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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第五章 一ヶ月後

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136.それは容赦なく

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「たとえお前に妨害魔法がかけられず、疾患を患わなかったとしても、ヴァンがお前を褒めることはなかっただろう」

「そんなこと、」

「『己惚れるなディアン』」


 風が吹く。景色が揺れる。目の前にいるのは違うとわかっているのに、姿が重なる。

 いるはずのない金色。自分を見下ろす鋭い光。十何年間、何度も自分を貫いた瞳が、そこに。


「『この程度で騎士になれると思っているのか』『怠けている暇などお前にはない』『英雄の息子としての自覚を持て』」


 どれも聞き覚えがある。当然だ、それはずっとディアンが言われ続けた言葉なのだから。

 何十回、何百回。何年もずっと、ずっと、ずっと。


「とう、さ、」

「……教師たちがお前の成績を捏造せず、正当な評価を得たとしても。実技でクラスの誰にも勝っていたとしても、お前の父は変わらなかった」


 否定は音にならず、首は僅かに揺れる。

 違う、違う。違うのだ。それは違う。違うのに、違うはずなのに。

 父が自分を認めなかったのは、自分が父の期待に応えられなかったからだ。

 妨害魔法も、成績の捏造も、全ては父の命令のせいだとしても。それでも、自分が望まれた成果を出せなかったから、だから、


「ち、がい、ます。それは、」

「なにが違う? 認められようと、そうでなかろうと、お前は抗い、諦めず努力し続けた。そこになんの違いがある?」


 違いなんて、ありすぎる。変わらないのはディアンの行動だけだ。やることが変わらなくたって、なにもかも変わらないなんてあるはずがない。


「ぼ、くが、ちゃんとすれば……褒めてもらえた、はずだ」

「なぜ」


 なぜ。……なぜ?

 どうして、そんなことを聞かれるのか。なぜ、そう思われるのか。


「……僕が、強くなかった、から。騎士にたりえる人物でなかったから。一度も、誰にも勝てなくて、褒められるようなことがなかったから」


 思い返しても褒められた記憶がない。当然だ。ディアンは一度も褒められることをしていないのだから。

 妨害されていたとしても、そうなるように仕向けられていても、実際に誰にも勝てず、試験だって合格できず、努力は実らなかった。

 褒められるわけがない。だから、褒められなくて当然だった。

 おかしくなんかない。なにもおかしくない。だって、それは普通のことじゃないか。


「なんの不正もなく、正当な方法で。英雄の息子として騎士になればっ……そうでなくても、僕が強くなっていれば! 妨害されても、捏造されても、それ以上に強くなっていれば、きっと!」


