107.愛し子
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「――なんて言ったら、中途半端に勘違いしそうだからな」
「……へ?」
やはりそう簡単には認めないかと、吐いた息が気の抜けた音に変わる。
慌てて表情を繕っても遅く、そんなディアンの反応を見てか、エルドの顔は崩れたまま戻らない。
「まったく……ほんと、そういうところは馬鹿じゃないから困る」
溜め息混じりのそれは、まるで呆れているかのような口ぶり。
されど、込められた感情はとてもそうは思えず……むしろ、どうしようもない子を見ているかのような印象さえ感じさせる。
だが、それは幼い子どもに対してのものではない、もっと違うなにか。
「あ、あの……」
動揺してはすぐに誤魔化されてしまうと気を引き締めたいのに、わからない感覚に翻弄されうまく言葉が紡げない。
その間にエルドの手は蓋を取り、視線は早々にディアンから中身に移されてしまう。
「お前の言ったことは、半分当たって半分ハズレだな」
「……半分?」
再び隠された中は、まだその時ではないらしい。
離れた指はエルドの膝元へ、そうして緩く組まれたところで顔を上げれば、変わらぬ苦笑がディアンを迎える。
「まず、俺は愛し子じゃない」
「……愛し子、というのは」
「ん? ……あぁ、これは知らなかったか。そうだな……」
どう説明したものかと考えているのは、誤魔化し方ではなくて純粋に悩んでいるのだろう。どこまでが一般的に浸透していて、どこまでが話してもいい内容であるのか。
彼だからこそ知っていることのうち、ディアンが知っていいのはごく一部だ。
その上で納得できる言葉を選ぶのは、少し骨が折れるかもしれない。
「意味としては二つある。一つは、精霊が特別な加護を与えた人間を指すときの名称だ。教会で使われているのもこっちの意味で用いられるのが多い」
「髪や眼の色に、その傾向が出ているのは全員?」
「外見的な特徴以外にも、そうだと認められりゃあ全員だな。で、もう一つは……人間と精霊の間に生まれた子の総称として使われる」
おもむろに手に取られた枝が、その手の中でたやすく折れる。
バキバキと不快な音をたてたそれが、たき火を突く道具として焦げていくのを見ているのはエルドだけ。
「お前の言う通り、トゥメラ部隊も神殿で仕えている奴らも、その大半は愛し子だ。ごく稀に例外はいるが、女王陛下が玉座に着いてから数百年間、その顔ぶれが大きく変わったことはない」
轟々と燃える固まりが崩れ、その隙間に枝が捻じ込まれる。新たな火種を得た炎は勢いを増し、鍋の表面を撫でる熱は上がる。
「分類だけで言うなら、女王陛下も同じく愛し子だ。というより、最初のと言った方がいい」
「……でも、あなたは違うと? 数百年前の事を知っているのに?」
さらりと説明されたが、もうこの時点でディアンの考えはほとんど当たりにも近い。やはり彼は人ではなく、ほとんど精霊に近いようなものだ。
このまま精霊そのものだと言われても、素直に信じてしまいそうになる。
「少なくとも愛し子じゃねえな。ついでに言うと、ゼニスも違うぞ」
「……でも、ただの獣でもないですよね」
耳が立ち、ゆっくりと顔が持ち上がる。自分を見上げる瞳も、やはりこの世のものではない。
「まだインビエルノの子孫と言われた方が納得できますが。……ゼニス様とお呼びした方が?」
「……がう」
尾も耳も下がり、それは勘弁してくれと訴える顔は主人と同じ。彼も敬われるのは望んでいないようだ。
今さらディアンも対応を改めるのは難しいし、本人ならぬ本獣が望むならいいかと伸ばした手に、ゼニス自らが頭を擦りつける。
……こうしてみると、ただの犬のようにしか見えない。最初に畏れていたあの日がもう一週間前だなんて。
「それと、お前に会いに行ったってのは当たってる。さすがにあんな場所でとは思ってなかったけどな」
白から薄紫へ。瞬きながら移った目は、こめられた強さに見開かれる。当時を思い出しているのはディアンだけではない。
会うはずのなかった場所で、会うはずのなかった者。その惨状を見つけたのは……他でもない、彼。
