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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第四章 たき火を囲んで

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108.明かされるは罪ではなく

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「……実際のところ、今の僕は保護されているのでしょうか」


 事情がどうであれ、もう一般人と呼べない環境に置かれているのは理解した。本来なら保護された時点で教会の預かりとなり、必要であれば聖国へと連れて行かれる。

 ディアンは自らの意思で向かうとはいえ、結論から見れば同じこと。

 もし違う場所に向かうと言っていたら……今こうして、旅ができていたとは考えにくい。


「扱いとしては似たようなもんだが、保護ではない。とはいえ、重要人物には変わりないな」


 予想通りの答えと、僅かに残る疑問。だが、その答えは既に与えられた後。

 小さく吐いた息は湯気を消すには弱く、蓋がカタリと揺れた音はまるで嗤うかのよう。


「……『候補者』ですか」


 静かに見つめる薄紫が答えだ。それもまだ、教えるつもりはないということだろう。

 いずれは分かる。だが、まだその時ではない。聖国に着くまでこの疑問は晴れないのだろう。

 わからない答えに縋り付くだけの時間はないと、切り捨てたそれを胸の奥に仕舞いこむ。


「何度か立ち寄った教会で、僕を引き渡さなかったのは?」


 成り行きで同行させ、王都にも戻れなくとも……隣の町で教会に預けることはできたはずだ。

 わざわざ足手まといにしかならない自分を、こうして連れて歩く利点などなかった。

 一人では放っておけないのなら、司祭に預けてしまえばよかっただけの話。

 隣町ならともかく、この一週間で教会には何度も立ち寄ったし、その度に引き留められていた。もはや言い訳は通用しない。


「これも説明したと思うが……魔術疾患にかかっている者が門をくぐると、内部の魔力との関係で相当の負荷がかかる。ただでさえ一般人は近づくだけでも影響を受けるんだ。通るときだって対策をしてようやく不快感程度に抑えられるってのに、患っている者が通れば本当に命を落としかねない」


 今でこそ厳重に守られているから事例はあがらないが、そうして命を落とした者も少なくはないのだろう。

 距離さえとれば脅威ではないが、好奇心で近づく者はどこにだっている。それが罪と言っても、聞き入れようとしない者だって。


「多少無茶をさせてもいいから早く連れてこい、ってのが陛下の見解だが……万全を期してもどれだけの負担がお前にかかるか予想できない以上、時間はかかるが徒歩が安全と判断した。トゥメラ隊があれだけ揃ってりゃ命にまで影響はなかっただろうが、一ヶ月かそこらは寝込むことになってただろうな」

「そんなに……?」

「会話ができるまでに回復するのに三日。ある程度歩けるようになるまで一週間。その他諸々含めての最短だ。ちなみに、今の状態での見積もりだから、最初の頃になるともっと伸びてたぞ」


 今回ばかりは誇張ではないと釘を刺され、ついでにまだ魔術負荷がほとんど抜けきっていないと言われれば眉も寄る。

 あれから武器を握っていないとはいえ、まだ一週間しか経っていないのだから当然だ。

 抜けきるのには相当の時間が必要だが、治るよりも先に聖国に着く方が早いだろう。

 そして、口さえ動けば彼女が知りたい情報は得られる。

 それをディアンが知っていようと、知っていなかろうと。彼がそこにいるというだけで目的は果たされる。

 ただの一般市民が少し苦しむぐらい、致し方ないと判断される重要な目的。聞き出すまでは丁重に扱わなければならないほどの、なにか。

 ……なにか、など。それだって、もう答えは与えられている。


「いったい……」


 確かめるために、出した声は振り絞ってもまだ弱く。あまりの小ささに、ディアン自身が驚いたぐらいだ。

 まだ動揺しているのか。そうであることを認めたくないのか。認めたくないほどに、自分は彼を……尊敬、していたのか。

 この国を救った英雄として。己の父として。誰からも認められる彼を、特別な存在を。

 それでも。……ああ、それでも。


「……ヴァン・エヴァンズは。なにをしたんですか」


 罪は、等しく裁かれなければならない。


「ヴァンだけじゃない。お前の知っているほとんどの人間が、この件には関与している。国王も、かつての英雄も。……そして、お前の妹も」


 歪な音は指先からか。唇か。あるいは、鼓動を刻む胸の奥が軋んだのか。

 逸らしそうになる目を必死に前へ向ける。淡々と告げるその瞳に、全て嘘ではないと伝えるために。


「……ぼく、は」


 信じてもらえないとわかっていても止められない。説明するべきはここではなく、然るべき時であるとも理解している。

 それでも縋るのは否定したいからだ。自分は。自分は、違うと。なにかの間違いのはずだと。


「たしかに、ギルド長の息子でもあり、『精霊の花嫁』の兄です。その関係で、本来は関わるはずのない王族との繋がりもあり、司祭様にも色々とご教授いただきました。……ですが、」


