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山姥と仁助

作者: 結城暁

pixivのブックサンタ参加作品です。テーマは本のほうです。

 むかしむかし、あるところに仁助という男子(おのこ)がおりました。

 両親を幼い頃に亡くしてしまった仁助は心やさしいおじいさんとおばあさんに拾われ、すくすくと働き者に育ちました。

 村では子どもたちが寺に集まって、住職さまや庄屋さんから字の読み書きを教わっていましたが、仕事の忙しい仁助は行ったことがありません。

 仁助は力がありましたので、春は冬眠明けの熊を獲ったり、田畑を耕しては種を撒いたり、夏は草を刈ったり、畦道の整備に魚採りに、仕掛け罠を見回ったり、秋は山菜にきのこに、山の幸を採りにほとんど毎日山に入って、冬も藁仕事や炭焼小屋の版や炭運びをしていました。

 季節に関係なく一年中、鶏や牛の世話をしたり、水運び、薪割り、巻き集めや、赤子の子守もしていましたので、行く暇がないのです。

 行ってみたいとは思うものの、血も繋がらない自分を育ててくれるおじいさんとおばあさんに少しでも楽をしてほしいので、仁助は仕方がない、と毎日働いています。

 おじいさんとおばあさんはそんな仁助を見て、申し訳なく、若い頃の半分ほどしか動かない自分達の体を歯がゆく思うのでした。

 その日も仁助は遅くまで仕事をしていました。

 陽もすっかり沈んで、お月さまの薄明かりが帰り道を照らしてくれます。ちらちらと雪が降ってきました。仁助はさらに帰り道を急ぎます。

 弾む仁助に合わせて背負籠がゆれ、籠に入れてある仕事先で使った道具が音を立てました。


「庄屋さんにいただいた握り飯がつぶれねえといいが……」


 足早に歩いていると、なにやら道を少し外れた田んぼの畦道でうずくまる影を見つけました。


「狐か狸か……?」


 よくよく見てみますと、貧しい仁助よりもみすぼらしい襤褸(ぼろ)を身にまとった老婆ではありませんか。仁助はいったいどうしたことかと声をかけました。


「おい、ばあさん。どうした、生きてるか、大丈夫か」

「うう、腹が減った……」


 老婆はうずくまったまま、力なく答えます。ぐうう、と腹の音も聞こえてきました。

 老婆を哀れに思った仁助は握り飯をひとつやりました。腹の減ったひもじさがどんなに辛いものか、知っているからです。

 一日中働いた仁助の腹だって、もちろん空いています。ですが、一食くらい抜いたって、水をたらふく飲めば眠れるものな、それにおれはおじいさんとおばあさんが夕餉(ゆうげ)を作って待っていてくれるものな、と立ち上がりました。


「ありがたい、ありがたい。うまい、うまい」


 老婆はあっという間に握り飯を食べてしまいました。そうして、いかにも哀れっぽい声を出します。


「なあ、もっとくれろ」

「悪いな、ばあさん。もう持ってないよ」


 そう言って、仁助は歩きだしましたが、老婆はあとをついてきます。


「そんなはずはない。もっとくれろ、なあ」

「おれの分はもうないよ、ばあさん。

 もっているものといったら……これかな」


 ついてくる老婆に首をかしげながら、仁助は庄屋さんに古くなったから、ともらった本を渡しました。


「竹取物語ぃ? これじゃない」

「そうかい」


 老婆は本をお気に召さなかったようで、背負籠にほうり戻されました。


「こんなもんよりずっといいもんだ、もってるだろう。いーい匂いがするもんだ、なあ、くれろ」

「そんなことを言われてもなあ……。持ってないよ」

「そんなはずはない。あま~い、良い匂いがするぞ、おまえ、まんじゅうを持っているだろう」


 そう言って、老婆は仁助の懐を指さしました。仁助は困ったように眉尻を下げます。

 懐にはたしかにまんじゅうがありました。いつもよく働いてくれるから、と庄屋さんがくれたまんじゅうです。


「これはじいちゃんとばあちゃんへの土産だからな。あげられないんだ、すまんなあ」

「おらにくれろ、なあおらにくれろ」

「だめだ。このまんじゅうは持って帰ると決めたもんだ。あんたにあげられるもんはもうないんだよ」

「いいじゃないか、おらにくれろ。くれろったら、なあ」


 断る仁助に老婆はなおも食い下がります。

 あんまりにもしつこいので、仁助は腹が立ってきました。


「いいかげんにしろよ、ばばあ。これはおれがもらったまんじゅうで、誰にやるかはおれが決める。おまえがかってに決めるもんじゃねえ。あんまりしつこいとぶちのめすぞ」


 すごんだ仁助に老婆はケタケタと笑い声をあげました。


「おまえのようなガキがなにを言ったって怖いものか。おまえこそさっさとまんじゅうをよこすんだね。おらは山姥だ、まんじゅうの代わりにあんたを食ってやったっていいんだよ」


