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【書籍化】『精霊の花嫁』の兄は、騎士を諦めて悔いなく生きることにしました【BL・番外編更新中】  作者: 池家乃あひる
第三章 一週間

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103.夕食の準備

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 上りこそきつい道のりも、下りであれば負担は少ない。されど、行きとは違う景色を楽しむ余裕がないのは疲労だけにあらず。

 口数も少なく、黙々と動き続けた足は想定よりも早く目的地にはついたが、それでも太陽は傾き世界は茜色に染まるといったところ。

 あと十数分もしないうちに空は藍色へ変わり、視界は黒に埋め尽くされてしまうのだろう。

 そうなる前に山を下りきれたのは幸運とも言えるが、本当にツいていたのはそこから。

 近づくにつれて鮮明になるそこは、昨日とほぼ変わらない光景だった。

 布張りのテントと、放置されたたき火の跡。違うのは、そこにディアンたちを睨めつける視線がないこと。

 隅に散乱する酒瓶は、まるで蹴飛ばされたかのよう。推測するに、こちら側にも待機していたダガンたちの手下が、彼女たちによって確保されたのだろう。

 エルドに連れられ入ったテントの中は、そうと知らずに見れば強盗に襲われたかと思うほどに荒れきっている。否、これは元からこうだったかもしれない。

 起きた時のまま抜け殻になった寝床。その周囲にある酒瓶。汚れた衣服に、その他諸々の道具。

 ここの役割も数日ごとの交代だったのだろう。仮の拠点にしては生活臭が強いのに眉を寄せたのはゼニスで、怯まず漁るのはエルド。ディアンは、ただそれを眺めていただけ。


「……お」


 不意に上がった声に反応すれば、振り返った彼の手には一本の酒瓶。コルクを引き抜き、匂いを嗅ぐそれは見た目よりも少し重そうだ。

 ちゃぷ、と揺れる音からもそれなりの量が入っているのを知れる。もしかしたら、一口も飲まれていないのかもしれない。


「飲むんですか」

「いや、飲むじゃなくて食うだな」

「……食う?」 


 彼も成人なら酒ぐらいは飲むかと、問いかけながらも納得したはずが否定の言葉に連想はできず。

 どういう意味かと続けて聞き返す前に瓶を渡されれば、想定通りの重みでも驚くものだ。

 仕方なく外を出た彼を追いかけ、次はたき火の元に。手に取ってきたのは、鉄製の鍋が一つ。

 汚れているが破損はない。洗えば十分に使えそうなそれは、持ってきたものの日の目を見る機会はなかったのだろう。


「鍋もあるし、薪もある。寝床こそ使えないが、水もあるし場所も申し分ない。今からとりかかれば、日が暮れきる前には間に合うだろ」

「なんにです……?」


 片手に鍋を、もう片手に薪を。空間の中央にまで運んだ後に、呟かれたそれに疑問は晴れず。


「なにって、決まっているだろ」


 首を傾げてもう一度聞き返せば、ようやく振り返った彼の顔は……数時間前まであんな表情を浮かべていたとは思えないほどいつもの通り。


「お待ちかねのご馳走だ」


◇ ◇ ◇


 ――と、いうわけで。ディアンの目の前にはぐつぐつと煮える鍋が存在している。

 かぐわしい赤い海の中に揺蕩う人参と玉ねぎ。先に茹でられて角が丸くなったジャガイモと……一番目立つのは、大きめに切られた肉の塊。

 ワインこそ残されていたものだが、他は別れの際にあの夫婦からいただいたもの。

 下ゆでされた山羊の肉はそれだけでもたまらないのに、今から煮込めばどれだけ美味しくなるのか。

 実際に店で提供しているのと全く同じ……とは言えないだろうが、渡されたスパイスは店に残っていたのを調合してくれたのだろう。