 もし普通の家なら。英雄の息子ではない、ただの一般市民であったなら。

『精霊の花嫁』についてほとんど知ることなく、ギルドに対しても冒険者の集まりとしか認識せず。王族なんて精霊と同じく雲の上のような存在だと思っていただろう。

 司祭様に会って話をするなんて、それこそ滅多にないこと。全ては繋がりがあっただけ。ディアンに特別ななにかがあったのではない。

 そう、自分は……自分には、なにもない。なにもないのに。


「ギルドの運営に関してはなにも知りませんし、王太子含め王女との対話も世間話がほとんどです。『精霊の花嫁』についてだって、家族以上に知っていることは……」


 思い出せるのは拒絶の言葉だ。知りたいと口にする度に、何度必要ないと切り捨てられたか。

 お前は冒険者ではなく騎士になるのだからと。必要なのは、そのための知恵と鍛錬だと。

 妹を心配できるような立場ではないのだと。ただ、姫付きの騎士になるための努力をしろと。

 何度も。何度も。何度も。

 そう、確かに必要はないかもしれない。ただの知識として捉えるだけなら、その大まかな仕組みだけ理解していればよかった。

『精霊の花嫁』がいかに偉大で、重要で、兄であろうと軽々しく接してはならないのだと。

 なにをしようとしても、それがどれだけ愚かであろうと……決して、泣かせてはいけないのだと。

 

「僕はなにも知らないのです。彼らが犯した罪を証言できるようなことは、なにも」

「わかっている」


 訴えた言葉は、否定されることなく。頷き、肯定され。再び絡む瞳に滲む色に、希望はないのだと示される。


「それでも、奴らの罪を立証するにはお前が必要だ。他の誰でもない、お前が」

「だけど、本当になにも……!」

「ディアン」


 咎めるような声は、怒りを孕まず。駄々を捏ねる子どもに言い聞かせるようなものでもない。

 混乱も、否定も、拒絶も。全てわかっていると。それでも、聞かねばならないのだと。それこそが、答えだと。

 見つめる瞳に込められたのは、それは……同情ではなく、もっと違う、なにかで。


「お前が、俺と一緒にここにいる。そうなる過程、そこに至るまでが。お前が知らないと思い、必要ではないと切り捨てたそれこそが、全ての罪を裁くために必要なこと」

「どう……いう……?」

「……悪い」


 その謝罪は、これ以上言えないことに対してなのか。それ以外の意味も込められていたのだろうか。

 その答えも、理由も。言葉の真意もわからず、目は再び落ちていく。

 いつかは、わかること。いつか、この疑問は全て明らかになる。ディアンが望もうと、望まなくとも。そう求められている限り、必ず。

 全てが明らかになって。全ての真実が明かされて……そして、その後は?


「……僕に、なにを望んでいるんですか」


 証拠となる全てを話すだけでは終わらない。それだけなら、もうとっくに終わっている。

 最初の洗礼からと考えても数年。二度目の洗礼を受けないまま飛び出して、一週間。

 ただ証言を取るだけなら、ディアンの現状を記録するだけで済むなら、わざわざ聖国に連れて行く必要はない。

 聖国でなければできないこと。この国に留まっていてはいけないこと。それだけの理由が存在して、望まれている。

 でも、それは……それは、いったい?


「全てが終わった後、僕はどうなるんですか」


 これこそ答えは得られないとわかっているのに。答えられるはずがないと、わかっているはずなのに。

 沈黙こそが肯定だと。そう理解している、はずなのに。


「――お前が」


 だが、声が響く。否定ではない。その場凌ぎの肯定でもない。それは、確かにディアンに向けて与えられた指標。

 貫く瞳の奥、見えたのは光だ。あの温かくも圧倒的な、全てを覆い尽くすあの強烈な白。だが、景色は染まらない。世界は、変わらない。

 爆ぜるたき火も、鍋も。見つめる瞳も、ディアンの目の前に。


「お前がお前自身に誓った通り、その生を全うすることだ」

「それ、は、」


 聞き覚えのある言葉に、漏れた声は続かない。それは、それは間違いなく、あの夜にディアンが誓った通り。


「誰に強いられたのでも、誰の為でもなく。自分自身のために選び取った結果を後悔しないこと。葛藤し、悩み、悔やんだとしても。最後にはそれでよかったのだと、お前が思える生を歩むこと。……ただ、それだけだ」


 ただそれだけ。たった、それだけ。

 その最後の響きは重く、容易に為しえないことであるのは互いに分かっていること。

 その答えこそ、最後にしか与えられない。この生が終わるその間際、巡る走馬灯の中で、かつての記憶を辿るその最中でやっと証明できる。

 本当に、自分はその誓いを全うできたのか。


「……それは、教会の意思では、ないですよね」

「宣言を成すという意味では間違っちゃいないだろう」


 否定はない。また誤魔化された。だが、それもまた答えだ。

 その願いは。その望みは、ディアンだけではなく。エルドが求めていることと、同じ。

 どうなろうと、どんな結果になろうとも。それはディアン自身が選ぶのだと。そして、そこには選択の余地があるのだと。……そういう、ことなのだろうか。

 都合良く捉えてはいけないのかもしれない。勝手に期待して、否定され。そうして、裏切られたと一人嘆くのか。

 だが……今はそれで納得するしかないのなら。まだその希望は捨てなくてもいいのかもしれない。

 いつか答えを得られるその日まで。いつか、彼の口から全てが明かされるその時まで。


「聖国に着けば、教えてくださるんですよね」


 そうだと約束したはずだと、見つめた薄紫が僅かに陰る。嘘でもなく、動揺でもなく。定まりきらない覚悟に揺れながら。


「……宣誓は破棄していないからな」


 そんな言い回しが彼の精一杯だと理解してしまえば、これ以上ディアンに聞けることはなく。

 吐いた息はやはり湯気を揺らすには足らずとも、その心は……僅かに、満たされていた。


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