151.その瞳は
背後からかけられた声に意識を戻す。
……そう、そうだ。今は真実を突き止めている場合ではない。
考えるのは後でもできる。今は、ここから出る方法を見つけなければ。
「顔色が悪いわ、もう少し横になったほうが……」
「……いや、大丈夫。君こそ怖くはない?」
自然と小声になる会話。見張りの男の耳に届いているかは定かではなく、しかし黙るつもりもない。
「私は平気。……ねぇ、あの熊みたいな人、知り合いなの?」
「……ちょっとね。それより、聞きたいことがあるんだけど」
返事は肯定だけにとどめ、身体の向きを直す。見張りに対して横を向くことになるが、今は隣にいる彼女が優先。
あの男の指示が本当なら、どこかの部屋に他の子どもたちがいる。それも一人や二人の話ではないだろう。
「他に捕まっている子は、みんな愛し子かな」
「抜け出すときに見たけど、全員じゃなかったわ。でも、ほとんどがそう」
半数以上。ということは、教会もなにかしら把握している可能性はある。全員この街にいる子とは限らないが、全く知らないということもないだろう。
全員が孤児ならともかく……いや、それこそ教会で保護されているはずだ。
彼らまで逃がすのは、ディアンだけでは不可能。
守れるとしても彼女一人だけだ。薄情だと罵られても、理想と現実を間違えてはいけない。
自分は無力で、誰かを守れるほど強くはない。それでも逃げなければならないのであれば、その手に抱えられるものに限られる。
ディアンができるのはここから逃げる方法を探し、教会に……エルドに助けを求めることだ。
彼らを本当に助けるためには。助けられる可能性を高めるためには、ディアンではダメだ。
力不足だと、そう判断することに胸の奥が重く苦しく感じる。それでも、そうしなければ助けられないとディアンは理解している。
感情に振り回され選択を誤ることこそ、最もしてはならないこと。
ここで間違えては、いけないのだと。
「お兄さんも愛し子なんでしょう?」
とはいえ、どうやって監視の目をくぐり抜けるか。そう考えるよりも先に、少女の問いかけに苦笑する。
今思えば、妖精たちもそう呼んだ。彼女たちが嘘を吐いたり、勘違いするかはディアンにはわからない。
おとぎ話のように純粋で、素直であるなら……言葉通りに捉えていいのだろう。
「……僕は」
それまでならすぐに否定できた。違うと。それはあり得ないと。
だが、もうそれが苦しいほどにはディアンも気付いている。
明らかにしていないだけ。突き止めていないだけ。そうだと思い至れる情報は、もう十分すぎるほど与えられているではないか。
「愛し子じゃないよ。……まだね」
だから、否定はできない。だけど肯定もしない。
まだそう断言されていないから。まだそうだと、伝えられていないから。
まだ……エルドからその約束を果たされていないから。
聖国に着けば教えてくれる。その宣言を、まだ果たされていないから。その約束を信じると、そう誓ったから。
だからまだ、ディアンはそう言えない。言っては、いけない。
「まだって?」
「……僕はどの精霊からも加護を頂いていないんだ。それも、今は断言できないけど」
「あ……聞いたことがあるわ。でも……」
そんなことまで噂になっているのか、なんて呆れる気力もない。
この世界を救った英雄。それも、『精霊の花嫁』の兄だ。ディアンが自覚している以上にその名は知られているし、それ以外のことだって。
それだけでも注目されるのに、唯一加護を授かっていないことが広まらないはずがない。
だから彼女が知っていてもおかしくはないが、続く否定にそうではないと首を傾けたまま。
「じゃあ、その目は生まれつきなの?」
一体どんな言葉がかけられるのかと、身構えた割には素朴な疑問で、苦笑は崩れないまま。
なるほど。確かに、黒髪も黒目も珍しい部類には入る。
華やかさこそないが、特別な加護を授かった者全てが派手とは限らないのだ。そう勘違いしても無理はない。
