芦の三姉妹 8
その光景はまるで、相撲部屋の様だった
「…………」
「さ、恭介君。遠慮しないでどんどん食べて」
「恭、取ってあげようか? な〜んて」
にこやかな二人とは対称的に、俺や梢は固まっていた。まさかこんなにデカイとは……
テーブルのスペースを埋める寿司桶。俺はマグロの握りに手を伸ばす
「ね、ネタ大きいっすねー」
ネタは、回転寿司とかで食べるサイズの二倍近くあった
「ここ、美味しいのよ。やっぱりお寿司はネタが大きくないと」
「あ、あはは」
ネタだけなら良い。しかし、これはシャリもデカイ。1、5倍はある
「さ、がばっといって、がばっと」
叔母さんは期待する眼差しで俺を見ている。一口で食えって事だろう
「ぬ、ぬう……」
「ん」
どうやって食うか思案している俺に、梢は任せてとアイコンタクト。イクラの軍艦巻き持ち、小さな口に運ぶ
「あ、あむ……あ」
しかし結局一口では食べられず、口元からこぼれ落ちたイクラがテーブルに散乱した
「……ごめんなさい」
「い、いや、そんなにションボリするなよ。これは俺でも難しいって」
「はい、ティッシュ。でも本当に大きいね」
「値段は普通のと余り変わらないわ。知る人ぞ知る、お寿司屋さんなのよ」
なるほど確かにネタの艶は良く、米が輝いている。普通の宅配寿司とは一味も二味も違いそうだ
「いただきます」
喉が詰まりそうだが、期待に応えるべくマグロを一気に口の中へ押し込む
「…………ぬ!」
こ、これは
「うはい!!」
マグロの甘味と酸味のバランスが絶妙で、噛めば仄かな香りが鼻から抜ける。シャリは適度な固さがあるが、直ぐに口の中でフワリとほぐれた
「ま、まさか出前でこれ程のクオリティを保つとは……」
恐るべき職人技よ
「気に入ってくれて良かったわ。おビールお持ちしましょうか?」
「ああ、頼むよ母さんって俺は未成年ですから!」
ノリに弱いんだから止めて欲しいぜ
「あら、ごめんなさい。恭介君は落ち着きがあるからつい」
叔母さんは、うふふと笑い玉子の握りを手に取った
「ママは玉子好きだよね〜。あたしは、うーに」
叔母さんは玉子、椿はウニ。梢がイクラで楓さんがカッパ巻き
好物に極端な値段差があるが、当人達は満足しているようだ
「ねぇ、恭。東京はどう? 何か面白い事ある?」
「何もないな。東京ったって、賑わった場所じゃないし。椿達は何かあるか?」
「ないね〜。近くにプールが出来たぐらいかな」
「プール?」
「広いの。恭介、明日行こう?」
「水着が無いって。でも暑いから泳ぎたい気もする」
「なら水着買おーよ。あたし達の水着姿見れるよ」
「水着ねぇ」
今年は既に神の聖衣である秋姉の白ビキニを見てしまっているから、ぶっちゃけ余り興味が無い
「明日までに考えておくよ。てか楓さん、カッパ好きですね〜」
20個ぐらい有った筈だが、もう3個に減っていた
「そう? 意識してなかった」
楓さんはカッパ巻きを食わえながら、ぼんやりしている
「姉さんは普段死んでるから。恭と一緒だね」
「明るく言う台詞じゃないだろ」
そして俺は死んでない!