「……それは、『候補者』を保護するためですか」
「それは後からつけられた理由だ。少なくとも、あの時は俺個人の意思でお前に会うと決めていた。二回目の洗礼を受けるまでに町に着き、それを見届ける必要があったからな」
だから夜中だというのに町に向かっていたのかと、納得する以上に疑問が上回る。
エルド個人の意思。二度目の洗礼。……見届ける、必要。
「……いつ、から」
「言ったろ。自分の存在がどれだけ広まってるか自覚するべきだと」
もう忘れたかと、笑う顔こそいつかと同じ。だが、その意味は大きく違う。
『精霊の花嫁』の兄としてではなく、ディアン個人として彼は認識していた。その上で、エルドは接触しようとしていたのだ。
一度目の洗礼で加護を授かっていないことも最初から知っていたのだろう。そして、それはディアンが想定している以上に……問題と、されている。
「本来なら、洗礼の結果によってお前をどうするかが決まっていたが……どう転んでも聖国には連れて行くことになっていた。違ったとすれば、その過程が保護としてか任意としてかぐらいか」
「それは……僕が、加護を授からなかった場合の話ですか」
望みをかけて呟いたそれは、どうしたって勢いが弱まる。
たった一人、加護を授からなかった存在。言い換えれば、世界にとってディアンは異端だ。
精霊は生きとし生きるもの全てに例外なく加護を授ける。だからこそ全てのものは精霊を敬い、崇め、讃え、信仰する。
だが、そうではない者が現れた。あってはならない例外。威信を揺るがす異物。存在しては、いけないもの。
だが、そうであれば一度目の洗礼の時にとっくに隔離されていたはずだ。
今から保護したところで情報は隠しようがない。英雄の息子は、加護も授からなかった唯一の出来損ないである。これは王都にいる者なら……否、誰もがもう知っていること。
それに、異端と認識しているにしては、あの対応はおかしい。ただ隠すだけなら、あそこまで丁重に扱われるだろうか。
エルドがそばにいたからではない。彼と行動を共にしていたからではない。
……では、なぜ。
「残念ながら」
パキン、と。再び枝が折られる。先ほどより細いその音は心地良く、しかしディアンの胸に響くのは否定の音。
「授かっても授からなくても、俺があの日に行ってても行かなくても、お前の身柄は教会で預かることは決まっていた」
動揺する心臓が、折れる音に重なる。乱雑に突っ込まれる様子はディアンの心境を表すようだ。
突き出た枝にまだ火は移らず、馴染むにはまだ、時間がたりない。
「本来なら洗礼の結果を見届け、然るべき対処の後に他の連中が聖国までお連れするはずだったんだが……肝心のお前は真夜中だっていうのに町の外にいるし、ろくな格好もしてない上に荷物も心許ないし、しかも死にかけてちゃ放っておけないだろ」
あの時は肝が冷えたと吐く息はやはり重く。それ以上に、ディアンの思考は深く沈む。
「……司祭、様も。知っていたのでしょうか」
考えるまでもないのに聞いてしまうのは、少しでも落ち着きたいからだ。
教会の……否、女王陛下の命によって指示があったなら、それを司祭であるグラナートが知らないはずがない。
あの時点で一番ディアンに近かったのは彼だ。幼い頃からずっと、彼に全てを教わってきた。
知ろうともしない妹に代わり、自分がその相手を知るのだと。その上で、彼女にどうするべきかを伝えるのだと。その意思を汲み、善意で教えてきてくれたのだと思っていた。
親友の息子。出来損ないの英雄の子。多少の同情があったとしても、それはグラナート自身の意思もあるのだと思っていた。否、それ以外には考えていなかった。
……こんな命令が下されていたなんて。そんなこと、考えつくはずがなかったのだから。
「お前の洗礼が終わった後、そのまま聖国に連れて行くのはあの男の役目だった」
折れたのは、僅かにでも抱いていた期待か。枝か。
落ちた視線の先、燃える火が彼の瞳と重なる。あの視線も、表情も。全ては……その命令の上で、成り立っていたのだろうか。
それだけはないと思いたい。だが、少なくともその前提がなければ、グラナートはあそこまでディアンには良くしてくれなかっただろう。
