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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
幕間 崩れる日常 ★

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122.後悔と過ち

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 いつからそこにいたのか。顔を上げ、見やった先には見慣れた姿が一つ。

 その表情は変わらないように見えるが、どこか労わるように見えるのは気のせいではないだろう。


「そろそろ休むべきです」

「……あなたこそ疲れているでしょう、アリア」


 たしかに目まぐるしい日々だったが、今は比較的落ち着いている。残っている仕事もなく、次の報告があるまでできることは少ない。

 対してアリアは、ギルドの調査と、メリアを見張っている部隊との連絡も請け負っている。グラナート自身が動くより効率的とはいえ、負担を強いていることは言わずもがな。


「私は慣れておりますから」


 その言葉に嘘はない。彼女にとっては普段の延長だ。その対象がディアンから複数人に変わっただけ。

 トゥメラ隊所属の彼女……いや、彼女たちにとって、この程度はなんともないのかもしれない。

 半分はグラナートと同じく人。しかし、残る半分は……やはり、人ならざるもの。

 そこに男女の差はなく、あるのは圧倒的な違いだけ。

 足音は移動し、目の前で止まる。そのまま向かいに座った彼女の瞳が一度瞬いたのは躊躇いか。それこそ、グラナートの考えすぎだったのか。


「……ヴァンギルド長は、嘘を吐いていると思いますか」


 問いは短く。余分なく。

 漏れた息は深く、静かに響く。そうして空になった肺に満ちる空気は、頭を冷やすには少し足りない。

 かつて共に剣を交えた仲間として。今もなお英雄と呼ばれる友として。教会に属する、忠実な司祭として。その全てで考えた答えは同じ。


「……そう思いたいだけかもしれないが」


 断言できない時点で揺らいでいると、指摘されてしまえばそれまで。

 だが、司祭として見ても、かつての姿を知る友として見ても、彼が嘘をつける男とは……やはり、考えられない。


「ヴァンは、私の知る限り不器用な男だ。嘘を吐いている自覚があったら、どこかしらでボロを出していただろう」


 どこまでも愚直で、正義感に溢れ、恐れを知らぬ。自分に対する犠牲を厭わず突き進む姿は、英雄と呼ぶにあの男ほど適した者はいないだろう。

 ……故に、上に立つにはあまりに脆く。英雄と祭り上げられ、期待され。それこそが、かつてのヴァンを奪ってしまったのか。

 今となっては、もはや知る由もなく。


「では、ダヴィード王は?」

「……ラインハルトはともかく、あの男がここまでする理由はない」


 それは期待ではなく事実だ。息子であり、王太子であるラインハルトは後々の懸念ではあるが、今は脅威ではない。

 多少不満を抱いていようと、実害がなければ咎める理由もなく。

 ダヴィード自身に罪がないとは言わないが、この一連の原因ではない。むしろ巻き込まれた側だろう。

 そもそも、王家としてもディアンに固執する理由はどこにもない。親友の息子、『精霊の花嫁』の兄。だが、あくまでもディアン自身は庶民だ。

 仮にヴァンが爵位を授かっていたとしても、行方を知れなくなったところで国が介入するなどあり得ないし、個人的な理由だって存在しない。

 ここまで誰にも気付かれず、そうして実行に移せるほどの力を持っているとすれば……それは……。

 

「ならば、やはり彼女が」


 アリアも同じ答えに至ったのだろう。今は部屋に謹慎されている少女の姿を浮かべ……だが、首を振る。


「……証拠がない」


 これまでの経緯からして、一番怪しいのはサリアナだ。

 幼い頃から異常なまでにディアンに執着し、今も諦めようとしない彼女なら、これぐらいしでかしてもおかしくはないだろう。

 国王のサインも、彼女なら模倣できる。ヴァンの署名に関しても……何かしらの方法で書かせた可能性はある。

 そもそも、ギルドへの捜索依頼を用意し、ヴァンに渡したのはサリアナだ。それが巡り巡って指名手配書になったかまではやはり不明だが、一連に彼女が関与しているのは間違いない。

