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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第四章 たき火を囲んで

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115.ごちそう

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「……あの、先ほど説明したと思うんですが……」


 ディアンが言う通り、もう説明したことだ。

 幼い頃にサリアナと約束をしたから。だから、姫付きの騎士を目指すように言われたのだと。


「幼い頃に、ずっとそばにいて欲しいと言われて……だから……」

「そこは聞いた。だが、本当にそれだけか?」


 眉が寄り、人によっては睨んでいるようにも見えただろう。ただ、単に言葉の意味を測りかねているだけだ。


「言っている意味がよく……」

「お姫様に言われたとき、お前はすぐに快諾したのか?」


 問い直され、首を振る。まだ幼かったがよく覚えている。

 あの中庭で。あの小さな隅で。内緒話のように小さく、赤らんだ顔で言われたことも全部。

『わたしと、ずっといっしょにいてくれる?』と。


「……ずっとは、いられないと。いつか別れがくると。だから、その日が来るまでは一緒に居ると約束しようとして……」


 頭が僅かに痛む。そこから先は、あまり思い出したくない。


「しようとして?」


 それなのに、エルドの声が促す。その先はなんだと。なにが、あったのかと。


「いえ、気付いたらもうそうなっていたんです。だから」

「思い出したくないか?」


 言い訳が遮られ、素直に口を閉ざしたのは、その声色が優しかったからだ。

 無理をしなくていいと。話す必要はないと。繕うことすらできず、そっと吐いた息と共に痛みが薄れていく。

 一度瞬き、それから鍋を見る。随分と話し込んだが、中は焦げ付いていないだろうか。


「――それとも、思い出せないか」


 伸ばした手が、止まる。とても先ほどと同じ声とは思えない温度差。否、最初のそれは温かすぎて、この抑揚のない声をそう錯覚しただけだ。

 瞳が揺れる。言葉を聞き取り、咀嚼し。それでも理解できずに。


「どっちだ、ディアン」


 思い出したくないのか、思い出せないのか。

 どちらも同じだ。その事象を考えないという一点で言えば、どちらも……だが、その過程は大きく異なる。

 ディアンは、思い出したくない。だって覚えている。その過程を、こうなった一連を、全て。

 思い出せないのではない。だって、こんなにも根深く残っているのだ。

 サリアナが泣いて、それから父たちが来て。それから。……それ、から?


「……あ……?」


 頭痛が戻ってくる。でも、止められない。切り捨てようとしたその先、思い出したくないはずの景色が、途端にかすむ。

 もやがかかったかのように、あんなにも鮮明だった記憶が、全部。

 まるで波紋だ。石が投げ込まれるまでは見えていたのに、一度広がればもう元の形はわからない。

 覚えている。覚えていたはずだ。なのに、なぜ。


「こと、わって。サリアナが、泣いて」


 辿るように呟く。そこまではハッキリしているのに、駆け寄ってきた影が誰だかわからない。

 父か、母か。妹か。それとも、陛下だったのか。

 ……違う、兵士だ。遠くから見守っていたはずの彼らだ。

 サリアナの泣き声に気付いて、それから父たちに会ったんだ。

 父さんたちからじゃない。自分が不敬であると叱られ、咎められ。そうして、腕を掴まれて連れて行かれたんだ。

 どうして、と。頭の中で声が響く。それは幼いディアンの声ではない。もっと甲高く、取り乱した……幼なじみの、


「つれて、いかれて……とうさんたちが、いて」


 声が大きくなる。サリアナだけじゃない。いろんな声が混ざって、反響して、誰が誰かわからなくなってくる。

 痛みが増していくごとに景色が晴れていく。

 額を押さえても軽減できない苦痛の先、見えていたはずの記憶がまた歪んで、滲んで、わからなくなってしまう。


 どうしてサリアナを。お前は自分がなにをしたか。姫様。なんてことを。ひどいわお兄様。愚か者。自分の立場をわかって。謝りなさい。謝れ。謝罪を。謝って。

 ――私付きの騎士になると、


「ディアン」


 目を、開く。いや、最初から開いていた。それでも景色が違うのは、気付かぬ間に蹲っていたからだ。

 折れた上体を覗き込む蒼。忘れていた呼吸を促すように顔を寄せられ、指に絡まる髪を解く。


「無理をするな。……それ以上は、キツいだろ」

「……どう、して」


 思い出せないことに対してか。それとも、こうなると予測していた彼に対してなのか。

 汗の感触が残る指先は痺れ、息苦しさはマシにならず。擦りつけられる白を撫でて、やっと少し楽になった程度。


「辛すぎる出来事には無意識に蓋をしてしまうもんだ。お前が自覚しているかは別にしてな」

「……い、いえ」


 ゆるく、首を振る。違う。だが、違うのはそうではない。

 ディアンはこれを知っている。この感覚を、この……たとえようのない違和感を、確かに知っている。

 もやがかかったように不鮮明で、鈍く痛むこの感覚を。思い出そうとすればするほどに増していく苦痛を。それまで気付こうとせず、忘れようとして、そうして流されてしまったあの日々を。