 本来なら、何時間もかけて作られる至高の一品。一時間やそこらでは、到底再現しようもない食感。それでも、初めて食べる珍味に期待は膨らむばかり。

 調理を手伝ったとはいえ、ディアンがしたのは野菜を切った程度だ。大半はエルドが行い、今も味の調整は彼自身が行っている。

 全体を通してみても大した作業量ではないが、もう太陽は沈みきる頃。あたりを照らすのは、鍋を揺する火だけになってしまった。


「……よし、あとは煮込んで完成だ」


 最後に入れられたハーブがどんな役割をもつのか知らされないまま蓋がされ、煮える音がくぐもって聞こえる。

 ぐつぐつと鼓膜を叩く音に胃袋まで刺激されて、完成まで遠いと分かっていても待ちきれない。


「日暮れには間に合わなかったか……まぁ、あとちょっとぐらい待てるだろ。山羊のチーズはないが、今回はパンで我慢してくれ」


 追い打ちのように蕩けるチーズが脳裏に浮かび、このままでは空腹に耐えきれないと話題を探す。それでも思い浮かぶのは、やはり目の前にある鍋の中身について。


「本当にワインで煮込むんですね」


 ディアン自身、調理方法について明るいわけではない。せいぜいなんの材料が使われ、大まかな流れを知っている程度。実際に作れと言われても彼一人ではできないだろう。

 だが、普通のシチューが小麦粉と牛乳で作られているのは知っていたし、それをワインだけで代用するなんて昨日聞いたばかりだ。

 正直な所、こうして目の前で調理されるまで疑ってもいたが……今は待ち遠しい。


「沸騰させるから大半は飛ぶが、多少はアルコールも残るから、寒い場所で温まるにはうってつけだ。あの町に比べりゃ過ごしやすいが、今日も少し冷えるからな」


 毛布が無事なら使っていたが、と。異臭のするテントに向けた目は本気で残念がっているようには聞こえない。見た目の時点で相当だったが、自前の布でも寒さは凌げる。

 なんなら、今でもディアンの横にはゼニスがくっついているので、むしろ温かいぐらいだ。

 一足先に肉を喰らい終わった彼はすっかりご満悦。だが、エルドのところに行こうとしないのは彼なりの意地が残っているのだろう。

 餌でつられないあたりは……ディアンよりも賢いかもしれない。


「それにしても、お前も調理に慣れてきたな。最初はどうなることかと思ったが……」


 その柔らかな毛を撫でる手が、あからさまに強張る。瞬く間に駆け巡る記憶に顔をしかめ、火に照らされる肌はあっという間に赤くなる。

 先ほど、調理について明るくないと述べたが……少々語弊があっただろうか。

 知識としては確かに知っている。どのような道具を用いるのか、どう食材を加工し、手間を加え、完成させるのか。

 詳細こそレシピを見なければ応えられないが、その大筋は確かに理解しているはずだった。

 そう、はずだった。……ということは、つまり理解しているつもりだった、ということで。


「あ……あれは……」

「手で支えもせずに置いただけのジャガイモに対し、まるで敵を取るかのように真上からナイフを振り下ろした一撃。今思い出しても凄まじかったな~」


 しみじみと呟かれるそれは、ディアンにとっては黒歴史とも言える。

 思いっきり振り下ろしたナイフと、少しだけ切れた欠片を残して吹っ飛んだジャガイモの姿も鮮明に思い出せる。

 さながら蜥蜴の尻尾切りのようだった、と言えるのは今でこそ。当時のエルドの表情はとても思い出したいものではない。


「それがちゃんと手で押さえて普通に切れるようになったなんて……」

「……も、う、忘れて、ください」


 自分でもあれはひどかったと反省している。調理している光景を見たことがなかった、というのは単なる言い訳だ。

 すかさずお坊ちゃんだったことを忘れていた、と慰めにもならないフォローもされたし、これをネタにからかわれたこともなかったから今の今まで忘れていたが……まさか、ここで引き摺り出してくるなんて。