 山姥が歯をむき出しにして笑います。鋭い牙が月明かりにきらりと光りました。

 仁助はすかさず背負籠から藁打ち槌を取り出しました。おじさんからもらった、年季の入ったものでしたが、猪を撃ち殺せる程度には固くて重さがありました。

 ぎょっとしたのは老婆です。慌てて仁助に頭を下げて詫びました。


「アタシが悪かった、謝る、この通りだ。だから、ぶたんでくれ」

「ふん」


 仁助は気を取り直して家路を急ぎます。老婆はこりずにそのあとを追ってきました。


「なあ、おまえ。本を読みたいんだろう? 読めるのようになりたいんだろう? 本になんて書いてあるのか気になるんだろう?」


 今度は仁助がぎょっとする番でした。誰にも話したことのない仁助の心の内を読んだ山姥を見れば、にたりと笑っていました。


「なあなあ、まんじゅうをくれろ、なあ。そうしたら、字の読み書きを教えてやるから」

「山姥に文字の読み書きができるわけがねえ。つくならもちっとマシな嘘をつくんだな」

「嘘なもんかね。アタシャ、かつては宮中に上がったこともある才女だったんだよ。さっきの本だって、読んだことのあるもんだった。ほうれ、暗唱もできるぞ『いまはむかし、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつつ、よろづのことに使いけり』とな。

 どうだい、いい取引だろう。なあ、まんじゅうをくれろ、なあったら」

「よけいな世話だ」


 仁助はきっぱりと言いました。


「いいか、ばばあ。おれがあんたにやれるもんは、さっきやった握り飯だけだ。それだって、おれが今晩、食おうと思ってたもんだ。これ以上、あんたにやれるもんはおれにはねえ。かわいそうだと思って、おれの夕餉をやったのに、もっとよこせと言うなんざ、あつかましいと思わねえのかい。わかったらさっさとお山に帰りやがれ」


