115.ごちそう
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「……あの、先ほど説明したと思うんですが……」
ディアンが言う通り、もう説明したことだ。
幼い頃にサリアナと約束をしたから。だから、姫付きの騎士を目指すように言われたのだと。
「幼い頃に、ずっとそばにいて欲しいと言われて……だから……」
「そこは聞いた。だが、本当にそれだけか?」
眉が寄り、人によっては睨んでいるようにも見えただろう。ただ、単に言葉の意味を測りかねているだけだ。
「言っている意味がよく……」
「お姫様に言われたとき、お前はすぐに快諾したのか?」
問い直され、首を振る。まだ幼かったがよく覚えている。
あの中庭で。あの小さな隅で。内緒話のように小さく、赤らんだ顔で言われたことも全部。
『わたしと、ずっといっしょにいてくれる?』と。
「……ずっとは、いられないと。いつか別れがくると。だから、その日が来るまでは一緒に居ると約束しようとして……」
頭が僅かに痛む。そこから先は、あまり思い出したくない。
「しようとして?」
それなのに、エルドの声が促す。その先はなんだと。なにが、あったのかと。
「いえ、気付いたらもうそうなっていたんです。だから」
「思い出したくないか?」
言い訳が遮られ、素直に口を閉ざしたのは、その声色が優しかったからだ。
無理をしなくていいと。話す必要はないと。繕うことすらできず、そっと吐いた息と共に痛みが薄れていく。
一度瞬き、それから鍋を見る。随分と話し込んだが、中は焦げ付いていないだろうか。
「――それとも、思い出せないか」
伸ばした手が、止まる。とても先ほどと同じ声とは思えない温度差。否、最初のそれは温かすぎて、この抑揚のない声をそう錯覚しただけだ。
瞳が揺れる。言葉を聞き取り、咀嚼し。それでも理解できずに。
「どっちだ、ディアン」
思い出したくないのか、思い出せないのか。
どちらも同じだ。その事象を考えないという一点で言えば、どちらも……だが、その過程は大きく異なる。
ディアンは、思い出したくない。だって覚えている。その過程を、こうなった一連を、全て。
思い出せないのではない。だって、こんなにも根深く残っているのだ。
サリアナが泣いて、それから父たちが来て。それから。……それ、から?
「……あ……?」
頭痛が戻ってくる。でも、止められない。切り捨てようとしたその先、思い出したくないはずの景色が、途端にかすむ。
もやがかかったかのように、あんなにも鮮明だった記憶が、全部。
まるで波紋だ。石が投げ込まれるまでは見えていたのに、一度広がればもう元の形はわからない。
覚えている。覚えていたはずだ。なのに、なぜ。
「こと、わって。サリアナが、泣いて」
辿るように呟く。そこまではハッキリしているのに、駆け寄ってきた影が誰だかわからない。
父か、母か。妹か。それとも、陛下だったのか。
……違う、兵士だ。遠くから見守っていたはずの彼らだ。
サリアナの泣き声に気付いて、それから父たちに会ったんだ。
父さんたちからじゃない。自分が不敬であると叱られ、咎められ。そうして、腕を掴まれて連れて行かれたんだ。
どうして、と。頭の中で声が響く。それは幼いディアンの声ではない。もっと甲高く、取り乱した……幼なじみの、
「つれて、いかれて……とうさんたちが、いて」
声が大きくなる。サリアナだけじゃない。いろんな声が混ざって、反響して、誰が誰かわからなくなってくる。
痛みが増していくごとに景色が晴れていく。
額を押さえても軽減できない苦痛の先、見えていたはずの記憶がまた歪んで、滲んで、わからなくなってしまう。
どうしてサリアナを。お前は自分がなにをしたか。姫様。なんてことを。ひどいわお兄様。愚か者。自分の立場をわかって。謝りなさい。謝れ。謝罪を。謝って。
――私付きの騎士になると、
「ディアン」
目を、開く。いや、最初から開いていた。それでも景色が違うのは、気付かぬ間に蹲っていたからだ。
折れた上体を覗き込む蒼。忘れていた呼吸を促すように顔を寄せられ、指に絡まる髪を解く。
「無理をするな。……それ以上は、キツいだろ」
「……どう、して」
思い出せないことに対してか。それとも、こうなると予測していた彼に対してなのか。
汗の感触が残る指先は痺れ、息苦しさはマシにならず。擦りつけられる白を撫でて、やっと少し楽になった程度。
「辛すぎる出来事には無意識に蓋をしてしまうもんだ。お前が自覚しているかは別にしてな」
「……い、いえ」
ゆるく、首を振る。違う。だが、違うのはそうではない。
ディアンはこれを知っている。この感覚を、この……たとえようのない違和感を、確かに知っている。
もやがかかったように不鮮明で、鈍く痛むこの感覚を。思い出そうとすればするほどに増していく苦痛を。それまで気付こうとせず、忘れようとして、そうして流されてしまったあの日々を。
そうだ。これは、父たちの矛盾に気付いた時と同じ、はずで。
「ディアン」
痛みに顔をしかめれば、再び頭を擦りつけられる。ゼニスからも、そしてエルドからも静止されてまで続ける気にはなれず。
「……このままだと『花嫁』は、どうなるんでしょうか」
話を変えようにも、結局出てくるのは元の話題。
十年以上の教育が必要な立場。それを、残り二年で詰め込むのは……あまりにも無謀だ。