加護を与えられない例外。その異端への対処。監視しなければならなかった数年は、なんのために必要だったのか。
弾ける火花。チリと痛む指先に、その光は掠らない。睨み付ける鷲色はここにはいない。拒絶する声だって、もう頭の中で繰り返すこともできない。
……それでも思い出してしまったのは、そうだと気付いてしまったから。
ディアンの意思でそうなったのではなく、女王の命によってのこと。それでも、彼が……ペルデがディアンを憎むのは当然だ。
彼までこの件に関与しているとは思っていない。だが、それだけの長い期間、グラナートを任務に縛り付けていたのはディアンの存在があったからだ。
今でこそ、彼も多少は理解している。教会に所属している限り仕方のないことだと、司祭の子として呑み込まなければならないことだと。それこそ、ディアン以上に理解しているはず。
だが、そこに至る過程は……それまでに犠牲にされてきた感情は、どこに昇華したか。
全ては、あの視線が。あの対応が物語っている。
……そうと知らずに自分の領域に入ってこられるなんて、苦痛でしかなかっただろう。
耐えて、耐えて。耐え続けて。やっと開放されると思っていたその前日に無理矢理押し入ってくるなんて、彼にとっては悪夢も同然。
ペルデはどこまで知っていたのだろうか。
知っていたとして、なにか変わったのだろうか。
「お前が司祭のとこに行った時点で保護もできたが、あのまま家に帰られたせいでそれもできなかった」
引き留めようとしたグラナートを思い出し、腕が強張る。あの時は父に話を聞くことしか頭になかったが、結果的にそれは間違っていなかったのだろう。
もしあのまま保護されていれば、ディアンはなにも知らぬまま向かうことになっていた。
自分が落ちこぼれと言われる所以を。なぜ剣も握れぬ身体になってしまったかを。
父がなにを考え、なにを求め、そうして……それがいかに、異常であったかを。
あのまま連れて行かれたとしても、結果は変わらなかった。だが、問いかけてなお答えを得られないことと、知る権利すら与えられないことは違う。
辿らなかった道と今を比べたところでなんにもならない。意味だってない。
だが……そうならなくてよかったと。そう思える今の方がいいのだと、そう思う感情は嘘ではない。
「……もし、僕が町を出ていなかったら。そもそも教会にも行けてなかったと思います」
もし、途中で我に返り、家を出ることを止めていたら。そのまま力尽き、眠りに落ちていたとしたら。
それでも父はディアンを部屋から出さず、洗礼など受けさせようとは思わなかっただろう。
自分が全て間違っていたのだとメリアに謝るまで。彼女の無知を許容しない己が全て悪かったのだと認めるまで、本当に食事も抜かれていただろう。
本当にディアンがいなくなったことに最近気付いたとしても、それ以前に分かっていたとしても、どちらも放置には変わらないのだから。
「反省するまで部屋から出るなと……」
「だったら、司祭の方からお前の部屋に行けばいい。洗礼を行うのに場所は関係ないし、必ず教会内部で行う必要だってない。なんなら、お前を安全な場所へ連れて行ってからでもよかったわけだしな」
目的さえ成されれば順番が狂ったところで問題はないと。肩をすくめるエルドの表情は、ディアンとはあまりにも対照的だ。
「とはいえ、洞窟よりかは室内の方が気分的にはいいな。あんな状況じゃなけりゃ、もう少し場所も選んでやれたが……」
急いでいたから仕方ないと。目を見開くのは調子の軽い謝罪ではなく、その言葉が示す意味。
ああ、やはり。あれはただの気休めなんかではなく――!
「じゃあ――!」
やっぱりそうだったのかと、同意を得ようとした言葉が空気の音に遮られる。しぃ、と漏れた息に口を閉ざせば、エルドの唇は再び苦笑の形へ。
「まだ教えられないって言っただろ?」
そう宣言しただろうと、釘を刺されれば二の次は紡げず。前のめりになった身体をゆっくりと元に戻す。
……まだこの身が祝福されているか、知る術は与えられないようだ。
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