 ……それでも、証拠がない。

 ディアンが死んだと告げた当日から今日に至るまで、彼女はずっと部屋から出ていない。

 王城の者だけならまだしも、教会も見張っている中で抜け出すのはほぼ不可能。

 その間の訪問者は、彼女の世話をする侍女のみ。そして、入室する際に必ず教会の者が立ち会っている。

 暗号文も、隠語でのやり取りも確認されていない。不自然なまでに証拠がどこにもないのだ。


「どこかでメリアと接触したなら、まだ可能性はありますが……」

「それこそあり得ません」


 否定はグラナートではなく、アリアの口から。

 サリアナより警戒度は低いが、メリアも厳重に見張られている。

 彼女自身の脅威は少なく、むしろ無害なものだ。たとえサリアナに協力を求められても、隠し通せるだけの知恵もない。

 それ以前に、みっともなく騒ぎ立てるだろう。

『どうして私がお兄様を探す手伝いをしなくちゃいけないの!?』 『お兄様なんていない方がいいじゃない!』『お兄様なんていらないわ!』

 甲高く喚き、荒れる姿が容易に浮かぶ。それを見張っている彼女たちがグラナートに報告をあげないわけがない。

 ラインハルトは接触したようだがこの件とは関係ないし、彼がどうにかできるとも思わない。それはグラナートだけでなく、女王陛下の判断でもある。

 万が一に備えて見張りは付けているが、真に脅威であるのはメリアとサリアナ。

 サリアナはその思考と魔術の高さから。メリアは……その加護を授けた、精霊の暴走を懸念して。

 今は加護封じの枷をさせているとはいえ、相手はあの精霊だ。それこそ、グラナートでは想像もしない方法で接触を図る可能性はある。

 そもそも精霊が加護を授けた人間と会話することなど滅多にないが、そうと言いきれない相手に加護されているのもまた事実。

 他の精霊なら、ここまで対策を練る必要はなかっただろう。

 ……否、他の精霊であったなら。そもそもディアンがこんなに苦しむことはなかっただろうに。


「失礼を。愚問でした」


 あり得ないことはアリアもわかっていただろう。それでも声に出たのは、グラナートの思考を確かめる為か、それ以外か。

 真っ直ぐ向けられていた瞳が僅かに反れ、そうして戻る。その一連は一瞬でも、明らかな迷いの動作。


「……『中立者』は、なにをお考えなのでしょうか」


 それは……それは、問いではなく呟きに近かった。

 答えが得られないことを知りながらも、出さずにはいられなかった疑問。いや、答えさえ求めていないのだろう。

 グラナートがその答えを持たないことは彼女も分かっている。同情でもなく、慰めでもない。それでも、吐き出さずにはいられなかったのだろう。

 エヴァドマにて、リヴィ隊長に告げた言葉はグラナートたちにも共有されている。一言一句違えることなく、その意味も含めて。

 ああ、本当になにを考えているのだろうか。あの男が、『中立者』が誰よりもその意味を理解しているはずだ。

 それがどれだけ彼女たち、愛し子を傷付けると知っていながらそれでも宣言した意味を。

 それでもなお、彼に真実を打ち明けず連れ立つ矛盾に……彼女たちがなぜ、納得できるというのか。

 訴えられぬ諦めと、それでも昇華しきれない怒り。戸惑いは重く胸底にへばり付き、取り除かれる日は遙か遠く。

 答えを求めていない。それをグラナートも理解している。たかが人間の慰めが、彼女たちの神経を逆撫でるだけであることもわかっている。

 だからこそ、彼はなにも言わない。言わず、語らず。静かに首を振る。


「……望んだ展開ではありませんが、少なくとも『中立者』がそばに居る間、『候補者』の安全は確保されています」


 旅を続ける必要がない、その点を除けば最も安全な場所だ。

 実際、彼がいなければディアンは最初に死んでいたかもしれない。感謝できるのがその一点だけだとしても、彼を救ったことには変わりない。

『中立者』がディアンを開放するつもりがないのならば、できるのはその行方を追い続けること。そして、いつでも彼を迎えられるように万全を期すことだ。

 これ以上の問題が起きないように。もう、これ以上ディアンが……不必要に苦しめられることの、ないように。


「今はあの子が……ディアンが聖国に辿り着くまで、彼らの監視を緩めないように」


 そこで、この話は終わるはずだった。アリアは元より答えを必要とせず、どうにもならぬと納得していた。

 グラナートも同じく、今できることを、命じられた事を忠実に守るしかないのだと。

 私情を押し殺しながらも導いた結論に、誰も異存はなかったはずだ。

 ……ただ、誰も過ちに気付かなかっただけ。

 普段であれば、グラナートもディアンの名を出すことなく、普段通り『候補者』と濁したはずだ。

 ディアン自身を指す名称だと知られぬように、彼が教会にとっても重要な人物であると悟られぬように。

 それがたとえ身内しかいない状況でも万全を期してそう呼ばなければならなかった。

