150.望まぬ再会
反応すると同時に起き上がる。目眩がなければ、そのまま少女を背中に庇えただろうが、実際は前を睨み付けるのがやっと。
入ってきた影は三つ。気を失う前に見たままの黒ずくめたち。
個人の見分けがつかずとも、先頭で歩く男が彼らを束ねていると察するのは容易い。
気力を振り絞り、起き上がった身体で少女を後ろに隠す。そんな無駄な抵抗を鼻で笑うこともなく、鋭い眼光はディアンたちに向けられたまま。
まだ身体は鈍く、そうでなくとも相手は複数。鉄格子から出る術もなければ、対抗する手段もない。
隙を狙うのは不可能だと状況を整理する視線の先で、影がもう二つ増える。だが、それは黒ではなく……ただただ、巨大であった。
屈まなければ扉をくぐり抜けられないほどの巨漢。丸太と見まがうほどに太い四肢にびっしりと生えた体毛。そして、あまりにも恐ろしすぎるその形相。
まるで熊のような風貌。一度見れば忘れるはずもないその姿。ここにいるはずのないその男を、忘れられるはずがない。
こんな状態でなければ声を抑えられなかっただろう。驚き、その男の名を叫んだに違いない。
エヴァドマを支配し、そうしてエルドにも襲いかかってきた――ダガンの名を。
「こいつで間違いないな?」
先頭の男がダガンに問いかければ、ギラギラと光る瞳がディアンを見下ろす。
咄嗟に掴もうとしたフードはそこにはなく、その動作で確信を与えたことは言うまでもない。
「ああ、こいつだ。間違いねえ」
にたりと歪む唇。瞳に言い知れぬ欲を覗き見て、震えを誤魔化したのは背後に守るべき存在がいたからだ。
しかし、今はまだ口を開くべきではないと耐えるディアンの虚勢など男たちには見え透いたもの。
「予定通りこのまま進む。お前は下で他の見張りだ」
「あぁ!? 俺様に指図するつもりか!?」
確かめ終わったなら用はないと、そのまま去るはずだった男を大声が止める。肩越しに感じる怯えた気配に大丈夫だと声をかけても、その根拠はどこにあるのか。
正体を確かめたということは……やはり、ディアン自身も狙われていたことは間違いない。
「言うことを聞いたら外すって言っただろうが!」
突き出した腕と、喚く顔の下。枷のように太い輪は罪人に課せられるものだ。
腕自体は拘束されていないが、エヴァドマの地で嵌められた加護封じは変わらずそこに。
「目的地に着いてからだ。そうすれば、すぐに外してやる」
「アンディルダまでどれだけあると思ってんだ!」
目を開く。一層がなり立てるダガンにではない。その口から出た名前に対してだ。
アンディルダ。通称、砂の国。貧困の差が激しく、そして……唯一、教会が介入していない不毛の地。
唯一の特例。犯罪の温床。人身売買の売人が真っ先に売りつけると考えられる国。
予感が当たっていたことに、なんの喜びも見出せない。されど納得はできる。どれをとっても組織でなければ異常なまでに手際がいい。
この船の行き先など、もはや問うまでもない。同時にそれは、脱出の困難さが増したことを示している。
「俺はこいつに用があんだよ!」
鼻息荒くディアンを見下ろし、今にも格子をねじ曲げんばかりの気迫。
実際、加護封じがなければその手で力任せにディアンを捕まえていただろう。
この男の悪事が露見したのにはディアンにも原因がある。逆恨みだとしても、その怒りを晴らさずにはいられないのだろう。
「命令に従わないなら、お前だけ王国に戻すことになるぞ。もちろん、犯罪者としてな」
睨み、呻き。分が悪いと理解したのか、それでも怒りを抑えられずに柵を殴りつける勢いこそ凄まじくとも、檻がひしゃげる気配はない。
「ガキにも手を出すな、あくまでも見張りだ」
「チッ……くそが……!」
出ていく足音は荒く、加護が封じられていなければ床が抜けていたと思わせるほど。
「っ……待て」
荒々しく出ていく巨体に続いて去ろうとする男たちを引き止める。視線は冷たく、ディアンの鋭い目に怯むことはない。
睨むのは虚勢を隠し、己を奮い立たせるため。無駄だとわかっても、行動するだけの気力を振り絞るためのもの。
「どうして奴がここにいる。お前たちの目的はなんだ」
既に船は出航し、部屋から出られたとて逃げられる状況ではない。ならば、話したところで計画にはなんの支障もないと、うっかり口を滑らせるのを期待する。
望みは薄い。だが、それが現状を打開できる糸口になるかもしれない。
もしかすれば、それが切っ掛けでこの窮地を脱することができるかもしれない。
なにかしらの方法で、エルドに伝えられるかもしれない。
全ては限りなく低い可能性だ。それでも、できることが限られているからこそ、足掻かなければ。
そうでなければ、それこそ、エルドの元に戻ることはできないのだから。
淡い期待を表に出さないように見上げ、布に覆われた顔を睨む。その隙間、僅かに覗く瞳の色が変わるのを確かに見た。
細まり、笑うように。だが、それは愉悦ではなく、侮蔑の意が込められたもの。
「あなたが知る必要はありませんよ。『騎士』様」
瞬間、頭の中が真っ白に染まる。
感情が濁流のように押し寄せて、声すら出ず。虚勢ではなく、衝動に任せるまま睨み付ける。
だが、そこまでだ。確かにディアンは怒りを抱き、怒鳴りつけそうにもなった。しかし、今ディアンを支配しているのは不快感ではない。
男は意図をもってそう呼んだ。それがディアンにとって耐え難い侮辱の言葉だと理解したうえで、わざとそう投げかけてきた。
騎士になれぬと。父の望んでいた、その存在ではない。ハリボテ同然の。
あのまま家にいればそうなっていただろう。それは間違いない。だからこそ、なぜ彼らがそれを知っているのか。
近しい者でなければ知らないそれを。
まだ、父やサリアナ以外には知られていないはずの不名誉を――なぜ!
