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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第三章 一週間

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105.とあるパーティの男 ★

ブクマ登録、評価、誤字報告、いいね いつもありがとうございます!


 度重なる出費。羽振りの良い依頼は根こそぎ奪われ、雑用ばかりでは賄いきれず。

 収入と支出のバランスが崩れれば、こうなるのは必然だっただろう。

 そんな資金稼ぎと、仲間の里帰りを兼ねた旅は……お世辞にも順調とは言い難いものだった。

 場所が場所なだけに向かう道中、ローサの文句は止まらず。そうなると、普段から言い合っているクライムはすぐに噛み付き喧嘩は絶えないまま。

 そんなミルルが止めようとすれば、逆にどっちの味方なのかと詰め寄るのを必死で止めること片手では数えきれず。

 山道は二つあったが、その真横側に存在する町から向かっていたのも災いし、山の麓に辿り着くので三日、そこから登山口に回り込むので四日ほど。

 結局一週間も歩き続けることとなり、最後の二日は怒鳴り合う気力さえなくなったのが唯一の幸いか。

 そんな悲惨な道中でさえまだ始まりに過ぎなかったというのだから、ほとほと精霊様に見放されているとしか思えない。

 入り口では物騒な連中に絡まれ、護衛料など元より払えず。

 クライムの言うことを信じて素直に進めば魔物の巣窟に突っ込み、結局助けられ……今思えばあの時点で嵌められていたのだろうが、蓄積した疲労と非常事態で頭を回せというのが無理な話。

