136.それは容赦なく
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「たとえお前に妨害魔法がかけられず、疾患を患わなかったとしても、ヴァンがお前を褒めることはなかっただろう」
「そんなこと、」
「『己惚れるなディアン』」
風が吹く。景色が揺れる。目の前にいるのは違うとわかっているのに、姿が重なる。
いるはずのない金色。自分を見下ろす鋭い光。十何年間、何度も自分を貫いた瞳が、そこに。
「『この程度で騎士になれると思っているのか』『怠けている暇などお前にはない』『英雄の息子としての自覚を持て』」
どれも聞き覚えがある。当然だ、それはずっとディアンが言われ続けた言葉なのだから。
何十回、何百回。何年もずっと、ずっと、ずっと。
「とう、さ、」
「……教師たちがお前の成績を捏造せず、正当な評価を得たとしても。実技でクラスの誰にも勝っていたとしても、お前の父は変わらなかった」
否定は音にならず、首は僅かに揺れる。
違う、違う。違うのだ。それは違う。違うのに、違うはずなのに。
父が自分を認めなかったのは、自分が父の期待に応えられなかったからだ。
妨害魔法も、成績の捏造も、全ては父の命令のせいだとしても。それでも、自分が望まれた成果を出せなかったから、だから、
「ち、がい、ます。それは、」
「なにが違う? 認められようと、そうでなかろうと、お前は抗い、諦めず努力し続けた。そこになんの違いがある?」
違いなんて、ありすぎる。変わらないのはディアンの行動だけだ。やることが変わらなくたって、なにもかも変わらないなんてあるはずがない。
「ぼ、くが、ちゃんとすれば……褒めてもらえた、はずだ」
「なぜ」
なぜ。……なぜ?
どうして、そんなことを聞かれるのか。なぜ、そう思われるのか。
「……僕が、強くなかった、から。騎士にたりえる人物でなかったから。一度も、誰にも勝てなくて、褒められるようなことがなかったから」
思い返しても褒められた記憶がない。当然だ。ディアンは一度も褒められることをしていないのだから。
妨害されていたとしても、そうなるように仕向けられていても、実際に誰にも勝てず、試験だって合格できず、努力は実らなかった。
褒められるわけがない。だから、褒められなくて当然だった。
おかしくなんかない。なにもおかしくない。だって、それは普通のことじゃないか。
「なんの不正もなく、正当な方法で。英雄の息子として騎士になればっ……そうでなくても、僕が強くなっていれば! 妨害されても、捏造されても、それ以上に強くなっていれば、きっと!」
理性と感情が乖離していく。不可能だ。妨害されていると知れたのはエルドと出会ってから。当時はどうやったって知ることはできなかった。
知っていたって、ディアンになにができただろう。それこそ『たられば』であるのに、ディアンの否定は止まらない。
強くなれば。強くなっていれば、きっと。
「たとえば、剣術大会で優勝するぐらいに?」
「っ、そうです!」
眉間に寄った皺が消える。具体的な案の出ないディアンにとって、それは光明であった。
幼い頃とはいえ、一度は優勝した。あのラインハルトに、ディアンは確かに勝ったのだ。
無傷でも余裕でもなく、苦戦したとはいえ、それでも優勝したのだ。
あの時だけは、周囲はディアンを認めた。さすが英雄の息子だと、ヴァンの息子であると。
今こそ疾患のせいで剣は握れないが、それがなければ機会はあったかもしれない。
「剣術大会でなくても、なにか他のものでもいい! もう一回勝てたら、そしたら父さんだって!」
「ああ、一度は勝てたんだったな」
「そうです! だから、」
「――その一回のせいで、お前はこうなったのに?」
ぶつん、と。なにかが千切れる音がした。
最後まで藻掻き、抗い、それでも引き摺り出された感情の、最後の最後の抵抗までも。エルドは、引きちぎった。
淡々と、なにも変わらず。静かに。最初から、こうなるとわかっていたと。
「……ぁ、」
声が、出ない。否、それはディアン自身の手で押さえられたのだ。
なにも出るものはないのに。息だって、できないのに。
血が引いていく音が足元へ流れていく。前のめりになっていた身体は、今や糸が切れたかのように弛緩し、視線は地面へ落ちる。
それでも、薄紫はディアンを見ている。見つめている。
「お前が優勝したとき、お前の父親はなんと言った?」
金が。この程度で喜ぶなと見下ろす金が。冷たく鋭い金の瞳が、ディアンを見下ろしている。
優勝し、褒められると思っていた自分を切り捨てる父の声が、聞こえて、いる。
勝ったのに。勝って、いたのに。
「ち、が……」
「優勝したお前が慢心すると、そう危惧したお前の父親は、お前になにをした」
声が止まない。全てはお前の騎士にするためだと、その考えこそが甘いのだと。ディアンを責める声がずっと、ずっと。
努力を怠らないように、英雄の息子たりえる力を備えるために、そうさせるために負荷をかけ続け、成績も捏造させ。
そのうえで……父は、自分を責めていた。だからこそ、自分は耐えられずにあの家を出たのに。
「ディアン」
顔を上げられない。上げられるわけがない。
見ている。見られている。あの金が自分を、ちがう、ここに父はいない。いるのはエルドだ。だからこそ、よけいに視線を合わせることなんて、できるわけが。
「本当は、お前もわかっていたんだろ」
引きちぎられた残骸が悲鳴をあげている。呻き、蠢き、それでももう隠すことはできない。
わかっていた。わかっていたのだ。全部、全部。
「……ちが、う、」
「分かった上で見て見ぬ振りをした。そうしたのは、そうしなければ耐えられないと理解していたからだろう」
「ちがう……っ……」
なにに対する否定かわからない。もうエルドはわかっている。わかったうえでディアンに突きつけている。
この拒絶に意味はない。だが、もはや理由なんて関係ない。耳を塞げないのなら、口を動かすしかないのだから。
ああ、それでも。掠れた声が、どうして意思を持つ言葉を遮れたというのか。
聞きたくない。これ以上はもう、もう……!
「お前のしてきたことは全部――」
「――やめてくれ!」
叫ぶのが先か、立ち上がるのが先か。これだけの声が出せたならもっと否定もできたのにと、考える余裕がないことだけは間違いなく。
息は浅く、心臓は苦しく。目の前が滲みそうになるのを、瞬いて誤魔化しても世界が輪郭を失っていく。
それなのに、薄紫は。ディアンを見上げ、見つめるその色だけは、紛れてはくれない。
「これがっ……呪いとなんの関係があるっていうんだ……!」
震える声をどうすることもできず、それでも吐き出す以外にできることはなく。
問いかけておきながら答えを聞きたくないと、耳を塞ぐこともできない。
取り乱すディアンに対し、エルドは変わらないままだ。静かに見上げ、見つめ、そうして口を開く。どんな言葉であろうと冷静に。
「言わせたいのか」
それだけ。
それだけで、十分だった。
ディアンが理解するには、理解していると突きつけるには、それで。
「……ゼニス!」
視界の端で白が動き、咄嗟に張り上げた声はディアンの意識になかったこと。
背を向けたディアンに近づこうとした獣の足は留まり、蒼は見上げる。その視線すら、直視できず。
「っ……ついてくるな……!」
返事は聞けなかった。聞けるわけがなかった。
そう吐き捨てられただけマシだ。足は衝動のまま動き、木々の間を駆け抜ける。
たき火は遠ざかる。それなのに、見たくないと願った薄紫は、逃げていくディアンを見つめたまま離れてはくれなかった。
離しては、くれなかった
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