「大人しくしていれば手荒な真似はしない。……見張っておけ」
問わなければ答えられず、問うたところでそれは得られず。
そのまま一人だけを残して去ると思われた影は、一つ。ディアンたちを見つめたまま動かない。
いや、それはディアンのみに注がれるものだと気付いたのは、目が合ったからだ。
嗤うこともなければ、睨むこともない。されど、確かに感じる違和感。
そこに、かつて向けられた熱を。嫌悪感を抱き……目を逸らす前に、再び声がかかる。
「なにをしている、お前は外の見張りだ」
その正体が掴めないまま、やがて閉まった扉を睨み付けても意味はない。
昂ぶった神経を落ち着かせるために大きく息を吐き、僅かに得られた情報を整理する。
まず、ダガンに装着された枷からして罰は正しく科せられたはず。
ならば、彼がここにいるのは脱走したからではない。むしろ、この船においてはディアンたちのほうが異質だと言える。
馬鹿馬鹿しいと切り捨てたくとも、これまでの情報がそうだと導いている。
教会から国へ引き渡された罪人がそう簡単に逃げられるとは考えられない。
仮に逃げられたところで枷は自力では外せないし、普通なら外せと言われて外す者もいない。
そもそも、この首枷自体の入手方法は限られているし、加護封じが施されている以上本物であるのは間違いない。
ララーシュならば荷物に隠せばなんとでもなるが、ディアンもとなれば怪しまれずに運び込む方法はやはり限られてくる。
なによりも、出立した時刻だ。夕方以降、日が落ち……人目が少なくなってからの出航。
そんな夜中に出ても怪しまれない理由があるなら、もはや一つしかない。
犯罪者の護送船。おそらくここは、その一室に違いない。
会話の流れからして、他の子どもも誘拐されている。随分と慣れた様子だ、一度や二度ではないだろう。
もしかすれば、輸送の度に行われているのかもしれない。そして、それは国に協力者がいなければ成り立たない。
少なくとも、犯罪者を見張るために同乗している兵士は買収されている。いや、搭乗手続きの役人もそうか。
犯罪者を運ぶための船は、原則的に夜中に発つ。人目につかないようにするのもそうだが、警備をより固めやすくするためでもある。
見物人がいたとしたって、この船の中に誘拐した子どもたちが乗せられているなど誰が想像できるというのか。
どこまで国が関与しているかは、今の時点ではわからない。だが、間違いなくこれは協定違反だ。
場合によっては全ての教会を引き上げ、援助を断ち切るだけではすまない。
いや、王国がどこまで絡んでいるかは今は重要ではない。重要なのは、ディアンたちを実際に攫った男たちの身元だ。
ダガンの発言が正しいなら、彼らはアンティルダの人間。誘拐した人間の大半がそこに売られているというのは、噂話ではなかったらしい。
誘拐しているという口封じにディアンを攫っただけならば、ただのとばっちりで終わっただろう。
だが、そうではないと知っている。もう、気付いてしまっている。
初めは『候補者』だから狙われたと思った。協定違反に対する重要参考人。王国の罪を曝く存在。
だからこそ口封じに殺されるのだと。だが、それこそ殺すのならばもうとっくにこの命はないはずだ。
誰かに気付かれるリスクを負ってまで攫うリスクはない。ララーシュの誘拐現場を見たからとしても、それでは理由が薄すぎる。
攫い、連れて行くだけの理由があり、目的がある。
そして……それはアンティルダではなく、ノースディア王国側に。
であれば、それはヴァンではない。この期に及んで父を信じたいという愚かな考えではなく、確固たる理由の元に否定する。ヴァンではない。いくら彼でも、ここまではできない。
ディアンを攫い、利点があるとすればもっと上の人間……それこそ、国王か、その周辺の人間だ。
ディアンが生きていると知り、手配するぐらい苦もない。そして、それはきっと指名手配にした犯人と同一人物だ。
国王ではない。自分とは接点がない……だが、聖国に向かわれては不都合だと捉える人間。
わざわざアンティルダと協力し、誘拐させようとするだけの理由。
頭によぎる顔を咄嗟に振り払う。あり得ない。わざわざそうする動機はない。そこまでするなんて、思えない。
だが……その国の名を。アンティルダと聞いて真っ先に浮かんだのは――。
「お兄さん、大丈夫……?」
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