 結局は山頂まで送られ、そうして案の定ぼったくられそうになる始末。

 A級と名乗られてもしていることは強盗と変わらず、しかし正当性を証明することもできなければ、話し合いで穏便になんてそれこそ。

 この騒ぎに気付いたギルド役員が外に出てきていないかと、一抹の一縷の望みをかけて見渡した先で……『それ』はいたのだ。


 人間相手に『それ』と呼ぶのは失礼だっただろう。それも初対面の、自分よりも明らかに年下に対して。

 普段言動を注意されるクライムが知ったなら、ここぞとばかりに突いてきただろう。

 だが、それはあくまでも彼の頭の中に浮かんだもの。認識しながら『それ』と称してしまったのは、それこそ声に出さなかったから。否、出せなかったからこそ。

 フードから覗く黒い髪。身長はミルルよりも高く、自分よりも低い程度。

 背を伸ばし、こちらを窺うその姿は剣士とも魔術師とも呼べぬ風貌。杖もなければ剣もない。だが、肉体だけで戦えるような姿にも思えない。

 目が合ったと思ったのはレプテだけ。その目はすぐに隣の男へ向けられ、そうして去ろう等する姿になぜ安堵してしまったのか。

 自分と同じ冒険者。いや、ギルドのメンバーでなくとも、相手は年下……それも、まだ二度目の洗礼を迎えていないだろう子どもだ。

 これが女であれば、高鳴る鼓動の理由がわからなかった。

 幼女趣味などないのにと、一目惚れなんてあり得ないと。そんな見当外れな葛藤に揉まれた後に、現状に引き戻されたはず。


 ……だが、そうではない。

 そうではないからこそ、打ち付けるこの心臓が興奮ではなく――恐怖であると、男は理解した。理解、してしまった。

 滲む汗は冷たく、握り締めた手は強く。呼吸は歪になり、その後ろ姿から目を逸らしたいのに逸らせない。

 本当に遠ざかっていくのか。本当に、いなくなるのか。

 確かめなければ安心できないと。衝動に駆られるまま、視線は注がれたまま。

 その目がやっと外れたのは、クライムが二人を呼び止めてしまったから。

 外れてよかったという喜びよりも、なぜ関わろうとするのかという怒りの方が先に込み上げる。

 あんなにも異質なモノに。その理由を言語として説明できなくとも、違和感は確かに抱いただろうと。そう怒鳴ることができればどれほどよかっただろうか。

 そばにいた男の後ろに回り、隠れ。様子をうかがう姿こそ普通。それなのに、なにかが違う。なにかがおかしい。

 だが、それに気付いてはいけないと。レプテの中に存在する感覚はたしかにそう訴えかけていた。

 アイティトスと名乗る男たちと、彼らと。そしてクライムたちがどんな会話を交わし、そして奴らが去って行ったか。

 耳で聞き、されど認識できず。気付いたときにはもう彼らはいなくなっていた。

 クライムとローサが言い争っている間に去って行ったのだろう。助けてもらったのにろくなお礼も言えなかった。

 ……言えなくて、よかった。

 感謝を述べなければならないのに、そうしたくないなんて矛盾が過ぎるだろうか。だが、どちらも嘘ではない。

 人としてお礼を述べたいのと同時に、『人』として関わりたくない。

 どうしてそう思ってしまうのかなんて、そんなことレプテ自身が知りたかった。

 この不安の正体を。あの恐怖の根源がなにかを。

 どうして、それを突き止めてはいけないか、その根本たる原因を。


 そう悩んでいたのは、クライムの実家に辿り着くまでのことだった。

 魔物によって致命傷を負った彼の父親を教会へ運び、その教会さえも死屍累々。

 困惑する間もなく、あの二人……否、フードを被っていなかった男によって治療が施され、あとは流れるまま。

 ミルルとシスターもくわわった治療の合間に状況を把握し、彼が教会の重責であることと、あの少年がそのお付きだと分かってからは比較的普通でいられた。

 とても人間業ではない治療。だが、それでも人であるなら、それに付き従う彼も同じく人だろうという思い込みが、恐怖を麻痺させていただけかもしれない。

 教会のお偉い様ならと、止めるのも聞かずに直訴したクライムには頭を抱えそうになったが、その時だって普通に会話もできていたはずだ。

 最初の違和感も恐怖も考えすぎだったのだと、自分との共通点を見つけるごとに安心し、勝手に思い込んで。

 言葉が通じるなんて。その意味を理解し対話ができるなんて当たり前のこと。

 共通点と呼ぶなど馬鹿らしいはずなのに……その時は、本当にそう思っていた。思ってしまっていた。思い込もうとしていたのだ。

 ローサの引きつった顔に、抱いていた違和感が自分だけではないと理解したはずなのに。その上でまだ、大丈夫だと思おうとしていた。

 ああ、今なら分かる。全てが無意識だったのだ。

 少しでも同じだと思い込むことで忘れようとしたのだ。

 あの恐怖を。感じてはならないなにかを。もはやレプテの意思とは関係なく、その本能で。

 間違っていた。どこから、なんてわからない。

 だから……きっと認識していた全てが。もはや前提から、違っていたのだ。


『それ』は、やはり触れてはならないものだった。

 ギルドからお触れがでたからではない。その正体が重罪人であるという疑いからでもない。

 理屈や理由なんかじゃない。肯定や否定なんて概念ではない。ただ、そうだと理解した。理解してしまったのだ。

 人としてはあり得ない瞳の色。精霊からの強い加護を賜った者だけが授かる、特別な光。

 レプテだって、長い間旅を続けてきた。クライムたちと出会う前からもずっと、ベテランとは呼べなくとも、それなりの経験だって積んできた。

 多少なりとも特別な人間には会ったことがある。その誰もが自分とは比べられないほどの加護を授かり、力を有していた。

 これが真に祝福された者の特権なのかと何度考えたことか。

 それでも、彼らは、彼女達は人だった。レプテと同じく、人であった。

 ――では、この目の前に在る紫は?