 理性と感情が乖離していく。不可能だ。妨害されていると知れたのはエルドと出会ってから。当時はどうやったって知ることはできなかった。

 知っていたって、ディアンになにができただろう。それこそ『たられば』であるのに、ディアンの否定は止まらない。

 強くなれば。強くなっていれば、きっと。


「たとえば、剣術大会で優勝するぐらいに?」

「っ、そうです!」


 眉間に寄った皺が消える。具体的な案の出ないディアンにとって、それは光明であった。

 幼い頃とはいえ、一度は優勝した。あのラインハルトに、ディアンは確かに勝ったのだ。

 無傷でも余裕でもなく、苦戦したとはいえ、それでも優勝したのだ。

 あの時だけは、周囲はディアンを認めた。さすが英雄の息子だと、ヴァンの息子であると。

 今こそ疾患のせいで剣は握れないが、それがなければ機会はあったかもしれない。


「剣術大会でなくても、なにか他のものでもいい! もう一回勝てたら、そしたら父さんだって!」

「ああ、一度は勝てたんだったな」

「そうです! だから、」

「――その一回のせいで、お前はこうなったのに?」


 ぶつん、と。なにかが千切れる音がした。

 最後まで藻掻き、抗い、それでも引き摺り出された感情の、最後の最後の抵抗までも。エルドは、引きちぎった。

 淡々と、なにも変わらず。静かに。最初から、こうなるとわかっていたと。


「……ぁ、」


 声が、出ない。否、それはディアン自身の手で押さえられたのだ。

 なにも出るものはないのに。息だって、できないのに。

 血が引いていく音が足元へ流れていく。前のめりになっていた身体は、今や糸が切れたかのように弛緩し、視線は地面へ落ちる。

 それでも、薄紫はディアンを見ている。見つめている。


「お前が優勝したとき、お前の父親はなんと言った?」


 金が。この程度で喜ぶなと見下ろす金が。冷たく鋭い金の瞳が、ディアンを見下ろしている。

 優勝し、褒められると思っていた自分を切り捨てる父の声が、聞こえて、いる。

 勝ったのに。勝って、いたのに。


「ち、が……」

「優勝したお前が慢心すると、そう危惧したお前の父親は、お前になにをした」


 声が止まない。全てはお前の騎士にするためだと、その考えこそが甘いのだと。ディアンを責める声がずっと、ずっと。

 努力を怠らないように、英雄の息子たりえる力を備えるために、そうさせるために負荷をかけ続け、成績も捏造させ。

 そのうえで……父は、自分を責めていた。だからこそ、自分は耐えられずにあの家を出たのに。


「ディアン」


 顔を上げられない。上げられるわけがない。

 見ている。見られている。あの金が自分を、ちがう、ここに父はいない。いるのはエルドだ。だからこそ、よけいに視線を合わせることなんて、できるわけが。


「本当は、お前もわかっていたんだろ」


 引きちぎられた残骸が悲鳴をあげている。呻き、蠢き、それでももう隠すことはできない。

 わかっていた。わかっていたのだ。全部、全部。


「……ちが、う、」

「分かった上で見て見ぬ振りをした。そうしたのは、そうしなければ耐えられないと理解していたからだろう」

「ちがう……っ……」


 なにに対する否定かわからない。もうエルドはわかっている。わかったうえでディアンに突きつけている。

 この拒絶に意味はない。だが、もはや理由なんて関係ない。耳を塞げないのなら、口を動かすしかないのだから。

 ああ、それでも。掠れた声が、どうして意思を持つ言葉を遮れたというのか。

 聞きたくない。これ以上はもう、もう……!


「お前のしてきたことは全部――」

「――やめてくれ!」


 叫ぶのが先か、立ち上がるのが先か。これだけの声が出せたならもっと否定もできたのにと、考える余裕がないことだけは間違いなく。

 息は浅く、心臓は苦しく。目の前が滲みそうになるのを、瞬いて誤魔化しても世界が輪郭を失っていく。

 それなのに、薄紫は。ディアンを見上げ、見つめるその色だけは、紛れてはくれない。


「これがっ……呪いとなんの関係があるっていうんだ……!」


 震える声をどうすることもできず、それでも吐き出す以外にできることはなく。

 問いかけておきながら答えを聞きたくないと、耳を塞ぐこともできない。

 取り乱すディアンに対し、エルドは変わらないままだ。静かに見上げ、見つめ、そうして口を開く。どんな言葉であろうと冷静に。


「言わせたいのか」


 それだけ。

 それだけで、十分だった。

 ディアンが理解するには、理解していると突きつけるには、それで。


「……ゼニス!」


 視界の端で白が動き、咄嗟に張り上げた声はディアンの意識になかったこと。

 背を向けたディアンに近づこうとした獣の足は留まり、蒼は見上げる。その視線すら、直視できず。


「っ……ついてくるな……!」


 返事は聞けなかった。聞けるわけがなかった。

 そう吐き捨てられただけマシだ。足は衝動のまま動き、木々の間を駆け抜ける。

 たき火は遠ざかる。それなのに、見たくないと願った薄紫は、逃げていくディアンを見つめたまま離れてはくれなかった。

 離しては、くれなかった

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