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ケイトウのお花畑と古聖堂

「ああ申し訳ない、退屈だったかな?どうも自分の()()()()になると話がとまらなくなってしまってね」


酷薄そうにも見える端正な横顔に、照れ笑いが浮かぶ。

ホッとした。つい声をかけてしまうくらい、さっきまでの先生は変だったから。


「い、いえ、お話の途中ですみません!元々そういった学問をされていたんですね!」


「学んだというほどでもない。必要に迫られてほんの少しかじっただけだし、結局大したことは分からなかった。怪物のことも、彼らに気に入られた人間のことも。なにを基準にパートナーを決めるのか、力をもたらす切っ掛けはなんなのか、どういう周期で現れるのか、離れていくこともあるのか。なかでも謎めいているのは『憤怒』だね」


「『憤怒』って、あの……赤い狼の?」


わたしがどこかで見た気がする怪物。


「そうそう、狼。よく知っているね、バベルニアの旧言語がお粗末だから大抵の本には『赤犬』と訳してあって――」


頭の中で、ふっと赤い炎が揺れた。いや炎じゃない、と打ち消す。


(これはケイトウのお花畑)


(真っ赤なケイトウと)


心臓が大きく脈打つ。

幼い自分のはしゃぐ声。


(赤い――ワンちゃん)


血が一気に足元まで下がるような、逆に頭まで昇るような感覚。鼓動が早くなり指先が冷たくなる。


(あれは、今どこにあるんだろう。お母様が最後に作ってくれた、あの刺繍のハンカチは)


お母様の私物やわたしの持ち物の多くは「気分が滅入る」とか「侯爵家らしくない」という理由で、お義母様に処分されてしまった。でも、そのなかにあのハンカチはなかったはず。


(そうだ、お義母様が来る前に。わたし、あのハンカチを貸してあげた。だって)


黒煤で覆われた古い聖堂、見捨てられた人々のステンドグラス、悲しげな彫像、かろうじて壁にかかっているバベルニア帝国の旧国旗。


(だって、すごく泣いてたから)


『あの赤い狼は怒っているんだって』


泣き止んだ男の子は、聖堂の旧国旗を見上げ、そう教えてくれた。濡れた金色の瞳。


『×××のために』






「待ってくれ、クレデリア!!」


大きな声と物が割れるような音で、回想は強引に断ち切られた。


「お兄様、人のいるところで話しかけてこないでと言ったでしょう!」


生垣があるため姿は見えないが、回廊が交わる待合スペースでだれかが言い争いをしているようだ。


(この声は、クレデリア様と――ジェネラル・ヴェルデ?)


妹君のクレデリア様と瓜二つの美青年ジェネラルは、いわずとしれたヴェルデ公爵家の長子。インテリゲント、オブスティナと並ぶ三大筆頭貴族のひとつで、現王妃様とも関わりの深い血筋だ。


(ジェネラルは体調を崩して療養してるって聞いてたけど、もう具合がよくなったのかな)


「誤解なんだ!説明させてくれ!どうしてああなったのか私にも分からないんだ!」


ジェネラルは、年下のクラージュ殿下にあわせて入学したため本来は3つ年上の19歳。大人びた雰囲気と柔らかな物腰で(フェデルト先生がくるまでは)学術院でもっともミステリアスな男子だった。彼のこんな取り乱した様子は初めてだ。


なお、現在ミステリアス男子1位のフェデルト先生は生垣の陰にしゃがみ、投射回転画(シアターフィルム)がはじまる前の観客みたいな顔をしている。


「とめなくていいんですか?」


声をひそめて聞けば、シーッと鼻先に人差し指をたてられる。


「まずはお互いの言い分を聞いてからだ。しっかり気持ちをぶつけあってから精査するのが、先生として?なんかこう大事?青春かな?みたいな?」


フワッフワの教育理論をかます先生。それっぽいことを言っているけれど「今からなにが起こるのかセンセイ興味しんしん!」という様子が隠せていない。


「大きな式典の前でみんな気が立っているのかな。今日はなにかとトラブルが多いねえ。ライラ嬢は揉め事好きかい?紛争、クーデター、継承権問題、男女の修羅場、子供のケンカ」


「えぇ……好きかどうかと言われても……」


先生は、長い睫毛を瞬かせる。「うーん、争いごとは苦手なんだね」


「やはり怪物の考えることは分からないな。せっかく『憤怒』なのに」


「はい?」


なんと言ったのか聞き返す前に、再びクレデリア様の声が鋭く飛んできた。


「なにが誤解なんですの!汚らわしい!」


悪いことだとは知りつつ、聞き耳を立ててしまう意志の弱いわたし。

仲のいい兄妹なのに一体どうしたんだろう。ジェネラルはそんなに大変なことをしてしまったんだろうか。


「私がどれほど心配したと思ってるんです!?なんの連絡もなく、いきなり学術院から失踪するなんて!それもまるまる1日ッ!!」


それは大変だ。


「しかも、ぜ、ぜ、全裸でッ!!」


大変というか変態だ。

ミステリアスが売りだったのに、なんで突然オープンにしちゃったの。


「だから何度も言ってるだろう!学術院に変な連中が……ガーデンテーブルをかついだクマがいたんだ!そいつを捕まえようと思ったんだが、よく考えたらクマは丸裸なのにこちらだけ服を着ていたら卑怯だろう!それで私も裸になったんだ!」


「ええ、何度も聞きましたわ!そのクマと格闘して追い払って、気が付いたら朝になっていたんでしょう!?もう早く入院してくださいまし!頭がおかしくなりそう!」


聞いてるこっちもおかしくなりそうな話だった。


なるほど、メルヘンな白昼夢を心の病と疑われて学院を休んでいたのか。「不思議な話だ。よほど立派なクマだったんだろうな」と、フェデルト先生はご機嫌につぶやいている。完全に他人事だ。


「あの、先生……わたしとめてきますね」


わたしが出て行ったところで意味ないだろうけど、人が集まってくる気配もするし、さっき割れたクレデリア様のインク瓶も危ないから片付けたい。


「えぇーとめちゃうの?」


「……先生」


「冗談だよ、そんなにこわい顔しないで。いやあ、それにしても『先生』って呼ばれるのは本当にイイものだね。ここは先生らしく私がちゃーんと場をおさめてこよう。メス豚2号がかわいそうだし」


「メ……え?」


立ち上がったフェデルト先生は「よい1日を、ライラ・ウェリタス」と、箱入り令嬢には致命傷になりそうなウィンクを投げ飛ばし、さっそうと修羅場へ向かっていき――やがてクレデリア様の鼻にかかった甘ったるい悲鳴が聞こえた。


「あらやだ!フェデルト先生!!」


「やあ、ヴェルデ公爵令嬢。ずいぶん大きな声で言い争っていたようだが」


「え、お、怒ってらっしゃるんですの先生!そんな他人行儀な呼び方イヤですわ!フェデルト先生の忠実なるメス豚候補生クレデリア・ヴェルデをお忘れですかッ!!?」


「メ……え!?クレデリアッ!!??」


裏返ったジェネラルの声を聞きながら、わたしはすばやく回れ右してその場を離れた。メス豚1号とは学術院長のことだろうか、と思いながら。


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