 愚問だ。人だ。人の目だ。自分と同じ、人間の。だが、違う。同じではない。同じであるはずがない。

 あんな強い光を。あんな美しい色彩をレプテは知らない。知るわけがない。

 どこまでも吸い込まれそうなほどに深く、深く。瞬く度に長い睫毛が震える様は、まるで獲物を誘い込むよう。

 一度落ちてしまえば二度と這い上がれないような穴を思わせるのに、その最奥に温かく柔らかな光が覗く。おそろしい。なのに、美しい。

 澄み切った湖の、光が届かないほどに深い底のような恐ろしさと同時に、夜を唯一照らす月のような優しさも。

 これ以上見てはいけないのに、もっと見たい。もっと近くで、遠くで、目の前で、離れて。

 湧き上がる欲望は、辛うじて恐怖と言う名の理性が勝った。それも、ミルルが飛び出し間に入らなければどうなっていたかわからない。

 クライムもミルルも、どうして普通に接することができるのか。

 ローサだって、他の者だって。もう『それ』が違うことは理解しているのに。理解しているはずなのに!

 見てはいけない。だが、逸らしたくない。逸らせない。逸らしたいのに、動けない。

 エルドと呼ばれた男が戻り、そうして『それ』が顔を伏せるまで身動きは取れず。否、その光が消えてからも、あの鮮やかな紫はレプテの脳を焦がして剥がれず。

 会話などろくに頭に入らなかった。大切なことだと理解しているのに、聞かなければならないとわかっているのに、音として認識しながら頭の中を素通りするばかり。

 視線はずっと、獣に顔を埋める『それ』から剥がせないまま。


 もう一度。もう一度だけ、あと一目だけ。

 なにがレプテをそこまで掻き立てているかわからない。

 もう一度。あの美しい瞳を、何物にも例えられない至高の光を、もう一度だけ。顔を上げこちらを見てほしい。

 違う、見られたくない。見てはいけない。これ以上は、これ以上はもう、もう!

 自分で自分を制御できない。このまま駆け寄り、あの肩を掴み起こしたい。このまま背を翻し逃げ出したい。同時に叶えることはできず、どちらも選ぶことができない。

 苦しい。欲しい。辛い。怖い。欲しい。ほしい、ほしい。

 あの光が、あの存在が――!


「奥で休む」


 気付いた時には、『それ』は彼の腕の中にいた。そのまま奥の部屋へと運ばれていくのに安堵する。

 これでもう見なくていい。これで、もう怯えなくていい。

 だが、同時に焦りが募る。まだ見ていないのに、まだ、あの光をもう一度見ていないのに離れてしまう。見えなくなってしまう。自分から遠くに、届かない場所に!

 離れてしまう。遠くなってしまう。

 それでいいのに、それでいいはずなのに、どうして引き留めようとする、どうしてこんなにも……こんなにも、求めてしまう!?

 わからない、わからない。答えなどない。与えられない。

 ゆえに男が自分自身を止めることはもうできなかった。

 叫び、縋る。待ってくれ。もう一度彼を、彼の姿をこの目に。あの光を、あの存在を、もう一度!

