前夜
ローグさんがいなくなって、4日たった。
明日はもう式典。
わたしは困り果てて、すっかり日の落ちた部屋をうろうろしている。
困りごとのひとつはローグさんとの話し合いについて。明日の午前中にふたりで会うことになっていたのに、同時刻に急遽クラージュ殿下が近しい人を集めて挨拶会を開くという。まさか欠席するわけにもいかず、さりとてローグさんに「時間を変更してほしい」と連絡もとれない。
もうひとつは、クラージュ殿下との会談。婚約解消について直接お話したくて手紙を出しているけど、向こうからはとうとう反応がないまま今日になってしまった。少し前は見つからないようコッチがコソコソしていたのに、いざ会おうとするとできないなんて、わたしは本当にタイミングが悪い(それにしても、お父様への手紙といい、殿下への手紙といい、わたしの出した手紙はどこかで迷子にでもなっているのだろうか)。
アバリシアさんが大きなあくびをしながら「ちったァ落ち着けよライラ」とぼやいた。
ちょうどローグさんがいなくなった日から、彼女はさらに自由度が増し、使用人部屋に戻らずわたしの部屋で寝泊まりしている(風呂もここで入るし、ごはんもここで食べる自由っぷり)。今も長椅子に寝そべってゴロゴロしているところだ。
「いーじゃねェか、別に。なにを話したいんだか知らねェけど、明日クローズ王子だかが挨拶する前に捕まえてチャッチャと済ませちまえよ」
クラージュだよ、アバリシアさん。それじゃ閉店してるよ。
「そうそう、そのあとは体調不良とか言って挨拶会なんて途中退席すれば?」
ホロウ君が大きなトランクに荷物を詰め込みながら、悪戯っぽく笑う。この間の酔っ払いモードが嘘のように、今日もキュルルン小悪魔スマイルだ。
「ローグさんと約束してるのはいつものお庭でしょ?ボクが見張ってて、ローグさんが帰ってきたらライラに教えに行ってあげるよ」
「うん、まあ……それしかないよね。ありがとう、ホロウ君。会を中座するのは申し訳ないから、ローグさんに会ったら時間をズラすようにお願いしてもらえる?」
「りょーかい!」
(あーあ、どうしてこうなっちゃうんだろう。結局なにもかもギリギリ……式典前に『婚約解消しましょう!』って殿下に言ったはしから、ローグさんに告白するのはなんかすっごく悪女の気分)
ただ安堵していることもある。送られてきた式次第や王宮からの招待状には、婚約の正式表明について特に書かれていなかったのだ。
(ひょっとしたらお父様が直接陛下に交渉してくださって、表明を見送ったのかな)
それなら安心だ。結局お父様からの手紙は来なかったから、式典で会えるといいんだけど。今はもう領地から出て王都のお屋敷にいるのだろうか。ずっと帰っていない領地や王都の侯爵邸が懐かしい。お金がないから領地までなんて行けないし、お義母様のいる侯爵邸では歓迎されないだろうから、しばらく顔を見せていない。リリベルはお茶会やお呼ばれがあるから、ちゃんと毎週末帰っているようだ。
(リリベルも明日の挨拶会に出るよね。舞踏会のときから気まずくてあんまり会えてないから、ちょっとでも話せたらいいな)
「ねえ、アバリシア。いつまでもダラダラしてないで、ちゃんと荷造りしなよ。使用人部屋に忘れ物なんかしたって取りに戻れないんだからね」
「へーへー明日やるよ、明日」
わたしは部屋を見渡した。荷物でパンパンのボストンバッグやトランクがひとつふたつみっつ……。
「…………あの、ホロウ君。そういえば、その荷物ってなに?」
「荷物って?」
「いや、そのトランクのことだけど……どこか旅行でも行くの?」
「やだなーライラってば!前にどこかへ行きたいって言ってたでしょ?社交シーズンが始まったら学術院はお休みなんだから旅行でもしようよ!海とか山とかパラディソ温泉地獄めぐりとか」
「海も山も最後のインパクトに全部持っていかれちゃうよ……それに、別に旅行するつもりじゃ」
と、言いかけてやめた。成人式と王立学術院の進級式典、社交シーズンの幕開けは明日同日に行われ、お祭り週間が終われば長い休暇に入る。確かにその間は寄宿舎にいられなくなるし、事によればもうすぐ追い出される可能性もあるわけだから、荷物をまとめてくれているのはありがたい。このままお願いしておこう。
「血の池みたいな真っ赤な温泉があるんだってさー!楽しみだねー!」
……いや、行かないよ?温泉地獄めぐりには行かないよ?
わたしも荷物集めを手伝おうかと思っていると、控えめなノックの音。
訪ねてきたのは意外な人物だった。
「フラッタリー伯爵令嬢」
ドアの前には、リリベルの友人ペルティ・フラッタリー伯爵令嬢が居心地悪そうに突っ立っていた。うしろには侍女がふたりほどくっ付いている。
彼女はこちらと目を合わさずに、「ちょっとお時間いただけない?」ともごもごつぶやいた。