「そもそも楓さんは死んでるってより、クールって感じじゃないか?」
吸引力が強く、見つめられると吸い込まれそうになる……いや、まぁ結構死んでるけど
「そう言えば秋さん達は元気?」
自分の話をされていても表情が全く変わらない楓さん。それを横目で見ながら、椿はそんな事を聞いてきた
「元気だよ。夏紀姉ちゃん以外は」
「あら、夏紀ちゃん元気無いの?」
「夏バテってのもあるんですけど、一番は酒を飲まなくなったからですかね」
冗談交じりに言うと、叔母さんは目を細くして
「無いわ」
「え?」
「あの夏紀ちゃんがお酒を飲まないって有り得無いわ。何があったの?」
一瞬冗談で言ってるのかと思ったが、叔母さんの顔は超真剣だ
「い、いや、なんか酒で失敗したみたいですよ? 記憶が飛んだとかなんとか」
「夏紀さんの飲み方はヤバいからね〜。ママより飲む人、初めて見たよ」
叔母さんも酒豪で、その胃は穴の空いたバケツと称される事がある。しかしあの女は更に恐ろしい! あの女の胃は暗黒物質ダークマター。体内の水分を65%酒に変換出来るバッカス神なのだ
「人じゃない、勝てる気がしない。まさか姉さん以外の誰かにこの感情を受ける日が来るとは思わなかったわ……」
二年前にあった伝説の一夜(飲み比べ)を思い出したのか、叔母さんは、ぶるりと震えた
「あたしは秋さんにかな。姉さんより完璧な人、秋さんぐらいしか居ないでしょ」
秋姉は楓さんや春菜に比べると、特出した部分は余り無いのだが、全ての分野で人並み以上の結果を出し、ムラがない。泳げないけど
「春菜も凄いの。宇宙人なの」
春菜は宇宙人か……
「君の家、化け物ばかりだね」
楓さんは穏やかに言った。って、失礼な
「き、恭? 姉さん褒めてるからね?」
「分かってるって。……ま、確かにみんな凄いよ。俺は普通だけどな、はは」
なら努力しろって話だが
「だ、大丈夫だよ! 恭だって……や、優しいもん!」
「あ、ありがとよ」
気楽に言ったつもりなのだが、気を使わせてしまったみたいだ
「言っとくけど、コンプレックスは無いからな。可愛い妹達に尊敬出来る姉(長女を除く)が居るんだ、コンプレックスどころか幸せだよ」
神様ありがとうって感じかな
「……そうだよね! うんうん。あはは、やっぱり恭は凄いなぁ」
「へ?」
今の話で、なんか凄い所あったか?
「そうね。そんな風に素直に家族を愛せる君だから、側に居るだけで周りの人を何となく安心させる事が出来る。これは姉さんを含め、私達の家系には一人も居ないわね。一番近いのは……君のお父さんかな」
親父か……どんな顔してたっけ? ああ、あれか
「あの姉さんと駆け落ちするぐらいですもの。ある意味、一番凄いのはあの人かも知れないわね」
どことなく呆れた様な、だけど優しさを含む声で叔母さんは言う
「……親父はいつも悔やんでました。逃げ出さないで、もっと祖母達と真剣に話し合えば良かったって」
自分のせいで俺達が婆さん達から疎遠となり、申し訳ないと一度だけ謝られた事がある
「フォローする訳じゃ無いけれど、何年話し合っても無駄だったでしょうね。母は絶対に認めないわ」
親父は姉ちゃんが生まれてから今までの間、何度も婆さんの家を尋ねたらしい。だが、結局会うことすら出来なかった。要するに今も尚、全く認めてもらってないのだ
「私も家を逃げ出した姉さんを相当恨んだけど、今なら姉さんの気持ちも少しは分かるわ。でも、まだ納得出来ない部分もあるの。もう二十年以上も前の事なのに、我ながらしつこいわね」
叔母さんは軽く笑い、ご飯時にごめんなさいと謝って、この話を終えた
「叔母さん……」
なんて言えば良いのか分からない。こんな時は、自分がつくづくガキだと思い知る
「てかウニ貰い!」
俺は、ごまかす様にテンションを上げ、ラスト一個のウニを奪い取った
「あ! それ、最後の楽しみに取っておいたのに……。てゆーか恭ってウニ好きじゃないよね?」
「そうだったか? う〜ん。磯の香りと仄かな苦味がたまりませんなぁ」
ジト目で睨む椿に対し、わざと意地悪な言い方をする。さてどんな仕返しが来るかな
「…………」
しかし予想と違い、椿は何も言わずイカを取って食べ始めた。少し涙目で
「……と」
ヤバい、マジに凹ませてしまった
「あ、あのさ、食べかけだけど……半分食うか?」
そんな苦し紛れの提案に、椿の顔は綻ぶ
「食べる! あ〜ん」
「ほれ」
燕の雛みたいに口を開けて、ウニを待つ椿。そんな椿の口にウニを近付ける
「あむ。ん〜。えっへへー」
めっちゃ幸せそうだ。よっぽど食いたかったんだな
「……椿姉だけ、ずるい」
梢が何故か拗ねている
「先に意地悪されたんだもん。これでチャラだよ」
「そう……かも。いいな」
などと話をしている二人を、叔母さんはニコニコしながら見守っていた。と、此処までは平和だったのだ
しかし、その平和はたった一本の電話で崩れる事となる
時刻は六時半。恐怖の一夜が始まる一時間前。しかしこの時の俺は、そんな事には気付きもしなかったのである