 だが、それは音にはならなかった。喉は引きつり、声どころか呻きも悲鳴も漏れず。

 だからこそ誰も止まらず、驚かず、なにもせず。

 ……否。

 一人。たった一人だけ、そんな彼を見た。

 矛盾する欲求に翻弄され、最後には縋ろうとした愚か者を。己の分をわきまえず、衝動に翻弄された男を。

 そこでレプテは理解した。ようやく、真の意味で理解できたのだ。

 本当に自分が恐れなければならなかったのは。

 本当に、自分が気付きたくなかったのは――。


◇ ◇ ◇


「――ぁ、なぁってば!」


 揺さぶられ、目を見開き、身構える。不機嫌そうな顔に現実を思い出し、同時に思考に耽っていたことを突きつけられる。

 酒瓶の転がる室内。ボロボロになった家具。そして、アルコールだけではない悪臭。

 とても店だったとは思えない惨状の中、どれだけそうしていたのだろうか。

 教会からの応援が来て一段落した後、ここを片付けるかと提案したのはクライムではなくレプテ本人だというのに。

 その手はずっと止まったまま、こうして呼びかけられるまで立ち尽くしていたなど。

 遠目で様子を見る女性たちの視線が痛々しい。否、どちらも心配しているものだ。

 様子がおかしい男を純粋に案じるミルルと……その真の理由を、おそらく察しているローサと。

 様子が変わらないのは、唯一鈍感なクライムぐらいだ。とはいえ、今のレプテにはその鈍さが救いでもある。


「聞いてるのかよレプテ!」

「っ……いや、悪い。ちょっと酒の匂いで……なんだ」

「だから、やっぱり挨拶ぐらいするべきじゃないのか?」


 ……前言撤回。それは救いではなかった。


「結果的に俺らのお願いも聞いてくれたんだし、色々助けてもらったし……このまま挨拶もなしにってのは……」

「うん、私もそう思う。だって、あの人たちはクライムのご両親も助けてくれたし、この町も救ってくださったでしょう?」

「だよなぁ」


 一度は説得されたが、作業中もずっと気にしていたのだろう。ミルルの同意にうんうんと頷く顔は、やはり彼らのことを普通に捉えているからこそ。

 ローサの表情は強張り、レプテの顔はそれ以上に歪む。どちらの認識が正しいかは、この場にいる誰にも判断できない。


「クライム、それについては言っただろ。もうあの人たちは軽々しく声をかけていい相手じゃない。聖国の騎士もいる目の前であんな対応したら、僕たちのほうが処罰されるだろ」


 周辺地域からの派遣かと思っていたのに、まさかの聖国から……それも、陛下の直属部隊が来るなんて。

 役職持ちとは分かっていたが、その認識が甘すぎた。

 本来ならこんな辺境に来ることもないだろうし、自分たちのような位の低いギルド員では目にかかることすらない相手のはずだ。

 そんな相手がなぜこんな場所に、なんて。その語られた理由が真実かどうかはともかく、もうその時点で関わるべきではない。それは、そこまでは一般的な認識のはずだ。


「でも、お袋はお礼を言うために待ってるし、教会の人もそれを許しただろ? だったらやっぱり、俺らだけでも……」


 それでも引き下がらないのがクライムという男だが、今回ばかりは彼の方が正論であろう。

 成り行きとは言え自分たちを助けてくれたし、怪我の治療も行ってくれた。その感謝を伝えるのが彼の両親だけとは誠意が足りないだろう。

 だが、それに同意することはできない。するわけにはいかない。

 そう、もう会わない。会いたくない、会うわけにはいかないのだ。

 あの紫を。そして、それ以上にあの冷たく薄い色彩を。シアンと呼ばれた彼に縋ろうとした男を見やった、あの冷たくおそろしい視線を。もう二度と、向けられたくはない。

 一瞬で血の気が引き、歯が震えた。おそろしいのに目を背けられず、そうしてはならないと理解させられた。

『それ』に触れてはならないと。『それら』を認識してはいけないのだと。

 関わってはならない。知ってはならない。それなのに、脳裏にこびり付いて剥がれない。あの色が、あの震えが、あの感覚が。ずっと、ずっと。

 理性ではない。本能がそうだと訴えている。『それ』は自分たちと同じ人ではないと。『それら』は、決して人ではないのだと。

 そう、『それ』は――化け物なのだと。


「――いいから!」


 思っていた以上の大声に、ミルルの肩が跳ね、クライムが驚く。それでも飛び出した声は戻せず、吐いた息はなにに対してだったのか。


「……ほら、いいかげん手を動かしなさいよ。ご両親を驚かすんだったんでしょ?」


 パンパンと乾いた音が響き、促すそれはレプテを見かねてのことだろう。

 表情こそ呆れたように。だが、その強張った瞳だけで意図は通じる。彼女も同じく、そうだと理解している。理解、してしまっている。


「ほら、さっさとこれ運んで!」

「お、おう……って重っ! 考えて入れろよお前!」

「なによ、これぐらい持てないの? ほんと、剣士とは思えない軟弱さね」


 鼻で笑う音が混ざれば、いつもの喧嘩が始まる。クライムが怒り返し、ローサがからかい、そしてミルルが止めにかかろうとする。

 そこに普段は混ざるはずの仲介役は、もう一度息を吐いて祈りを捧げる。己の精霊に。己を守護し、加護し、見守ってくださるその存在へ。

 どうか。……どうかもう二度と『それら』と会わないことを。強く、強く。

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