119.悪いのは
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「ラインハルト殿下」
だが、その答えよりも先に後ろに控えていた女が彼の名を呼ぶ。
眉を寄せ、唇を閉ざし。それから、もう一度微笑みかける表情が苦々しい理由など、メリアは考えることもない。
「……すまないメリア、もう帰らなければ」
「どうして? いま来たばかりでしょう?」
まだ数分しか経っていないのに、もうラインハルトは帰るという。ようやく話ができる相手が来たのにどうしてと、縋る手はそっと剥がされ行き場を失う。
「どうしても君の無事を確認したくて抜け出してきたんだ。すぐに戻らなければ……」
「なら私も行く! 連れて行って、ライヒ!」
メリアが自分から出られないというのなら、彼に連れて行ってもらえばいい。
だって、ラインハルトはこの国の王子だ。王子は王様の次に偉くて、凄い人だから、自分にひどいことをする彼女たちもラインハルトには逆らえない。
そうすれば、彼女たちに罰を与えられる。『精霊の花嫁』にこんな扱いをしたなんて知れば、国王も父も黙っていないだろう。
彼女たちを追い出し、メイドたちも元に戻して、そうして楽しい日々を返してくれるはずだ。
だって、ラインハルトはメリアの望みを全て叶えてくれるのだから。
「……すまないメリア。それは、できないんだ」
だが、そのラインハルトから返ってくるのは否定だ。あり得ない言葉だ。
彼がメリアの頼みを断るなんて。そんなこと、今まで一度もなかったのに。
「どうして!?」
「ここが一番安全なんだ。君の身を守るために、連れて行くわけには……」
「なら、いつものメイドを戻してきて! この人たちを追い出してよ!」
静観する騎士を指で示しても、ラインハルトの首が動く方向は横。彼の痛ましい表情は、メリアの意識の外だ。
否定された。叶えてもらえない。なぜ。どうして。頭を巡るのはそればかり。
「じゃあ……じゃあ、サリアナは!? サリアナならここに来れるでしょう!? ペルデでもいいから、ここに連れてきてよ!」
もはや話し相手になるのなら誰でもいい。一番はラインハルトだが、無理だというならサリアナでも。最悪、話のつまらないペルデでもかまわない。
ここで一人、彼女たちと過ごすなんて耐えられない。みんなひどいのに、誰も助けてくれない。誰も願いを聞いてくれない。
『精霊の花嫁』なのに。誰よりも大切にされなければいけないのに!
「誰でもいいからっ……ねぇ、ライヒ!」
「殿下」
縋ろうとした手が、横から投げかけられた声によって止められる。
それはメリアの訴えよりも小さく静かだったが、ラインハルトが背を向けたことで優先されたのがどちらか、聞くまでもなく。
「……また来る」
「嫌っ、待ってライヒ! ライヒッ!」
置いていかないでと叫ぶ声は誰の耳にも痛く、しかし誰一人として反応することなく。無情に閉ざされた扉に、ボロボロと溢れる涙を拭う指だってもうない。
呻き、唇を噛み締め、それでも込み上げる感情をどうすることもできず。胸を埋め尽くす重苦しい感覚に、喉の奥が狭まっていく。
――どうして。
疑問は繰り返される。どうして、どうして。どうして、こんな目に。
幸せだったのに。兄が部屋に閉じ込められてから、ずっとずっと楽しかったはずなのに。
いつも嫌なことばかり言って自分を虐める兄が嫌いだった。
必要だと、それではいけないと。母も父も、ライヒもサリアナも必要ないと言っているのに、ひどいことばかり言ってくる兄が大嫌いだった。
みんなだってそうだ。勉強もできない、剣だって振るえない。誰にも勝てない。英雄の息子とは思えない。恥知らず。愚か者。
なのに、兄はいつも偉そうにメリアに言うのだ。それではいけないと。『花嫁』にはふさわしくないと。いつだってメリアにひどいことばかり。
だから、父も母も、メイドも、ライヒも、ペルデだって。誰もみんな兄を嫌っていた。
サリアナだって、本当は兄のことが嫌いなはずだ。
だって、誰もあの人を好きにならないし、愛さない。愛されない。だって、『精霊の花嫁』である自分にずっとひどいことをしているのだから!
兄さえいなければと、どれだけ思っていたことか。あの兄さえいなくなれば幸せなのに。嫌なことだってなにもなくなるのに。
否、実際メリアの生活は幸せになった。
ディアンが彼女に『ひどいこと』を言った罰で謹慎させられている間、彼女にはなんの憂いもなかったのだ。
兄が謝るまでこの平穏が続く。うるさい小言もないし、傷付けられることもない。だから、メリアはずっと兄が謝ってこようとするのを邪魔していたのだ。
ディアンの部屋の前で泣くだけでヴァンは都合の良いように誤解した。
真偽を確かめないまま咎め、大丈夫だとメリアに囁き。
それを繰り返して……だから、兄が閉じこもっているのではなく出て行ったと知ったときだって、もう芝居をせずともこの楽しい日々が続くと思っていた。
嫌われ者が出て行って、父も母もみんな喜ぶのだと。
楽しかったはずだ。幸せだったはずだ。
それなのに、兄がいないとわかってから父はいなくなり、母もいなくなり、メイドも取り上げられて……どうして、自分は一人ここに取り残されているのか。
ディアンを探してと、あの時叫んだサリアナの声が蘇る。
もし、兄を探すために父もライヒも自分を置いていったのなら。今自分がここにいるのは兄のせいだ。
堂々巡りの疑問を打ち切るために、歪んだ認識が答えを捻じ込もうとする。
脳内で行われたそれが誤りだと指摘できる者はいない。故に、過ちは止まることなく積み重なっていく。
そう、そうだ。全ては兄が父の言うことを聞かずに教会へ行き、そうして自分にひどいことを言ったからではないか。
あんなひどい嘘をついて、メリアを脅して。それなのに謝らないどころか、逃げ出したから。だから、みんなメリアを置いて探しに行くしかなかったのだ。
逃げ出さなければその必要だってなかったのに。誰も兄なんて探したくないはずなのに。いなくなって幸せになるはずだったのに。
兄が逃げたせいだ。父の言うことを聞かず、自分にひどいことをして逃げ出したから。だから、兄が悪いのだ。
全部、全部。なにもかも。
お兄様のせいだとこぼせる口があれば、まだ救いもあっただろう。実際に出たのは、やはり聞き苦しい嗚咽ばかり。
そして、誰もそれに耳を傾けることも、寄り添うこともなく。突きつけられるのは冷たい視線だけだった。
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