135.呪い
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薪が爆ぜる。立ち上がる火の粉は視界に入らず、赤はそれぞれの紫に差し込むだけ。
固まるディアンと対照的に、寛いでいたゼニスが顔を上げる。その言葉の真意を確かめるように、見極めるように。
「……の、ろい?」
永遠にも思えるような静寂の後、絞り出せたのは言われた言葉を繰り返したもの。
のろい。呪い。魔術の一種。そのほとんどが禁忌とされている、忌まわしき魔法。
かけた直後に相手を苛むものから、まるで病のように月日をかけて蝕むものまで。些細な不幸がふりかかる小さなものもあれば、それこそ命を脅かすほどの威力も。
術者や種類によって威力が変わるのは、魔術と同じ。
教会であれば保存もされているかもしれない。だが、普通に暮らしていればその所在すらわからないもの。もちろん、呪われることなんてありえるはずがない。
ディアンは一般人だ。英雄の子と言われても、それにそぐわぬ実力であると嗤われても、王太子殿下から憎まれていたとしても……それでも、ディアンはただの人。
呪い殺すだけの価値はない。仮に呪われていたとしても、グラナートが気づかないはずがない。
呪われた人間も同じく保護対象だ。術者を特定するまで聖国にて身の安全を保証される。もしもディアンが呪われていたなら、二度目の洗礼も待たずに聖国に連れて行かれたはずだ。
そして、ディアン自身に呪われている自覚はない。
いや、そもそも呪いなんて自覚できるものではないが、身体は不調どころかほとんど疲れも感じないし、思考が鈍いと感じることもほとんどなくなった。
負荷は確かに残っているかもしれないが、それも治りつつあるとエルドは言った。そして、彼がそれを呪いと言い換えることはないだろう。
比喩ではない。例えでもない。……本当に、自分は呪われているのだと。
「つっても、お前が考えているようなものじゃない。これは魔術とは無関係だからな」
否定されたからこそ疑問は深まり、言葉は紡げず。無意識に握った指は、毛皮の感触ですぐにとかれる。
「故に、この呪いはお前の命を奪うこともなければ、これ以上苦痛を与えることはない。ただ漠然とそこにあり、お前が自覚しない限り居座り続けるだけだ」
魔術ではないのに呪いと称し、呪いと称するのに害はないという。
ならば解除する必要はあるのかと、真っ先に浮かぶはずの不満が出てこないのは、それだけの信頼をエルドに抱いているからだ。
必要なければエルドが切り出すはずがない。そこには何かしらの理由がある。
「本来なら、このまま忘れる方がいいんだろう。全てが終わるまで自覚しないまま。あるいは誤魔化し、紛らわせ、お前が気づいてしまっても手の施しようがないまで対処しない方がいいのかもしれない」
なのに、エルドはそうではないと言う。それは最善ではないと。それは、違うのだと。
だからディアンは理解できず、胸の中がぐるりと渦巻く。抑えられない不安は膨らみ、確かな不快感を与え続けている。
「ディアン」
名を呼ぶ男の瞳に揺らぎはない。透き通った薄紫は、ただディアンを貫くばかり。
「知らないことは罪と思うか」
問われているのは自分。だが、よぎる姿は妹だ。
知るべきことを知ろうともせず、都合の良いことばかり聞き続けた。何度忠告しようとはね除け、不必要だと喚き、拒絶した。
時にはその姿に怒りを抱いたこともある。呆れもあったし、信じられないとすら思った。
……だが、無知であるが故に犯す罪はあっても、無知自体を罪と言うことはできない。
知りたくても知れない者と、知れるのに知ろうとしない者は決して同じではないのだから。
「……わかり、ません」
答えを濁すのは、説明することが憚られたからだ。
今の質問にメリアは関係ない。あくまでも、ディアンがどう思うかだ。
そうだと知りながら知らないままでいること。それを、自分がどう思うか。