「うん、そうだよ。あまり綺麗じゃないけど……」
「そんなことないわ!」
力強い否定に、少女が自分の口を押さえるのと、その上からディアンが指を押し当てるのは同時。
ジロリと睨まれ、されど黙れとは言われずに、ゆっくりと二人の手が下りる。
「ご……ごめんなさい……」
「こっちも触ってごめんね。痛くなかった?」
弱々しく首が振られ、それが我慢ではないことを願いながら笑いかける。
「あの、でも……本当に、すごく綺麗よ。あなたの目」
手の上が赤くなってないのを確かめていれば、それだけでも伝えたいと見つめられ、なんだかむず痒い。
偽装魔法がかかっている時ならともかく、最後にかけたのは昨日の朝だ。もうとっくに切れてしまっているだろう。
本来の黒い目。鏡で見たのは、もう一ヶ月前にもなるのか。
……本当に、長かったはずなのに、思い返せば一瞬のよう。
「うちの商会は宝石も扱ってて、私も何度も見ているんだけど……それよりももっとずっと綺麗よ」
「あまり宝石には詳しくないけど、黒い宝石もあるのかな?」
白もあるなら黒もあるだろう。だが、だとしても市場の価値としては低いのではないのかと。そう問いかけるディアンの目の前で、緑が瞬く。
「もちろんあるけど……でも、なんで?」
「なんで、って」
「だってお兄さんの目、紫じゃない」
だから黒ではなく他の宝石ではないかと。付け足されていく言葉がディアンの意識を通り抜けていく。
「今、なんて」
「え? えっと、アメシストとか、スピネルとか……?」
上げられる名前はどれも黒とは呼べない宝石だ。それだけでも答えも同義。それでも問いかけるのは、信じられないからこそ。
「僕の目は黒じゃないのか」
「え? む……紫、だけど……?」
笑みを消したディアンに詰め寄られ、少女が戸惑う。それでも伝えられたのは、思い描いていた色ではない。
もう黒のはずだ。黒に、戻っているはず。そもそも加護封じをされているのだ、どんな魔法をかけられていても無効化されているはず。
なのに、まだこの瞳は紫だという。エルドによく似た、あの色だと。
まだ効果が続いている。いや、それはあり得ない。ララーシュが嘘をつく理由だってない。
……そもそも、この目は本当に偽装魔法で変わったのか?
鼓動が脈打つ。一ヶ月前、もうほとんど薄れた記憶。偽装魔法だと言いだしたのはディアンで、エルドはそれを肯定しただけではなかったか。
彼の口から、一度でもそう聞いたか? ……記憶には掠りもしない。
最後に己の瞳が黒と確かめたのは、屋敷にいる時だ。それ以降はずっと、ずっとこの色のまま。一度だって元の色に戻ったのを確認していない。
確かに疑問は抱いた。隠すのであればもっと別の色があったはずだと。なぜ、同じ色でなければならなかったのかと。
問えぬまま過ごしてきた。そんなことどうでもいいと思えるほどのことが、いくつもあったから。
だが、偽装魔法でなければ説明がつく。同じ色にしたのではない。同じ色に、なってしまったのだと。
理屈は分からない。説明だってできない。でも、きっとそれが真実で……ならば、避けられない答えがその奥に潜んでいる。
明かしてはならない。明かすことを恐れていたそれが。エルドの口から聞かなければならない、それが。
きっと辿り着いてはいけなかった。こうして気付いてはいけなかったなにかが。
違うと、否定したい。そんなわけがないと目を背けたい。
あり得ないと鼻で笑い、考えすぎだと自分に呆れて。されど、それは許されない。
知らないことは罪ではなくとも、現実から目を背けるのは……それこそ、愚か者のすることではないのか。
偽装ではなく、この色になるべくしてなったのなら。あの夜、この身体が加護を授かったからこそ変わったのであれば。
妖精たちの言うように、愛し子になったのであれば……その相手は――。
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