララーシュが部屋の中央に集まるように呼びかけていく。
子どもたちの安全もこれで確保できた。あとは……無事に街に戻るだけ。
「すぐに戻る。……ゼニス、ここは頼んだ」
小さな返事は一つ、名を呼ばれた獣の口から。引き留めるのは、思わず伸ばしたディアンの腕だけ。
引き留められ、振り向いた男の眉が寄る。それで初めて、自分がそうしていたことに気付いても手の力を緩めることはできない。
分かっている。このまま彼がここにいても、船はアンティルダに向かい続けるだけ。
ここにいる子どもたちを守るためには船を奪うしかない。
それができるのはエルドしかいないことも分かっている。……わかっている、のに。
「……大丈夫だ」
苦笑する息が上から落ちて、それからそっと重ねられる。温かくて、優しい。少し角張った、いつもの手が。
手だけじゃない。頭の上にも置かれて、まるで駄々を捏ねる子どもを宥めるかのようだ。違うのは、その手が頬に落ちて、それから上を向かされたこと。
見つめた薄紫は細まり、笑う。いつもそうしているように。ディアンを心配させないように。言葉で、瞳で、声で。その全部で大丈夫だと、安心させるように。
「なにかあったらゼニスにも来てもらう。それに、お前がここにいてくれる方が俺も安心して動ける」
親指で頬を撫でられ、擽ったいような、恥ずかしいような。なんともいえない感覚に戸惑いながら、それでも逃げないのはそれ以上に温かいからで。
大丈夫。……そう、大丈夫だ。だって、彼がそう言っているのだから。
自分は、それを信じると、決めたのだから。
「……信じてます」
頬に添えられた手に上から重ね、信じてもらえるようにとディアンも微笑む。
僅かに開いた薄紫は瞬き、そうして……ふわりと、笑う。
「――ああ」
強く握り返され、解放された手が下に落ちる。
もうその腕を伸ばす必要はなく……扉の向こうに消えていくまで、ディアンはその後ろ姿から目を離すことはなかった。
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