そもそも勉強するとも思えない。無理に連れて行ったって素直に言うことを聞くかどうか……。
「さぁ?」
「さぁって……」
「そんなの、なるようになるだろ」
とても『中立者』の言葉とは思えない。『精霊の花嫁』なんて、まさしく両者の関係を示すものではないのか。
「言ったろ、あんまり関わりたくないって。それに、女王陛下に賜った任務はお前を連れて行くことであって、『花嫁』……お前の妹に関しては任務外だ」
「ですが……」
「それに、本人も行くのを望んじゃいないんだろ? だったらこっちも強要できない」
膝に腕を乗せ、屈んだ身体が火を突く。紛らわすためではなく、本当に興味がないのだろう。
「……盟約ではありませんでしたか?」
「異例は異例だが、本人の無事が確約されてんなら問題ない。なにもかも従わせてたら、それこそ奴隷と変わらないからな」
必要なことだが、望まないのならば無理強いはしない……と、聞こえだけはいいが、やはりそれでは問題がある。
ただの教育ではない。精霊界に嫁ぐために必要な知識だ。嫌がった程度で引き下がっては、それこそ本当に嫁げるかどうか。
これも、大袈裟なたとえ話なのだろうか。そうであってほしいと思うのは、それだけの責任が『花嫁』にあると、そう理解しているからこそ。
感情を優先させるのならば。もし、それが許されるのなら……。
「……『花嫁』が、嫁ぎたくないと言っても?」
意地の悪い質問だとわかっている。だが、こんなひねくれた言い方でなければ、それこそ八つ当たりをしかねなかった。
それでは困ると。そういうわけにはいかないと。そう返ってきたなら矛盾していると鼻で笑ってやれたのに、目の前の男は肩をすくめるばかり。
「本人が、本当にそう望んだならな」
突かれた山が崩れ、新たな枝が突っ込まれる。燻る熱は、ディアンの腹の奥からも。
「勘違いしているようだから言うが……本来、精霊界に嫁ぐのは強制ではない。あくまでも可能性を示しているだけだ」
「通例であればそうでしょう。だが、今回はオルフェン王の命令によって結ばれる婚姻です。直々に交わした契約を反故にすることは……!」
「産まれる前に勝手に決められたことに対して、なぜ素直に従う必要が?」
怒りは音にならず。息は、空気にとけていく。
「そう望んだ精霊王も、自分の子とはいえ他人に対価を押しつけたお前の父親も。……俺にとっては、どちらも大差ない」
呟きが落ちる。目も合わせないまま、心底どうでもいいように。
……本当に、エルドは『花嫁』に対して興味はないらしい。ディアンが兄でなければ、自ら関わろうともしなかっただろう。そう思えるほどに、その態度はあからさまだ。
『精霊の花嫁』になれることは名誉のはずだ。望んだところでなれるものではない。
数百年に一度、選ばれるのはたった一人。
だからこそ特別で……だが、ヴァンだって我が子を自ら手放したいとは、思わなかったはずだ。
要求されたから、そうしなければならなかったから差しだした。そうでなければ今の平穏はない。ヴァン・エヴァンズの犠牲があったからこそ、今の日常がある。
その対価が、たとえ自分自身ではなく、その子が払うのだとしても……痛みがなかったとは言えない。
割り切っていたなら、メリアを大切になんてしないだろう。せめて嫁ぐまでの間はと、教会に反抗して家に留まらせようとはしないはずだ。
一方で、その役目だって伝えていたはずだ。『精霊の花嫁』がいかに特別で、重責か。
だからこそ我が儘だって許されていた。しなければならないことだって、『花嫁』だからの一言で許されていた。
『花嫁』だから。教会からも特別視される、替えのない存在だから。
……だが、権利ばかりを得てその責務を果たそうとしない『花嫁』は、本当に『花嫁』たり得るのか。
『花嫁』になること自体を、メリアが拒むことはないはずだ。幼い頃からそう言い聞かせられ、自身だってそう主張している。
自分は、精霊に嫁ぐのだと。だから、兄とは違うのだと。
その日が来ても、きっと彼女は変わらないのだろう。勉強を嫌がり、正論を拒み、自分に都合の良いことばかりを受け入れる。
そうだと決められている。そうだと、定められている。
だが、本当にそんな存在を、精霊も求めるのだろうか。
それでも求めるほどに、『花嫁』は特別なのだろうか。
特別だから全てを許されていた。それを、ディアンはずっと見てきた。ずっと、ずっと。もう、羨ましいと思う気持ちが枯れるほど昔から、ずっと。
……なのに、どうして。エルドはこんなにも冷たく言い放つのか。
「さて、おしゃべりはそろそろおしまいだ」
懐から出された布が、鍋の上に被せられる。内側からの圧に揺れる蓋を止めるには軽すぎる重みだが、目的は押さえ込むのではない。
少しだけ蓋を開け、そこから覗き込んだ中はディアンの方向からは見えず。
だが、鍋を掻き混ぜるエルドの顔は納得したように頷き。そして、ディアンを見つめる瞳はいつものように柔らかいものへ。
「おまちどおさん。これがエヴァドマ名物、山羊のシチューだ」
そうして持ち上げられた蓋から湯気がのぼり、その光景が見えた途端に……全ての疑問が端に追いやられてしまったのは、言うまでもない。
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