138.突きつけられるもの
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一度瞬き、再び開いた世界は光に包まれていた。
水面も、空中も。ディアンの周囲だけを照らすそれは月明かりでは説明できず。そもそも、動き続ける光源たちに考えるまでもなく。
朝に見かけた少女……否、妖精たちの姿を捉え、眉を寄せる。
「っ……ついてくるなって言っただろ」
川繋がりだが、門が近いと言われた場所からは離れているはずだ。もう見えるはずがない。いるはずのない存在。
それなのにここにいるのは、それこそエルドが差し向けたのかと、口調も自然と荒くなる。
問われた彼女たちは首を傾げ、互いに目を合わせる。……そういえば、彼女たちは命令を聞かないと言っていたっけ。
全ては気まぐれで、だから手伝わせることはできないと。
それでも、ここにいるのはただの偶然のようには思えず。しかし追い払うこともできず、視認しないように膝に顔を埋める。
相手にしなければいずれ去って行く。挨拶とは言えないが、存在は視認したのだ。
エルドやゼニスでなくとも、今は誰の相手もしたくない。それがたとえ言葉の通じない相手だとしても、まだ一人で落ち着きたかった。
落ち着いて、諦めて。そうして、彼に謝るのだと……。
「――イタイノ?」
「……え、」
シャラリ、音が響く。否、それは音ではなく声だった。
可憐で、愛らしい。まるで少女のような……。
「ダイジョウブ?」
埋めたばかりの顔を戻しても声は止まない。ディアンを覗き込む彼女たちの唇に合わせて音が刻まれる。
「しゃ……べった……?」
「ヘンナノ、ズットシャベッテイタワ」
「ソウヨ、シャベッテイタワ」
「イタイ?」
状況からして彼女たちしかいないのに、思わず呟いたそれに一層騒ぎ立てる。
クスクスと笑い、変だ変だと言い合う横で、眉を寄せた何人かがディアンの涙を拭ってくる。
小さな手では掬い取るのも一苦労。涙の跡をスカートで拭かれそうになって、服の袖に擦りつける。
「い、たくは、ないけど……」
「ジャア、カナシイ? ソレトモ、ツライ?」
続けて問われ、なぜ言葉が分かるのかなんて疑問が追いやられていく。
痛くはない。痛くはない、けど。
「……わからない」
悲しいし、辛い。でも、それがなんに対しての感情かがわからない。
エルドのことがわからないことか、父に抱いていた希望が最初からなかったことか、それをあの人の手で明らかにされたことなのか。
自分は、本当はなにを恐れていたのか。なにが一番辛いのか。それが、わからない。
本当に嫌だと思うものも、その理由も。自分のことなのにわからない。……わからない。
「アノヒトガ、キライニナッタ?」
首を振る。わからないことだらけでも、それは違うと断言できる。
嫌いになってない。……なれるわけが、ない。
あの人がいなければ今の自分はいない。あの人がいたからこそ、自分はこうしてここにいる。
なにを言われても。もし、今までの言葉が本当は嘘だったとしても……あの人を嫌うことはできない。
「ちがう……違う、けど」
「クルシイノネ」
断言され、否定できず。首は縦に動く。
苦しい。……苦しい。
胸の奥が締め付けられて、痛くて、息がしにくくて。わからないことがわからなくて、どうやっても知ることができなくて。
「……あのひとが、わからないんだ」
あの人を知りたいのに、わかればきっと楽になれるのに。そうならないとわかっているからこそ、苦しくて、苦しくて。
「ナカナイデ、イトシゴ」
溢れる涙をすくわれ、頭を撫でられ、囁かれ。だが、首を振ったのは不快だからではない。
「違う、僕は……」
愛し子ではないと、続けたかった言葉が喉の奥で潰れる。
……今まで、エルドからははぐらかされるばかりだった。
聖国につけばわかると。教会で調べる以外の方法はそれしかないと。
エルドが明かしてくれない以上、それは嘘ではなかったのだろう。妖精と話せるようになるなんて、そんなの……エルドもディアンも、想定していなかったこと。
彼女たちはたしかにディアンをそう呼んだ。愛し子と。特別な加護を賜った者であると。
「っ……じゃあ、加護が……!?」
「アナタハアイサレテイル」「ハジメテノイトシゴ」「トクベツナコ」「ミンナウワサシテイタ!」
「ま、まって、同時に喋られるとわからない……!」
確かめたいのに、次々と話しかけられては判別もできない。
もし本当に愛し子なら。ディアンに加護を授けた精霊がいるなら、知りたい。その名前を。一体誰なのかを。どうして一度目は与えてくれなかったのかを!
「誰が――」
「アナタモ、アノヒトヲ、アイシテイルデショウ」
はたり、瞬く。会話の流れが掴めない。あの人……なんて、彼女たちが指すのは一人しかいないのに。
アイシテイル。あいして、いる。……誰が、誰を?
