窓の明かりを見上げて2
窓からこぼれる明かりが、くっきりと夜を切り取っている。その一番深い闇のなかで、三人の男が影絵のごとく佇んでいた。彼らは上級寄宿舎最上階の窓を見上げ、誰ともなく話をはじめる。
「さてまずは、あー……オレらも乾杯する?」
「いいねえ!!」
「よくない」
「なにしんみりしてんだよ旦那。じゃあ本国に献杯といくか?」
「ああ気にしてるのかい?どうりでいつも以上に怖い顔してると思った。まあ自業自得なんだから仕方ないと割り切りたまえよ。所詮我々のいないバベルニア帝国なんて、アンの入っていないアンパンだ」
「お前の例えは分からん。そんなんでよく神官務まったな。それよりグロウル、報告は本当に間違いないのか」
「まあ十中八九。銀氷海を抜けた難民船は、ざっと見ただけでも50は越えてる。たぶん包囲の左翼を担ったバベルニア艦隊が離脱して、本国にあわてて戻ったんだ。間に合うわけねーのに。いっつもオレらの手柄を横取りするためにケツにくっついてたのが運の尽きさ」
雨雲が風に流され、大鷲の爪を思わせる銀の月が現れた。幕を開くように闇が失せ、影絵の男たちが明らかとなる。
薄青い瞳を静かに伏せたのは、ライラ・ウェリタス侯爵令嬢付き護衛のシャリテ・ボアダムであった。
「では、やはり――バベルニアは落ちたか」
「だから気にすることないって」と教員風の優男――ルクス・フェデルトは屈託なく笑う。「そういえば殿下は一度戻ったらしいが、ライラ嬢の説得をどうするんだろう。『絶対自分から話す!』って言ってたけど間に合うかな」
「殿下ひとりなら大峡谷もハイドロも平坦な道と変わりない。式典の前には十分間に合うだろう。だが――」
「……まさか、さっき聞いたバカバカしい『ゴッコ遊び』に付き合ったりしないよね?」
「そのまさかさ」と、ふたり分の視線をうけて、庭師グロウル・グラティアは肩を竦めた。
「イーズ補佐官が、その『ゴッコ遊び』を遂行させろだと。王子には内容を伏せて。その方が彼女の決心が固まるから」
ボアダムの目つきが険しくなる。周囲の温度が下がり、足元の芝生にみるみる霜がおりていく。「気に入らん」
「なにも……あの子に、わざわざ嫌な思いをさせずともいいだろう。あまりにもくだらん。『狂言の婚約破棄』など」
「まあねえ。でも私はイーズ君の考えも分かるよ。だって彼女の性格を鑑みるに『明確な決別』でもないとうちに来てくれなさそうだからね。かといって、この計画――殿下に知れたら、それはもうタイヘンなことになるだろうなあ」
言いながら、ルクスはアメシストの双眸を愉しげに細めた。
「……とりあえずヤバい感じになったら、もう王子もイーズも無視してオレらで保護すっか。朝っぱらからケンカ売られて、うぜえ婚約者に追いかけ回されて、義理とはいえ妹に陥れられるような国に置いとけねーしな」
グロウルは頭をガシガシと掻き毟る。
イーズ補佐官としては、このクソったれな『婚約破棄ゴッコ』を実行してもらい彼女の聖フォーリッシュ王国への郷愁を失くし、いーい感じで我が国に招き入れて、あわよくば我らが『傲慢』なピカピカ王子とうまくいってほしいのだろう。外野からすれば、こんなことしなくてもふたりは十分いい関係に見えるが。
「何事もなきゃいいけどな……」
というか、この『婚約破棄ゴッコ』、グロウルはぶっちゃけ嫌な予感しかしない。
『怠惰』シャリテ・ボアダムは苦虫を噛み潰したような顔のまま黙りこくっている。彼自身は、あんな小さな女の子をくだらない見世物の犠牲にすることも、人に好かれる立場ではない自分たちの仲間に引き入れることも、未だ腹におさめかねていた。アバリシアやホロウ・ピアットの軍団入りにも大反対したのに、まさかもうひとり子どもが増えるとは。彼の『怪物』は心配そうにグルグルと唸っている。
「やれやれ、聖フォーリッシュの人間はほんと愉快だよ。見てて飽きない」
『淫欲』ルクス・フェデルトは、なんだかもう楽しくてしょうがない。彼女の参入は間違いなく大きな変化となる。なにせ『憤怒』こそが、125年前にバベルニア帝国旧首都で起きた『大火災』の原因であり、ほんの半日で帝国の5分の1を火の海に沈めた、まさに生きた災厄であったのだ。おかげで『怪物』たちは世界中に散ってしまったが、まさか再び集まることができるなんて。彼女がもたらすのは希望か、はたまた破滅か。どちらにしても大歓迎だ。彼の『怪物』は楽しげにメエメエと笑っている。
「そうだ、『婚約破棄ゴッコ』のあとさ、あの子に配慮だけは忘れずに。やさしーくしてやろーな。ついでに『オレらの国に来たらめっちゃ楽しいぞ』って宣伝もしとこうぜ」
大体のことに無気力な『嫉妬』グロウル・グラティアも、今回はさすがに気を張った。観察対象があまりにも普通の少女で、そのくせ世界で1番ヤバい相手だからだ。彼女の部屋を見上げ「なに食ってんのかなー」「オレも混ざりてーなー」などとつらつら考えながら、そういや王子の初告白を邪魔したことについて彼女に謝ってないな、と思い至った。あのときは王子が頭から噛み付きそうに見えて、つい余計なことをしてしまった。まあいっか。仲間になってくれたらいくらでも謝るタイミングはある。彼の『怪物』はシイシイとのんきにあくびをした。
「さて、話もまとまったところで」
ルクスがなにもない中空から、細身のグラスを取り出す。次いで、ガラスの触れ合う澄んだ音とともにガス入りワインのボトルまで現れた。ふつふつと泡の浮かぶ金色の酒が、三脚のグラスを満たす。滑るように手元へ飛んできたグラスを、ボアダムは複雑な表情で、グロウルは呆れて、ルクスは満足げに取り上げた。
「献杯といこうか!同胞諸君!」
見事な陰影を描くトピアリーの足元で、三つの影がグラスを天に掲げる。禍々しい角を持つ巨大な熊、とぐろを巻いた翅のある大蛇、長大な蠍の尾を揺らす山羊――異形の影たち。
「この杯を献じよう!今は亡き我らが母国バベルニア帝国に!」