答えはわからない。どちらが最善か、すぐに出せるものではない。
「知らないことの方がいいこともある。そして、今から俺が伝えるのも、そうなんだろう」
だが、ディアンの答えとは関係なくそれは与えられる。
「お前の答えが出る前に、お前は選択を迫られる。だからこそ、知ればお前が苦しむと理解し、それでも自覚させようとするは俺の我が儘でしかない」
「……なんの、話なんですか」
じわり、不快感が広がる。それは心臓を包み、脳を浸し、無意識に目を反らせようとする。
浮かんだ可能性を否定するように。今までも、何度も繰り返してきたように。
今まで一度も口にせず、だからこそディアンしか気づかなかったそれを。自分さえ目を伏せればなかったことにできたそれを、奥底へ隠すように。
聞かなければならない。……だが、聞きたくない。
感情が義務を押しのけようとすればするほどに鼓動が高まる。照らすたき火の温かさは届かず、冷える指先を包むものはなく。
まるで世界にエルドだけがいるような。そんな錯覚を抱くほどに静かで、なのに鼓動はやかましく。
いっそ、この音が全てを掻き消してくれないかと。そんな馬鹿げた願いを抱くほどに、けたたましく。
「ディアン」
……されど、叶うはずもなく。
「お前がなにをしても、お前の親父はお前を認めなかった」
それは、まるで鉛のように重く。されど、刃物のように鋭く。
なおも奥へ隠そうとしたそれを容赦なく掴み上げるように。目を逸らし、誤魔化し続けていた予感をディアンの元まで引き摺り出したのだ。
「――なに、を」
「お前が、」
強張る制止など誰が耳に入れるというのか。そんなもので、誰を止められるというのか。
ぶちぶちと聞こえる音は、それだけ深く根付いた意識を剥がす幻聴なのだろう。響く度に、千切れる度に、鼓動が増して痛みが走る。
「魔術疾患にかけられ、嘲笑われ、それでもヴァンの言う通りに騎士になったとしても。そのままサリアナに付き、周囲の反感を買い、それでも折れずに務めを果たしたとしても。英雄の息子に相応しい実力を身に付けたとしても」
淡々と告げる声を、止めることができない。違うと、否定する声がでない。違う。違うはずだ。なのに、止められない。
聞きたくない。聞かねばならない。違う、聞く以外にできることなんて、ない。
「お前は決して、あの男に認められることはなかった」
まるで、新たに植え付けるように。それが真実だと言い聞かせるようにエルドは告げる。
「……なんの、はなし、ですか」
ようやく出たのは問いだ。そう、だって関係ないはずだ。今まで呪いの話をしていたはずで、それがどうして父親の話になるのか。
理解できない。したくない。引き摺り出されてもなお、思考は逃げ道を探して足掻いている。
違う。違うのだ。関係ない。なにも、関係ないのだと。
「ヴァンが認めなかったのは、本当に言いつけが守れなかっただけだと思っていたのか」
「だから、一体なにを、」
「ディアン」
遮られる。止められない。否定できない。させて、もらえない。
わからない。わかりたくない。続きなんて聞きたくない。
関係ない。これは関係ないことだ。呪いとはなにも、なにひとつも、だから続けさせる意味はないのに。ない、はずなのに。
「エル、」
「ディアン」
風が吹く。否、それはディアンの喉の奥から絞り出されたものだ。
見据えられ、貫く薄紫の中。強まる光に怯えた自分の姿は火の光に揺らいで消える。
もはや鼓動は警鐘のようだ。響き、揺さぶり、目眩がしそう。
それでも光は消えない。それだけは揺らがない。ディアンを見つめ、捉えたまま。そこから消えない。消えては、くれない。
耳を塞がなければ聞いてしまう。聞こえてしまう。気づいてはいけない。自覚してはいけない。
そうだとわかっているのに。わかって、いたのに。
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