「褒めてるんだよ、ちゃんとそれらしい形に切れるようになっただけ成長だ。ジャガイモも人参も一口大だし、玉ねぎだって――」

「と、ところで! 聖国まであとどれぐらいでしょうか!?」


 玉ねぎ全解体事件まで掘り返されたくないと張り上げた声は存外大きく、クツクツと笑う声はそれよりよく響く。


「徒歩で向かうなら、またしばらくかかるな。港に着けばすぐだが、そこまで順調にいって二週間か、多めに見積もっても三週間か……」


 国を一つ超えると考えれば早いのか、遅いのか。ここまでの道のりを考えればおおよそ一ヶ月の道のりは、まだ始まったばかり。


「途中で馬車に乗りゃあもっと早く着くが、そうなると別行動になるからな」


 誰が、とはもう聞くまい。出会った頃に何度も聞いてきた答えだ。一緒に乗ると馬がゼニスに怖がり、動かなくなると。

 何度か試してきての答えなのだろう。普通の犬ならそこまで怖がらないとは思うが、相手が相手だ。軍馬でもなければ怯むのは仕方ないように思う。

 教会で所有している馬車ならあるいは……否、それこそ許可なしには乗れないものだ。

 重要な任務とはいえ、移動だけで使うには憚られたか、目立つのを避けたかったか。おそらくは後者。

 普通の馬車も何度か試しての結論であるのは、彼らの様子を見ていればわかる。そして、それが短期間の話でないことだって。


「ゼニスとはいつからの付き合いですか?」

「あー……いつからだ?」


 返された疑問はディアンにではなく、その足元に寝そべる相手に対して。

 対する返事は尻尾が一つ揺れるだけで、どうやら満腹感に浸るのに忙しいらしい。


「もう長い付き合いだからな。正確な時期はなんとも……」


 誤魔化す気はなく、本当に思い至らないようだ。きっと片手では数えられないほど長く、途方もない時間を共に過ごしてきたのだろう。

 犬の平均寿命は十年余り。だが、ゼニスは犬ではなく獣だ。それよりも長く生きているし、これからだってそうだろう。

 エルドが子どもの頃から、と仮定しても二十年以上とすれば……。


「もう家族なんですね」

「家族ぅ?」


 反応は足元からも。そのニュアンスも、表情も、どちらも同じくなんとも言えない顔だ。

 ゼニスに至っては立ち上がり、噛み付きこそせずとも耳まで立ててさりげなく抗議してくる。


「嫌ですか?」

「否定はしないが、そう言われると……あー……どちらかといえば腐れ縁ってところだな」


 意思の疎通もできるし、互いの性格も分かっている。信頼関係も構築されているが、素直にそう認めるのは複雑なのか。


「色々あって一緒にいるが、望んでこうなったかっていうと……なぁ」

「……がう」


 本日、唯一の同意は小さな声によって示される。それで伝わるあたり、やはり仲が良いという言葉は喉の奥にしまっても、表情までは誤魔化せず。


「お前だって飼ってただろ」


 膝に肘をつき顎を支えれば、自然と男の視線は見上げる形になる。反撃と言わんばかりに細められた目に映るのは、瞬いた己の顔ではなく火が揺れる様子だけ。


「いえ、なにも……飼っている方が珍しいのでは?」

「今はな。それなりに裕福なら飼ってたこともあるんだろ。……あんまりいい思い出じゃなさそうだが」


 誤魔化す前に言い切られ、言葉探しを止める。否定はできない。そういう存在がいたことも……それを、あまり思い出したくないことも。


「犬自体が嫌いになったんじゃないんだろ? まぁ、厳密に言えばゼニスは犬じゃないが……」

「特に理由はないです。わざわざ聞かせるほどでもない、つまらない話ですから」


 なぜ別れに至ったかなど、時間を割いて話すことではない。物語になるような悲惨な出来事があったのでも、感動に至るなにかしらがあるわけでもない。

 日常の延長。その一環で迎えた別れ。

 確かに当時はとても悲しかったし、辛かった。でも、今も同じぐらい思っているかと言われれば……そうでは、なく。


「鍋が煮えるまで暇なんだ。時間が潰せるならなんだっていい」

「潰すにしたって、他に有意義な話題があるでしょう?」


 たとえば、と続けようとして思いつく話題はなく、唇は一度閉じる。なにか見つからないかと彷徨う視線は、照らされる地面を這うばかり。

 これから先のことでも、昼間のことでも。他のくだらないことでもよかったはずなのに、声に出せなければ沈黙は続く。


「だからって一時間も待ち続けるなら、話題なんて選んでいられないだろ?」


 そして、先に口を開いた方が優位になると理解していても、目の前の唇を塞ぐ手段はない。


「ああ、もちろん思い出すだけでも辛い記憶なんだったら、話す必要はないぞ」

「そんなことは……っ……」


 咄嗟の否定は止められず。出てしまった言葉を取り返すことはできない。だが、なぜそう思ってしまったかの答えは浮かばず、並ぶのは己を言い聞かせる言葉ばかり。

 そう、辛い記憶ではない。昔のことだ。もう子どもの頃の……だから、暇つぶしに話すぐらいはなんともない。ただ、聞かせたところで退屈なだけだ。

 ただの暇つぶしにしかならない、くだらない、昔の……そう、だから話せる。話せない理由なんて、ない。

 ここで黙れば、エルドの言葉を肯定してしまうことになる。だから話せる。否、話さなければ、ならない。


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