 そうだ。これは、父たちの矛盾に気付いた時と同じ、はずで。


「ディアン」


 痛みに顔をしかめれば、再び頭を擦りつけられる。ゼニスからも、そしてエルドからも静止されてまで続ける気にはなれず。


「……このままだと『花嫁』は、どうなるんでしょうか」


 話を変えようにも、結局出てくるのは元の話題。

 十年以上の教育が必要な立場。それを、残り二年で詰め込むのは……あまりにも無謀だ。

 そもそも勉強するとも思えない。無理に連れて行ったって素直に言うことを聞くかどうか……。


「さぁ?」

「さぁって……」

「そんなの、なるようになるだろ」


 とても『中立者』の言葉とは思えない。『精霊の花嫁』なんて、まさしく両者の関係を示すものではないのか。


「言ったろ、あんまり関わりたくないって。それに、女王陛下に賜った任務はお前を連れて行くことであって、『花嫁』……お前の妹に関しては任務外だ」

「ですが……」

「それに、本人も行くのを望んじゃいないんだろ? だったらこっちも強要できない」


 膝に腕を乗せ、屈んだ身体が火を突く。紛らわすためではなく、本当に興味がないのだろう。


「……盟約ではありませんでしたか?」

「異例は異例だが、本人の無事が確約されてんなら問題ない。なにもかも従わせてたら、それこそ奴隷と変わらないからな」


 必要なことだが、望まないのならば無理強いはしない……と、聞こえだけはいいが、やはりそれでは問題がある。

 ただの教育ではない。精霊界に嫁ぐために必要な知識だ。嫌がった程度で引き下がっては、それこそ本当に嫁げるかどうか。

 これも、大袈裟なたとえ話なのだろうか。そうであってほしいと思うのは、それだけの責任が『花嫁』にあると、そう理解しているからこそ。

 感情を優先させるのならば。もし、それが許されるのなら……。


「……『花嫁』が、嫁ぎたくないと言っても?」


 意地の悪い質問だとわかっている。だが、こんなひねくれた言い方でなければ、それこそ八つ当たりをしかねなかった。

 それでは困ると。そういうわけにはいかないと。そう返ってきたなら矛盾していると鼻で笑ってやれたのに、目の前の男は肩をすくめるばかり。


「本人が、本当にそう望んだならな」


 突かれた山が崩れ、新たな枝が突っ込まれる。燻る熱は、ディアンの腹の奥からも。


「勘違いしているようだから言うが……本来、精霊界に嫁ぐのは強制ではない。あくまでも可能性を示しているだけだ」

「通例であればそうでしょう。だが、今回はオルフェン王の命令によって結ばれる婚姻です。直々に交わした契約を反故にすることは……!」

「産まれる前に勝手に決められたことに対して、なぜ素直に従う必要が?」


 怒りは音にならず。息は、空気にとけていく。


「そう望んだ精霊王も、自分の子とはいえ他人に対価を押しつけたお前の父親も。……俺にとっては、どちらも大差ない」


 呟きが落ちる。目も合わせないまま、心底どうでもいいように。

 ……本当に、エルドは『花嫁』に対して興味はないらしい。ディアンが兄でなければ、自ら関わろうともしなかっただろう。そう思えるほどに、その態度はあからさまだ。

『精霊の花嫁』になれることは名誉のはずだ。望んだところでなれるものではない。

 数百年に一度、選ばれるのはたった一人。

 だからこそ特別で……だが、ヴァンだって我が子を自ら手放したいとは、思わなかったはずだ。

 要求されたから、そうしなければならなかったから差しだした。そうでなければ今の平穏はない。ヴァン・エヴァンズの犠牲があったからこそ、今の日常がある。

 その対価が、たとえ自分自身ではなく、その子が払うのだとしても……痛みがなかったとは言えない。

 割り切っていたなら、メリアを大切になんてしないだろう。せめて嫁ぐまでの間はと、教会に反抗して家に留まらせようとはしないはずだ。

 一方で、その役目だって伝えていたはずだ。『精霊の花嫁』がいかに特別で、重責か。

 だからこそ我が儘だって許されていた。しなければならないことだって、『花嫁』だからの一言で許されていた。

『花嫁』だから。教会からも特別視される、替えのない存在だから。


 ……だが、権利ばかりを得てその責務を果たそうとしない『花嫁』は、本当に『花嫁』たり得るのか。

『花嫁』になること自体を、メリアが拒むことはないはずだ。幼い頃からそう言い聞かせられ、自身だってそう主張している。

 自分は、精霊に嫁ぐのだと。だから、兄とは違うのだと。

 その日が来ても、きっと彼女は変わらないのだろう。勉強を嫌がり、正論を拒み、自分に都合の良いことばかりを受け入れる。

 そうだと決められている。そうだと、定められている。

 だが、本当にそんな存在を、精霊も求めるのだろうか。

 それでも求めるほどに、『花嫁』は特別なのだろうか。

 特別だから全てを許されていた。それを、ディアンはずっと見てきた。ずっと、ずっと。もう、羨ましいと思う気持ちが枯れるほど昔から、ずっと。

 ……なのに、どうして。エルドはこんなにも冷たく言い放つのか。


「さて、おしゃべりはそろそろおしまいだ」


 懐から出された布が、鍋の上に被せられる。内側からの圧に揺れる蓋を止めるには軽すぎる重みだが、目的は押さえ込むのではない。

 少しだけ蓋を開け、そこから覗き込んだ中はディアンの方向からは見えず。

 だが、鍋を掻き混ぜるエルドの顔は納得したように頷き。そして、ディアンを見つめる瞳はいつものように柔らかいものへ。


「おまちどおさん。これがエヴァドマ名物、山羊のシチューだ」


 そうして持ち上げられた蓋から湯気がのぼり、その光景が見えた途端に……全ての疑問が端に追いやられてしまったのは、言うまでもない。

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