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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第五章 一ヶ月後

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151.その瞳は

 背後からかけられた声に意識を戻す。

 ……そう、そうだ。今は真実を突き止めている場合ではない。

 考えるのは後でもできる。今は、ここから出る方法を見つけなければ。


「顔色が悪いわ、もう少し横になったほうが……」

「……いや、大丈夫。君こそ怖くはない?」


 自然と小声になる会話。見張りの男の耳に届いているかは定かではなく、しかし黙るつもりもない。


「私は平気。……ねぇ、あの熊みたいな人、知り合いなの?」

「……ちょっとね。それより、聞きたいことがあるんだけど」


 返事は肯定だけにとどめ、身体の向きを直す。見張りに対して横を向くことになるが、今は隣にいる彼女が優先。

 あの男の指示が本当なら、どこかの部屋に他の子どもたちがいる。それも一人や二人の話ではないだろう。


「他に捕まっている子は、みんな愛し子かな」

「抜け出すときに見たけど、全員じゃなかったわ。でも、ほとんどがそう」


 半数以上。ということは、教会もなにかしら把握している可能性はある。全員この街にいる子とは限らないが、全く知らないということもないだろう。

 全員が孤児ならともかく……いや、それこそ教会で保護されているはずだ。

 彼らまで逃がすのは、ディアンだけでは不可能。

 守れるとしても彼女一人だけだ。薄情だと罵られても、理想と現実を間違えてはいけない。

 自分は無力で、誰かを守れるほど強くはない。それでも逃げなければならないのであれば、その手に抱えられるものに限られる。

 ディアンができるのはここから逃げる方法を探し、教会に……エルドに助けを求めることだ。

 彼らを本当に助けるためには。助けられる可能性を高めるためには、ディアンではダメだ。

 力不足だと、そう判断することに胸の奥が重く苦しく感じる。それでも、そうしなければ助けられないとディアンは理解している。

 感情に振り回され選択を誤ることこそ、最もしてはならないこと。

 ここで間違えては、いけないのだと。


「お兄さんも愛し子なんでしょう?」


 とはいえ、どうやって監視の目をくぐり抜けるか。そう考えるよりも先に、少女の問いかけに苦笑する。

 今思えば、妖精たちもそう呼んだ。彼女たちが嘘を吐いたり、勘違いするかはディアンにはわからない。

 おとぎ話のように純粋で、素直であるなら……言葉通りに捉えていいのだろう。


「……僕は」


 それまでならすぐに否定できた。違うと。それはあり得ないと。

 だが、もうそれが苦しいほどにはディアンも気付いている。

 明らかにしていないだけ。突き止めていないだけ。そうだと思い至れる情報は、もう十分すぎるほど与えられているではないか。


「愛し子じゃないよ。……まだね」


 だから、否定はできない。だけど肯定もしない。

 まだそう断言されていないから。まだそうだと、伝えられていないから。

 まだ……エルドからその約束を果たされていないから。

 聖国に着けば教えてくれる。その宣言を、まだ果たされていないから。その約束を信じると、そう誓ったから。

 だからまだ、ディアンはそう言えない。言っては、いけない。


「まだって?」

「……僕はどの精霊からも加護を頂いていないんだ。それも、今は断言できないけど」

「あ……聞いたことがあるわ。でも……」


 そんなことまで噂になっているのか、なんて呆れる気力もない。

 この世界を救った英雄。それも、『精霊の花嫁』の兄だ。ディアンが自覚している以上にその名は知られているし、それ以外のことだって。

 それだけでも注目されるのに、唯一加護を授かっていないことが広まらないはずがない。

 だから彼女が知っていてもおかしくはないが、続く否定にそうではないと首を傾けたまま。


「じゃあ、その目は生まれつきなの?」


 一体どんな言葉がかけられるのかと、身構えた割には素朴な疑問で、苦笑は崩れないまま。

