第161話︰夏のぎっくり
「お兄ちゃん、味見してもらって良い?」
江戸時代には八つ時と言われていた午後3時前後
妹がキッチンから顔を出し、そんな事を言った
「いいよ」
「ありがと、持ってくね」
そう言って雪葉が持って来たのは二種類のプリン
味見と言っていたが、普通に2人分ある
「こっちがリンゴを使ったプリン。こっちがレモンプリンだよ」
「ほぅ、珍しいな。では頂こうか」
さっき牛丼食ったから少し胃がもたれているが、まぁプリンぐらいなら食えるだろ
「あ、紅茶いれてくるね。先に食べていて」
「ありがとう」
ではスプーンを持って、おもむろに
「ねぇ」
おもむろに
「ちょっと」
おもむろ
「無視するじゃないわよ!」
「ご、ごめん。あまりにも意味不明だったから」
ここは我が家のリビング
俺はテーブルに着いているのだが、姉ちゃんは床で打ち上げられた魚みたいに跳ねている
「さっきから何やってるの?」
「ヨガよ。やりたくないけど」
ならやらなけりゃ良いのに
「……昨日アキが」
「秋姉が?」
「最近雰囲気が柔らかいねって、母親みたいな眼差しで!」
「褒めてるじゃん」
それが秋姉の勘違いだとしても
「……違うわね。あれはデブになった姉に対する哀れみの目よ」
「いや、秋姉はストレートに言うよ」
太ったね一緒に痩せよう、と
「そう? それじゃただの誉め言葉?」
「まぁ、糖尿まっしぐらなレベルにならないと言わないだろうけどさ」
「やっぱりデブへの忠告じゃないの!」
それはないよ。と言いたいが最近体重が増えた事を気にしている姉には通じないだろう
ヨガ自体は健康に良いらしいし、ここは様子見1択で
「それで話はなんだっけ?」
「ああ、その……雪のプリン? 美味しそうだなって」
「そうだね」
「手作り……ね。アタシにも作ってくれるかしら」
「え、なに?」
「なんでもないわよ。それより味見でしょ、アタシもしてあげる」
その言葉に紅茶を持ってきた雪葉の目が丸くなる
「お姉ちゃんも食べるの?」
「え? ……あ、そ、そうよね。アタシみたいなボンクラが雪の手作り食べるなんて何ほざいてんのよ糞がって感じよね。全くおこがましくて笑っちゃうわ、うふふふふふ」
酒を抜いてから姉ちゃんは、雪葉や秋姉に対してネガティブになっている
きっと過去に犯した悪行のせいで、光の存在に萎縮しているのだろう
「そ、そうじゃないの! 今朝お姉ちゃんダイエットするって言ってたから邪魔したら駄目だと思って」
「そうなの?」
「うん! 大丈夫ならまだ残ってるから食べて欲しいな」
「……そっか。もちろん食べひぎっ!?」
満面の笑みで立ち上がり、その時の衝撃で背中をつる姉
悲しいぐらいに身体が固いのだ
「だ、大丈夫か姉ちゃん」
「お姉ちゃん!?」
「へ、平気だから、さ、騒がないで」
引き吊った顔に冷や汗よだれ。ど、どうやら本気でヤバいみたいだ
「だ、だけどその格好じゃ痛いでしょ」
クラーク博士みたいになっている
「う、動いたら死ぬ。多分ぎっくり」
「ぎっくり!」
親父がなったやつか
「ぎっくり腰! ねぇお兄ちゃん。それって」
「……ああ」
母ちゃんなら治せる。治してしまうが
「……またあの悲劇が起きるのか」
「な、なんの、は、話を」
「雪葉、母ちゃんに連絡してくれ」
「はい」
俺の指示に覚悟を決めたのか、雪葉は素直に電話へと向かった
「すぐに治るよ姉ちゃん」
「な、なんでそんな辛そうに言うのよ」
「……何か噛む物いる? 少しは違うみたいだよ」
「え? え?」
姉ちゃんは知らない。あの日の悲劇を
「お兄ちゃん、お母さんすぐに帰って来るって!」
「そうか……姉ちゃん。俺、姉ちゃんの事、大好きだった、今までありがとう」
「な、なにを」
「……お姉ちゃん。うぅ」
雪葉の瞳から大粒の涙が零れる
「あ、アンタ達、どうし」
「ただいま〜」
酷くのんきな声が玄関から響いた
「娘のピンチにちょっと急いじゃったわ〜」
「…………じゃ俺達はこれで」
「か、母さん? 母さんが関係あるの?」
「お姉ちゃん……」
「雪葉は俺の部屋に来な。耳栓もあるから」
紅茶とプリンを持ってと
「ち、ちょっ、説明を」
「針治療ってあるじゃん? 母ちゃんはそれを指で出来るんだよ」
「…………」
「それも凄く強力でね、それってもう秘孔なんじゃないの? ってぐらいに」
そして強力ゆえに痛みもまた強力で、何週間か分の痛みをいっぺんに味わったと後に父は語った
「当時姉ちゃんは夜遊びしてたからさ、見なかったんだよな、あの悲劇」
「……うん。お父さん、叫んで転げ回って……。幽体離脱したって言ってた」
俺と雪葉の言葉に姉ちゃんの顔は青ざめ、カチカチと歯を鳴らす
「……い、いや。いやよ」
ガチャリ。扉は開いた
「あら〜可哀想。すぐに治してあげるわね〜」
ボキボキ、ゴキンゴギリ。おおよそ人ではない関節の音が聞こえる
「さ、行こう雪葉」
「……はい、お兄ちゃん」
「や、やだ行かないで、こ、来ないで、来ないで」
また一時間後、会おう姉ちゃん……どうかご無事で
「うふふ〜、それじゃ始めるわよ〜」
「い、いやぁぁ!」
今日の……
夏
「ただいま。……水?」
「ごめんなさいね〜そっちもすぐに拭くから〜」
「……手伝う」
「駄目〜。お部屋で待ってなさ〜い」
「ん。部屋に行ってる」
「は〜い。…………素直な子ね。それにしても何年ぶりかしら〜」
「…………もう死にたい」
「それは駄目よ〜。母さんよりずっと長生きしてもらわないと〜」
「き、今日の事は」
「忘れるわ〜。ちなみにお父さんの時は大きい方」
「忘れて!」
「うふふ」
つじつま