 疲れのせいもあっただろう。己の内の中に渦巻く葛藤もあっただろう。

 それでも、グラナートは失敗したのだ。

 最後の最後、ただ名称を実名で呼んだという些細な……しかし、致命的な過ちを。


 醜い音が響く。部屋の外、扉のすぐそば。ガチャン、となにかが割れるような音。

 グラナートが見た時には、既にその扉はアリアによって開かれていた。逃げるどころか隠れる間すらない。元より、そこにいた者にその気すらなかったのかもしれない。

 足元に散乱する食器。広がっていく液体は紅茶だったのか。湯気立つ水たまりが足首を汚していたが、誰もそんなこと気にしていなかった。

 扉を開けたアリアも、その姿を視認したグラナートも。……熱いと感じている、ペルデ本人ですら。


「っ、ペルデ……!」


 遅れて立ち上がったグラナートを見て、呼ばれた青年の顔が青ざめる。否、扉を開けた時から血の気を失っていた。

 原因など考えるまでも無い。聞かれていたのだ。ペルデが知ってはならない情報を。秘匿にしなければならなかった、それを。

 そうだと彼も理解しているからこそ動揺し、こうして二人の前で呆然としている。もはや誤魔化す気すらないほどに。


「とう、さ、」


 続けたかったのはどんな言葉だったのだろうか。否定か、ただの返事か。それとも……助けで、あったのか。

 頼りなく、震える声で紡いだそれだけでも彼の混乱を知るには容易く。されど、それ以上に荒れるグラナートに酌み取るだけの余裕はない。


「なぜここにいる、どこまで聞いていた」


 掴んだ肩が跳ねたことにも意識になく、込めた力がどれだけ強いかさえ。揺れる瞳が見上げ、絡み。されど、その視線の意味に気付くことだって。

 己の失態。それにより与えてしまった情報。そのせいでこれから生じる問題。渦巻く頭を整理することはあまりに難しく、語尾は荒くなる。

 もう寝ているはずだった。ここにいるはずがなかった。ここで立っている理由などなかったはずだ。

 なぜ、いつから。どうして今に限って。

 ……いや、自分が知らなかっただけで今までもこうしていたのか?

 ディアンの時と同じように。サリアナへ伝えた時のように。ペルデはずっと、そうしていたのか?

 少しでも冷静に考えれば、あり得ないとわかったはずだ。

 仮にペルデがサリアナに協力していたって、指名手配書をどうにかできる訳がないのに、疲れに支配された脳ではそれすら否定できない。

 あれだけ言い聞かせた。あんなにも伝えていた。なのに、なぜ。どうして。


「答えなさいペルデ、いつからこうしていた」

「ち……ちが……っ……」


 否定する喉が、熱に灼かれる。実際にその身を焼く炎はなくとも、怒りによって放出された魔力は、その身を祝福する精霊の名の通り。

 内側から肺が燃えるような痛みに呻き、言葉はままならず。真実はどう足掻いても伝わらない。


「お前が知るべき情報ではないと伝えていたはずだ。それなのに、なぜここにいる……!」

「グラナート司祭」


 ここは談話室であり、人払いもされていなかった。本当に聞かせたくないのであれば、それこそ専用の部屋で話すべきだったのだ。

 盗み聞く形になったのはペルデにも非がある。されど、一方的に責められるものではないと静止するアリアの声は届かない。


「……ペルデ!」


 答えない。答えられない息子に、怒鳴る声は熱と共に。乾いた空気が頬を撫で、痛みは焦げる匂いと共に。

 そうして熱は肺を突き破り、その奥底に。強張る肉の中、けたたましく脈動する振動へ辿り着き――火を、灯した。


 乾いた音はグラナートの手元から。だが、それは男の意思ではなく、払いのけられたからだ。

 見開く目に映る瞳は、薄い涙の膜に覆われていても揺らがず。たしかにグラナートを見上げ、睨む。


「――()だって!」


 鼓膜を突き破るほどの叫びは、あまりにも悲痛めいていた。喉が裂けてしまうと思わせるほどの声量。だが、それはその一度だけ。


「なにも、知りたくなかった……っ……!」


 絞り出した声、潰れてしまいそうな響き。唇を喰い締め、見上げる瞳に落ちる陰。

 その姿に、これこそが過ちであったと気付いたところで……もはや、手遅れ。


「ペルデ――!」


 走り去る姿を引き留めることもできず、追いかけることもできず。行き場を失った手を下ろすことさえ。


「……だから、休むべきだと言ったんです」


 そんな男を追い抜き、割れた欠片を集めるアリアの呟きに込められるは侮蔑。

 一人分しかないカップ。入っていたのは紅茶であろう。グラナートがまだ仕事をすると理解し、寝る前に声をかけようとしたのかもしれない。

 全ては憶測であり、答えはもう二度と得られないだろう。だからこそ、行き場のない後悔は顔を覆ったところで拭えるものではなく。


「……あぁ」


 それが返事ではなく嘆きだったとしても、やはりなにも変わることはなかったのだ。

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