 なるほど。確かに、黒髪も黒目も珍しい部類には入る。

 華やかさこそないが、特別な加護を授かった者全てが派手とは限らないのだ。そう勘違いしても無理はない。


「うん、そうだよ。あまり綺麗じゃないけど……」

「そんなことないわ!」


 力強い否定に、少女が自分の口を押さえるのと、その上からディアンが指を押し当てるのは同時。

 ジロリと睨まれ、されど黙れとは言われずに、ゆっくりと二人の手が下りる。


「ご……ごめんなさい……」

「こっちも触ってごめんね。痛くなかった?」


 弱々しく首が振られ、それが我慢ではないことを願いながら笑いかける。


「あの、でも……本当に、すごく綺麗よ。あなたの目」


 手の上が赤くなってないのを確かめていれば、それだけでも伝えたいと見つめられ、なんだかむず痒い。

 偽装魔法がかかっている時ならともかく、最後にかけたのは昨日の朝だ。もうとっくに切れてしまっているだろう。

 本来の黒い目。鏡で見たのは、もう一ヶ月前にもなるのか。

 ……本当に、長かったはずなのに、思い返せば一瞬のよう。


「うちの商会は宝石も扱ってて、私も何度も見ているんだけど……それよりももっとずっと綺麗よ」

「あまり宝石には詳しくないけど、黒い宝石もあるのかな?」


 白もあるなら黒もあるだろう。だが、だとしても市場の価値としては低いのではないのかと。そう問いかけるディアンの目の前で、緑が瞬く。


「もちろんあるけど……でも、なんで?」

「なんで、って」

「だってお兄さんの目、紫じゃない」


 だから黒ではなく他の宝石ではないかと。付け足されていく言葉がディアンの意識を通り抜けていく。


「今、なんて」

「え? えっと、アメシストとか、スピネルとか……?」


 上げられる名前はどれも黒とは呼べない宝石だ。それだけでも答えも同義。それでも問いかけるのは、信じられないからこそ。


「僕の目は黒じゃないのか」

「え? む……紫、だけど……?」


 笑みを消したディアンに詰め寄られ、少女が戸惑う。それでも伝えられたのは、思い描いていた色ではない。

 もう黒のはずだ。黒に、戻っているはず。そもそも加護封じをされているのだ、どんな魔法をかけられていても無効化されているはず。

 なのに、まだこの瞳は紫だという。エルドによく似た、あの色だと。

 まだ効果が続いている。いや、それはあり得ない。ララーシュが嘘をつく理由だってない。


 ……そもそも、この目は本当に偽装魔法で変わったのか?

 鼓動が脈打つ。一ヶ月前、もうほとんど薄れた記憶。偽装魔法だと言いだしたのはディアンで、エルドはそれを肯定しただけではなかったか。

 彼の口から、一度でもそう聞いたか? ……記憶には掠りもしない。

 最後に己の瞳が黒と確かめたのは、屋敷にいる時だ。それ以降はずっと、ずっとこの色のまま。一度だって元の色に戻ったのを確認していない。

 確かに疑問は抱いた。隠すのであればもっと別の色があったはずだと。なぜ、同じ色でなければならなかったのかと。

 問えぬまま過ごしてきた。そんなことどうでもいいと思えるほどのことが、いくつもあったから。

 だが、偽装魔法でなければ説明がつく。同じ色にしたのではない。同じ色に、なってしまったのだと。

 理屈は分からない。説明だってできない。でも、きっとそれが真実で……ならば、避けられない答えがその奥に潜んでいる。

 明かしてはならない。明かすことを恐れていたそれが。エルドの口から聞かなければならない、それが。

 きっと辿り着いてはいけなかった。こうして気付いてはいけなかったなにかが。

 違うと、否定したい。そんなわけがないと目を背けたい。

 あり得ないと鼻で笑い、考えすぎだと自分に呆れて。されど、それは許されない。

 知らないことは罪ではなくとも、現実から目を背けるのは……それこそ、愚か者のすることではないのか。

 偽装ではなく、この色になるべくしてなったのなら。あの夜、この身体が加護を授かったからこそ変わったのであれば。

 妖精たちの言うように、愛し子になったのであれば……その相手は――。

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