 仁助の言葉に、山姥はあからさまに顔をしかめました。


「なんだい、なんだい。じじばばにやさしいやつかと思って声をかけたのに、アタシにはやさしくしてくれないのかい」

「身寄りのないおれを育ててくれているじいちゃんばあちゃんに恩返しをするのは当たり前だろう。大事にしなけりゃ、罰が当たらあ」

「そうかいそうかい」


 仁助はいいかげんうんざりしました。山姥はまだあとをついてきます。


「おい、ばあさん。しつこいぞ、あんたにやれるもんはないって言ってるだろう」

「ひ、ひ、ひ。まあまあ、固いことをお言いでないよ。

 身寄りのないお前さんを育てたじじばばだ。さぞかしお人好しなんだろうねえ」


 にたにたといやあしく笑った山姥に、仁助は掴んでいた藁打ち槌を再び頭上高く振りかぶりました。

 山姥は情けなく声を上げて、とうとう頭を下げました。


「ひえええ、すみません、すみません。寒くて寒くて、凍えて死にそうなんです。納屋の隅でもいいんです、どうか一晩、屋根のあるところにおいてください」

「最初からそうやって素直に頼めばいいだろう。

 まったく、むだに偉そうに上から言ったりするから、おれだって腹が立つんだ」


 仁助は言って、背負籠を腹に回すと、山姥を背負ってやりました。

 山姥は背負籠よりもずっと軽く、触れた肌は枯れた木のようにガサガサに乾いて、冷えています。


「だって、おらは山姥だもの。人に怖がられなきゃ、山姥の名折れだろう……」

「そんなもの、さっさと折っちまえ。苦しい思いをしてまで守るもんでもないだろう。死にかけてるんならなおさらだ」

「ううむ、そうかのう……。そうかもしれんのう……」


 ぶつぶつとひとりごちる山姥を背負ったまま、仁助は風のように走って、家まで帰りつきました。


「ただいま帰りました」

「おかえり、仁助。寒かったろう」

「おや、お客さんかね、仁助や」

「途中で拾った山姥だ。凍えて、一晩止まらせてほしいと。

 ほら、お前からも頭を下げろ」

「夜分遅くに失礼いたします。どうか一晩、宿を貸していただきたく……。お、お願いします……」


 しおしおと折り目正しいお辞儀をした山姥をおじいさんもおばあさんもあたたく迎え入れました。


「これはこれはようおいでなさった。外は寒かったでしょう、こんなに冷えて、どうぞ火にあたってください」

「なにもないあばら家ですが、ゆっくりしていってくださいね」


 上がり(かまち)で出された白湯をちびりちびりと飲む老婆の手足を仁助は拭ってやります。ところどころあかぎれになっていて、霜焼けにもなっていました。


「仁助も遅くまで仕事をしてきて疲れたろう。火にあたって温まりなさい」

「大丈夫、やるkとおを片付けておきたいから」


 仁助は夕餉の温かな汁を素早く飲み干して、土間で藁を叩き始めました。手早く藁を叩き終えると、すぐさま藁を編み始めます。

 おじいさんもおばあさんもそれを見て、おだやかに微笑みました。


「毎日雪が降って寒いですね」

「山の中ならことさら大変でしょう。あの子が作る軟膏はあかぎれにもよく効くんですよ」


 おじいさんは半纏を山姥に着せてやり、おばあさんは山姥の手や足に軟膏をぬってやりました。そのうえ、仁助に土産だと渡されたまんじゅうを山姥に出してやりました。


「どうぞ、食べてくださいね」

「ありがとう、ございます……」


 ありがたいやら、申し訳ないやら、怖いやらで、山姥は平身低頭で零を述べました。

 わらじを編む仁助のすぐそばには藁打ち槌が転がっているものですから、老婆はおっかなびっくりまんじゅうを食べましたが、仁助は黙々とわらじを編んでいるだけでしたので、山姥はほっと胸をなでおろしました。

 そうして、一晩泊めてもらった山姥は朝起きて驚きました。


「あんた、こんな寒いのに、裸足でいたら霜焼けにだってなるだろうよ。ほら、あんたの草履だ。あんたは山に帰るんだから、雪沓(ゆきぐつ)のほうがいいんだろうが、一晩じゃ草履がせいぜいでな。今度、あんたが来るときまでには雪沓を作っておくから、とりあえずはこれを履いていくといい」


 仁助が手渡した草履を山姥は涙を流してよろびました。


「きっと、きっとお礼を持ってくるからな」

「おお、期待しないで待ってるよ。ああ、読み書きを教えてくれるのでもいいよ」

「任せておけ!」


 そう言って胸を張る山姥に仁助は朗らかに笑い返しました。


「お礼はいいが、喜んでもらいたいから人様から盗ったり、奪ったりはするなよ」

「も、もちろんですぅ……」


 仁助の持つ藁打ち槌に怯えながら、山姥は何度も頷きました。

 その後、仁助の家には時々、山姥が柿やアケビや、きのこなどの山の幸を持って遊びに来るようになりました。ときには山鳥や、猪や、鹿も持って来るようになりました。

 仁助も約束通り、雪沓を編み上げて、山姥に贈りました。山姥は飛び跳ねて喜びました。

 山姥が来た夜には仁助とおじいさんとおばあさんと山姥の四人が団らんしてすごし、仁助は山姥に読み書きを教わりました。

 いつものように薪を運びながらも、いつかにあげた本を読んでいる仁助に庄屋さんは驚いて尋ねました。


「仁助、寺子屋に顔も出さないで、いつの間に本を読めるようになったんだ」

「昔、京都で宮中に上がったこともあったという山姥に夜に教わっているのです。ときどき、調子にのって偉ぶりますが、教え方がたいそう上手いので、おれでも読めるようになりました」


 庄屋さんはそんなに教えるのが上手いのなら、と山姥に寺子屋でも教えてくれるよう頼みました。


「教えてやってもいいが、報酬は仁助に本を与えてやってくれないか。いや、貸してくれるだけでもいいんだ。

 仁助のやつ、毎回アタシに新しい話をねだってくるんだが、さすがのアタシももうネタ切れじゃ。物語を作るのも限界なのじゃ。矛盾があるとすぐ文句を言うてくるし……。そのうち、本を書けと言うてくるやもしれん。本を書くとなれば一日中部屋の中にこもって机仕事じゃ、そんなのには耐えられん。

 頼む、仁助に新しい本を与えてやってくれ」


 げっそりとする山姥に、庄屋さんは大笑いで仁助に本を与えることを約束したそうです。

 めでたしめでたし。

評価、ブクマ、感想に誤字報告ありがとうございます。

とても嬉しいです。励みになります。

今後ともよろしくお願いいたします!

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