「ダカラクルシイ」「ダカラカナシイ」「デモウレシイ」
「ダカラコソ、トメラレナイ」
考えている間も、妖精たちは好きなように囁く。ディアンの意思など関係なく。そうであると喜び、はしゃぎ、笑い、飛び回る。
眩しさに翻弄され、思考がまとまらない。愛している。愛している、なんて。
「ち……違う、そんなんじゃ……だって、僕は……」
「オトコダカラ?」
「そうじゃなくて、僕は……!」
性別ではない。でも、これは愛ではないのだ。愛ではない、はずなのだ。
「アコガレ?」「シュウチャク?」「シット?」
「ちょっと黙って……!」
シャラシャラと響き続ける音のせいでわからなくなってくる。憧れはある、でも嫉妬じゃない。執着でもない。この感情に名前をつけることなんてできない。
「違う、僕はっ……なんとも思ってない! ただ、助けてもらったから、だからっ……信頼、しているだけで……!」
刷り込みと同じだ。助けてくれたから、教えてくれたから。他に頼れる人がいなくて、故に懐くのは当然だ。
勘違いしてはいけない。そうだと思い込んでしまっては、いけない。
「アイしていないのに、どうしてクルしいの?」
「それ、は、」
聞き取りにくかったはずの言葉が、鮮明になっていることにも気づかない。その間にも彼女たちはディアンに問いかけ、答えを引き摺り出そうとする。
「アイしていないのに、どうしてカナしいの?」「アイしていないのに、どうしてアキラめられないの?」「アイしていないのに、どうしてウレしくオモうの?」「アイしていないのに、どうして?」
変な子。変な子だわ。クスクス。シャラリ、シャラリ。
捏造された物語のように、森で迷った者を奥地に惑わすように悪質でもあり、助けを求める者へ差しだす救いでもあり。
されど助言というには足らず、悪戯と呼ぶにはあまりに残酷なもの。
「っ……違う、違うんだ。これは……」
否定を。否定しなければ。だって、これはいけないことだ。
男同士だからではない。だって、違うのだ。違うはずなのだ。
優しくされたから。助けてくれたから。だから、そう勘違いしているだけ。愛していない。愛してなんか、いない!
『ディアン』
自分を撫でてくれる手の温かさを、柔らかな薄紫を、自分を呼ぶあの優しい声を。
思い出すだけで鼓動が早まる。身体中が熱くて、でも悲しくて、息が苦しい。
違う、違う。違う。自分は、エルドに父の面影を重ねていただけだ。
父に認められないから、だから、エルドを代用にしようと。そう思っていなくても、無意識にそうしていたんだ。
だから愛していない。これは恋慕ではない。違う、違わなければならない。
離れるのが悲しいのは、恩師として慕っているからだ。初めて自分を、本当に認めてくれた人だったから、だから……だから!
「わかっていてもトめられない」
「カナしくても、ツラくても、クルしくてもアキらめられない」
「だって、アイはそういうものでしょう?」
「――違う!」
振り払えば短い悲鳴があがる。立ち上がり、見下ろし、睨み付け。再び滲む視界を、拭う手はなく。
「違う、違うっ……違う……!」
繰り返すごとに強くなる。そうではないと、その否定こそが違うのだと。
でも認めてはいけない。愛しているなんて認めてはいけない。
認めては、いけない、のに、
「あ……いして、なんか……っ……」
口にするのがこんなにも苦しい。言い聞かせなければ。違うのだと、思わなければ。
だって、ディアンは知っている。わかっている。認めてしまえばもっと苦しいのだと。ずっとずっと、苦しいままなのだと。
この旅が終わればもう二度と会えないのに。自分は……ただの、護衛対象でしかない、のに。
決して――エルドが自分を好きになることは、ないのに。
同じでは、ない、のに。
「う……ぁ……」
溢れる。溢れてしまう。止められない。否定できない。
……好きだ。好きなのだ。好きに、なってしまったのだ。
信頼しているだけでは説明できないことぐらい、わかっていたのに。わかって、いたのに。
「イッショだわ」
「イッショね」
笑いながら、囁きながら、鈴の音が遠ざかっていく。光が消え、戻ってきたはずの静寂は形もなく。打ち付ける鼓動は、皮膚を突き破らんばかりに強く、強く。
上から押さえつけても、爪を立てても止まらない。苦しい。……苦しい。
知りたくなかった。こんなにも辛いなんて、こんなにも、苦しいなんて。
「あ……あぁ……!」
俯き、目を押さえ。それでも、止まらない。
好きだ。好きだ。
そう認めたくなかったほどに、ディアンはエルドを――愛して、しまったのだ。
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