134.それは唐突に
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「旅には慣れたか」
話題を掘り返されるのも突然だったが、話を振られるのもまた突然だった。
すっかり日も落ち、夕食も済ませ。火にあたりながら、ゼニスの毛並みを整えていたところに問われれば反応が遅れるのも当然。
今日のメニューはシンプルに焼き魚だが、ただの魚ではない。
なんの変哲もないが……ディアンが初めて採った魚なのだ。
妨害魔法も使い、たっぷりと時間をかけ。それでも、初めてディアンの力だけで獲得した食料。
見事中心を貫いた時は、年甲斐もなくはしゃいで裸足のままエルドの元に駆けてしまったし、結局まともに採れたのはその一匹だけで、残りはゼニスの手柄。
それでも、初めて狩りに成功したのだ。
今思い返すと恥ずかしい。向けられる薄紫が柔らかいことからも、切り出した切っ掛けはそれだろうと、いくつか瞬いた後に目を逸らすのは恥ずかしさから。
「さ……最初の頃に比べれば……」
誤魔化すように白い背を撫で、それから頭へ。心地良さそうな顔を見ても顔の赤さは誤魔化せず、向けられる視線が逸れることもない。
「兎もなんとか捌けるようになったし、市場の相場も把握してきた。襲われても逃げられるだけの力もあるし、野宿もこの調子なら問題ない。……確かに、死にかけた頃と比べりゃ慣れたな」
呟くように、囁くように。続いた言葉に、それ以上の意味を感じ取り顔を上げる。
柔らかな薄紫。あの夜に見た時と変わらないはずの、道しるべ。
「本当に、その節は感謝しています」
「まぁ、俺もまさかあんな場所にいて、しかも襲ってくるとは思ってなかったが」
襲った、というにはあまりにもアレだが……あの時は必死だったし、そもそもエルドが教会の関係者とは知らなかった。
父が遣わせたのだと疑い、怪我を負って冷静に判断できなかったのもあるが、本当にひどかった。
疾患がなくともねじ伏せられていただろう。ただ、その場合はこうして一緒にいられたかは……。
「……感謝しています」
「悪い悪い、そう怒るな。ようするに、お前の仕事が一つ終わったってことを言いたかったんだよ」
「仕事?」
「三つあっただろ」
忘れちまったかと問う声も呆れる口調に対して優しく、なんとか記憶を引っ張り出す。
まだ一ヶ月。もう、一ヶ月。言い方を変えても、忘れかけていたのは事実。
あんなにも衝撃を受けたのに。それとも、この旅に色々ありすぎて押し流されてしまったのか。答えは出ない。
「……旅の作法と、世間を知る?」
「それと、自分の安全を優先させることだな」
覚えているじゃないかと笑われ、なんだかむず痒く。無意識に擦った毛皮は心地良くディアンの指先をくすぐる。
「世間についてはまだ甘いところもあるが、旅に関してはなんとか一人でもやっていけるだろ」
「そう、でしょうか」
自覚はない。結局資金を稼ぐ術を見つけられないままここまで来てしまったし、ここまで順調だったのはエルドが一緒にいたからだ。
ディアン一人ならトラブルに巻き込まれていたし、それを切り抜けられただってわからない。
まだ一人前と呼ぶには未熟だと、そう思いたいのは寂しさのせいか。褒められているはずなのに素直に喜べず、笑みは歪なものになってしまう。
「失敗から学んでいくのも含めての評価だ。お前に限って、命に関わるようなミスはしないだろうしな」
「……またジャガイモが飛んでいくかもしれませんよ」
「可食部分が無事ならなんとかなるだろ」
モヤモヤと燻る胸底を誤魔化したくとも、一度抱いたそれは簡単には消えてくれない。
ずっと一緒にはいられない。理解している。いや、理解しているつもりだ。
本来ならば、存在すら知ることの許されない相手。こうして共に旅をすることなんて、それこそ。
任務がなければ出会うこともなかった。いや、ディアンがあの夜に飛び出さなければ、こうして共に過ごすことはなかった。
もしあのまま家に留まり、翌日迎えが来ていても。あるいは、教会でグラナートに保護されていたとしても今はない。
いくつもの奇跡が重なり合ったからこそ、ディアンはエルドと共に過ごし、一緒にいるのだ。
でも、それはほんの一時。聖国に着くまでの間のこと。
任務が終わればエルドがディアンと共にいる理由はなくなり、ディアンがエルドを引き留めることはできない。各々が果たすべき事を成し、彼は本来の立場へと戻る。
その時ディアンがどうなっているかはわからない。だが、精霊名簿士になろうと、そうでなかろうと……それが終わりであることは、避けられない。
出会いがあれば別れもある。そこにどれだけの恩と想いがあっても、それは避けられない。
わかっている。ディアンはわかっている……つもりなのだ。
「ディアン」
呼ばれ、顔を上げ。向けられる瞳の強さに鼓動が跳ねる。
その顔に微笑はなく。僅かに寄せられた眉は怒っているかのようにも見えるが、実際はためらっているものだ。
自分に非がある時と同じ顔。一度見たことがあるからこそ、そうだとわかる。
……だが、今の会話に彼が改めるべきことはなく。ならば、なにを迷っているのか。
「……はい」
迷っているとわかっている。だからこそ、催促することなく言葉を待つ。
薄紫は一度伏せ、瞬き。そうして、眉の間隔は戻り……真剣な顔で、ディアンを見つめる。
「それまでの努力もあったし、お前自身の知恵もあったが……それでも、お前はこの一ヶ月で本当に強くなった」
言われていることは先ほどと大差ない。だが、そこに脚色が含まれていないのは、その顔を見てもわかること。
「疾患さえ抜ければまともに戦えるようになるし、そうすれば資金を稼ぐこともできる。ギルドに所属しなくたって、お前の腕ならやっていけるだろう。自信をもっていい」
「あ……りがとう、ござい、ます」
じわり、滲むのは仄暗い感情ではなく。もっと温かくて、だけどくすぐったいもの。
唇がニヤけそうになるのを耐えたのはなけなしのプライドだ。ああ、それでも……嬉しい。
本当にそう思っていると伝わるからこそ、飾り気のない賞賛に喜びを感じてしまう。
「だからこそ、」
なんとか表情を保たなければと、そんな懸念は付け加えられた言葉によって払拭される。
薄紫はディアンを貫く。貫いたまま、僅かに揺れる。その迷いは一瞬だけ。その奥に隠れた感情を読み取るには、あまりにも短い刹那。
「――お前にかけられた呪いを、とかなければならない」
淡々と告げる声に、迷いはなかった。
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